第7話
わたくしたちがザラームに帰された後、アステル王国がどうなったのか。
その報せは、風の噂となって、嫌でも耳に届いた。
リリアーナという名の「大地の心臓」を失った王国は、坂道を転がり落ちるように衰退の一途をたどったという。
枯れた大地からは、もはや一粒の麦も採れず、民は飢えた。
疫病は国中に蔓延し、かつての豊穣の国の面影はどこにもなくなった。
民の怒りの矛先は、当然のように王家と「偽りの聖女」へと向けられた。
妹のアイラは、民衆の前でその無力さを糾弾された。
彼女がいくら神々しい光を放ってみせても、人々の飢えも乾きも癒やすことはできない。やがて、心労からか、あるいは元々その程度の力しかなかったのか、彼女から聖なる光が放たれることはなくなったという。
「偽りの聖女」の烙印を押された彼女は、全ての地位を剥奪され、修道院の奥深くへと幽閉された。二度と、その名が歴史の表舞台に出ることはないだろう。
エドワード殿下は、国を傾けた元凶の一人として、王位継承権を剥奪された。
そして、かつてわたくしを捨てた卒業パーティーでの傲慢な振る舞いも明るみとなり、民衆の憎悪を一身に受けることになった。
彼は凍える北の離宮へと追放され、そこで生涯、自らの愚行を悔いながら暮らすことになるそうだ。
そして、わたくしの実家であったアルムフェルト侯爵家。
国の生命線を担う娘の価値を見抜けず、虐げ、追い出した大罪はあまりにも重かった。
父は爵位を剥奪され、全ての領地と財産を没収された。
両親は王都の片隅で、かつての栄華を夢見ながら、日々の糧にも困る生活を送っていると聞いた。
彼らが失ったのは、地位や財産だけではない。
自らの手で、かけがえのない宝物を投げ捨ててしまったという、永遠に消えることのない後悔。
それこそが、神が彼らに与えた、最も重い罰なのかもしれない。
そんな故郷の報せを聞くたび、わたくしの心は、不思議と凪いでいた。
憐れみも、憎しみも、喜びさえも感じない。
ただ、遠い国の、知らない人々の物語を聞いているようだった。
「…何を考えている?」
ふと、優しい声と共に、肩に柔らかなショールがかけられた。
振り返ると、カイン様が心配そうな顔でこちらを覗き込んでいる。
城のテラスから、月明かりに照らされた中庭を見下ろしていたのだが、どうやら少し考え込んでしまっていたらしい。
「故郷のことを思い出していたか?」
「…少しだけ。でも、もう大丈夫ですわ」
わたくしは、彼に向かって微笑んだ。
「わたくしの故郷は、もうアステルではありませんもの」
「そうか」
カイン様は安堵したように息をつくと、わたくしの隣に並んで、同じように中庭を見下ろした。
神木はすっかり元気を取り戻し、その枝葉を月光の下で銀色に輝かせている。
「リリアーナ」
改まった声で呼ばれ、わたくしは彼の方を向いた。
カイン様は、いつになく真剣な、それでいて少し照れたような顔をしていた。
彼は、わたくしの手をそっと両手で包み込む。
「俺は、君の『生命力を与える』という稀有な力に惹かれて、君をこの国へ連れてきた。それは事実だ」
彼の赤い瞳が、真っ直ぐにわたくしを射抜く。
「だが、今は違う」
「え…?」
「君と共に過ごすうちに、俺は気づいたんだ。俺が本当に求めていたのは、乾いた大地を潤す力ではない。…俺の、この渇ききった心を潤してくれる、君自身の魂の温かさだったのだと」
彼は、包んだわたくしの手に、そっと額を寄せた。
「君が笑うと、俺の世界に花が咲く。君がここにいるだけで、俺の毎日は光に満ちる。地味で取るに足らないなどと、誰が言った? 君という存在そのものが、俺にとって何よりの奇跡なのだ」
そして、彼は顔を上げると、懐から小さなベルベットの箱を取り出した。
その蓋を開けると、中には、夜空に輝く星を集めたような、美しい指輪が収められていた。
「リリアーナ・フォン・アルムフェルト。いや、リリアーナ」
彼の声が、愛おしさに震える。
「俺の、生涯ただ一人の公爵妃になってほしい。俺の隣で、永遠に咲き誇ってくれるか?」
ああ、この人は。
わたくしの全てを、肯定してくれる。
「出来損ない」だったわたくしを、世界で一番価値のある人間だと言ってくれる。
熱い雫が、頬を伝って、彼の手にぽたりと落ちた。
それは、悲しみの涙ではなかった。
生まれて初めて知った、温かくて、どうしようもなく幸せな涙だった。
「…はい。喜んで」
わたくしは、涙で濡れた笑顔で、精一杯頷いた。
「わたくしを、あなた様のお妃にしてくださいませ、カイン様」
月明かりの下、二つの影は、静かに一つに重なった。




