第2話
「出来損ない」
それが、物心ついた時から、わたくしに与えられた名前だった。
わたくしの魔力は、侯爵家に代々伝わる華々しい攻撃魔法や、精霊魔法ではなかった。
ただ、植物を少しだけ元気にさせることができる。
道端の萎れた花に触れれば、しゃんと茎を伸ばさせることができる。
それだけの、地味で取るに足らない力。
魔力を測定する儀式の日、神官が首を傾げたのを今でも覚えている。
水晶に手をかざしても、ほんのりと温かくなるだけで、期待されたような輝きは放たれなかった。
父と母の落胆した顔。
周りの子供たちの「なーんだ」という声。
その二年後、妹のアイラが同じ儀式に臨んだ時、神殿は眩い光で満たされた。
水晶は七色に輝き、触れてもいないのに、祭壇の花々が一斉に咲き誇ったという。
【聖女の誕生】
国中が歓喜に沸いた。
そして、その日から、わたくしは「聖女の姉」という肩書きだけの、中身のない存在になった。
「アイラは特別なのですから、リリアーナは決してあの子の邪魔をしてはいけませんよ」
「お前は大人しく、目立たぬようにしていなさい」
両親に言い聞かせられた言葉は、呪いのようにわたくしを縛り付けた。
アイラの教育には、国中から最高の教師たちが集められた。
わたくしは、そのおこぼれをあずかるだけ。
アイラには、毎日新しいドレスや宝石が贈られた。
わたくしは、お下がりの地味なドレスを着るのが常だった。
それでも、わたくしは腐らなかった。
いいえ、腐ることさえ許されなかった。
(この力にも、きっと意味があるはず)
そう信じて、わたくしは独学で薬草学と魔力制御を学んだ。
派手なことはできなくても、この力で誰かを癒すことはできるかもしれない。
そう思って、庭の片隅で、来る日も来る日も薬草を育て、その効能を高める研究を続けた。
エドワード殿下と婚約したのは、そんな日々の中でのことだった。
彼は当時、体が弱く、よく熱を出して寝込んでいた。
ある日、お見舞いに訪れたわたくしは、彼の苦しそうな寝顔を見て、たまらずその手に触れた。
そして、無意識のうちに、自分の魔力をそっと流し込んだのだ。
(どうか、お元気になりますように)
祈りを込めて。
すると、彼の呼吸が少しだけ穏やかになった気がした。
それからというもの、わたくしは毎日彼に会うたびに、誰にも気づかれないよう、そっと魔力を分け与え続けた。
ある時、彼がわたくしに言った。
「リリアーナ、君といると、不思議と心が安らぐんだ」
その言葉が、どれほど嬉しかったことか。
初めて、わたくしの存在を認めてもらえた気がした。
あの緑のブローチは、そんな感謝と、これからも彼を守りたいという祈りを込めて作ったものだった。
「ありがとう、リリアーナ。僕の女神様」
はにかみながらブローチを受け取ってくれた彼の笑顔は、わたくしの宝物だった。
なのに。
……カシャン、と。
遠い記憶の中で、ブローチが砕ける音が響く。
わたくしは、ゆっくりと現実へと引き戻された。
目の前には、憎々しげにわたくしを睨みつける元婚約者と、彼の腕の中で勝利の笑みを浮かべる妹。
床には、無残に砕けたわたくしの心。
(女神様、ですって?笑わせてくれるわ)
ふつふつと、心の底から何かが湧き上がってくるのを感じる。
それは、怒りでも、悲しみでもなかった。
もっと静かで、そしてどうしようもなく決定的な、諦観。
全ての糸が、ぷつりと切れた。
彼への想いも。
家族への情も。
この国への未練も。
もう、どうでもいい。
わたくしはゆっくりと顔を上げた。
背筋を伸ばし、みすぼらしく床に転がるブローチから、毅然と目を逸らす。
そして、目の前の二人に向かって、今わたくしにできる、最も優雅で、最も完璧な微笑みを浮かべてみせた。
「承知いたしました、エドワード殿下」
凛、と響いた自分の声は、驚くほど落ち着いていた。
「このリリアーナ・フォン・アルムフェルト、謹んで、あなた様との婚約を解消させていただきます」
もう、あなたのために祈ることはありません。
もう、この国のために力を使うことはありません。
さようなら、わたくしの愛した人。
さようなら、わたくしを虐げた世界。
心の中で静かに別れを告げたその時。
パチパチパチ…
不意に、場違いな拍手が会場に響き渡った。
全ての視線が、音のした方へと注がれる。
そこには、玉座の脇の来賓席で、一人の男が面白そうにこちらを見つめながら、優雅に手を叩いていた。
漆黒の髪、血のように赤い瞳。
まるで夜そのものを人の形にしたかのようなその男は、確か、隣国から来た賓客――。
彼の唇が、楽しげに弧を描いた。
「実に面白い。ならば、その『出来損ない』とやら。俺が貰い受けよう」




