第1話
きらびやかなシャンデリアの光が、まるで悪意の欠片のように降り注いでいた。
ざわ…ざわ…。
扇の影で交わされる囁き声。
品定めするような視線。
隠す気もない嘲笑。
その全てが、今、このわたくし――リリアーナ・フォン・アルムフェルト侯爵令嬢に向けられている。
王立学院の卒業記念パーティー。
本来ならば、将来を嘱望された若者たちが、希望に満ちた笑顔を交わす晴れやかな場所のはず。
けれど、わたくしを取り巻く空気は、重く、ねっとりとした敵意で満ちていた。
「リリアーナ」
目の前に立つ、わたくしの婚約者。
この国の第二王子であり、次期国王と目されるエドワード殿下の声は、うっとりするほど甘美なのに、その響きには刃のような鋭さが含まれていた。
彼の隣には、庇護欲をそそるように寄り添う一人の少女。
プラチナブロンドの髪を揺らし、アメジストの瞳を潤ませる彼女は、わたくしの妹、アイラ。
この国に十年ぶりに現れた【聖女】様だ。
(ああ、やっぱり。この日が来てしまったのね)
内心で溜息をつきながらも、わたくしは淑女の仮面を貼り付け、完璧なカーテシーを披露する。
「エドワード殿下。皆様の前で、わたくしに何か御用でしょうか」
「フン、まだ殿下などと気安く呼ぶか」
エドワード殿下は、わたくしを汚物でも見るかのような目で見下した。
その金色の瞳には、かつてわたくしに向けられた優しさや親愛の色は、もう微塵も残っていない。
「リリアーナ・フォン・アルムフェルト! 貴様との婚約を、今この場を以て破棄する!」
シン、と会場の音楽が止んだ。
全ての視線が、舞台の主役であるわたくしたちに突き刺さる。
まあ、と驚いたふうに口元を覆うアイラ。その潤んだ瞳の奥に、一瞬だけ嘲るような光が宿ったのを、わたくしは見逃さなかった。
「理由をお聞かせいただけますか、殿下。わたくし、何か殿下のお気に障るようなことをいたしましたでしょうか」
「しただろう! 大ありだ!」
エドワード殿下は声を荒らげ、わたくしを指差す。
「貴様の存在そのものが、私の気に障る! 聖女であるアイラの姉でありながら、その魔力はあまりに微弱。貴様の地味で陰気な性格は、次期王妃として全く相応しくない!」
(魔力が微弱? そうですね。あなたの怪我や病を、夜通しわたくしの魔力で癒して差し上げたことは、もうお忘れですか)
(陰気? そうですね。あなたとアイラが二人で楽しげに語らう姿を、いつも柱の影から見つめているしかなかったのですから、そうなっても仕方ないでしょう?)
心の中で渦巻く反論を、ぐっと喉の奥に押し込める。
ここで何を言っても無駄だ。
彼はもう、聖女である妹しか見ていない。
わたくしの言葉など、届くはずもなかった。
「それに比べて、アイラはどうだ! 彼女の神々しいまでの聖なる力は、民に希望を与え、この国を豊かに導くだろう。私の隣に立つべきは、出来損ないの姉である貴様ではなく、真の聖女であるアイラなのだ!」
「まあ、お兄様…! そんな…お姉様が可哀想ですわ…!」
お兄様、ですって。
婚約者の殿方を、いつからそんなふうにお呼びするように?
わたくしは一度も許されたことなどないのに。
アイラは悲劇のヒロインのように眉を寄せ、エドワード殿下の腕にすがりつく。
その仕草が、さらに殿下の庇護欲と、わたくしへの憎悪を掻き立てる。
「見ろ、リリアーナ! これがアイラの優しさだ! それに比べて貴様は、嫉妬に狂い、夜な夜なアイラを呪っていたそうだな!」
「…呪う、ですって?」
初耳だった。
あまりの言い掛かりに、さすがに仮面が剥がれそうになる。
わたくしがいつ、そんなことを。
「アイラが教えてくれた! 毎晩、部屋から気味の悪い光が漏れていたと! 可憐なアイラをこれ以上、邪悪なお前から守らねばならん!」
ああ、そう。
あの光は、わたくしが育てている薬草に魔力を与えていただけ。
少しでも薬効が高まれば、誰かの助けになるかもしれない、と。
それすらも、アイラの手にかかれば「呪いの儀式」になるらしい。
わたくしは、きつく拳を握りしめた。
ドレスの上質な生地が、手のひらでぐしゃりと音を立てる。
爪が食い込み、じわりと痛みが走った。その小さな痛みが、かろうじてわたくしの理性を繋ぎとめていた。
「もういいだろう。さっさとここから立ち去れ。お前の顔を見るのも不愉快だ」
エドワード殿下は、まるでゴミを払うかのように、手をしっしと振る。
その時、彼の胸元で揺れるブローチが目に入った。
それは、深い森の色をした緑の宝石がついたブローチ。
わたくしが、彼の健康と武運を願って、三日三晩、自身の魔力を注ぎ込んで作り上げたお守りだった。
「…そのブローチ」
思わず、声が漏れた。
「ああ、これか?」
エドワード殿下は、忌々しげにブローチを鷲掴みにすると、力任せに引きちぎった。
プチ、と糸が切れる音が、やけに大きく響く。
「こんな気味の悪い色の石、ずっと気になっていたんだ。お前のような女からの贈り物など、穢らわしい!」
そう言って、彼はブローチを床に叩きつけた。
カシャン!
冷たい大理石の上で、宝石が虚しい音を立てて転がる。
会場の隅で控えていた侍女が、慌てて駆け寄ろうとするのを、彼は手で制した。
「拾うな。汚れる」
その一言が、わたくしの心臓を抉った。
床に転がる、ただの石ころになってしまったお守り。
それは、彼を想うわたくしの、ささやかな祈りの結晶だったのに。
シャンデリアの光が、砕けた宝石の破片に反射して、チカチカとわたくしの目を刺す。
周りから聞こえるのは、抑えきれないクスクスという笑い声だけ。
(ああ、そうか)
わたくしの世界から、音が消えた。
視界が、ゆっくりと色を失っていく。
(わたくしの長年の想いも、努力も、祈りも、全て)
床に転がるガラクタと、同じだったのね。
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