第三章:飛翔JULY, she will FLY. ②
動き出した三人の恋と魔法。
鏡、鼎、凜――それぞれが抱えた“想い”が、夏の夕陽の下でついに交錯します。
すれ違い、嫉妬、誤解、そしてほんの一瞬の幸福。
それはまだ、誰のものでもない恋の形。
中編では、動物園デートから撮影会、そして夕暮れの教室まで――
「飛翔 July, she will FLY」最大の転機が訪れます。
(※前編未読の方は、ぜひそちらからお読みください)
第六節a DAY in the LIFE.
◆稲葉鼎の場合
月曜の朝、いつものように(←ここ強調)かがみんを迎えに行きます。
うん。なんと言うか、色っぽさが増している気がしますね。
昨日は余程楽しかったのでしょう。凜もまたツヤツヤ? テカテカ? しています。あと笑い方がキモい。
これは負けていられません。なんとか二人きりになってお誘いしなければ。しかしなかなかチャンスが来ません。だいたい凜がくっついているからです。
休み時間、俺が話しかけようとするとすかさず凜が「鏡ちゃん、美術の課題、進んでる?」などと話題をかっさらいます。もしかして、俺の妨害をしているのでしょうか?
「もう! 鼎くんは黙っててよ。今の鏡ちゃんは私との話に集中してるの!」
凜の笑顔がいつも以上に怖い。くそ、これじゃいつまで経っても誘えねえ!
圭兄の言葉を思い起こす。もう悩むのは終わりだ。自分の選んだ道を正解にする。俺はかがみんに恋をした。俺はもう自分に嘘をつかない。
分かってますよ。分かってますとも。凜はかがみんのことになるとあんなに熱くなって、必死になって……。
あれはもう、恋とか執着とか、そういう生易しいもんじゃありません。それを知っていて俺がかがみんを誘うのは、人として男として最低の行為かもしれません。
でも理屈は後でいい。感情は理屈より早く動くものです。
俺は鏡と凜の保護者じゃありません。ましてや凜の「恋のプロデューサー」でもないのです。これは他の誰のものでもない、俺の「本当の気持ち」です。 凜に遠慮して自分の気持ちを殺したら、結局四年前の失敗を繰り返すだけです。
それに、凜と鏡はまだ付き合ってなんかいません。このレース、まだ誰もゴールしていないんだ。だったら俺が参戦してもいいはずです。
凜がいる場所じゃあ必ず凜の魔法が掛かる。ならば男の聖域、男子更衣室で勝負だ!
四時間目の体育、その終わりのことです。都合のいいことに、後片付けのせいで更衣室に残っているのは俺とかがみんだけ。最後の一人が出て行き、静寂が部屋に満ちます。……よし、今だ。「動物園行こう」って、自然に言えば──
「かがみん、ちょっといい?」
あ、ヤバい。緊張のせいか声が固くなっています。大丈夫かな……。
「ご、ごめん鼎。僕、そんなつもりじゃ──」
ほらもー! かがみんを怯えさせちゃったじゃないですかー! ……って、えっ?
「本当に! 凜ちゃんが行こうって言ったからで、僕は流されただけで!」
えーと? あの……。
「信じて! ポートレート撮ってただけなんだ! 二人きりだけど、やましいことなんて何も──」
「やましい!? いやいやいや、そういう話じゃなくて!」
どうしよう——かがみんを泣かせてしまいました。
何か重大な認識の齟齬が生じているようですが、なんなのでしょう?
「かがみん? なんか……誤解が発生しているようだけど?」
「お……怒ってないの……?」
「怒る? 何を?」
「その……凜と勝手に遊びに行ったこと……」
「いやあ。せっかく誘ってくれたのに断ったのは俺だし」
「……」
「水族館、楽しかった?」
「う……うん」
喉が渇く。サーブの前より緊張する。言葉が……出ねえ。
「……じゃあさ、次は……俺と……お出掛けしねえ?」
「……え?」
「……か……角山動物園とか。その……凜には内緒で」
◇高山凜の場合
うふ。うふ。うふふ。うふふふふふふふ。
あ、大変失礼しました(笑)
昨日から私はこの有様です(笑)
とにかくキモい笑いが止まりません(笑)
妹はドン引きだし(笑)
親は病院に行こうとか言って来るし(笑)
念願の初デート。女装ポトレは私史上最高の撮れ高。告白こそ出来ませんでしたが、二人の仲が進んだことは作者でも否定できますまい。
申し訳ないことですが、この写真は鼎くんにも秘密です。私と鏡ちゃんの二人きりの思い出なのですから。
機密保持のためスマホに移したデータは一枚のみ。
それを授業中にこっそり開いて余韻に浸ります。もちろん授業は上の空、ノートにはイルカやクラゲを落書きしてしまいます。昭和の時代ならチョークが投擲される高校子守唄です。
ああ、それにしても、クラゲの水槽を見つめる鏡ちゃんの横顔。控え目に言っても最の高! 玉磨かざれば光なしと言いますが、今の鏡ちゃんは光り輝いております。
しかも鏡ちゃんのポテンシャルはまだまだこんなものではありません。
もっともっと鏡ちゃんを輝かせるため、さて、次の撮影計画でも練りましょうかね。
でも……。
もうちょっと。もうちょっとだけ頑張れば「好き」と言えたのでしょうか。
恋人同士として、今日この教室に居られたのでしょうか。
鏡ちゃんの笑顔がまぶしくて、嬉しいのに、少しだけ胸が痛みます。
ほんの少しの後悔が、海底トンネルの暗がりみたいに心の奥に残りました。
火曜日、私はあることに気が付きました。
鏡ちゃんの表情が、明らかに昨日より明るくなっています。
しかしどうもこの構図、私の好みではありません。引き算の芸術たる写真に、何か余計な因子が混じっている気がします。
ピントもどこかズレています。
「鏡ちゃん、何かいいことあったの?」
「うん! あのね、あ……ごめん、なんでもない///」
なんでもないはずがありません。これは怪しい! 私の魔法の成果かと思いましたが、何か他の要因がありそうです。
「今度の土日空いてる? また撮影いいかな?」
「ごめーん。その日は先約があるんだ♬」
こ……これは……。
先約って、まさか……。鼎くんと……?
気になった私は、鏡ちゃんと鼎くんを観察し始めました。特に会話が増えているような気配はありませんが、二人が視線を交わす際の距離感が昨日までより近い気がします。
いや別にメジャーを当てて計測したわけではありませんが。疑心暗鬼……でしょうか。魔理×霖撮影での尊さは映画のようなもので、あくまでも演技、謂わば作り物です。
しかし、いまの二人は……。ほら、腐女子どもも騒めいているじゃないですか。
いけません。これはいけません。確認しないと……。
「鏡ちゃん、帰ろー」
放課後、鏡ちゃんを誘うと、先約があるとあっさり断られました。まさか……鼎くんと?
「どこへ行くの?」
「ディオゲネス・クラブ~」
ディオゲ……なに?
水曜日。
二人の距離はますます近くなっている気がします。窓辺に二人並んで立ち、談笑する姿に胸が騒ぎます。
木曜日。
腐女子どもも何かひそひそと会話をしています。山田くんや佐藤くんに聞いても心当たりはないそうです。
金曜日。
クラスの真田君から情報を得ました。鏡ちゃんと鼎くんが、男子更衣室で二人きり話し込んでいたと言うのです。
いったい何を? 心のざわめきが治まりません。
土曜日。
本格的なデータの整理と現像に取り掛かりましたが、いつものように心が沸き立ってくれません。
海底トンネルでの一カット——カメラを向けたら鏡ちゃんが偶然こちらを向いて微笑んだ——奇跡の一枚。
私の魔法は順調に進んでいたはずです。でも、ここに至って方向性がおかしくなってきたように思えます。
◆小田鏡の場合
日曜の夜、僕は母さんに頼んで凜から借りた服をクリーニングに出してもらうことにした(下着は除く)
でもいつどうやって返却するかという問題が残っている。下手なことをして鼎に勘繰られたくない。
教室で手渡すわけには行かない。と言って凜の家にも行き辛い。
写真部の誰かに預けようか。でも「クラスメイトなのに?」と言われたらどうしよう。
いっそのこと鼎に頼もうか? 中身を聞かれたら「ポートレートに使った衣装」って、正直に言うんだ。そうだ、それがいい。
少し気が楽になった。
月曜の朝、凜の笑顔は飛び切りキモかった。鼎がドン引きしている。もちろん僕も。
四時間目の体育はサッカーだった。サッカーはとにかく走らなければならない。足が遅い上に体力がない僕には過酷な授業だった。
へばっているところへ後片付けを命じられた。昼休みが遅くなってしまう。まったく、やれやれだぜ。でも鼎が手伝ってくれた。
作業が終わって着替え。更衣室には二人だけ。
「かがみん、ちょっといい?」
ものすごく不機嫌そうな鼎の声。やばい……怒ってる。そりゃそうだよね……凜ちゃん、鼎の彼女だし……。恐怖で膝が震える。
「ご、ごめん鼎。僕、そんなつもりじゃ──」
みっともなく言い訳する僕。
「本当に! 凜ちゃんが行こうって言ったからで、僕は流されただけで!」
怖かった。鼎が本気で怒ったらどうなるんだろう。僕は腕力じゃ絶対に敵わない。出来るのは謝罪と言い訳だけだった。
「信じて! ポートレ-ト撮ってただけなんだ! 二人きりだけど、やましいことなんて何も──」
僕は泣いた。泣いてしまった。
「やましい!? いやいやいや、そういう話じゃなくて!」
鼎が迫って来る。もうダメだ。きっと殴られる。漏らしそう……。
「かがみん? なんか……誤解が発生しているようだけど?」
あれ? 怒られない? なんで?
「お……怒ってないの……?」
「怒る? 何を?」
「その……凜と勝手に遊びに行ったこと……」
「いやあ。せっかく誘ってくれたのに断ったのは俺だし」
もしかして、本当に気にしてないの?
「水族館、楽しかった?」
「う……うん」
「じゃあさ、次は俺とお出掛けしねえ?」
「……え?」
「角山動物園とか。その……凜には内緒で。どうかな?」
え? え? え?
動物園?
鼎と二人で?
それって……それって……。
◇◇稲葉鼎の場合
また伯父貴に怒られました。
ええ。「今週はクラブに行けない」と言った結果です。でも仕方ないじゃないですか。かがみんとお出掛けなんだから。
日曜日がやって来ました。
古いスマホまで持ち出して三重にアラームを鳴らしたおかげで寝坊だけは免れました。凜からRINEが入っていたようですが、今は無視です。
かがみんには家に迎えに行くと言ったのですが、先方の強い希望で現地(動物園正門前)待ち合わせということになりました。
ああっ、意味もなく緊張する!
只今十時半。まだ三十分もあります。さて、時間までどうしようか……その時でした。
「かなえ? 僕、時間間違えた?」
かがみんが現れました。コスプレでも制服でもないかがみん、久々に見る気がします。可愛さや色気に加えて、何か上品さが増している!
「いやあ、待ち遠しくて早く来ちゃった。そっちこそ早いじゃん(笑)」
「僕も同じ。丁度いいじゃん、行こう!」
かがみんが俺の手を引いてゲートに向かいます。この積極性! そうです。出会った頃はこうだったのです。
嬉しいけど、これも凜の魔法の結果なのか。少しだけ悔しさも感じます。
しかし今日誘ったのは俺ですから、俺がリードしなければなりません。足を速め、かがみんを追い越します。
「何から見ようか」
「カンガルー見たい、カンガルー」
はしゃぎ回るかがみん、いいなあ。
「あはは、ケンカしてるやつがいるよ」
「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!!」
「ねこの取っ組み合い見るのも楽しいよねー。無限に動画探しちゃう」
「ウチじゃしょっちゅうだわ(笑)」
「鼎んとこ猫飼ってたっけ?」
「知らなかった? 今度見に来いよ」
「行くー!」
「なんかこうやって歩いてると、昔に戻った気分だな」
「うん……。小さいころ、よく一緒に遊びに出かけたよね」
「そうそう、あの時もお前、途中で迷子になって泣いてたし」
「あー! それ今思い出すー?」
会話が続き、楽しいは楽しいんですが、ちょっとだけかがみんの様子が変です。どうもさっきから、俺の顔を覗き込むような仕種をします。そして、ちょっとだけ不機嫌そうに見えます。
なんでしょう。腹でも減ったか、喉が渇いたか。それとも……トイレ?
園内にはカフェやレストランが複数あります。そこへ連れて行きましたが変化なし……。いやそれどころか不機嫌さが増しているようにさえ見えます。
「ねえかがみん。俺、何かした?」
「別に……」
「もしかして、動物園は嫌だった?」
「そんなことないよ。楽しいし」
「あ! 体調不良か? 具合悪いのガマンしてるのか? だったら……」
「ほんと、マジで気付いてないのかよ」
「何に?」
「もういいっ! 鼎の莫迦! 莫迦鼎! バカナエ!」
かがみんが突然怒り出し、席を立ちました。
「え、ちょ!? なんで!? 何した俺!?」
慌てて追い縋ろうとした俺を振り切り、かがみんは振り向きもせずに行ってしまいました。
置き去りにされた俺は茫然自失、です。周りのカップルや家族連れは痛々しそうに目を逸らし、ガキどもは指差して笑っています。
何故だあああああ!
◆◆小田鏡の場合
次の日曜、動物園に行こうと鼎から誘われた。
凜には内緒ってことは、デートと言う解釈でいいよね? ま、男同士でそれは無いか。子供の頃はどこへでも二人で行っていたから、その延長だよね。何を期待しているんだ、僕は。
凜には申し訳ないと思ったものの、当日の服を土曜日に選んでもらえるよう、灯姉の約束を取り付けた。お金は出さないが助言はしてくれるとのことだった。
その週の僕は、月曜日の凜にも負けず劣らず変だったと思う。
火曜日には久しぶりにディオゲネス・クラブに出席したけど、笑い方が気持ち悪いとサトーとヤマから何度も指摘された。
教室で鼎と雑談をするときも笑い出さないようにするのが大変だった。
そして待望の日曜日。灯姉にコーディネートしてもらったロンTとマキシ丈のベージュのスカート。髪にも軽くウエーブを掛けてくれた。
鏡に向かって深呼吸。大丈夫だよ、変じゃないから。
圭兄も母さんも父さんも褒めてくれただろう?
先週だってなんとも無かったろう?
「大丈夫、ちょっとしたお出掛けだよ」
声に出してみても、胸の鼓動は速まるばかりだった。
鼎は迎えに来るつもりみたいだったけど、現地集合にしてもらった。その方がいかにもデートっぽいし……って、いやいや、デートじゃないし(笑)
待たせちゃいけないから余裕を持って家を出た。
女の子の格好で外に出るのは、コスプレも含めたら三回目(番外編は除外)か。一人で行動するのは今回が初めてだ。
やっぱり緊張する。男だってバレてもフォローしてくれる人がいない。どうしよう……無謀だったかな。家を出てから考えることじゃないけど。
「どうしたの、お嬢さん。気分でも悪い?」
「顔色悪いよ。何処かで休んだ方が良くない?」
ターミナルでは親切なお兄さんたちが声を掛けてくれた。(鼎「いやそれフツーにナンパ……」)
動物園前のバス停を降りて少し歩くと待ち合わせ場所の動物園正門ゲートが見えて来る。時刻は十時三十分。約束の時間まであと三十分。
鼎、僕を見たらなんて言うかな。驚くだろうな。「似合う」って言ってくれるかな。「可愛い」だともっと嬉しいな。
三十分も前だと言うのに、鼎はもう着いていた。自分が時間を間違ったのかと不安になる。
期待を込めて声を掛ける。
「いやあ、待ち遠しくて早く来ちゃった。そっちこそ早いじゃん(笑)」
あれ? それだけ? ちょっとがっかり。まあいいや、そのうち言ってくれるだろう。
「僕も同じ。丁度いいじゃん、行こう!」
鼎はスポーツマンで背が高い分脚も速い。僕が手を引いたはずなのに、あっという間に逆転されて引っ張られる方になってしまった。
子供のようにはしゃぐ鼎に連れ回されるのは、それはそれで気分が良かった。
角山動物園は小学生の頃に何度も来ている。園内は動物の分布に合わせてゾーン分けされていて、僕はオーストラリア・ゾーンがお気に入りだった。カンガルーがボクシングをしていた。
鼎はサル山が気に入ったようだ。ボス猿がヤマに似ていると言って喜んでいた。失礼だなあ(笑)
でも一向に僕の服装には言及がない。何度も鼎の正面に立って必死にアピールしてみたけど、鈍いのかとぼけているのか、本当に何も言ってくれない。おまけに(黒歴史である)迷子の件まで思い出させるし。
もしかして、似合ってないから、変だからわざと気付かない振りをしている? それならそうと言って欲しいんだけれど……。どうして何も言ってくれないんだ?
不安に駆られた僕は、ついつい鼎に感情をぶつけてしまった。
「もういいっ! 鼎の莫迦! 莫迦鼎! バカナエ!」
鼎を置き去りにして、独りで帰宅した僕。面倒くさいメンヘラ女じゃあるまいし、何てことしちゃったんだろう。きっと嫌われた。もう口を利いてもらえないかも。
凜に相談のメールを送ってみた。返信は「鼎が悪いから謝る必要はない」だった。
本当にそれでいいんだろうか。部屋に籠って泣いている僕に気付いてくれたのは母さんだった。支離滅裂な僕の話を、母さんは最後まで聞いてくれた。
『今日は酷いこと言ってごめんなさい。明日改めて謝ります』
母さんに言われた通りにメールを送った。
◇◇高山凜の場合
悶々と過ごした日曜の夕方。鏡ちゃんからメールが来ました。どうやら鼎くんとケンカしてしまったみたいです。
謝り方が分からないと言うので、鼎くんが悪いのだから謝る必要は無いと言っておきました。
本当に、嫉妬とは醜い感情ですね。このまま二人の仲が拗れてしまえば良いだなんて……。
今夜は眠れそうにありません。
第七節LIFE is a FLOWER.
◆稲葉鼎の場合
月曜日。
夜半から降り出した雨は、未だに鬱陶しく降り続いています。涙雨ってやつでしょうか。
幸いなことに、三人での登校は変わりませんでした。しかし、この気まずさ……。誰も何も言わずに歩いています。
昨夜遅く、かがみんから謝罪のメールが来ました。いいえ……多分悪いのは俺の方です。謝りたくても、何故かがみんのご機嫌を損ねてしまったのか、さっぱり解りません。
いったいどうすればいいのか……。
教室に着いても気まずさは続いています。
「稲葉、ちょっとちょっと」
休み時間、毛利のグループが声を掛けて来ました。
「お前、昨日角山動物園行ってた?」
「おう。お前らもか?」
「いや俺らじゃなく、三組の島津がお前を見たらしくてな。めっちゃ可愛い彼女連れてたって?」
「彼女ォ? なんだそりゃ?」
「おいおい、とぼけんなよー」
小西が意地悪く肘で突いてきますが、心当たりがありません。
「高山じゃなかったって言ってたぞ? 二股掛けてんのか?」
「いやマジで知らんて」
昨日はかがみんと居ただけなので、誤解を招く要素は無いはずです。
しかし奴らがしつこく問い質して来るので、俺は潔白を証明するため脳内ローカルディスク:Cを検索しました。ユーザー → kanae → OneDrive → ビデオと進み、昨日のフォルダーを開いて行きます。
メディアプレーヤーを起動させ、該当する時間帯を×2.0で再生します。シークバーを使って更に速めて見ますが、知らない女性と接触する場面は見当たりません。
俺の隣にいるのは最初から最後までかがみんだけです。品の良い白のロンTと、丈の長いベージュのスカート。髪にも軽くウエーブが掛かっていて、なんて可愛いんでしょう。
あれ? 待てよ……? 女の子って……かがみん!?
あーっ! 昨日のかがみん、女の子の服着てたんだ! 私服での女装は初めて見るけど、あまりにナチュラルだから素で気付かんかった! やらかしたあああああ!
ようやく不機嫌の理由が判りました。かがみんは(多分)俺のために女の子の格好をして来たんです。俺に褒められたかったんです。それなのに俺は……俺ってやつァ!
あーもう! 誰か俺にタイムマシンを下さい! 昨日に戻って俺の後頭部を張り倒してやる! 視力二・〇のくせに心眼〇・〇かよこの鈍感ポンカン野郎!
◇高山凜の場合
昨日、鼎くんは鏡ちゃんを動物園に連れて行き、そこで詳細は不明ながらケンカしてしまったようです。
私はこれを喜ぶべきでしょうか。
答えは「否」です。
そこらのお邪魔虫どもならともかく、私は鼎くんに恩義があります。敵に塩を送ってでも正々堂々勝負致しましょう。その上で、勝利を掴みます。
うん、カッコいいぞ私! これなら鏡ちゃんのハートも確実にキャッチできます。
朝、三人並んで登校しましたが亀裂はかなり深そうだと感じました。鏡ちゃんのメールから読み取れるのは「鼎くんに向かって酷いことを言ってしまった」だけなのですが。
本当に二人は仲違いしてしまったのでしょうか? 鏡ちゃんを追いかけて、進学校の推薦を蹴ってまでここに来るほどの鼎くんが、一度暴言を受けた程度で心変わりするものでしょうか?
いえいえ、そんなはずはない。フリーズしたPCと同じで、再起動してやればいいだけです。
さて、どうしましょう。
今日、月曜はバレー部の練習もお休みのはず。これを利用できないでしょうか。私はある素敵なアイディアを思いつきました。
昼休み、二人の姿を探しますが、どうしたのでしょう。教室にはおりません。皆に尋ねても知らないと言われました。
何処へ行ったのでしょう。見廻していると二人揃って戻ってきました。声を掛けようとした私は一瞬固まりました。
何故なら二人は完全に元の距離感に、いいえ、それ以上に「近く」なっていたからです。机を並べ、幸せそうにお弁当を食べ始めました(私は学食派です)なんということでしょう! おかずの交換までしているじゃないですか!
なんなの、これ……。ほんの十分足らずの間に、いったい何があったというの?
狼狽えている場合ではありません。二人の仲がどうあれ、私は私の計画を実行するまでです。昼食を回しにして二人の間に割り込みました。
「鏡ちゃん、鼎くん、放課後ちょっとだけ付き合って欲しいんだけど。いいかな?」
◆小田鏡の場合
ザ・カーペンターズの「雨の日と月曜は」って知ってる? 今朝はまさにそんな気分。
鼎とケンカするのは初めてじゃない。小学生の頃は週に一回はやっていた。あの頃はどうやって仲直りしてたんだっけ。
それでも今日は謝罪するって決めたんだから、こっちから行かなきゃ。
休み時間の度に声を掛けようとするけど、なかなか難しい。決心が付かないし、鼎は男女両方に人気があるからいつも誰かと話していてチャンスがない。
四時間目、英語の授業の途中こっそりとメールを送った。
鼎がスマホをチェックしてこちらを見た。もう引き返せない。これで僕も度胸を決めることが出来た。
東校舎の北側階段。ここは人通りがほとんど無く、密談には向いているとされる。僕が着いた時には鼎は既に待っていた。
慌てて駆け寄り、頭を下げた。
「「昨日はごめんなさい!」」
まったく同じセリフが、二人の口から同時に出た。僕らは顔を見合せた。
「ゴメンね鼎。僕、酷いこと言っちゃった」
「俺こそゴメン。せっかくおしゃれして来てくれたのに、気づいてやれんかった」
「許してくれる?」
「こっちこそ。悪いのは俺だから」
しばらく沈黙が続いた。そして僕らは同時に噴き出し、ひとしきり笑い合ってから揃って教室に向かったのだった。
「あー、謝れて良かった」
「俺もー。安心したら腹減ったなー。飯食おうぜー」
「あ、見てよ鼎。雨上がってる!」
「おー、俺の心も日本晴れだぜ」
お弁当を食べていたら凜が来た。放課後撮影をしたいから付き合えと言う。
「衣装とか何も無いよ」
「うん、全然無問題。制服撮影したいんだよねー。コスプレじゃないリアルのやつ」
鼎も一緒にと言う。なんだか分からないけどOKした。
放課後、なぜか凜はジャージに着替えていた。撮影に備えているらしい。
クラスメイトが全員帰るまで僕ら三人はおしゃべりで時間を潰した。もっとも喋っていたのは七割が凜、鼎が二割九分だけど。
日が傾きかけた頃、最後まで粘っていた一人(名前は覚えていない)が手を振って教室を出た。
「じゃあそろそろ始めようか」
凜が言った。
「手始めに、鏡ちゃんこれに着替えて」
そう言って凜が差し出したのは女子の制服だった。
「なにこれ」
「制服。私の」
しばしの沈黙。
「鏡ちゃんの写真撮るなら女の子の服が必要、しかし今入手可能な衣服はこれのみ。Q.E.D.」
凜の制服を着るって——しかもついさっきまで着ていたやつ——こないだの私服よりハードル高いんですけど。一縷の希望を託して鼎に目を向けたが無駄だった。
「いいじゃん、かがみん。やってみなよ」
どうやら僕に拒否権は無いようだ。着替える間、二人には廊下に出てもらった。
「可愛いよ、鏡ちゃん」
「めちゃくちゃ似合ってるぞ、かがみん」
「そんなに見ないで、恥ずかしい……」
ロングスカートは慣れたつもりだけど、ミニスカートは恥ずかし過ぎる。女子はよくこんな格好で外を歩けるものだ。
今回ばかりは鼎にも見られたくなかった。
「脚も私よりスベスベだねえ。羨ましい」
凜が僕の脚をなで回してくる。手つきが余りにもいやらしい。背筋が寒くなる。
「そういうのいいから! さっさと始めてよ!」
僕は『早く終わらせてくれ』という意味で言ったのだが、凜の解釈は違うようだった。同じポーズで様々な角度から撮り続けている。ほんと、早く終わらせて。誰か来たらどうすんのさ。
あと、なんで下から撮りたがるの? 見えちゃったらどうすんのさ。
鼎は銀色と白の丸い板(レフ板と言うらしい)を持って凜の指示通りに動いている。微妙な角度合わせが必要らしく、何度も凜に怒られていた。
本当に凜はカメラを持つと性格が変わる。
「ラスイチ行くから!」
凜は窓に向かって椅子を二脚並べ、僕には窓側に向かって、鼎には反対向きに座るように指示した。凜自身は三脚を準備している。
「はい、見つめ合って~」
言われるままに鼎の方を見上げる。鼎と目が合った瞬間、蛇に睨まれた蛙のように、全身を抑え付けられるような奇妙な感覚が僕の脊髄の中を走り抜け、心拍数が跳ね上がった。
リズミカルに響くシャッター音の中で僕は身動きさえ出来なくなり、自然に目を閉じた。鼎の呼吸を皮膚で感じた。
◇◇稲葉鼎の場合
全てのわだかまりが消え失せ、上機嫌の昼飯となりました。
見てください、青空までもが俺たちを祝福しています。
あ、でも一つだけ心残りが……。土下座して罵られたかったんだろうって? そんなわけないじゃないじゃないですかー、やだー(笑)誤解しないでください。いやマジで。
謝罪の時「あの服が可愛かった」と言う予定だったのにタイミングを逃して言いそびれてしまったことですよ。
まあいいや。次だ次、切り替えて行こう。
弁当を食う時、卵焼きを交換しました。我が家の卵焼きはデザート並みに甘いんです。小田家はだし巻き卵で味と触感がもろに俺好みで、かがみんは甘いのが好きだと言うので取り換えたわけです。
幼馴染で同級生なんだし、特別なことじゃないっすよね?
で、その飯の時、凜が「放課後に撮影会をするから付き合え」と言ってきたわけですよ。
コスプレの準備とかしてあるのかなと思ったら、なんと凜は自分の制服を着せると言うのです。呆れましたね。単にかがみんに女装させたいだけじゃなく、自分の服を着せたいんじゃないか。そんなことをふと思いました。
かがみんがこっちを見ました。助けを求めているのは分かりますが……。
「いいじゃん、かがみん。やってみなよ」
悪魔の誘惑に、俺は膝を屈しました。
それはそれとして、女子の制服を着たかがみんは犯罪級の可愛さです。コスプレの時も私服の時も見せなかった太ももが露わになり、実に怪しからんフェロモンを発散させています。
ああっ、そんなにちょろちょろ動くなって! 動くたびに見えそうになって……。過呼吸に陥りそう……。
「鼎くん、これ持ってそっちに立って」
凜がレフ板を押し付けてきました。
「この位置でね、角度は……ちょい上。もうちょい。はい、ちょい左ー」
しゃがみ込んで角度を調整する俺の目に、かがみんの膝小僧(と、さらにその上)が飛び込んできます。クソッ、気になって仕方ない。
「はいオッケー、レフ板そのままー」
凜が寄って来て耳元でささやきました。
「ねえ鼎くん。鏡ちゃんのあんよ、チラチラ見てたでしょ」
「いや見てないです」
「嘘つけ絶対見てたゾ」
「なんで見る必要なんかあるんですか(正論)」
判ってて煽ってるな、こいつ。乗せられてなるものか。平常心、平常心……。呼吸を整え、無念無想でレフ板を支えました。
撮影が続きます。一度だけ見回りの先生が来ましたが、早く帰れよとだけ言ってそのまま立ち去りました。そこの椅子に引っ掛けてあるかがみんの制服を不自然に思わなかったのでしょうか。
「ラスイチ行くから!」
凜の指示で窓側に向かって椅子を二脚並べ、かがみんは窓側を、俺は逆向きに跨るように座りました。「そのまま見つめ合え」が凜からの指示です。
金色の夕日を浴びて、かがみんがこちらを見上げています。光に照らされた鏡の肌が水面のように揺らいで見えます。
いつもの「幼馴染のかがみん」なのに、今は違います。女装しているからじゃない。鼓動の音がやけに大きい。視線を外せない。理屈で男だとわかっているのに、心がそれを拒絶しているのです。
これ以上見つめたら、何かが壊れそうでした。でも、目を逸らすこともできず……。罪悪感と同時に、どうしようもない幸福感が込み上げて来ます。
もし今この瞬間、鏡がほんの少しでも近づいてきたら、俺はきっと……。
見上げてくるかがみんの瞳に、あの動物園で見た不機嫌の理由が焼き付いています。
「なんで気づいてくれないの?」
「ねえ、可愛いって言ってよ」
きっとかがみんが言いたかったであろう台詞。あれほど怒っていたかがみんの目が、今はまるで俺を求めているように揺れている。
視線が絡み合い、呼吸すら忘れる。次の瞬間、かがみんがそっと目を閉じました。
その瞼の裏に何を映しているのか。
もう、どうにでもなれ。感情は理屈より早く動くんだ。
俺は、かがみんの顔に吸い寄せられるように身体を傾けました。この距離を詰めたらもう引き返せない。もう一度、四年前の自分を裏切ることになるかも知れない。それでも、もうこの気持ちを止められる人間はいない。
シャッター音が響いています。俺の行為はカメラの中に残ります。凜の顔が一瞬だけ脳裏を過ぎり、ごめんと思うより早く、かがみんのまつ毛の影が頬に触れました。
ああ、もう戻れない。
そ れでも構わないと思ってしまいました。
◆◆高山凜の場合
ラストシーンは鼎くんを動員してのカップル撮りです。
私にしては珍しく三脚を使うことにしました。レフ板を支えながら撮るためです。
嗚呼、良いですねえ。黄金色の波のように教室を満たす夕日、そして逆光。その中で輝く鏡ちゃん。本物のカップルのようですよ。前回の魔理×霖も良かったですけど、こっちは更に「どこにでもいそう」的な現実感マシマシです。
「はい、見つめ合って~」
私の指示に従い、二人が動きます。その時の感情を、私はなんと表現したらよいのでしょう。
モニター画面に映るのは、今まさに私が求めていた「魔法の完成形」でした。金色の夕日が背後から二人を包み込み、レフ板が鏡ちゃんの横顔を仄かに照らす。鼎くんの真剣な表情と(シルエットは男の子でありながら)女子の制服を着た鏡ちゃんが醸し出す、このどこにもいそうでありながら、どこにもいない「恋の奇跡」
最高! 最高に尊い(てえてえ)!
レリーズボタンに指を置き、シャッターを切り続けます。この一枚こそ、私の写真部人生、否、私の「魔法」の集大成になるはずでした。
しかし、二人が見つめ合う時間が長くなるにつれ、二人の間の空気が変わっていくのを私は感じました。
鼎くんの目からいつもの幼馴染としての優しさが消え、代わりに激しく荒々しい炎のようなものが燃え上がっているのが見えたのです。それは被写体としての鏡ちゃんに向けられた演技ではなく、自分の獲物を狩ろうとする生々しい「捕食者の視線」でした。
そして鏡ちゃんがそっと目を閉じた時、私の腹の底から冷たい何かが湧き上がりました。
違う! これは絶対に違う!
鏡ちゃんが目を閉じるのは、私の「魔法」で、最高の演技を見せてくれる時のはずでした。それは私の指示であり、私の演出でなければなりません。なのに今、鏡ちゃんは鼎くんの呼吸に合わせて自らの意思で目を閉じているのです。
これは断じて私の魔法ではありません!
私が鏡ちゃんを輝かせたことで、鼎くんの恋心に火をつけてしまったんだ。私の写真の才能が、私の魔法が、私自身の恋を殺そうとしている!
鼎くんが顔を傾け、鏡ちゃんのまつ毛の影が頬に触れたその瞬間——私は無意識のうちに横の机を掌で思い切り叩いてしまいました。
二人がビクリとしてこちらを向きました。
◇◇小田鏡の場合
「バン!」と言う大きな音で僕は我に返った。
鼎の温かい呼吸が嘘のように遠ざかり、代わりに凛の怒気が夕日に染まった教室の空気を一瞬で凍らせる。 凜が凄い眼で僕を睨んでいる。まるで泥棒でも見るような。そうだよね……。
僕は今、凜の制服を着ている。この服は凜の私物だ。その制服を着て、男の身で凜の彼氏とキスしようだなんて。
凛が築き上げてきた全てを、僕は台無しにしようとしたんだ。
男の身で、女の服を着て、他人の恋人を奪おうとしたんだ。
僕は……また取り返しのつかない悪いことをしてしまった。
◆◆◆稲葉鼎の場合
「バン!」と言う大きな音で俺は我に返りました。
凜の瞳が攻撃色に染まっています。
俺はこれを恐れるべきでしょうか?
いいえ、俺は凜に挑戦状を叩き付けたのです。喧嘩上等、絶対に退くわけには参りません。
撮影中止と凜が言うので、かがみんを残して廊下に出ました。
「鼎くん。本気?」
凜が問い質してきます。凜には俺の行為が裏切りと映っているのでしょう(実際そうですから)
「言い訳はしねえ。かがみんは譲れねえ」
俺の宣戦布告に、凜は笑い出しました。
「じゃあ私たち、今からライバルね?」
「ああ。俺もお前の魔法に掛かっちまったんだ。悪く思うなよ?」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃないの。次は夏祭りで、正々堂々勝負しましょ? 鏡ちゃんがどっちを選んでも恨みっこ無しよ?」
「ああ。望むところだぜ」
◇◇◇小田鏡の場合
二人が教室を出て行った。大急ぎで着替えなければならない。凜の命令だったとは言え、これを着ている時間が長引けばそれだけ凜の不愉快さが増すだろう。
着替えが終わり、廊下に出たが鼎しかいなかった。凜、怒って帰っちゃったのかな。
「凜は部室に機材置きに行ってる。俺らは教室の後片付けしようぜ」
僕は少しだけ安堵して作業に掛かった。
凜が戻って来て、三人一緒に下校することになった。その前に鼎がトイレに行ったので、僕と凜は二人きりになった。
「さっきは……ごめん」
凜がじっと僕を見つめて来る。怖くなった僕は震えながら言葉を続けた。
「……その……あんなことしちゃって。もう二度としないから、許して……」
ああ、カッコ悪いなあ。女の子の前で泣くなんて。
凜は僕に額を付けて囁くように言った。
「鏡ちゃんは何も悪くないんだから。謝らなくていいんだよ」
一度は止んだ雨が、また降り始めたようだった。
◆◆◆高山凜の場合
私の手は震えていました。机を叩いた痛みにではありません。自分の醜い感情への嫌悪からです。
「ごめんね、二人とも。光線の具合が良くないから今日はもうおしまい。鏡ちゃん、先に着替えてくれる?」
声も震えていました。鏡ちゃんを怯えさせていなければ良いのですが。
私は鼎くんを連れて廊下に出ました。
「鼎くん。本気?」
中に聞こえないよう、小声で問いかけます。鼎くんは微かに頷きました。
「言い訳はしねえ。かがみんは譲れねえ」
そう……そうですか……。ふっ、面白い。私は込み上げてくる笑いを止められませんでした。
「そう……鼎くんまで鏡ちゃんを。じゃあ私たち、今からライバルってことね?」
「俺もお前の魔法に掛かっちまったんだ。恨まないでくれよ?」
ふふふ。嬉しいこと言ってくれるじゃないの。次は夏祭りで勝負です。
七月七日。T市夏の最大のイベント、港まつり。
この夜、私たちの関係は大きく動くことでしょう。
機材を片付け、教室に戻って来ると鏡ちゃんが一人で待っていました。鼎くんはトイレだそうです。
私の作品でありながら、今私の手を離れようとしている鏡ちゃん。
手放したくない。絶対に鼎くんには渡さない。こんなにも愛おしい、私の鏡ちゃん。
「さっきは……ごめん……その……あんなことしちゃって。もう二度としないから、許して……」
何故でしょう。鏡ちゃんが泣いて謝って来ます。どうして泣くのでしょう。
私は鏡ちゃんを慰めようと額を着け、そっと言いました。
「鏡ちゃんは何も悪くないんだから。謝らなくていいんだよ」
そう言いながら、私の言葉は棘のように私自身の胸に刺さりました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この中編では、三人の関係が「友達」から「恋」に変わる、その境界線を描きました。
笑い合う日常の裏にある、焦り、嫉妬、そして“好き”という感情の重み。
彼らの魔法はもう、演技でも偶然でもなく、現実になろうとしています。
次回・後編――舞台は港まつりの夜。
光と影の中で、三人の物語がついに動き出します。
どうか、最後まで見届けてください。




