第四章:散華August, Die She Must.①
第4章:散華Augusut, Die She Must.を開いていただき、誠にありがとうございます。
今回は、同じイベントの一日を
鏡・凜・鼎、三人それぞれの視点から描いています。
鏡の揺れる心、
凜の胸に沈む痛み、
鼎がまだ気づいていない切実さ。
三人が“すれ違ったまま”一日を終えてしまう、この物語の大きな転換点です。
前半はいつものイベント回の雰囲気ですが、
後半に向けて一気に空気が変わる章になっています。
よろしければ最後までお付き合いください。
第一節:Gonna Fly Now.
◇小田鏡の場合
8月に入って直ぐの、ある平日の午後。
僕は独りで錦岡のアーケード街を歩いていた。目的は特になし。夏休みに入ってからというもの、女装での外出が普通になってしまっている。
なんと言うか、これが本当の自分じゃないのかって思うくらい。鼎とのことはひとまず措いといて、『ナチュラルな自分』を見つけた感じ。
鼎と凜がいてくれなければ今の僕はいない。二人には感謝しなければ。
二丁目の古書店の前に百円均一のワゴンが置いてある。なんとなく見ていたら店の中からサトーが出てきた。
「わっ、かがみん。びっくりしたなーもう」
「人の顔見て驚くとか。ヤマ並みに失礼な奴だな(笑)」
「よりによってヤマと比べるとか。失礼な奴だな(笑)」
「掘り出し物あった?」
「今日は外れ。いや有るには有ったんだが、高過ぎて手が出なかった。次の店に期待するよ」
いつもの古本漁りの最中らしい。「じゃあまた」と言って僕らは別れた。
ショーウインドーを眺めながらそぞろ歩く。
「あれっ? 鏡くん?」
四丁目まで来た時だった。渋く低い男性の声で名前を呼ばれた僕は、ちょっと慌てて振り返った。ファンシーショップの前にスーツを着た男性が立っている。
そんなに背は高くない。けど細身ですらりとしていて、長い髪を後ろで束ねて、俳優さんかと思うほどハンサムで。どこかで会った気はするけど思い出せない。
「この格好じゃわからないかー。ほら、僕。火御子神社で会った……」
男性が近付いて耳元でささやくように言った。
「ふぇりっくすだよ」
驚きのあまり、僕は息を呑んで両手で口を塞いだ。美少女じゃないふぇりっくすさんは、とんでもないイケメンだった。
「コスプレしてる時はもう少し高い声出しているからね。これが僕の地声なんだ」
店の中からやはりスーツを着た女の人が出てきた。
「あら渚くん、仕事中にナンパとはいい度胸だね?」
「は? ナンパなんかしてないよ。友達がいただけさ」
どうやらふぇりっくすさんの同僚さんらしい。そして渚というのがふぇりっくすさんの本名のようだ。
「へえ……渚くんに女の子の知り合いがいるとは知らなかったわ」
同僚さんが目を丸くした。こういう反応に快感を覚えるようになってしまった僕は、やはり「おしまい」なのだろうか。
「いえ。僕、男です」
種明かしの瞬間もまた快感だ。同僚さんが雄叫び(いや雌叫びかな?)を上げて壁に額を打ち付け始めた。
「鏡くん、あっちでお茶しよう」
「あの。お仕事はいいんですか?」
「薫ちゃんが復活するまで休憩するだけさ」
ふぇりっくすさんが肩をすくめ、僕らは斜め向かいのヌタバに入った。注文を終え席に着いたふぇりっくすさんは、ファンシーグッズの市場調査をしていたのだと言った。
「ところでさ、今月……ああ、もう来週か。西方オンリーのイベントがあるんだけど知ってたかな?」
そう言えばヤマが何か騒いでいたような。
「良かったら一緒に参加しない? と言うか、是非参加しようよ。鏡くんの魔理奈をまた見たいなあ」
来週か……。突然な話だが無理ではない。どうせ暇なのだ。
「ふぇりっくすさんは亜里沙ですか?」
「ううん。今回は麗夢で行こうと思ってる」
麗夢……。確か巫女キャラだ。魔理奈の幼馴染だったり親友だったりライバルだったり、二次創作によって設定はいろいろだけど、コンビを組んでいる事が多いキャラだ。
この時、僕は鼎のことを思い出した。先月の初め、僕は鼎にコスイベへの参加を誓約させている。それを果たしてもらうんだ。
ふぇりっくすさんに鼎を誘いたいことを告げ、了承をもらった。もし鼎が参加を渋ったらふぇりっくすさんも説得に協力してくれるそうだ。凜にも僕から連絡することにした。
楽しみになって来た。あ、お金は足りるかな? 追加のお小遣い、もらえるかな?
夜、鼎に電話を掛けた。呼び出し音が鳴るか鳴らないかで応答があった。
『どしたん、かがみん!?』
なんだろ、めっちゃテンション高い。
『だってだって、かがみんから電話してもらえるなんて……』
……泣くほど? いいや、本題に入ろう。
「来週の日曜にさ、一緒にイベントに行きたいんだ」
『……』
鼎が沈黙した。例の誓約の件を思い出させてやらなければならないだろうか。と思ったら。
『わ……わかった。日曜だな?』
「うん。霖太郎やって」
『……』
また沈黙。
『わ……わかった……』
かなり息苦しそう。無理させてるよね、やっぱり。でも今回だけ。今回だけは我慢して。僕は鼎と一緒に写真を撮って欲しいんだ。
◆高山凜の場合
八月初め。北向きの私の部屋にはエアコンがありません。扇風機を最大出力で回しても、蒸し暑い外気が容赦なく部屋を侵食して来ます。その茹だるような暑さの中で、私はデータの整理と現像を続けておりました。
私の魔法の成果——作り物ではない、輝くような笑顔——恋する鏡ちゃん。その笑顔の向かう先に、私はいない。
一度は腹を括ったはずなのに。
こんなはずじゃなかったのに。
醜い嫉妬の感情が浮かんでは消え、消えてはまた浮かぶ。その繰り返し。
マウスを握る手が震えます。
カーソルがdeleteボタンの上を行ったり来たりしています。
カチッ。
あ……。
データが次々と消えていく……。作業の進行を示す青い表示が……。
ハッと我に返った私は慌ててキャンセルボタンをクリックしましたが、データの大半は消えてしまっていました。せっかくの傑作群が……。
頭を抱える私。一時の気の迷いで取り返しの付かないことをしてしまいました。
クラウドは? クラウドに残っているんじゃ? しかしデータ量が大き過ぎてサムネイル用のjpegファイルしかセーブされていませんでした。
あ、そうだ、カメラ! 本体のSDカード! そちらには確か……。あった、ありました。万が一に備えてメモリーカードからPCにデータを移す際に、移動ではなくコピーを使う習慣が役に立ちました。
ほっと胸を撫で下ろします。
我ながら軽率なことをしました。せっかく撮ったデータを削除するなんて、もう私はどこか壊れているのかも知れません。
スマホが音を立てました。着信音だけで鏡ちゃんからのメールと判ります。
一瞬だけ時が止まった気がしました。このメールを開いたら、また苦しむのではないか——そんな予感に震えてしまいます。
しかし指が勝手に動いてしまい——文面は——「来週イベントに行こう」
……は?
え!?(驚愕) ええ!?(戸惑い) えぇえ!!?(歓喜)
ちょっと待って。落ち着け私。深呼吸。
いや無理だ! 何これ!?
メッセージを三回読み返して、ようやく意味を理解した瞬間——ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!なんじゃこりゃああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!
叫び声が北向きの蒸し暑い部屋に炸裂しました。
六畳間を走り回り、机の角に頭を殴られ、ベッドの脚にベンケイを蹴られます。痛い。でも痛くない。鏡ちゃんから? イベントのお誘い? マジで? マジで? え? え? え? 何これ夢? 私、夢でも見てるの?
私の脳みそ、ついにバグった? いや、私が現像中にデータ消した反動で幻覚を見ている?
もう一度画面を見ます。
発信者名、鏡ちゃん。
本文もある。何度読んでも、黙読しても音読しても「来週イベントに行こう」と書いてある。妹にも確認させたから、九十九・九パーセントの確率でこれは鏡ちゃんからのイベントのお誘いで間違いない!
「……う……ぐっ……ちょ、涙……?」
気づけば目頭が熱くて、喉の奥がじんじんする。ああもう! 涙腺が勝手に崩壊して来るの本当にやめてくれ!
だって……だってさ。
鏡ちゃんは、あの子は……。
撮られることは好きかも知れなくても……。
誰かを誘うなんて、積極的に何かに参加するなんて……。
普通しない子なんだよ。
そんな鏡ちゃんがわざわざ私にメールをくれた。
しかもコスプレイベント!?
つまり私の、私は、まだ鏡ちゃんの魔法使いでいられるってこと?
「う、うそ……まだ希望……あるの?」
胸がじんわり温かい。
さっきまで自分の嫉妬のせいで呼吸ができなかったのに、この一行のメールだけで世界が一気に明るくなった。
そして画面をスクロールすると……。
「ちょっと待てーい! 鼎も来るのかよぉぉぉ!!!」
ベッドの上で転げ回った。クッションを抱えてジタバタする。床に転げ落ちても転げ続けた。
嬉しいのと、悔しいのと、期待と、恐怖と、嫉妬と、謎の勝利感と、その他諸々が全部いっぺんに押し寄せてきて、脳内が過飽和状態。
でも……。
でもね鏡ちゃん。
私は今、猛烈に、激烈に、強烈に幸せだよ。
だって鏡ちゃんは、まだ私を必要としてくれている。
少なくとも「置いていかれてはいない」
この一通のメールが壊れかけていた私の心を一発で蘇生させてしまった。
「鏡ちゃん……絶対、最高に可愛くしてあげるからね!」
私の魔法に、再び火が灯った瞬間でした。
◇稲葉鼎の場合
「オラ、左に滑ってんぞ!」
伯父貴の怒声がインカムを通して響きます。クソッたれと心の中で毒づきながら、ほんの少し左足に力を入れました。正式な操縦訓練が始まってからというもの、伯父貴には容赦というものがこれっぽっちもありません。
「大体なあ、もう四章まで来たって言うのに、なんでいまだに俺の本名が出て来ねえんだよ!」
それ、俺に言う? 作者に言ってよ……。
「針玉しっかり見ろやゴラァ!」
針玉とは正式には旋回傾斜計または旋回釣合計と言いまして、航空機のコクピットに設置されている飛行計器の一つで、主に旋回の方向と速度、および旋回中の飛行姿勢(横滑り)をパイロットに知らせるためのものです。
曲がったガラス管の中に粘度の低いオイル又はアルコール系の液体を満たし、その中に天然石もしくは金属製の球体が入っており、いついかなる場合でもその球体が真ん中に位置するように飛ばなければなりません。
それが左右に偏っているということは、機体が横滑り若しくは不必要に傾斜していることを意味します。
俺は今、まっすぐ飛べていないと怒られているのです。これは飛行のイロハのイ。無意識のうちに出来なければ単独飛行など夢のまた夢です。
俺は必死でした。通常ならULPの単独飛行は十五時間も飛べば許可してもらえるものと聞いています。
しかし先月の誕生日以来、五週間で既に二十時間(それ以前の累計も含めれば百時間近く)飛んでいるというのに伯父貴は一向に俺の技量を認めてくれません。
理由は一つです。本名が出て来ないからです。いや違いました、お客さん扱いの時期が過ぎたからです。
「飛行機乗りに待ったなし」
空中で一時停止できない飛行機は、何が起きても「その場で」「自力で」対処できなければなりません。天候の急変、機体トラブル、あるいはパイロット自身の体調不良……。
「対策を考えるからちょっと待ってくれ」とは言えないのです。海に浮かぶ船、陸の自動車ならその場に止まってじっくり考えることも出来るのでしょうが。
ましてや、今の俺は未成年です。法的責任能力のない人間に、伯父貴は単独飛行許可を与える気など最初からなかったのかも知れません。
それならやむを得ないでしょう。試練と思って耐えるしかありません。いつか、かがみんを乗せて飛べる日まで。
へとへとになって家に帰りつきました。晩飯前にシャワーを浴び、自室へ向かいながら何気なくスマホを見ると、真っ暗だった画面に「小田鏡」の文字列が浮かび上がりました。着信です!
かがみんから電話が来ている! 中一でスマホを持たせてもらって以来、向こうから電話が来るなんて初めてのことだ!
というようなことが頭に浮かぶより早く、俺は緑色のアイコンをタップしていました。どうですか、バレーと飛行機で鍛えた俺の反射神経は。
「もしもーし! どしたん、かがみん!?」
ヤベエ、俺のテンション(笑)涙まで出て来た(笑)
しかしそのテンションも、次の瞬間には奈落の底まで突き落とされてしまいました。
『来週の日曜にさ、一緒にイベントに行きたいんだ』
ああ……。例の約束を果たせと言ってる……。
「わ……わかった。日曜だな?」
理由の如何にかかわらず、男が一度約束したからには守らなければなりません。俺に拒否権は無いのです。
『うん。霖太郎やって』
ぐぬぬ……。やはりそう来るか……。分かっていても恥ずかしさが先に立ちます。しかし……。しかし、約束は約束。男子に二言は無い!
それに、俺は(悪く言えば)かがみんを罠に掛けて女装コスプレを強いた男です。そのツケを払うのだと思えば……。
「わ……わかった……」
霖太郎の衣装、アイロン掛けておいた方がいいかな。
第二節:Don't stop me now.
◆小田鏡の場合
八月四日、日曜日の午前九時。僕らはさくらや前に集合した。
今の僕は灯姉に見繕ってもらった服を着ている。
白と青の、フレンチスリーブのワンピース。フリルやリボンと言った装飾品が一切ないシンプルなデザインが安心できる。丈はふくらはぎの真ん中より少し上、ミモレ丈と言うらしい。本当はもっと長い方が良かった。
これに日焼け対策と称して薄ラベンダー色のカーディガンを羽織らされ、レースの短い靴下と白いローヒールのサンダルを履いている。
メイクも街歩き基準と言う控え目なものにしてくれた。
カーディガンは助かった。肩や腕を見せるのはどうにも抵抗があるから。
昨日の夜、凜からコーディネートの申し出はあったのだけれどお断りした。鼎に会うための服を凜に選んでもらうなんてさすがに気が引ける。この日だけは、凜の魔法に依らない僕でいたかった。
鼎が迎えに来るのもお断りして、先に行ってくれと言っておいた。二人並んで歩いているところを凜に見られたくなかった。
玄関横の小窓から表を覗く。鼎が通り過ぎるのが見えた。それを確認して五分経ってから僕は家を出た。
僕が二丁目の角を曲がった時には凜もさくらや前に着いていた。
鼎は僕を見てすぐに「似合っている」と言ってくれた。やっぱり好きな人から褒められると気分が上がる。
が、凜は暫くの間黙って僕を見つめていた。その視線が少し鋭い気がして、思わず肩を縮めた。やはり今日のコーディネート、凜に任せた方が良かっただろうか。
ややあってから「可愛いね」と言ってくれたけど、今日の僕たちの物語、凜ちゃんパートは調子が悪い回なのかも。
ともあれ、僕らはバス停に向かった。
軍資金も十分。この追加のお小遣いは、圭兄がくれたものだ。
圭兄はお盆が過ぎたら実家を出る。都会でプロのバレーボール選手になるために。凄い人だよなあ。
その圭兄に、お母さんからお小遣いをもらうための作戦を授けてもらおうと思って相談したら、俺が出してやるよと言って壱萬円札を僕の手に握らせてくれた。
「いいの? こんなにたくさん」
「おう、構あねえよ。契約金たんまり入って、兄ちゃん今大金持ちだからな(笑)」
「ありがとー! お兄ちゃん大好き!」
僕が抱き着いたら、圭兄は照れ笑いをしながら頭を撫でてくれた。この姿を灯姉に見られたのは一生の不覚だ。
本日のイベント「西方幻想祭17」の会場はステーション・デパートの最上階。会議室なんかがある、売り場ではないフロアだった。
コスプレした状態では売り場には入れないけれど、代わりに屋上スペースは自由に使えるそうだ。
待機列に並び、最後尾札を持つ。(なぜかそこにいる)ヤマに拠れば、サークル参加者・コスプレ参加者・一般参加者で列が別れているらしい。
午前十時、コスプレ参加者の列が動き出した。ふぇりっくすさんは……あ、後ろの方にいる! 凜とおしゃべりしてる!
男子更衣室で僕と鼎と、ふぇりっくすさんが揃った。鼎はイベント初参加だから、ここでは僕の方が少しだけ先輩だ。
「初めまして、ふぇりっくすです」
「カ、カニャエです……」
鼎、なんでそんなに緊張してるの? ふぇりっくすさんは怖い人じゃないよ。
さっそく着替える。僕と鼎は衣装を着るだけ、僕はメイクを家で済ませて来たし、鼎はメイクしてやろうと思ったら拒否された。
今ふぇりっくすさんは一心不乱にメイクをしている。凄い。イケメンがどんどん美少女に変身していく。まさに「魔法」だった(時間はかかるけど)
午前十一時。イベントの始まりを告げるアナウンスが流れた。
◇高山凜の場合
八月四日、日曜日の午前九時。私たちはさくらや前に集合しました。
昨夜、私は当然のように鏡ちゃんのコーデを申し出ました。
しかし、断られてしまいました。鏡ちゃんにはまだ私の魔法が必要なはずです。それなのに、何故……。
灯姐さんは私にメイクやコーデのノウハウを教えてくれた師匠のような存在ですから、鏡ちゃんがその腕前を信頼していると言うのは分かります。
でもなぜ私を参加させてくれないのでしょう。港まつりの時も、海水浴の時も、一緒にさせてくれたじゃないですか。
『ゴメン、明日は灯姉にやってもらうから』
メールの本文を、私はいつまでも虚ろな目で眺めていました。
翌朝玄関を出る時の私は余程ぼんやりしていたのでしょう、妹が私のカメラバッグを持って追い駆けてくる始末でした。
さくらや前に着くと鼎くんだけがいました。
「鏡ちゃんは?」
「先に行くって言ってたんだが。まだ来てないのか?」
五分ほど待ったところで鏡ちゃんが姿を現しました。その時の私の気持ち、想像してみてください。
可愛いです。とっても可愛いです。
私が思いつく方向性とは真逆の、生活感のある落ち着いたコーディネーション。本当に「どこにでもいる普通の女の子」です。
なんと言えばいいのか……。キラキラした輝きを、敢えて隠すことで却って魅せるような?
そう、いぶし銀! いぶし銀のようなコーデ!
「おお、かがみん。似合ってんじゃねえか!」
鼎くんは大はしゃぎしています。その声、今だけは聞きたくない。
私は何も言えませんでした。もう私の魔法は必要ないのでしょうか。鏡ちゃんはこのまま私の手を離れてどこかへ飛んで行ってしまうのでしょうか。そんな思いが脳内で暴れ回って……。
「可愛いね」
たった一言を絞り出すのが精一杯でした。別に嘘をついたわけでもないのに、こんなに胸が苦しくなるなんて……。
九時半頃、会場のステーション・デパート最上階に着きました。鏡ちゃんと鼎くんはコスプレ列に並びましたが、私は一般参加枠です。また別々……。
「凜ちゃん、お久しぶり!」
後ろから声を掛けて来たのはふぇりっくすさんでした。この人とのおしゃべりはくつろげると言うか、本当に気持ちが穏やかになります。
今日はふぇりっくすさんと鏡ちゃんを撮れるのです。落ち込んでいたら勿体ないですよね。切り替え切り替え!
モード変換、写真家モード!
十一時、一般入場開始です。さあ、テンション上げて行きましょう!
◆稲葉鼎の場合
八月四日、日曜日の午前九時。さくらや前に着くとそこには誰もいませんでした。おかしいな。かがみんは先に行くと言っていたのに。
直ぐに凜が現れ、俺はかがみんがまだ来ていないことを説明しました。
およそ五分。二丁目の角からかがみんが姿を現しました。
白地に青い線が入った、落ち着いたワンピースを着ています。コスプレ衣装の入った大きなキャリーケースが何とも不釣り合いですが、前回の海水浴の時とはまた違った可愛らしさです。
動物園の時もこんな感じだったんだよなあ。あの時は素で気付かないと言う、大ボケをやらかしてしまったわけだけど。
今度はそんなヘマをするわけには参りません。
「おお! かがみん似合ってんじゃねえか!」
凜より先に言ってやりました。これでまた一歩リードです。
……あれ? 凜、テンション低い? 俺にリードを許して落ち込んでいるという訳でもないような……。
ちょっと気になりますね。俺と凜はライバルですが、別に憎いとか嫌いとかじゃない。元気のない顔はみたくないです。
「おい凜、なんか言ってやれよ」
俺が促してやっと「可愛いね」とだけ言いました。大丈夫か、凜。
俺はコスプレイベントと言えば、去年凜と行った野外でやる大きいやつしか知りません。それが基準になっていたものだから、今回会場に着いた時は大いに戸惑いました。
まず行列が凄い。列に並ぶと「最後尾札」というものを前の人から受け取り、次に並んだ人に渡して行く、このシステムがカルチャーショックでした。
「御両所、そこは一般参加列ですぞ」
聞き覚えのある声に振り替えると……ヤマ、何故お前がいるんだ……。
「稲葉氏もコスプレ参加でござろう? 列はあっちでござる」
まさか、かがみんが情報漏らした? しかしかがみんも真っ青になっています。
「偶然でござるよ(笑)拙者西方のイベントは皆勤賞でござる故(笑)」
ほんとに偶然なのか? しかしこいつがいると知ってたら来なかったのに……しかし後悔先に立たず、もうどもならん。やってやろうじゃんか、さあ、矢でも鉄砲でも持って来いやオラァ!(←ヤケクソ)
列が動き出すと更衣室前でちょっとした騒動が起きました。入口に立っているスタッフに、かがみんが連れて行かれそうになったのです。
「女子更衣室はあちらになりますので」
……まあこうなるわな(笑)
更衣室の中で、凜と仲が良いと言う女装レイヤー・ふぇりっくす氏に初めて会いました。
しかしこのふぇりっくす氏……なんつーイケメン……。年齢は三十歳くらいでしょうか、単にカッコいいとか整ってるとかじゃなくて、同性をさえ迷わせかねない色香があります。
俺も顔には自信あったけど……。そんな自信はもう跡形もなく吹き飛ばされました。ふぇりっくす氏を見つめるかがみん、まるで恋する乙女じゃねーか! 俺に勝ち目はあるのか?
ヤベエ。凜がライバルだと思っていたら、とんでもねえ伏兵が現れたもんだ。正面に向かって槍を構えていたら背後から短刀で刺された気分です。
「初めまして、ふぇりっくすです」
「カ、カナエです……」
挨拶の声が震えます。
「鏡くんってとっても可愛いよね。鼎くんが羨ましいな」
ふぇりっくす氏の言葉に裏は無いのでしょう。しかし俺にはそれが勝利宣言にしか聞こえませんでした。
「鼎、早く着替えようよ」
かがみんに促されて俺も衣装を取り出しました。ふと周りを見ると皆着替えるより先に化粧をしています。そういうものなのでしょうか。
「メイク……してあげようか?」
かがみんが化粧品ポーチを取り出しました。あ、持ってるんだ……。
どうやらコスプレにはメイクが付きものらしいことは理解できました。が、流石に俺にはレベルが高すぎます。今後の課題とさせて頂きましょう。(どうせコスプレは今回限りだし)
第三節:Killing Me Softly with His Song.
◇小田鏡の場合
僕と鼎は更衣室を出て会場に入り、凜と合流した。メイクに時間を取られなかった僕らがレイヤー勢では一番乗りだった。
凜が言うにはレイヤーさんが出て来るのは通常で十二時頃、メイクに凝る人なら一時過ぎにもなるそうだ。その気概、到底僕の及ぶところではない。
ふぇりっくすさんが出て来るまであと三十分か四十分ほど。
それまで僕は同人誌を見て回ることにした。このイベントは大会議室を会場として、その半分以上がサークルスペースになっている。
「風前の燈火」というサークル(ひどい名前だ)のところに来たら、霖太郎・魔理奈・麗夢が表紙になっている薄い本が積んであった。
全年齢健全本でお値段は五百円。本を買う予定は無かったが、これは欲しくなった。万札の両替は済んでいる。僕は迷わずその薄い本を買い求めた。
トートバッグに入れておいて、撮影の合間にでも読むことにしよう。楽しみだ!
凜がウオーミングアップ撮影をすると言いだした。既に写真家モードに入って、目がマジで怖い。僕も鼎も終始圧倒され続けている。
ああ、ふぇりっくすさん、早く来てください。
しかしふぇりっくすさんが現れたのは正午を少し回った頃。
「お待たせ! アイスティーは無いけどいいかな?」
なんだかよくわからないことを言いながら、麗夢に扮したふぇりっくすさんがお祓い棒を持って登場した。
凜の怖い目つきが、スイッチを切り替えたように涼やかになる。まさに救世主の登場だった。
「じゃあさっそく撮りましょうか。屋上にいいロケーションがあるんだよねえ」
僕らはふぇりっくすさんの後に付いて移動を始めた。さすが大人。場慣れしていると言うか、保護者の貫禄と言うか、余裕を感じる。
ステーション・デパートの屋上は初めて入ったけど、庭園のようだ。こんな場所があるなんて知らなかった。
「あっ、私あそこがいいです。あのアーチの前」
凜が指を差す方向には、蔦が絡んだアーチがある。
「鏡くん、こっち来て。鼎くんも」
凜の指定に従って僕らは位置を決めたが、さっきまでとは別人みたいに、今の凜は落ち着いている……いや違う。落ち着いているというより、ふぇりっくすさんが凜を落ち着けてくれているのだ。
鼎を挟んで、僕が右、ふぇりっくすさんが左に立つ。
「いいよ~。じゃあまずテストショット行きまーす」
ノリノリの、凜の笑顔。やっぱり凜には笑っていて欲しい。その笑顔を曇らせているのは僕なんだけれど……。
鼎が下がって、僕とふぇりっくすさんのペア撮影が始まった。凜はすぐ密着を要求してくる。鼎との時とはまた違ったドキドキがある。
鼎よりずっと小さいのに、やっぱり大人の男の人(美少女だけど)は安心感と言うか、安定感? 包容力? が段違いだ。
六月のコスガの時も、ふぇりっくすさんは僕を抱き寄せて「自信を持って。君は可愛いんだから」と言ってくれた。あれが無かったらコスプレを続けていられたかどうか。
ペア撮影が終わり、鼎が加わった。
「麗夢と魔理奈、霖太郎に抱き着いてみようか!」
凜の指示が飛ぶ。
「こら鏡ちゃん、照れてんじゃないわよ。男同士でしょ!」
「うわあ。鼎くん、逞しいなあ。うらやましい」
ふぇりっくすさんに褒められて鼎も照れている(笑)こんな鼎、初めて見る(笑)凜はこの顔を見たことはあるのだろうか。ちょっとだけ気になった。
三十分くらいして、鼎が休憩を要求した。飲み物を買って来ると言ってどこかへ行ってしまった。僕らも休憩することにしたが、凜は気になるレイヤーさんがいると言ってこれまたどこかへ行ってしまった。
僕はベンチに座って買ったばかりの薄い本を読み始めた。ふぇりっくすさんはあっちの方で撮影に応じていた。
サークル「風前の燈火」の薄い本、「君がいない場所(霖×魔理×麗・全年齢健全本)」
その物語の中で、魔理奈は霖太郎に片思いをしていた。そして麗夢とは幼馴染で親友だった。
ある日魔理奈が麗夢の神社に遊びに行くと、何故か麗夢は留守で、日が暮れても帰ってこなかった。
お腹を減らした魔理奈は箒に乗って霖太郎の家まで飛んで行ったが、ドアを少し開けたところで料理のいい匂いと麗夢の笑い声に気付いた。
魔理奈は全てを悟ってそっとドアを閉め、涙を堪えながら黙って飛び去った……と言う失恋物語だった。
読み終える頃には僕は手が震え、呼吸が苦しくなってきた。
「かがみーん。喉渇いたろー」
スポーツドリンクのペットボトルを差し出す鼎の声に、僕は思わず背筋を伸ばした。
「どしたん、疲れたか?」
「う、うん。ちょっとね」
鼎が僕の隣にどっかりと腰を下ろし、炭酸飲料を一気に呷った。
「俺も疲れたわ(笑)マジでみんな体力あんな(笑)」
「イベントじゃ普通だよ~(笑)鍛え方が足りないんじゃない?(笑)」
「あー、先輩マウントやらし~(笑)」
内心の動揺を悟られたくなくて、僕は必死に話題を合わせた。
「済みませーん、お写真いいですかー?」
カメラを持ったおじさんが声を掛けてきた。
「はーい、喜んで!」
僕は薄い本をバッグに放り込み、鼎を促して立ち上がった。
その後僕らは凜による撮影と他の人による撮影を繰り返した。色々な西方キャラのレイヤーさんから一緒に撮影を頼まれた。
「大漁大漁(笑)」
同人誌を大量に買い込んだのであろう、ヤマも重そうなリュックを背負って写真を撮りに来た。
午後三時、イベント終了。更衣室を使えるのは四時まで。
帰り道、僕らはふぇりっくすさんから食事に誘われた。「アフター」というらしい。
お金は十分にあるし、行きたかったけれど僕は先に帰ることにした。なんだかひどく疲れていた。鼎と凜は行くのだろうと思っていたが、二人も帰ると言う。何故帰るんだろう。せっかくなんだから行けばいいのに。その理由を考える余裕が僕には無かった。
ふぇりっくすさんもそれ以上強くは誘わず、そこで解散となった。
「鏡ちゃん大丈夫? 顔色悪いよ?」
凜が心配してくれている。ここは無理にでも笑顔を見せなきゃ。
「大丈夫、ちょっと疲れただけ」
僕はキャリーケースを引っ張って歩きだした。石畳を転がるキャリーケースの車輪の音が、今朝よりも大きく僕の耳に響いた。
◆高山凜の場合
イベント開催が告げられて直ぐ、鏡ちゃん(ついでに鼎)が会場に姿を現しました。
ベテランレイヤーさんに比べればまだまだ「こなれていない」感はありますが、それでも素材の良さで鏡ちゃんが圧勝でしょう。
鼎くんは……今回限りの着ただけレイヤーなので評価の対象外……と言うかリングに上がってさえいない。レイヤー人口にカウントしていいかどうか迷うレベル。
さて、これにふぇりっくすさんを合わせてどう撮るか……。腕が鳴りますねえ!
鏡ちゃんが同人誌を見たいと言うので私もお付き合いです。本だけでなく、アクセサリーを始め小物もたくさんあります。
毎回思いますが、彼らの創作にかける情熱、圧倒されそうです。私も負けてはいられません。ふぇりっくすさんが来る前にウオーミングアップを済ませましょう。
鏡ちゃん、鼎くん、準備はいい? ぼやぼやしてたら四時間なんてあっという間よ?
状況に応じてカメラの設定を調整するわけですが、私は会場の明るさに合わせてISOを調整する程度で、後はカメラのプログラム任せが基本です。
プロ中のプロともなれば絞りやシャッター速度、ホワイトバランスも自分好みにいじるのかも知れません。しかし私程度の腕前なら下手に我を張るより機械を信じた方がマシというのが結論でした。
後は試し撮りしては明るさを微調整して行きます。
ストロボは基本的に使いません。予算の都合で機材が手に入らないのもありますが、とある写真家の方の「その場の光を切り取るのが基本(意訳)」という言葉を信じております。
ふぇりっくすさんが出て来ました。紅白の巫女装束に身を包んだその美少女ぶり、悔しいですが鏡ちゃんより上です。
ロケーションは下見をしておいた屋上のアーチです。アレを神社の鳥居に見立てて撮影と行きまっしょい!
まずはふぇりっくすさん自身の慣らし運転的に軽い気持ちで何枚か。
流石のふぇりっくすさんも初めのうちは表情と動きが硬い……。でも撮って、見てもらって、フィードバックを繰り返すうちに調子が出てきます。
そのふぇりっくすさんに触発されているのでしょうか、鏡ちゃんの表情も力があります。
あ、鼎くんはそこにいてくれればいいですよー。
さて、暖まってきたところで本格的に行きましょう。
事前にイラスト投稿サイトで見た構図を参考にしてポーズを決め、シャッターを切ります。
魔理奈と麗夢は幼馴染設定だそうですから、まずは鼎くんには下がってもらって美少女()二人を中心に撮りましょう。背中合わせだったり正面に向き合って頬を寄せてもらったり、恋人繋ぎなんかもしちゃいましょう。
ああ、二人ともいい顔してる……。無我夢中でシャッターを切る。いつもながら、シャッターを切る瞬間は呼吸さえ忘れてる。
「ぶはっ!」
苦しくなって呼吸を思い出す。他のカメラマンさんはどうなんでしょう。私だけかな。
次は鼎くんの出番です。
この二人には、霖太郎を巡って恋の鞘当てをしていると言う二次創作が多いのです。これを頂かない手はありません。
真ん中に霖太郎、魔理奈はその腰に抱き着き麗夢を見上げて挑発、麗夢は腰に手を当て視線を下げて応戦……。よーしよし、いいゾ~これ。
あ……。鼎くん、結構いい表情してる……。意識してじゃないだろうけど、戸惑ってる感じが。
三十分以上も撮り続けていると、鼎くんが疲れたと言って休憩を要求してきました。そうですね、ここらで一息入れましょうか。
鼎くんが自販機を求めて旅立ってしまったので、私は他の被写体を探すことにしました。
知り合いのレイヤーさんを見かけ、撮影を頼んだり頼まれたり、イベントならではの楽しい時間が過ぎて行きます。
さて、鏡ちゃんのところに戻らなきゃ。
鏡ちゃんと鼎くんはおじさんカメラマン数名に取り囲まれての撮影依頼に応じているところでした。大人気ですねえ。
あらおじさま、未成年を個撮に誘うのはNGですわよ? ようやっと囲みが解消されました。
ふぇりっくすさんが戻るまではこの二人を撮ることにしましょう。鼎くんも素材として仕上がってきた感があります。
ああっ。魔理×霖、尊い!
でもちょっとだけ気になります。鏡ちゃん、元気がない。朝はあんなにキラキラしていたのに、今はなんだか寂しそう。笑顔が硬い気がする。
朝の鏡ちゃんは、光を跳ね返すみたいに瞳が揺れていたのに。今は光を吸い込むみたいに黒い。
ファインダー越しに見ると、その違いが痛いほど分かる。絶対に気の所為なんかじゃない。疲れているのかな? それとも何か嫌なことでもあった?
訊きたい。けど訊けない。今ここで踏み込んじゃいけない。踏み込んだら、きっと鏡ちゃんを傷つける。本能がそう告げています。
余計なことは言わず、カメラマンに徹することにしました。鏡ちゃんのケアについてはふぇりっくすさんか灯姐さんか、大人の人に相談することにしましょう。
イベントは本当に時間が経つのを忘れてしまいます。あっという間に終了のお知らせが流れました。
あー、楽しかった! いろいろあったけど、やっぱイベントは最高!
ふぇりっくすさんがアフターに誘ってくださいました。
私は飛び跳ねたいほど嬉しくて、ふぇりっくすさんと写真談義もしたかったし、鏡ちゃんの感想も聞きたかったし、それにふぇりっくすさんなら鏡ちゃんの本音を聞き出してくれそうな気もするし、是非とも行きたかったのですが……。
でも鏡ちゃんが早く帰りたいと言うので、全てを飲み込んで私も帰ることにしました。
それにしても鏡ちゃん、本当に大丈夫でしょうか。顔が真っ青です。
バス停に向かう道中、石畳を転がるキャリーケースの車輪の音がアーケードの天井に反響します。その音に鏡ちゃんの表情が重なります。
歩道の照り返しが鏡ちゃんの背中を淡く照らし、影が揺れました。
鏡ちゃんが誘ってくれたイベントで、その笑顔が途中から突然曇るなんて。私が何かしてしまったのでしょうか。
様子がおかしくなったのは最初の休憩の時、私がいったん離れた後です。何かあったのだとしたらその時に違いありません。
鼎くんが一緒に居ましたね。鼎くん、何かしたのでしょうか。胸騒ぎはしますが、鼎くんが悪いことをするはずはありません。
……でも、もし……。
もしほんの少しでも、鼎くんが鏡ちゃんを傷つけるようなことを言っていたら……。
いや、考えちゃダメ。そんなはずない。何か心当たりがないか、後で聞いてみましょう。
それにしても私、無力だなあ。悔しいなあ。魔法使いを名乗っておきながら、肝心な時に何もできないなんて。
でも逃げたりはしない。次こそ……。次はきっと支えてあげる。
そう自分に言い聞かせながら、私はゆっくりと歩く鏡ちゃんの背中を黙って追いかけました。
追いかけながら、胸の奥でひとつだけ強く願いました。
どうか鏡ちゃん、あなただけは壊れないで。
それが、今の私にできる唯一の魔法でした。
◇稲葉鼎の場合
十一時、イベント開幕です。まだメイクが終わらない他のレイヤーさんたちを置き去りにして、俺とかがみんは会場に入りました。
この会場は本来は大会議室らしく、そこそこの広さはありますが大半を長机の列(サークルスペースと言うのだそうです)が占領しており、コスプレ撮影に使える場所は全体の三分の一もありません。
狭っ苦しいなあ……と思っていたら、コスプレのメインは屋上なのだそうです。
かがみんがサークルスペースを見たいと言うので一緒に付いて回りました。俺はといえば……なんというか場に馴染めてないというか、浮いていると言うか。俺だけ色合いが違っていて、異世界にでも迷い込んだような気がして落ち着きません。
同人誌と言えばヤマのコレクションはいくつか見せてもらっていましたから、今更「新鮮な驚き」みたいなものはありませんでしたが、それでもプロ並みのクオリティーの高さには驚かざるを得ません。
聞けば中には本当に商業誌に連載を持っているプロの作家さんも混じっているとか。
かがみんが大き目の同人誌を一冊購入していました。瞳がキラキラしていて、好きだなあ、こういうかがみん(*´ω`*)
その表紙には霖太郎と魔理奈(ともう一人、巫女さん)が描かれており、本を手渡す作家さんが意味ありげな視線を俺に向けていたような気がします。
俺はその隣のスペース「Team西方不買」で小さめの本を買うことにしました。お値段が少し安めだったのと、表紙の女の子キャラ(妖精らしいです)が可愛かったからです。
本を受け取るとき、「沼の入口へようこそ」と言われましたがどういう意味なんだ。冗談じゃねえよ、俺が今日ここへ来たのは義理を果たすためだし、本を買ったのも付き合いってだけだから。
一回りすると、凜がウオーミングアップ撮影をすると言いだしました。あの朝のテンションの低さはどこへ行った? 目が怖いお(´;ω;`)
こいつ、カメラ持つと本っ当に性格変わるな。まあ元気が出たならそれでいいか。
正午頃、ふぇりっくす氏の登場です。俺は(文字通り)言葉を失いました。
なんだこの美少女……。本当にあのふぇりっくす氏なのか? ダンディーなイケメンが、ここまで変わっちゃうものなのか? そして男声のとのギャップ……。
魔法って、こういう事なのか?
かがみん……。頼むから、俺以外の男をそんな目で見ないでくれよ……。
ふぇりっくす氏の案内で屋上に出ました。ステーション・デパートにはガキの頃から何度も来ているけど、こんな場所があったなんて知りませんでした。露店の部分もあるし屋根付きの部分もあります。これなら港まつりの時みたいに雨が降っても平気です。
三々五々、他のレイヤーさんやカメラマンが流れてきます。凜がアーチの前で撮りたいと言いました。
試し撮りが済むと俺は一旦列外に押し出されました。美少女二人を先に撮るんだそうです。まあどっちも中身は男なんだけどな(笑)
それが終わると今度は三人での撮影です。
午後一時少し前、俺は疲れたのと喉が渇いたのと腹が減ったのとトイレに行きたいのとで小休止を申し出ました。
凜から「事前に軽食を準備しておけ」と言われた意味がようやく分かりました。会場内にあるのは飲み物の自販機だけ、コスプレのままでは売り場階に降りられないし、食料品調達の手段がないのです。カ□リーメイトを買っておいて良かった……。
コーラとスポーツドリンクを買って歩き出したところでふぇりっくす氏を発見しました。レイヤー兼業のカメラマンの撮影に応じています。目が合いました。
「こっちおいでよ、一緒に撮ってもらおう」
誘われましたが、正直困ったことになったと思いました。俺程度のレベルのものが、こんなすごい人と凜以外のカメラに収まるなんてコスプレ趣味への冒涜じゃないでしょうか?
しかしカメラマンさんからも熱心に誘われ、やむなく応じることにしました。
「恋人同士のようにお願いしまーす」
麗夢と霖太郎にそんな設定あったっけ? 俺の戸惑いには関係なくふぇりっくす氏が寄り添ってきます。本当にこの人、男なんでしょうか。
かがみんは言うまでもなく、ふぇりっくす氏に抱き着かれるとかがみんとは違ったドキドキがあります。
本物の女性に抱き着かれてもこんなにときめいたりしないんじゃないでしょうか。いや女性に抱き着かれたことは無いんですけれども! ああっ、ニヤケてしまう(笑)
かがみん、済まない。お前以外にこんな顔してしまうなんて。
なんとか離脱し、かがみんのところへ戻りました。さっき買った本を熱心に読んでいます。
「かがみーん。喉渇いたろー」
スポーツドリンクのペットボトルを差し出すと、かがみんはびっくりしていました。
「どしたん、疲れたか?」
「う、うん。ちょっとね」
俺はかがみんの隣に腰を下ろしました。コーラを飲みながらカ□リーメイトを半分かがみんに差し出しましたが、かがみんはそれをスルーします。おかしいな。こんな風に遠慮とかする奴だったかな?
「俺も疲れたわ(笑)試合の方がマシだよ。マジでみんな体力あんな(笑)」
「イベントじゃ普通だよ~(笑)鍛え方が足りないんじゃない?(笑)」
「あー、先輩マウントやらし~(笑)」
お喋りを続けますが、なんでしょう、この違和感は。かがみん、無理に笑っていないか? 俺、また何かやらかしたか? 俺のせいで笑えていないのか? 不安が募ります。
その後俺たちはそこから移動はせず、入れ替わり立ち代わりやってくるカメラマン(ヤマを含む)の依頼に応じてポーズを取っていました。
午後三時、ようやくイベントが終わりました。
帰りがけ、ふぇりっくす氏から食事に誘われました。「アフター」という、イベントに伴う文化らしいです。凜は乗り気のようですが俺はお断りしたいと思いました。こんな強敵といつまでも一緒に居られるものではありません。正直言って逃げ出したい。
しかしふぇりっくす氏にかがみんを引き渡すのはもっと嫌だ。どうしたものか……。迷いに迷っていると、かがみんが早く帰りたいと言い出しました。チャンスでした。
「こいつ疲れてるみたいなんで! 俺たちお先に失礼します」
かがみんの肩を抱くようにして足早にその場を立ち去る俺たち。凜は後から付いてきます。あいつもアフターには参加しないようです。
俺はかがみんの耳元でそっとささやきました。
「なあ、かがみん。何かあったのか? 元気ないぞ」
「大丈夫だよ。ちょっと疲れただけだから。心配させてゴメン」
そう言ってこっちを見たかがみんは涙を堪えているように見えました。俺はそれ以上何も言えませんでした。
ただ、もしかがみんが泣くのなら、その涙は俺が拭ってやらないと……。焦燥感だけが俺の胸の中で暴れ回っていました。
◆◆小田鏡の場合
イベントで手に入れた薄い本——「君がいない場所」
あの本を、僕はあれから一度も読んでいない。怖くて、表紙を見ることも出来ずに本棚に押し込んだままだ。いや、いっそ捨ててしまおうかとさえ思っている。
イベントから二日目の昼下がり。今、家には僕一人きり。
今日は薄曇りで、少し風もある。気温も低めだ。気分を変えたくて、僕は散歩に出ることにした。
おしゃれなんてする気力は無いし、着替えるのも面倒だし、このまま行っちゃえ。
ボーダーの半そでTとデニムのキュロット、髪もそのままでさくらやへ向かった。あの古ぼけたベンチで、何も考えず空でも眺めながらラムネを飲みたかった。
さくらやのガラス戸に手を掛けたら、中から凜が出てきた。凜もジャージ姿でおしゃれとは程遠かったけど、かえって新鮮だった。
「あっ」
「あ……」
「えっと……お散歩?」
「う、うん。少し気分転換に……」
ちょっとだけ気まずい空気。普段着の女装を凜に見せるのは初めてのはずだ。なんて言われるかな。
「鏡ちゃん、もう普通に女の子じゃん」
凜が笑った。その笑顔に少しだけ救われた気がした。
僕らはラムネを買って、ベンチに腰掛けて飲み始めた。
蝉の声がうるさい。沈黙が怖い。
ラムネの瓶を措くと、ガラス玉がカラリと音を立てた。
「鏡ちゃん……」
「なに?」
「イベントの時、途中から元気なかったよね。何かあったの?」
凜は責めるでもなく、ただ心配そうに僕を見ている。その視線が苦しい。
あの薄い本のシーンが、また胸の奥で疼いた。
——魔理奈は扉を閉じた。
——誰にも見られないように泣いた。
——好きな人はもう、自分のものじゃなかった。
僕は唇を噛み締めて俯いた。言えなかった。言うわけには行かなかった。
「あ、言いたくなかったら無理に言わなくていいよ。私は……」
凜の優しさが、僕の心の堤防を壊した。溜め込んでいたものがあふれ出した。
「……凜ちゃん」
「うん」
「僕……」
言っちゃだめだと思った。ここで言ったら全てが終わる気がした。
でも。
でも。
「僕……鼎が、好きなんだ」
言った瞬間、心臓が大きく跳ねた。
止められなかった。濁流のように、勝手に出てしまった。
死ぬまで秘密にするつもりだったのに。
凜は一瞬だけ目を見開いた。
怒るだろうか。それとも泣くだろうか。ごめん。本当にごめん。凜が掛けてくれた魔法だったのに。
しかし、凜はにっこりと笑った。優しくて、怖い笑顔。
「……構わないよ」
「え……?」
膝と、手と、肩と……全身が震える。
大失敗だった。僕は、凜に挑戦状を叩き付けてしまった。
凜は言っているんだ。「お前みたいな紛い物の女に、本物の女の子である自分が負けるはずない」って。
だから僕が誰を好きでも構わないんだって。
その後どうやって別れたのか。
いつ家に帰ったのか。
ラムネの瓶をどこに置いたのか。
全部記憶がない。ただ一つ、唇に残るラムネの甘さ以外は。
◇◇高山凜の場合
蒸し暑さの中で、今日も私はデータの整理を続けます。
ふぇりっくすさん、鼎くんと一緒に撮った、鏡ちゃんの可愛い魔理奈。
控え目に言っても過去最高の傑作群。
私の腕が良いからじゃない。むしろ被写体の輝きに撮影技術が追い付いていないとさえ言える。写真家としての私はまだまだ発展途上。道は遠い。凹んでる暇はないぞ、高山凜。
鼎くんを見上げる鏡ちゃんの眼差し——恋する乙女の瞳。
その眼差しが、私に向けられる可能性はもう無いと見るべきでしょう。
仕方ないです。
私の魔法は「鏡ちゃんを幸せにする」ためのもの。それで鏡ちゃんが幸せになれるのなら、魔法は百パーセントその効果を発揮したのです。
たとえ私自身の恋が破れても、私は二人を幼馴染として一番近くから見守ることが出来るのです。
個人の恋を取るか、クリエイターとしての喜びを選ぶかと言われたら、私は迷わず後者を取ります。
決して負け惜しみなどではありませんよ。
……ごめんなさい。嘘をつきました。全部負け惜しみです。そうでも言わないと立ち直れません。
気分転換に何か冷たいものをと思いましたが、冷蔵庫にはお父さんのビールしかありませんでした。仕方ない、さくらやにでも行きましょうかね。
今の私はタンクトップに学校指定のハーパン。ダサいけど格好をつける相手もいないし、ジャージの上だけひっかけて行けばいいや。
いつ行っても、さくらやには客の姿というものがありません。私たちが小学生の頃はもう少し賑わっていたはずですが。よく潰れずにやっているものです。
後で食べる用のメロンパンと、今飲む用のラムネを買って店を出ようとしたら丁度鏡ちゃんが入って来るところでした。OMG! 鏡ちゃんに会うと知っていればこんな格好で来なかったのに!
「えっと……お散歩?」
「う、うん。少し気分転換に……」
う~ん、気まずい。でも初めて見る、お出かけやイベント用じゃない普段着の鏡ちゃん。ああっ、なんて可愛いの(*´ω`*)
もう私がコーディネートできなくてもいい。可愛い鏡ちゃんを見られるならそれでOK!
直ぐに帰るつもりでしたが、鏡ちゃんを誘ってベンチに腰掛けました。
ラムネを飲み始めましたが、会話は弾みません。鏡ちゃん、やっぱり落ち込んでいます。
私は沈黙が怖くなり、つい言ってしまいました。
「鏡ちゃん。イベントの時、途中から元気なかったよね。何かあったの?」
鏡ちゃんの横顔が、みるみるうちに強張りました。
「あ、言いたくなかったら無理に言わなくていいよ。私は……」
焦ってフォローしようとしますが、もう間に合いませんでした。私の余計な一言が、鏡ちゃんを追い詰めてしまいました。
「……凜ちゃん」
「うん」
「僕……」
唇を噛み締め、涙を流しながら顔を上げる鏡ちゃん。呼吸は浅く、全身を震わせています。
「僕……鼎が、好きなんだ。ごめん。本当にごめん」
蝉しぐれを押し流すように、強い風が吹き抜けました。
ああ……とうとう、この日が来てしまった……。
鏡ちゃんのためにと思って使った私の魔法が、こんなにも鏡ちゃんを苦しめている。私に出来ることは「受容」しかありません。全てを受け入れるしか……。
鏡ちゃんが、そんなに悩むほど鼎くんを好きだと言うなら、もう応援するしかないじゃないですか。
言葉にすれば、全部終わる。でも言わなきゃ、鏡ちゃんが潰れてしまう。
だから私は笑顔で言ったのです。
「構わないよ」
鏡ちゃんがそれで笑顔になってくれるのなら、自分の恋などどうなっても構わない、と。
しかし私の笑顔を見て、鏡ちゃんは全ての表情を失いました。どうして……? 私、何か伝え方を間違えたのかな。
鏡ちゃんはそのままラムネの瓶を取り落とし、幽鬼のような足取りで立ち去りました。
私は声を掛けることも出来ず、その背中を見送りました。
こんなこと、誰にも言えない……。
◆◆稲葉鼎の場合
人生最初で最後の、オタクイベントへのコスプレ参加。
それから二日が過ぎ、その間俺はずっとかがみんの横顔を思い浮かべていました。
かがみんは笑っていました。けど、笑えてはいませんでした。
「なあ、かがみん。何かあったのか? 元気ないぞ」
勇気を振り絞って問いかけたあの一言。
「大丈夫だよ。ちょっと疲れただけだから。心配させてゴメン」
その、明らかに無理をしている笑顔に、胸のどこかがギュッと痛みました。疲れただけの顔じゃなかった。
あれは何かを抱え込んで、潰れかけている顔でした。
寄り添いたかった。
抱き寄せて「何があったのか教えてくれよ」と言いたかった。
でも……俺なんかが踏み込んでいいのか、いくら考えても分かりません。
俺を現実に引き戻すかのようにスマホが鳴りだしました。友塚主将からの着信です。
『おい稲葉、夏合宿来るよな? つーか絶対来いよ。春高勝つんだからよ』
そうでした。今月の十二日から十八日まで、俺たちはH教育大学男子排球部の合宿に特別に参加させてもらえるんです。圭兄と、高橋コーチの伝手だそうです。
俺も立場上不参加と言うわけには参りません。かがみんを優先したいのはやまやまなんですが……。
義理と人情秤に掛けりゃ、義理が重てえ男の世界です。
『申込書の提出期限、明日だからな。必ず持って来いよ』
机の上に放置していた申込書に記入を済ませ、スポーツバッグにしまい込みます。明日の練習の際に提出しなければなりません(言い忘れていましたが、夏休み中の練習には週末を除いて割と真面目に参加していました)
母親にも合宿参加を決めた旨を告げ、それから、かがみんに電話しました。
スルーされるかも……と思っていましたが、四回目のコールで繋がりました。ホッとして、逆に言葉に詰まります。
『どうしたの?』
「やあ、かがみん。お盆なんだけどさー」
『うん?』
「俺、そっち行けなくなったわ。バレー部の合宿あってさー」
一瞬の沈黙が怖い。
『……そっか。ううん、大丈夫だよ。頑張ってね。応援してる』
かがみん、声は明るくて、笑っている。でも、電話越しにも無理してるってわかる。
「ごめんな。ほんと、ごめん」
「いいってば。春高、応援に行くから」
電話が切れて……画面の明かりが消えると同時に、胸の中のざわめきが一気にせり上がって来ました。
——俺がいない間に、かがみんはまた一人で泣くんじゃないか。
——どうして俺は合宿なんかに来ちまったんだろう。
そう思うだけで、恐怖が抑えられませんでした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
鏡がついに抱えていた想いを口に出し、
凜は“魔法使い”として苦い選択をし、
鼎は何も知らないまま不安だけを抱えていく——。
三人の距離が最も歪んだ形で開いていく章となりました。
次節以降、この告白の余波、そして3人の捻じれた関係をめぐる物語は佳境に入っていきます。
それぞれの想いがどこへ向かうのか、
お付き合いいただければ嬉しいです。




