13.五年間のバリケード
――一泊二日の研修合宿。自然体験を通じて親睦を深めるのが目的だ。
現地でバスを下りて、昼食を終えてから山へ散策に。
私はいつものように、女子集団の背中を眺めていた。
昨日の雨が影響か、足元がぬかるみ、落ち葉がいいクッションに。
森林の香りに包まれ、落ち葉や枝を踏みしめていると、雲行きが怪しくなってきた。
下山指示は出ていない。
リュックのベルトを掴んで、崖の方を見下ろす。
見覚えのある配色物が視界をとらえた瞬間、胸がドキっとした。
「クゥ……ちゃん……?」
十メートルほど先にあるのは、クゥちゃんと同じ配色の物体。
それがクマのぬいぐるみかどうかは認識できない。
足を進めたが、心は引き止められる。
もし、あれがクゥちゃんじゃなかったら……。
でも、行かなかったら後悔すると思い、崖を下ることにした。
戻れると自分に言い聞かせながら下っていくと、足が滑ってぬかるみへ。
「きゃああっ!!」
ずるずると崖下へ引きずり込まれ、パキパキと小枝が折れた。
身動きが取れず、尻もちをついた箇所が熱い。
「……っ」
体が止まった先は、物体よりもはるかに下。
登山道がどこだったかわからないほど。
泥まみれの手で、ポケットからスマホを取り出した。
充電は、残り1%。
モバイルバッテリーを出そうとしてカバンを漁った。
バスの中で抜いたことを思い出し、ため息が溢れる。
「私ったら、バカだね……。でも、まだ1%ある」
カバンから旅のしおりを出して、緊急連絡先をスマホに打ち込み始めた。
かすかな希望を乗せた指で通話ボタンに触れた瞬間――画面は暗くなる。
「嘘でしょ。このタイミングで切れるなんて……」
電源ボタンを押したが、画面は点かない。
祈るようにスマホを両手にぎゅっと握りしめたまま、額に当てた。
高槻くんが『せめて自分だけは味方になってあげて』って言ってくれたのに、そっぽを向いてしまった。
後悔しても遅いのに。
「誰か、助けて……。どうか、見つけてもらえますように」
木々の葉のざわめきと、カラスの鳴き声が不安を煽り立てた。
視界が揺れ、不安定な足元に注意しながら、足をゆっくり進ませる。
そんな中、ふと誰かの声が耳に入った。
心がふわりと軽くなり、顔を上げる。
「美心〜〜っ! どこにいるんだ〜〜。いたら返事して〜!」
遠くから聞こえる、聞き覚えのある声。
辿るようにキョロキョロしていると、十数メートル先の崖から、高槻くんが木につかまりながら下りてくる。
その姿を捉え、痛みをこらえながら木に寄りかかった。
「高槻くん! 私は、ここにいるよ!」
彼は両手を振ってアピールしている私と目が合った。
木から手を離し、地面に手を軽く添えながらこちらへ向かってくる。
両手を握りしめたまま見つめていると、額に大きな雫がポツンと弾いた。
目線を上げると、雨が降っている。
「美心っっ! ケガしてない?」
「うん! 大丈夫!」
「いまそっちへ行くから、動かないで!」
風で髪は揺れ、心のざわめきをなぞっていく。
彼を見つめたまま佇んでいると、彼はぬかるみに足を取られ、尻もちをついた。
「うわっ!!」
叫び声と共に滑り落ち、五メートルほど落下。
木に衝突して、その体は止まった。
彼はすかさず左腕を押さえ、前かがみで息を荒くし、悶えている。
「……ってぇ」
「高槻くんっ!! 大丈夫?!」
私は全身の血の気が引いた。
心配で、鼓動がバカみたいに暴れていく。
「あっ……、うん。ぜんぜん……平気。そこ、動かないで。足元が不安定で危ないから」
「う、うん……。わかった」
彼は自分の左腕をチラッと見た後、スピードを落としながら足を前に進めた。
ようやく私のところに到着すると、表情が空気が抜けたかのように緩んでいく。
「高槻くん、木にぶつかったときに腕が当たったんじゃ……」
「もしかして、僕の心配してくれるの?」
彼は少し驚いたように、首を傾けた。
普通は自分の身の心配の方が先なのに。
「そんなの当たり前じゃない。どの辺を打ったの?」
私が心配の目で彼の左腕の方を覗き込むと、彼は首を振った。
「たいしたことないよ。それより、どうやって先生に連絡しようか」
「私のスマホ、充電が切れちゃって。高槻くんは、スマホ持ってないんだよね?」
足利くんとそんな話をしていたことがあった。
「え、どうして知ってるの?」
「ぐっ、偶然聞いただけ……」
額に冷や汗をかきながらしどろもどろ答えていると、彼はフッと笑った。
「とりあえず、一緒に道を探そう。雨が強くなってきたからね」
「うん、そうしよっか」
私はこくんと頷き、小さく息を吐いた。
それから私たちは、雨と鳥の声に包まれ、落ち葉や枯れ木を踏みしめながら進んだ――でも、道は見つからない。
大木を避け、ぬかるみに足を取られながらも、彼の背中だけを見つめて歩く。
後ろを歩く私の足音が遠退いたことに気づいたのか、彼は足を止め、振り返って「大丈夫?」と声をかけてくれた。
私はほんわりとした気持ちでうんと頷く。
彼の背中を見ているうちに、敬語が消えていたことに気づいた。
自分でもよくわからないけど、立ち止まっていたなにかが、少しずつ進み始めていたんだと思う。




