17.隣で笑う友
――二日後。
汗の香りが残る体育館。
しっとりとした空気がカーテンを揺らし、宙を舞うホコリが光にきらめいていた。
僕は額に汗を湿らせ、一つのボールが叩きつけられる音を浴び、練習をしている。
ボールを上げ、踏み込み、ジャンプ。最後に力強くスパイク。
まだ上手にトスが上げられない。
そのせいで、ボールを打つタイミングが合わず、空振りに。
一連動作を何度も繰り返し、その感触を体に刻み込んでいた。
――美心の、あの時の泣きそうな目。
棘のように胸に刺さったまま。
研修合宿から土日を挟み、気持ちのピークは超えたけど。
美心と、一度も口をきいていない。
まだ怒っているかな。
開放されたままの扉に転がっていくボールを追った。
誰かがそのボールを拾い上げる――賢ちゃんだ。
「一人で練習してんの?」
賢ちゃんは体育館に入り、拾ったボールを投げてきた。
僕はそれをキャッチする。
「みんなの足、引っ張りたくないから」
部員に追いつくには、人の二倍以上の練習が必要だ。
「なんだよ。ひと声かけてくれればよかったのに」
賢ちゃんは、ふぅとため息をつく。
「ごめん。そこまで気が回らなかった」
「おまえらしいな。練習付き合うよ」
賢ちゃんはスマホをステージ上に置き、僕と向い合わせに。
「ありがとう。賢ちゃんはどうしてここへ?」
「自販機でジュース一本当たったから。この間のお返し!」
賢ちゃんは後ろポケットから取り出したペットボトルを突き出してきた。
僕は「ありがとう」と言って、ペットボトルを受け取る。
練習にひと息ついた頃、二人でステージ前に腰を下ろす。
蓋を開けてひと口飲むと、炭酸のじゅわっとした弾ける感触と、甘い味が喉を潤した。
「……なんか、悩んでるの?」
賢ちゃんは、神妙な面持ちで聞いてきた。
「どうして?」
「合宿の帰りから暗い顔してるから。昼飯の時も、勝手にいなくなっちゃうし」
気づかれていないと思ったのに。
僕は、ふっと小さく息を吐いた。
「賢ちゃんはエスパーなんだね。僕の気持ちを読めるなんて……」
「おまえが単純なだけ」
「賢ちゃんが鋭いんじゃなくて?」
「バーカ! 相変わらず鈍感だな」
賢ちゃんは僕の顔を見たまま、ケタケタと笑う。
でも、僕は否定できない。
体育館横を歩いている生徒たちの笑い声が耳に届いた。
小さく刻む鼓動が、思考を後ろ向きに引き戻している。
「……鈍感、なのかな。僕は美心に友達を増やしてあげようとしたのに、逆効果だったのかな」
軽くまぶたを伏せたまま呟く。
美心が泣きそうな顔で訴えてきた様子が、頭の中で繰り返されている。
「もしかして、それがおまえの悩み?」
「うん……。美心が少しずつ心を開いてくれるようになったから、女子グループに入れてもらえるよう頼んだんだ。でも、美心にはそれが余計だったみたいで」
「あぁ、そういうこと? 俺も何度か話しかけたけど、心折れたし」
賢ちゃんは両手でペットボトルを持ったまま、遠い目でため息をついた。
「賢ちゃんなら、心を開いてくれそうなのにね」
「まさか、ジュースもう一本欲しいから、持ち上げてんの?」
「あははっ、賢ちゃんったら相変わらず面白いね」
僕が声を出して笑うと、賢ちゃんは目尻を下げた。
「ようやく笑った」
「えっ、いつも通りだけど?」
瞬きをして、首を傾けた。
「困ったときは相談しろよ。じゃなきゃ、何の為の友達だかわかんねぇし」
「賢ちゃん……」
賢ちゃんの優しさに触れ、視界が少し霞んだ。
いつも僕の心を温めてくれる、心強い存在。
「でもさぁ、おまえが鈴奈(美心)の立場だったら、どう思う?」
「普通に嬉しいけど? 友達が増えるのは嬉しいし、仲良くなるきっかけを作ってもらえるなら」
自分から人に話しかけるのが難しいなら、そうしてもらった方がありがたいだろう。
「そこ、おまえが根本的にズレてるとこ」
賢ちゃんは、呆れたようにため息を漏らす。
「誰だって理念を捻じ曲げられたら、気持ちが追いつかないだろ」
「そんなつもりは……」
「それ、おまえの思い込みだから」
賢ちゃんは立ち上がって歩き出した。
「僕と喋ってる時は楽しそうだから、てっきり鍛えられたかと……」
「ん訳ねぇだろ。鈴奈は人に手助けしてもらいたいなんて思ってないかもよ。……ま、俺だったら嬉しいけどね」
僕の望みは、必ずしも彼女が望んでないということ。
まっすぐに思いを届けるだけじゃダメなんだ。
ボーっと考えていると、賢ちゃんは転がってるボールを持ち上げて、一人スパイクをした。
バアァァアン……。
激しい衝撃音が走り、空気が揺れた。
自分の実力とは格段にレベルが違い、僕は唾で喉を鳴らす。
「俺さ、その気持ちわかるんだよね。家族関係で色々あるから」
賢ちゃんの異変に気づき、背中に目線を当てた。
そこには薄暗い影が被っている。
「実は、六歳下の妹と、八歳下の弟がいてね。異母姉弟だから血が繋がっていないんだ。でも、小さい頃から兄としての責任? みたいなものを背負ってきてね」
賢ちゃんは、軽く俯いた。
「大変、だったんだね」
「まぁな。弱音を吐く兄ちゃんなんてカッコ悪いだろ?」
そんなことない。
言葉に言い表せないくらい、凛としている。
「賢ちゃんは、いつもかっこいいよ。僕を理解してくれるし」
本気でそう思ってる。
賢ちゃんは、僕の心の理解者だ。
彼はボールを拾うと、こっちへ戻ってきた。
「ははっ、サンキュ。だから、人一倍わかるんだよね。本音を封じ込めたい気持ち」
一瞬、賢ちゃんの表情と、美心の表情が重なった。
「怖いんだよ。弱い自分と向き合うことがね」
僕は、そこまで考えてなかった。
昨日からずっと悩んでいたけど、彼のおかげで、足りないものが見つかったような気がする。
『……お節介はもう二度としないで!』
ふと彼女の言葉が蘇る。
ようやく心を開き始めていたというのに、僕は小さな芽を摘んでしまった。
あの時は、お節介だと思っていなかったから。
賢ちゃんと同じ日差しを浴びているのに、僕の胸は重く沈んでいる。
美心と、ちゃんと話し合おう――。




