lesson2
「フィリップス先生って男性ですよね? なんで女性の恰好してるんですか?」
純粋な笑顔のエリオットと対照的に、フィリップスの顔には青筋がビキビキと立っていく。
あっ、まずい。
そう思った時には、エリオットの身体は宙を舞っていた。
「アンタにはデリカシーってもんが無い訳⁉」
フィリップスの見事な投げ技がキマり、エリオットは地面に叩きつけられた。
「ぐはぁっ!!」
「アンタじゃなかったら、絞め技もキメてたとこだったわ。危ない危ない」
通行人が何事かと振り向く中、青空を眺めながら、エリオットは、これでも手加減されてるんだなぁ、と遠い眼をする。
ツカツカと高いヒールの音を響かせて、フィリップスはエリオットの頭上に仁王立ちした。
もうすぐお下着が見えそうである、やめて頂きたい。
「言っとくけど、アタシはフィリップス。それ以外の何者でもないわ」
立派な体躯を反らし、フィリップスはスパッと言い切る。
格好良いが、お下着が見えてしまう、どいて頂きたい。
「ぬぉっ……! それってどういう事なんですか……?」
子猫の様に襟首を持ち上げられ、エリオットは強制的にその場に立たされた。
「性別なんて関係ないの、アタシはアタシ。自分のポリシーを死ぬまで貫くつもりで、こういう話し方や恰好をしてるのよ」
「ポリシー……」
反復するエリオットに、フィリップスは、ふっと笑う。
その笑顔は柔和で、思いの外優しいものだ。
「アタシの家、父親が伯爵で、軍人なのよ」
「えっ⁉ い、今までとんだ失礼を……!!」
伯爵の子供という事は、フィリップスは貴族だ。
とんだ天上人だった事が判明し、エリオットはその場で土下座しそうになる。
「あぁもう、そういうのは良いの! 話聴きなさい!」
「ぐぇぇ! はっ、はい!!」
逞しい腕で二の腕を掴まれ、痛みに呻きながらもエリオットは返事をする。
「その上教育熱心でね。アタシ、物心つく頃から女の子が好きそうな物語や、お裁縫、ドレスやかわいいものが大好きだったの。でも、父に全部否定されたわ。お前は男なんだから、そんなもの捨てろ! ってね」
「そんな、酷い……」
素直に憐れむエリオットを、少し意外そうに見て、フィリップスはまた穏やかに笑った。
「アンタみたいな人が身近に居たら良かったんだけどね……。その頃のアタシは父に従うしか無くて、でも大事なものは捨てられずに、内緒でクローゼットの奥深くに仕舞って置いたのよ。そこからアカデミーに通い始めるまでは、毎日屋敷の庭で軍隊式の訓練をさせられてたわ」
エリオットは、フィリップスの強靭な肉体の訳が分かって、納得した。
「アカデミーって、貴族の方は中等部からですよね?」
マリンレーヴェン海洋王国には、平民貴族問わず無償で通えるアカデミーがあり、平民は初等部から、貴族王族は中等部から学舎で学び始める。
「そうよ。アタシ、当時は全然自分に自信が無くって、いっつも教室の一番後ろの端っこの席で、前髪を長く伸ばして顔を隠して俯いてたわ。でも15歳の時、王太子様と同じクラスになったの」
「えぇ、王太子様ってあの⁉」
この国の王太子であるグロッド・マリンレーヴェンは、常から城下町に視察をしに来る、褐色の肌に濃い金髪と、海の様に深い青色の瞳が印象的な、国民みんなに慕われる美丈夫だ。
雲の上すぎるお人と、フィリップスにどんな関係があるのだろう。
フィリップスは頷くと、話の続きをする。
「ある日、放課後にクラスの皆が球遊びをしに皆で校庭に出て行った日があったの。勿論アタシは誘われなくて、一人になったのを良い事に、趣味の刺繡をし始めたの。暫く黙々と作業をしてたら、眼の前の席に人が居る事に気が付いてね」
「ま、まさかその人って……」
「そう、王太子様だったのよ」
ケラケラとフィリップスは笑っているが、エリオットだったらその場で飛び跳ねて驚くだろう。
「で、アタシは急いで刺繍を隠そうとしたわ。絶対けなされると思ったから。でも彼、『なんで隠すんだ? こんなに素晴らしい特技なのに』って言うの。だからアタシ、『こんな男らしくない趣味、みんな気持ち悪いって思うだろうから……』って答えたわ。そしたらなんて言われたと思う?」
「えぇ、想像つきません……」
「ふふっ、『自分を隠して生きる方が、よっぽど恥ずかしい事だと思うぞ。少なくとも俺は気持ち悪いなんて思わないし、君の才能は活かされるべきだ!』って言われたの」
エリオットは、王太子の人柄に感心すると共に、これがフィリップスの生き方を決定付けたんだと気が付いた。
「アタシ、拍子抜けしちゃったわ。その日、家に帰って思い切って前髪を切ったの。そしたら一気に世界が広がった気がしたわ。直ぐに仕舞い込んでいた手作りのドレスを引っ張り出して、慣れない御化粧をした。鏡に映っている自分は、輝いた瞳でアタシ自身を見ていたの」
坂のてっぺんから見える、青い海を見渡して、フィリップスは息を吸い込む。
「その格好のまま父の所に行って、自分のお店を持つわ! って宣言したの。勿論猛反対されたし、大騒ぎになったけどね。気持ちは晴れ晴れとしていて、これがアタシなんだって思ったわ。叱責を無視して、アカデミーにもそのままの恰好で行ったの。誰もアタシだって気付かない仲、王太子様だけは『フィリップスじゃないか!うん、格好いいぞ!』って言ってくれたのよ」
責任もって王太子様に店を紹介させて、修行して今に至るってワケ、と、フィリップスはエリオットにウインクして話を締めた。
エリオットは話を聴いて、こんなに自信に溢れて輝いているフィリップスにも、陰りのある時期があったんだと思った。
でも、フィリップスはそれを乗り越えて、自分で世界を切り開いたのだ。
エリオットは、自分もそんな風に自信を身に付けて、成長したいと強く思った。
「あれ? でも筋肉は今の御話に出てきませんでしたね?」
バシーン!!
「──っうぅ!!」
「アンタね! 折角良い感じに話をまとめたのに茶々入れるんじゃないわよ!」
フィリップス特製平手打ちを背中にダイレクトにくらい、エリオットは前のめりになる。
だが、トレーニングを続けていないとこんなに素晴らしい筋肉は維持できない筈だ。
「強靭な肉体はメンタルを救うのよ! アタシは自分に相応しい筋肉を維持する為、日々研鑽を詰んでいるの!」
「かっ、格好良いです先生!」
上腕二頭筋を盛り上がらせて、海をバックにするフィリップスの逆三角の背中は輝いている。
「この域に来るのはまだまだ先ね。エリ坊、取り敢えず体重が増えるまで今のトレーニングと食事を頑張りなさい」
「はい!!」
午後の日差しに輝く海をバックに、エリオットとフィリップスは見つめ合ったのだった。




