番外編:明日に掛ける橋-Bridge Over Troubled Water-
本編の少し前――あの夏の日の、もうひとつの物語。
舞台はインターハイ予選。視点は鏡の兄・小田圭。
かつてのコートに別れを告げる者と、そこに立とうとする者たち。
それぞれの「明日」へ向かう青春を、静かに見つめる番外編です。
友情、家族、そして“魔法”の源にある優しさ。
少し懐かしく、少し眩しい――そんな「架け橋」の物語をどうぞ。
(魔法のドレスでキミと・番外編)
1.小田圭の物語
◆We remember that summer adventure.
六月中旬の土曜の朝。窓からの陽光を受け、バレーコートの床が金色に光っていた。市営体育館か。何もかもがみな懐かしい。
ワックスと汗とエアーサロンパスの匂い。ボールの弾む音。選手たちの声。
今日はインターハイ予選。かつて俺自身が立ったコートだ。
俺がいたのは、弱小でも強豪でもないチーム。ついにセンターコートを踏むこともなく終わった高校時代。何度も見た光景なのに、今日は少しだけ違って見えた。
今の俺はH教育大学バレー部の正セッターで、県立南高等学校男子バレーボール部のコーチを兼ねる。そしてこの大会を最後に、俺は南高のコーチを辞める。
秋からは、VリーグDIV.3のチームに入団することが決まっている。大学の後輩・高橋にコーチの座を譲ることも、もう決めてある。
ここに立つのは今回が最後だ。部員達にはまだ話していないんだが。
ああ、もう本当に終わるんだな。試合前のアップを眺めながら、そんな思いが胸をかすめた。
コーチ退任の件は四月の内定時に顧問の鈴木先生には伝えてある。後任として高橋も紹介してある。
家族にももちろん言ってある。俺をずっと応援してくれていた父さん、母さん、妹の灯。三人とも泣いて喜んでくれた。今は実家を出ている姉と兄も祝福のメールをくれた。
しかし部員たちに話すタイミングを逃し、今日までずるずると来てしまった。鈴木先生には、部員には俺自身で伝えるから内緒にしておいてくれと言ってある。あいつらを動揺させたくない。やはり大会後まで黙っておくべきか……。
いかん、雑念を捨てろ。目の前の一戦に集中だ。
一回戦の相手は県立岳美高校。部員数は十二名とこちらより一人多いだけ、アップの様子を見た限りでは個人技ではこちらよりやや下か。だが油断してよい相手などいない。
今回、俺は以前から考えていた戦術を採用した。四月に新入部員が五人も入り、うち三人は中学からの経験者だった。これで各学年三名ずつの九名を六月現在の戦力として数えることが出来た。
それを踏まえ、俺は各学年一名ずつをひとグループとして、三つの小隊を編成した。リベロは置かず、二つの小隊を一チームとしてローテーションさせる戦術だ。練習では三対三を徹底してやらせた。俺の大学チームの二軍相手の練習試合は良い経験だった。
第一セット。鼎はウチでは一番の長身で、個人技ではずば抜けている(練習不熱心なくせに……まあ結果は出すやつだからいいんだけど)が、その鼎のいる第三小隊を敢えて控えに置く。このセットはあくまでも様子見、相手チームの戦い方の分析に当て、鼎はピンチサーバーとして投入するつもりだった。
笛が鳴り、岳美のサーブで試合が始まる。さあ、勝負だ。
長ったらしくしたくないので、一回戦と二回戦は簡単に振り返る。
第一セットは落としてもいいくらいのつもりだったが、あいつらは二十五対十八で獲ってしまった。ピンチサーバーを使うまでもなかった。主将の友塚曰く「稲葉なしでは勝てないと言わせたくなかった」そうだ。新戦術の意外な効用だった。
タイムアウトの時、コートチェンジの時、鼎はしきりに観客席を振り返っていた。これは注意を与えねばならない。
「おいカナ(鼎の略称)どこ見てんだよ。試合に集中しろ」
「いや、今日はかがみんが来てくれてるはずなんで」
「えっ? 鏡が? マジかよ何処にいるんだよオイ!」
「コーチ、試合に集中してください」
鈴木先生の冷たい声。クソッ、鼎のせいで俺まで怒られた。
第二セットは第二小隊・第三小隊の組み合わせ。鼎のジャンプサーブで始まり、結果は二十五対十二でストレート勝ち。
去年の春高予選に続いての初戦突破おめでとう。俺の戦術、とりあえずは間違っていないと言えそうだ。
クールダウンとミーティングのため体育館を出た。弁当を配布し、集合時間と場所を再確認し、いったん解散。二回戦は午後一時半から。それまでは英気を養ってもらおう。
コーヒーの自販機を探しながらコンコースを歩いていると、あいつらが集まってワイワイやっているのに出くわした。これこれ、そんなところに固まっていたら他のお客様の迷惑でしょうが。
近づいてみるとあいつら、二人の女の子とおしゃべりしている。
ちぇっ、セイシュンしやがって。一人は鼎のガールフレンド・凜ちゃんだった。練習試合には必ずカメラを持って馳せ参じる。我が家にも時々顔を見せる、鏡とも顔見知りの子だ。
もう一人は——誰だ? なんだか見覚えある顔なんだが?
それにあの服装——緩めのニットと水色のロングスカート——は俺が先週灯に買わされたやつにそっくりなんだが?
嫌な予感に震えながら更に近づくと、その子は俺に向かって笑顔で手を振った。OMG、やっぱり鏡じゃないですかー、やだー!
いや、鏡が最近女装を始めたのは知っている。家の中では時々見かけていたし(座敷童かと思った)母さんが「私の若い頃にそっくり」と言って嬉々として画像を送りつけて来るから。
確かに似合っているとは思うよ。ええ、思いますよ。思いますとも。
でもそれで公共の場に出て来るか? 今はそういうことを咎めだてする時代じゃないのは分かるけど。
あの、部屋に閉じこもっていた頃の鏡を知っているだけに、こうして笑っている姿を見ると胸がちょっと締めつけられる。
まあ、あいつの顔が明るくなって、こうして表に出て来られるようになったのだからヨシとするか。
とりあえず、他人の振りだな。
「お前ら、通路を塞ぐんじゃないよー」
「あ、コーチ! 弟さん可愛いっすねえ!」
HAHAHA! wwwバレテーラwww
二回戦の相手は一回戦を勝ち上がったこれまた強豪、県立雷桜高校。十年くらい前には全国も経験していたはずだ。伝統的にコンビネーションプレーが得意なチームだ。
こいつらへの指示は「ボールのないところから攻撃は来ない」
相手スパイカーの動きに惑わされないことが肝要だ。
公式ウオームアップが始まる。
去年のコーチ就任以来、このチームには弱者なりの戦い方をじっくり教えている。高さが足りないのは動かせない事実だし、パワーも不足している。正面から殴り合って勝てるチームを作るには時間が足りなかった。あとは戦術で補うしかない。
こちらのサーブで第一セットが始まったが、あっさり落とした。それでも十六点は取れたし、後半の追い上げは凄まじかった。最後の方はこちらの時間差やシンクロ攻撃も決まるようになって来た。
鼎のピンチサーバー投入も向こうへのプレッシャーになってくれただろう。良い感じだ。
第一小隊を下げ、鼎のいる第三小隊を投入しての第二セット。最初から凄い競り合いになった。こちらも慣れて来たらしく、向こうのブロックの癖を読んで隙間を抜いたりブロックアウトを取ったり、相手にブレイクを許さず点を取り合ううちにじわじわとこちらのリードが広がっていき、二十五対十九でセットを取り返した。
やはり鼎は司令塔としても優秀だ。特にブロックが良い。あいつなしにはここまで戦えなかっただろう。もっとバレーに熱中してくれれば良いのに。
第二小隊を下げ、第一、第三小隊での第三セット。やや疲れが見え始めた雷桜に対し、こちらはまだまだ元気いっぱいだ。相手より一回戦からの時間が空いていることもあるが、俺の戦術の肝はここにある。
フルセットなのに全員二セット分しか戦っていないのだ。フィジカルでは敵わない分を、疲労を軽減させることで補おうと言うのだ。またコート外にいる三人は戦況を客観的に把握することが出来る。その情報をフィードバックさせるのだ。
そして三セット目はこちらの最強メンバーでもある。序盤からあいつらはフルスロットルだった。
特に鼎は向こうの攻撃のパターンを読んだのだろう、五連続でブロックポイントを決めた。これで雷桜は心が折れたように見えた。
マッチポイントからの鼎のサービスエースで試合が決まった。記録に残る限り、南高男バレ史上初の三回戦進出。明日は信成学園と対決だ。
解散後は鈴木先生、高橋と三人で軽く飲んでから家に帰った。
「兄ちゃんお帰り~」
「お帰りなさい」
二人の「妹」が出迎えてくれた。おかしいな。俺には妹は一人しかいないはずだが?
「なあ鏡、明日も来るよな?」
「うん。鼎からも来いって言われてるし」
「そうか。で、その……その格好でか?」
「うん。……あれ? もしかして、似合ってなかった? 灯姉から借りたんだけど」
「あたしのコーデが似合ってないわけないじゃん、兄貴失礼過ぎ」
「いや似合ってないとは言っとらん」
似合ってますよ、はい。めちゃくちゃ似合ってます。だから怖いんだよ。まったく、可愛すぎるだろ……。
翌日、超強豪・信成学園高等部との決戦の朝。
相手は全国大会常連校で、四年前、つまり俺が高校三年の時には春高で日本一になっている。俺も三回戦(あれ? 二回戦だったかな?)で直接対決して大惨敗した相手だ。確か両セットとも一桁得点だったはずだ。
あいつらには聞かせられんが正直に言おう。勝ち目はない。恐らく俺のコーチ歴も今日で終わりだ。だが、男には負けると判っていても戦わねばならない時がある。
信成学園選手団が会場に着いた。
デカい。とにかくデカい。ウチの最高身長は鼎の百八十二㌢だが、その鼎より低い選手がいない。リベロを除いて一人もいない。ウチのやつら、ビビってなきゃいいが。
鼎がぼそっとつぶやく。
「壁じゃん……」
「越えられない壁はないさ」
俺はベタな返しをした。そう言うしかなかった。
ミーティングを始めたはいいが、全員むっつりと押し黙っている。あの鼎でさえ無表情だ。頼む、お前だけでも笑ってくれ。
「お前らよー。去年も戦った相手じゃねえか。結構いい線行ってたろ!」
「「「……」」」
アカン、反応ないやんけ。
去年は公式戦初勝利で盛り上がっていたからなあ。次の相手がどこだとか、どうでも良かったんだろうな。
しかし今回はそれなりの強豪を破っての二日目だ。一時の興奮が冷めてしまったのだろう。
いかんなあ。どうしたものか。
「一つ聞いて欲しいんだけどさ」
思考より先に言葉が口をついて出た。
「俺、今年の秋からVリーグ入りするんだよね、正式に」「……それでさ、お前らにコーチしてやれんのも今回限りなんだよ」
まずい。まずいまずいまずい。何を言ってるんだ俺は。あいつら泣きそうじゃないか。だが一度零れ始めた言葉は止まってはくれなかった。
「でも俺は一日でも長くお前らとやっていたい。欲を言えば全国まで!」「だから頼む、今日一日、何とか生き残ってくれ!」
ミーティングルームがしんと静まり返った。やらかしたああああああああ!!!!!
「コーチ、辞めちゃうんですか?」
友塚が立ち上がって言った。釣られて他のメンバーも。
「あ……ああ、そうなんだ。いや、お前らを見捨てるわけじゃない。代わりに後輩を呼んであるし、だから……」
「鈴木先生は知ってたんですか?」
二年の植山が言った。
「ああ。四月に小田君から聞いてはいた。だがコーチは君たちを動揺させたくないから内緒にしてくれとな」
再び部屋が静かになる。
「騙すつもりは無かったんだ。でも言い出せなくて」
俺はもう狼狽え切っていた。これでは戦わずして負けかも知れない。
「いやプロ入りなんて目出度い話でしょうが!」
鼎の大声が響く。
「信成だろうがどこだろうが、勝ってやりますよ!」
「そうだな。勝って小田コーチの花道を飾る。それが私たちに出来る恩返しであり、お祝いだろう」
鼎と鈴木先生の言葉。ありがたい。皆の目に光が戻った。
公式ウオームアップからあいつらの気合の入り方は尋常じゃなかった。
ああ、どうかあまり無理をしないで欲しい。気持ちで負けるわけには行かないが、気持ちだけでどうにかなる相手じゃない。と言って下手に水を差すわけにもいかない。冷静に熱狂して欲しいんだが。
あいつらへの指示は「同じ土俵で戦うな」
散々おちょくってイラつかせてやれ。大丈夫だ、ミスったって死なねえ。
高さ、パワー、スピード、個人技、チームとしての練度。残念ながら全てにおいて向こうが上だ。ならばこちらに出来ることはただ一つ。レシーブだ。
ゲーム形式の練習以外、個人技では特にレシーブに力を入れてきたつもりだ。バレーボールとは(テニスとか卓球とかもだけど)強い攻撃をした方が勝つのではない。ボールを落とした方が負ける競技だからだ。
とにかく粘ってくれ。ボールが繋がっている限りはチャンスがある、勝てないまでも弱小の粘りを見せてくれ。
◇There is no victory for us here, But we can still fight!
第一セット、始まりは主将・友塚のサーブ。こいつもジャンプサーブをやるようにはなっているが、威力はまだまだだ。あっさり拾われ、カウンターを決められた。
向こうからはエースのサーブ。百九十五㌢の長身が繰り出すジャンプサーブは大砲のような勢いで、辛うじて触れたレシーブを吹き飛ばした。
こんな感じで四連続得点を決められ、会場は早くも信成の空気一色になった。向こうのサーブミスでようやくこっちにも一点。
緩いサーブからセオリー通りに真ん中の速攻。だがあいつら、それを読んでいやがった。三枚ブロックでガッチリ止めた!
いいぞ、いいぞ。自分たちの弱点を利用して相手を誘導してやれ。
こちらのサーブはサイドラインぎりぎり。一瞬ジャッジを迷ったせいかレシーブが中途半端だ。余裕のないトスから強引に打ったスパイクを友塚がきれいに拾う。そしてシンクロ攻撃。練習不足で未熟だがそれでも使っていくしかないお前らの武器。
後先考えるな、行ける時はガンガン行け。
よく粘ってはいるが、じわじわと点差が開く。八対十二、ここでピンチサーバー投入。だが鼎じゃない。
バレー歴二か月半の一年生・樋口。めちゃくちゃ緊張している。昨日のコンコースでの一件を思い出し、声を掛けた。
「このサーブ決めたら、俺の弟紹介してやる」
途端に樋口の目の色が変わった。すまん、鏡。悪い兄さんを許しておくれ。
この二か月、樋口にはとあるサーブを徹底的に練習させた。さて、勝負だ。信成学園のつわもの共よ、驚くがよい。
ホイッスルが響く。
見よ、樋口の天井サーブ。学校の体育館よりはるかに高い天井がこいつの強い味方だ。
リベロが両手を上げる。が、受け損ねた。サービスエース! 恐らく天井の照明に眩惑されたのだろう。
観客席がわっと盛り上がった。たぶん嘲笑を含んでるやつだな。うちのやつらも笑っている。
二回目、今度はリベロとライトの中間辺り。なんとお見合い。「あの、ご趣味は」「はあ、バレーボールを少し」こんな会話があったかも知れない。
信成の監督がキレ散らかしている。いいぞいいぞ。そうやってせいぜい頭に血ィ昇らせてくれ。まったく、勝ちを義務付けられたやつらは一面哀れでもあるな。
三回目のサーブは微妙に飛び過ぎた。判断に迷うやつだ。
「アーウト!」
向こうの誰かが叫んだが、ボールはエンドライン上に落ちた。三連続サービスエースだ。
「なんでやねん(笑)」
ウオームアップゾーンで鼎が大笑いしている。
四回目、今度は短いうえに横に流れている。明らかにアウトだ。が、向こうのバックライトはそれに手を出した。さてはさっきのミスがトラウマになってるな?
レシーブが乱れ、レフトからのオープン攻撃。こちらのブロックは三枚。高さは足りないがタイミングはばっちり。見事なシャットアウトだった。同点だ。
5回目のサーブはきれいに拾われ、レフトからの大砲に止めを刺された。しかし初心者サーブに掻き乱される強豪というのは実に見ものだった。
この援護射撃の所為か、みなの動きも柔らかくなった気がする。試合は一進一退を続け、十八対二十でこちらにサーブ権が来た。鼎の出番だ。八番の一年生・小松と交代。
ホイッスルが鳴る。が、やつは動かない。向こうのレシーブ陣がじりじりと下がる。八秒ギリギリでサーブトス、助走してジャンプ、鼎必殺のスパイクサーbあ、なんだ軟打?
掌底で軽く打ち出されたボールは緩やかな弧を描き——信成の応援団が一瞬静まり返る——虚を突かれた後衛と前衛の中間にポトリと落ちた。
観客席がまた盛り上がったが、鼎はコートの中で背中をバシバシ叩かれている。ありゃあ祝福というより制裁だな。
次のサーブはジャンプフローターだった。あいつ、いつの間にそんな技を?
結局鼎の三連続サービスエースで逆転、サーブミスで二十一対二十一となった。鼎はそのままコートに残す。このセットは最後までこれで行く。
このセット、こちらの布陣ではどうしてもブロックが弱い。平均身長で十㌢以上も差があり、相手が万全の態勢で攻撃に入ったら止めようがない。ブロックの上を通ってスパイクが来るからコースを絞ってレシーブ……という訳にもいかない。
それなのに終盤で同点。飛び道具ありきだがここまで戦えている。僅かながら勝機が見えてきた。あの時の俺たちには、見えなかった光が。
ここで向こうがメンバーチェンジ、二枚替えだ。前衛が更に高くなった。一気に勝負を付けようという訳か。かなり焦っていると見える。
だからこちらも鼎を残したのだ。
また強いサーブが来る。が、鼎がそれをきれいに上げる。ナイスレシーブ!
だがここからの攻撃は向こうの高いブロックに阻まれた。再度逆転されたか。
次のサーブ、辛うじて上がったレシーブ。レフトへのトス。そしてスパイkフェイントォォォォォ!
また同点! 行けるぞ、行けるぞ!
二番の三年生、鴨川のサーブ。あいつ、天井サーブを(笑)だがアウト。樋口の真似をしたか。練習でやってないことを本番でやろうとするからだ(笑)
だが俺たちはそれでもやらねばならんのだ。そこに少しでも可能性があるなら。
取って取られて、二十三対二十四。信成のセットポイント。また強烈なサーブが飛んでくる。レシーブが乱れ、返すだけで精一杯。だがそれでもいい。繋いでいればチャンスはある。
向こうのチャンスボール。速攻か? レフトか? 身構えるブロックとレシーバー。
セッターがボールを上げげげげ、ツーアタック……。最後は呆気なく獲られてしまった。こういうところ、流石は強豪という感じがする。
「よーし、いいぞお前ら、良くやった」
ベンチに戻ったあいつらに、なんと声を掛ければよいか。これで良いのだろうか。
「今のは相手が上手かった。でもな、こっちはあいつらに“本気を出させた”。それだけで十分価値がある。この調子で行こう」
皆の目を見る。下を向くものは一人もいない。よし、闘志いまだ衰えず。
「次は……取れるぞ」
そう言ったきり、俺はしばらく黙っていた。みんなの息がまだ荒い。けれど、その目はもう前を向いていた。
給水とタオルは二人の一年生に任せ、観客席を見上げた。うちの生徒もかなりの数が応援に来ているようだ。鏡はどこにいるのだろうか。鼎のやつもキョロキョロしている。
第二セットを前に、俺はチーム編成に悩んでいた。
ローテーションに従えば一小隊を下げて二小隊と三小隊だが、次のセットを落とすわけには行かない。一-三の最強メンバーで獲りに行くべきではないだろうか。
しかし第二小隊の三年生・鴨川は第二セットの指揮を執るつもりで一セット目を戦ったのだ。ここで下げるのは得策と言えるだろうか。
汗を拭っている鴨川と目が合った。これで迷いは消えた。予定通りに行くぞ。
第二セットが始まる。
信成のエースのサーブ。この大砲のようなサーブを一年生・重野が上げた。体ごとぶつかっていったと言う感じ。まぐれでも何でもいい。上がってくれれば。
セッターがライト方向を向いた。右から鼎が走り込んできたところへ信成のブロックが集まる。そこからバックトスでの速攻。エースのサーブ、一本で切った。
これも練習では見たことのないプレー。打つ気満々だった鼎がズッコケている。
鼎のサーブ。
「イ・ナ・バ! イ・ナ・バ!」
こちら側の観客席から稲葉コールが始まった。う~ん。サーブの時は静かにして欲しいんだがなあ。と思ったら鼎のやつ、客席を煽り始めやがった。大した心臓だよ、まったく。
そして思いっきりサーブミス。客席は爆笑の渦に包まれた。コート内ではまた制裁の背中叩きが始まっている。
ベンチの友塚が何とも言えない顔でこっちを見た。
「馬鹿めと言ってやれ。馬鹿めだ」
鈴木先生の冷たくもありがたいお言葉。
どちらもブレイク無しで点が積み上がっていく。が、常にこちらが半歩リード。なんてことだ。俺たちが、あの信成をリードしている。
中盤過ぎから、信成は強引なプレーが目立つようになって来た。
こんな弱小に粘られて冷静さを失っているのだろう。結果サーブミスやスパイクミスが相次ぎ、こちらの得点となる。そして監督やコーチが不機嫌になり、チームの空気が悪化していく。可哀そうになあ。
そしてセットポイント。あと一点。信じられない光景だ。十一人しかいない弱小チームが、カネに飽かせて全国から有力選手を引き抜いて来る私立の強豪校からセットを取り返そうとしている。一昨年の、鼎の中学最後の試合を彷彿とさせる。
ピンチサーバーとして再び樋口を投入。頼む。ここ、獲ってくれ。
しかしやつらに同じ手は通用しなかった。
デュース。
向こうの「大砲」が咆哮する。ノータッチを決められた。これが強豪の地力というものか。信成、マッチポイントだ。
前衛の鼎が下がってレシーブに加わった。再び大砲が咆える。今度は鼎がなんとか上げた。シンクロ攻撃の体勢から、セッター梶川は誰を使う? 右を向いた、やはり鼎か?
いや……ツーアタックだった。(しかもフェイントじゃなくて強打ァ!)
前のセットでやられた分をやり返しおった。再びデュース。そして鼎のサーブ。
再び観客席が盛り上がる。しかしイナバコールは起きない。流石にさっきので懲りたか。
統制の取れない喧騒。その中で俺は微かに、しかしはっきりと聞いた。
「かなえーっ!」
鏡の声だ。こちらのエンドライン側、2階ギャラリーの一番前で、手すりを握りしめて立っている。鏡のあんな必死な顔は初めて見た。
鼎の顔に、不敵な笑みが浮かんだ。
ホイッスル。サーブトス。助走、ジャンプ、そしてスパイクサーブ。恐らく、鼎史上最高の一発。信成コートレフト側、サイドラインぎりぎりに決まった。
このセット初のブレイク、そしてセットポイント。
コート内、沸き立つ五人を尻目に、鼎は一人落ち着いていた。大きく息を吐き、ギャラリーを振り返って親指を突き立てた。
あのさあ……。そういうことは次決めてからにしなさいよ。
場内はまた凄まじいイナバコールになった。だが本人の耳には何も届いていないようだ。ボールを胸の前に持ち、目を閉じて、静かにホイッスルを待っている。
主審の笛が鳴る。信成のエースにも劣らぬ大砲がリベロを吹き飛ばした。だがなんということ、跳ね返ったボールがネットに引っかかってこちら側に落ちた!
ああっ、という悲鳴ともため息ともつかない喚声が会場に満ちた。再びデュースに引き戻された。
ここで信成はまた二枚替えを行った。ピンチサーバー投入と前衛の強化。大砲と装甲を同時に強化なんて戦艦大和かよ。大手さんの選手層の厚さが羨ましい。
笛の音と同時にジャンプフローターが飛んでくる。鴨川が辛うじて上げるがレシーブが乱れて梶川の難しいトスから二年・植山の攻撃。だが高い壁に阻まれ、叩き落された。
信成学園、マッチポイント。俺は第二小隊の一年・重野を下げて主将・友塚を入れた。もっと早くこうしておけば良かったか。
信成十五番のサーブ。友塚のレシーブ。梶川のトス。バックライトからの鼎の攻撃。強打ではなく、高いブロックの上を越えて、対角深いところへ。
守備の隙を突く、賢明な一本。決まると思った。決まったと思った。しかし、相手はそれを拾った。
センターからの速攻に、あいつらは反応出来なかった。ロング・ホイッスルが体育館に響いた。
二十三対二十五、二十六対二十八。俺の夏が終わった。
項垂れて引き上げるメンバーの中、鼎だけは昂然と顔を上げていた。
ちらりと向こうを見る。信成学園の選手たち、勝ったのに少しも笑っていない。そりゃそうだ、たかが三回戦でここまで粘られたら、彼らにとっては負けも同然だろう。監督の不機嫌さ、選手のショボクレ度合い、こっちより上だ。
「惜しかったな。悔しいだろう。後悔もあるだろう。だがそれでも言わせてくれ。皆本当に良く戦った」
鈴木先生からの評価の言葉だった。俺も禿げるほど同感だ。
誰も泣いてはいなかった。このあと落ち着いたら感情が昂って泣くことになるのかも知れないが、少なくとも今、泣く必要は無いと皆理解している。
「いやホント惜しかったっすねー!」
鼎が馬鹿みたいに大声を出した。
「次はぜってー勝てるぜ!」
この鼎の言葉に、全員が笑いだした。
こういうチームを作れただけで十分だ。こんな花道、他にない。たった一年だったがありがとうな、お前たち。
お前たちは、俺の最高傑作だよ。
2.圭の知らない物語
「いやー、泣いた泣いた(笑)」
県立南高校の正面玄関。最後のミーティングを終え、帰途に就くバレー部員たち、その最後に出て来た鼎。鏡と凜が両隣に並んで歩く。
「みんな大号泣してたねえ」
「なんか圭兄の挨拶聞いてるうちに感情がこう、ぐわあーっと込み上げて来てさ(語彙力)」
「鼎の泣き顔見たの、いつ振りかな」
「俺は人前で泣いたことなんか無えよ(笑)」
「ウソウソ、中三の時泣いてたじゃん。写真撮ってあるからね?」
「消せ! 消してくれ!」
「凜ちゃん、後で僕に送って」
「おかのした」
「やwwwめwwwれwww」
「鼎のサーブ、凄かったねえ」
「そりゃそうだろ、俺だぜ?」
「そーやってすぐ調子に乗る(笑)」
「だけどさ、鼎くんは信成行った方が良かったんじゃないの? 絶対負けてないよね?」
「やだよ、あんな軍隊みたいなとこ。俺は楽しいが最優先だからな」
「サーブと言えば、天井サーブの……なんて言ったっけ、彼」
「樋口?」
「面白かったねえ。いきなり鏡ちゃんに交際申し込んで」
「やめて! その話はやめて!」
「んーで、かがみん。『好きな人がいるから無理』って言ってたよね? いったい誰のことかにゃ~?」
「咄嗟の言い訳だから! もう忘れて!」
三丁目角の駄菓子屋前で凜と道が別れる。
「じゃあ、また明日!」
凜は手を振って二人と別れた。明日もまた、三人で登校できる。これは奇跡か、夢なのか。
いや、これが私の魔法なんだ。鏡ちゃんと私たちを包む、魔法の力なんだ。
鼎くんのサムズアップ、しっかりとカメラに収めた。あとで鏡ちゃんに送らなきゃ。
来週にはコスイベがある。なんとか鏡ちゃんを誘わなきゃ。
手を振って凜を見送り、鏡と鼎はまた歩き出した。鏡の家まで五分の距離。二人は無言で歩く。
小田家の玄関前に着いた。門扉を開けながら、鏡が言った。
「鼎、カッコよかったよ。本当に」
「だろー? かがみんの応援のおかげだぜ」
「春高も応援に行くから」
「頼んだぜ。もーっとカッコいいとこ見せてやる。俺に惚れちゃうくらいのな!」
「期待してる」
「じゃあまた明日な!」
「あした……」
二人は拳を軽く突き合わせ、手を振って別れた。
もうとっくに惚れてるよ。その言葉を鏡は飲み込んだ。
また明日、か。こんなこと言う日がまた来るなんて、ひと月前は想像もしていなかったな。また明日——その言葉に、胸が熱くなる。
一人になって家路を急ぐ鼎。
一試合しかしていないのに疲れ方は昨日以上。だが意気は騰がっている。
来週は久しぶりに飛行機に乗れるだろう。
来月、七月七日は俺の十七歳の誕生日。正式に操縦訓練を受けられる。単独飛行許可を取ったら、かがみんを乗せて飛びたい。
かがみん、凜、飛行機、バレー。俺の人生、楽しいがいっぱいだ!
3.小田圭の物語(リプライズ)
学校でのミーティングを終え、俺は高橋を連れて再度市営体育館へ戻った。他の試合、特に信成学園の様子を見ておきたい。四年前に俺がボロ負けし、今年あいつらが善戦した相手の、次の戦いぶりを。
俺があいつらの指揮を執ることはもうない。だが高橋を通じて伝えられることはあるはずだ。
しかし俺たちが到着した時には信成学園と大河工業高校との試合は終わっていた。二十五対十三、二十五対十一。信成学園の圧勝だった。
「なあ高橋。これなら俺たちの方が(大河工業より)強くねえか?」
「ええ、間違いなく」
「じゃあ次は全国、頼むぜ」
「任せてください。先輩は日本代表ですよ?」
「分かってらあ(笑)来週の準決勝と決勝、また見に来ようぜ」
結局俺たちは、その日の試合を終わりまで見てしまった。最後のチームが引き上げ、係員が後片付けをしている。
ようやく傾きかけた夏至近くの夕日が、コートを金色に照らしている。
あの日の俺たちが立っていた場所にも、俺たちの未来にも、同じ光が差していたのだろうか。
(了)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この番外編は、鏡たちを陰で支えてきた兄・圭の視点から、
「過去と未来をつなぐ夏」を描いたものです。
バレーボールというチーム競技を通して、
それぞれが自分なりの“明日”を見つけていく。
その姿こそ、シリーズ全体を貫く“魔法”の形なのかもしれません。
次回、本編では再び三人の夏が動き出します。
彼らが見上げる空に、どんな光が差すのか――ぜひ見届けてください。




