序章~第1章:再会
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一人の鬱屈した少年が輝きを取り戻すまでの過程を見守ってやってください。
序章:Introduction
◆小田鏡の場合Inferiority complex is a kind friend.
僕の名は小田鏡。平凡と言うには色々と足りない、高校二年生の男子。鏡と書いて「きょう」と読む。初見で必ず「かがみ」と読まれその度に訂正してきたが、高校に入ってからは面倒になり、放置している。そのため僕の本名を知る者はクラスにも何人もいない。通称の「かがみん」は昔流行ったアニメのキャラクターらしいが僕のキャラには合ってない。ネットで調べたかがみんはレギュラーキャラで、モブに過ぎない僕の百倍は魅力的だったから。
公務員の父と専業主婦の母の間に第五子の三男として生まれた。年の離れた兄姉たちから常に子ども扱いされ、馬鹿にされつつも甘やかされて育ち、自分には特別な才能があるはずだと思っていた。
それが幻想だと気付いたのは割と早いうちだったと思う。
自分には何もないと知った日から将来が見えなくなり、僕はどんどん鬱屈して人との関わりを避けるようになった。
特に中学生になり、昔の仲間たちが学業や部活、趣味の世界その他で輝けば輝くほど、彼らは別世界の人間なのだと思い知らされた。
友人と呼べる相手はいた。小学生の頃は、同級生の稲葉鼎♂、高山凜♀と常に一緒にいた。
鼎は小学二年の秋に出会った転校生だが、家が近くでしかもまたいとこであることが判明し、大の仲良しになった。弟が出来たみたいで嬉しかった(同学年だけど)
凜は四年生の時にクラス替えで同級生になり、図書係の係活動を通して親しくなった。
二人とも優等生だったので、僕の劣等感はこの頃から刻まれ始めたのかも知れない。
小学校の頃はそれでも対等でいられた。家が近所で、一緒に登下校するだけでも仲間だった。
繰り返しになるけれど、中学生になってからはもう今まで通りの幼馴染ではいられなくなった。まず男女の間に見えない壁が出来て、次いで優等生と劣等生の間にも壁が生じた。
鼎は成績が良いだけでなく、僕の下の兄の影響で始めたバレーボールでも頭角を現した。バレーを始めたからという訳でもないだろうが身長もぐんぐん伸びて、中学三年になる頃には二十㌢近くの大差を付けられていた。もう弟扱いは出来なかった。
三年の時には県大会で準優勝するまでになった。もちろんスタメンだ。
実はその最後の試合は僕も見ていた。凜に誘われてとかじゃなく、決勝進出なんてうちの学校では前代未聞の快挙だったから、急遽全校応援が決まっただけのことだ。僕の席は前から三番目。とは言え応援団の中の数百分の一。決して気付かれることは無いと思っていた。
第二セットの最後。相手チームのエースの凄まじいスパイクを鼎が横っ飛びでレシーブ。即座に立ち上がってそのままトスをバックアタックして二十五点目を決めた。
ベンチで汗を拭う鼎の背中を見つめていたら、あいつが急に振り向いて僕と目が合ってしまった。僕は、つい親指を立ててしまった。そしたらあいつがにっこり笑って親指を立てて。ちょっとだけ昔の気持ちが戻った気がした。
第三セットはものすごい競り合いで、きっと勝てると思っていた。がんばれ、がんばれ、と大声ではなかったけれど、僕もいつの間にか声援を送っていた。この試合が終わったら「おめでとう」を言いに行けると思っていた。必ず言いに行こうと思っていた。
けど……最後のスパイクを鼎がミスして……。あの時客席から起きた、ああっと言う悲鳴のような、ため息のような喚声は今も耳に残っている。
その場にへたり込む鼎を見ていられず、僕はトイレに行く振りをして体育館を出た。僕なんかが応援したって意味は無いんだと思った。
凜は写真部に入り、コンテストで何度か入選していたはずだ。その中に試合中の鼎を写したものがあった。僕も見に行った、あの決勝戦のレシーブのシーンだった。その写真は二人の絆を象徴するかのようで、僕には関係ないと思おうとしたけど出来なかった。それを見た時に、僕らの道ははっきりと別れてしまって二度と交わることはないのだと悟った。
僕の兄と姉は、全員父に似て背が高い。一方で僕一人だけが母親似。身長のことは常々親類一同から指摘され続けてコンプレックスの発生源になっていたけれど、鼎の成長でそれが一層酷くなった。
おまけに僕は女顔。嫌になるほど母さんそっくりで、叔父さん叔母さんたちからは小理玖ちゃんなんて言われている。あ、理玖は母さんの名前だ。
鼎とは会いたくなかったけれど、家は近いし、親戚なので集まりがあれば会わないわけには行かなかった。鼎の堂々とした体躯、誇るべき実績、男らしい押し出しは同年代の従兄弟グループの中で群を抜いていた。そして僕は必ずその引き立て役だった。「鼎はあんなに凄いのにどうしてお前は」が定番だった。「鏡はいっそ女の子に生まれていれば良かったかもなあ」とも言われたし。
二年の年末だったかな。家に来た鼎に、母さんが言ったんだ。
「クリスマスに可愛い彼女連れてたよね、鼎くんも隅に置けないなあ」
鼎が大笑いした。
「叔母さん、アレ凜ですよお(笑)何度も会ったことあるじゃないですか~(笑)」
「あらあら、そうだったの~? すっかり雰囲気変わって分からなかったわ~(笑)」
僕を置き去りにして進んでいく世界に、僕はさらに絶望感を深めたのだった。
高校は自分の成績でも確実に合格できるレベルの県立南高校を選んだ。あいつらは有名な私立の進学校・信成学園高校を目指すはずだ。これで二人とは縁が切れると思っていた。でも世の中そんなに甘くなかった。何故か入学式の日に、二人と出会ってしまったのだ。
◇高山凜の場合The World.
私は高山凜。高校二年生です。平凡なサラリーマン夫婦の間に生まれ、生意気な妹との生存競争を日々繰り広げております。妹は毎日のように「お姉ちゃん地味すぎ。もっと外見に気を遣え」なんて言ってきますが、やかましい! カメラマンは作品が輝いとればええんじゃ!
ゴホン、失礼しました。
鏡ちゃん、鼎くんとは小学四年生の頃に出会いました。二人のことはそれ以前から存在だけは認識していました。色々と悪目立ちする子たちだったので。だいたい何をするのも一緒で、派手な悪戯をして二人揃って怒られていたりとか。
それはともかく、私はすぐに(かっこいいと言うよりかわいい)鏡ちゃんを好きになり、告白までは出来ないものの、なんとか親しくなりたくて図書係に立候補しましたし、二人が遊びに行くときは必ず付いて行きました。女子グループからハブられないように二人と接触を保つのは困難を極めましたが、それでも小学生の間はなんとかやり遂げました。
しかし、中学では不可能でした。クラスのカーストがはっきりしてしまい、あまり露骨なことは出来なくなりました。特に鏡ちゃんは以前の快活さが無くなり、なんというか、近づき難いオーラを放つようになりました。
鏡ちゃんとは一年二年の時、鼎くんとは二年三年の時に同じクラスになりました。それはどうでもいいのですが、二年のクラス替えで三人一緒になった時、鏡ちゃんとの間に鼎くんがいてくれた方が何かと接触を取りやすいことに気付きました。
二人で何かしよう、どこかへ行こうと言うより、三人でと言った方が誘いやすいじゃないですか。特に、バレー部の試合を見に行こうという口実を頻繁に用いました。鼎くんにはダシにしてしまって申し訳ないという気持ちはいっぱいあり、心苦しくはあったのですが。
中学で私は写真部に入りました。特に理由はありません。勧誘を受けて、ほんの少しだけ興味が湧いたからです。でも始めて見るとその面白さ、奥深さにぐいぐい引き込まれて行きました。時の流れの何分の一秒かを切り取り固定する作業は、自分が魔法使いにでもなったかのような錯覚をもたらしました。
私にとって、写真は時を止める魔法でした。
写真部の見せ場は主に文化祭での展示でしたが、私はそれだけでなく、様々なコンテストに個人で応募しました。その甲斐あってか、某大手写真用品店主催のフォトコンテストで二年生の時に佳作、三年の時には準特選に入賞することが出来ました。
準特選入賞作品は鼎くんのバレーの試合、県大会決勝戦第三セットでのスーパーレシーブの瞬間を撮ったものです。アレは自分でも奇跡的な作品だと思っています。そして私は気づきました。写真を使えば人が輝く瞬間を永遠に留めておけるんです。
その試合では、私は写真部代表として特別に選手と同じフロアに立つことが出来ました。全校応援ですから鏡ちゃんも応援席にいるはずです。望遠レンズで鏡ちゃんを撮ってやろうかと考えましたが、客席にレンズを向けないよう事前に注意されていたのを思い出してしまいました。残念です。
私は鏡ちゃんの席の反対側を撮影場所と決め、選手の背景に鏡ちゃんが写るようにできないかと考えました。結論から言えば無理でしたが……。
惜しい試合でした。もし勝っていたら……と、今でも思います。祝勝会に、無理にでも鏡ちゃんを連れ出せたかもしれません。その場合、また鼎くんを利用することになってしまうのですが……。
高校受験は、先生からは県下一の進学校(私立高)を薦められました。絶対に合格圏内だからと。しかし私は鏡ちゃんと同じ学校を選びました。我が家の財政で私立は無理ですと言ったら先生も納得してくれたようで、進路の件はそれきり沙汰止みになりました。
鏡ちゃんと別々の道に進むのはなんとしても嫌でした。鏡ちゃんが大好きだったし、何より本当に撮りたいのは鏡ちゃんだったからです。鏡ちゃんが輝く瞬間を、私が写したかったんです。
ただ、写真を撮らせてもらう口実がありませんでした。小学生の頃のような距離感を保っていれば「ちょっと撮らせて」と気軽に言えたのかも知れませんが……。未練がましいですよね。本当に情けない。それでも近くに居ればチャンスはあると思っていたのです。
◆稲葉鼎の場合God save my friend.
さてどん尻に控えしは……じゃなかった、あ、どーも。稲葉鼎、高校二年生っす。親の都合でこの街に引っ越してきたのが小二の秋。マジで勘弁してほしいっすよね。せめて新学年に合わせてくれればそれなりに馴染めたはずなのに。
俺の思い込みかも知れませんが、二学期の途中で突然やって来た転校生なんて宇宙人か外国人扱いですよ。あの完全アウェーな空気感、今思い出してもぞっとします。
その空気をぶち破ってくれたのがかがみんでした。先生が俺を紹介した後いきなり立ち上がって「オレおだきょう!」って自己紹介して、教室が爆笑の渦に包まれて。あれが無かったら本当に不登校になっていたかも知れません。
ええ、直ぐに仲良しになりましたよ。家がすぐ近所だったので登下校は一緒でしたし、授業参観の時に互いの母親がいとこ同士だと判ってまた距離が近づきました。隙あらばお互いの家に泊まりに行ったりしてね。
俺は一人っ子で、大家族のかがみんが羨ましかったです。下のお姉ちゃんの灯さんが初恋の人だったのは内緒ですよ(笑)
そうそう、かがみんの奴は末っ子でしょ? そのせいか俺を常に弟扱いするんですよ。あの頃はかがみんの方が少しだけ背が高かったし、誕生日も俺の方が三月くらい後だったのでね。それでも、引っ越して来たばかりで行動半径が小さい俺をあちこち引っ張ってくれるかがみんは、間違いなく俺の兄貴でしたね。
それが……中学ではすっかり変わってしまって。入学してしばらくの間は、クラスは別でしたが登校はだいたい一緒でした。が、明らかに口数が減っていって、そのうち登校も別々になって。その時はお互い大人になったからだろうって軽く考えていました。俺自身がバレーに夢中になっていたせいもあるんですが、親友の変化に無頓着だったあの頃の自分を殴ってやりたい気持ちでいっぱいです。
お盆の親類の集まりで久しぶりに会ったかがみんはまるっきりの別人でした。こうなる前にしてやれることがあったはずだって、ショックのあまり何も言えずに立ち尽くしたことを覚えています。
二年生の時にまた同じクラスになりましたが会話はほとんどありませんでした。凜からはまた三人で遊びに行きたいと言われましたが、誘える雰囲気ではなかったです。友達なんだからなんとかしてよと責められたときは辛かったなあ。
ついでだから凜とのことにも触れておきますか。あいつと知り合ったのは小四の時です。向こうは俺たちを知っていたらしく、凜から声を掛けてきましたね。
不思議なやつだと思いました。初めはかがみんに気があるのかと思いましたが、そうかと思えば俺にすり寄るような態度を取ったり。俺自身はそういう機微に疎いので、あまり気にしていませんでしたね、小学生の頃は。
中学に上がって少し意識が変わってきました。二人とはクラスが別になりまして、それでも練習を見学したり練習試合の応援に来てくれる凜は、絶対俺に気があるんだと思うようになったんです。
で、俺もだんだん向こうを意識するようになって、二年でまた同じクラスになった時、思ったんです。もしかしたら、俺も凜を好きなのかも知れないって。そう意識して以来、どんどん凜を好きになって行きましたね。
練習試合や公式戦に誘ったりしてね。ちゃんと来てくれましたよ、凜は。だから俺たちは両想いだって思ってたし、他の部員からもそう思われてたはずです。
まあ結果としてそれは俺の思い過ごしで、単に写真撮ってただけですね、あれは。
そうそう、一度だけかがみんも応援に来てくれたことあるんですよ。三年の中体連、県大会決勝戦。まあ全校応援だったから当然っちゃあ当然ですけど(笑)はっきり覚えています。
対戦相手は強豪・信成学園中等部。第一セットを落として第二セットを取り返した、最後のスパイクを決めた後です。ベンチからふと客席を見たらあいつと目が合って。物静かな、でも明らかに好意を含んで静かに微笑む眼差しは本当にいまだに印象に残っています。しかもサムズアップまでくれたんです! こんなん忘れられるわけないでしょうが!
それだけに、勝てなかったのは悔しかったですね。
いや、勝てない試合じゃなかったんですよ。デュースデュースで三十点台まで行きましたからね。最後の最後で俺がスパイクミスって。
当時俺はミドルブロッカーだったんですが、完ぺきなトスからの攻撃で俺のジャンプ力がほんの少しだけ足りなくて。指先がボールを掠めて、逆回転が掛かったボールがネットに乗っかって、そのままこっちに落ちてゲームセットでした。
他の皆は泣いてたけど、俺には何の感情も湧かなかったですね。その場にへたり込んで、ただ、ああ、終わったんだなって。立ち上がる気力も無くて、両側から抱え上げられたのを覚えてます。
応援席に向かった整列では顔を上げられませんでした。そこから見ているであろう鏡と目を合わせるのが怖くて。頭を下げた時、初めて涙が溢れました。
歴史に鱈とレバーは無いって言うけど、敢えて言わせてください。もしあの時勝っていれば、優勝していれば、俺は自信と誇りを持って鏡の前に立てていたはずなんです。
「お前のおかげで勝てたよ」って。「ありがとう」って、思い切りハグしていたはずなんです。そうしたらあいつだって応えてくれて、二人の距離を取り戻せたはずなんです。勝ってそうしようって思ってたんです。
でも。負けちゃって。
あ、すみません、鼻水が……。え? 泣いてないですよ。鼻水です、鼻水。
三年になってクラス替えがあって、鏡だけがまた別のクラスになりました。この機会に凜との距離を縮めてやろうと思わないではなかったんですが、出来ませんでした。凜の好きな人が鏡だって判ってしまったので。
はっきり言われたわけじゃないですけど、もう、見ればわかるよって言うレベルで解りやすかったですね、凜の態度は。なんとか鏡に連絡取ってくれって必死でしたから。「鏡ちゃんが誘っても来てくれない」ってメールが来たりして。
二人の仲を取り持つのが嫌ではなかったと言えば嘘になります。でもそれだけじゃなくて、その頃には鏡は俺にとってはもう親友とかじゃなくて、ただの縁遠い親戚の一人になってしまっていたんです。偶然すれ違っても目も合わせないくらいに。
でも、これってやっぱり駄目でしょう? 俺たち、間違いなく親友だったんですよ。だから俺は、高校でやり直す決意をしたんです。同じ学校に行って、また親友になろうって。
進路については、先生からも親からも信成学園を猛烈にプッシュされました。そこは偏差値が高いだけじゃなく、バレーの強豪校としても知られていたので。推薦も来てたっぽいですね、知らんけど。
ただ俺は、バレーは中学で辞めるつもりでした。あの時俺は、バレーボーラーとしての自分を見限ったんです。もう続ける意味はないと思ったのと、もっと面白いことを見つけていたので。
何かって? 飛行機ですよ、飛行機。伯父貴が旅客機の機長をやってるんですが、休日にはウルトラ・ライト・プレーンって言うめちゃくちゃ小さな飛行機を飛ばしているんです。ウチから車で一時間くらいの湖に水上飛行機のクラブがあって、自分専用の機体まで持っているんです。
俺はあの試合以降、すっかり無気力になっていました。これでかがみんと同じだなー、なんて思ったりして(笑)で、そんな俺を見兼ねてか、秋の連休の時にフライング・クラブに連れて行ってくれて、飛行機にも一緒に乗せてくれたんですよ。
「空と海とが心を洗う」って、ありゃあ本当っすね。モヤモヤが晴れて、心の穴ボコが埋まっていく感じ、かがみんにも教えてやりたいなあ。
正確には十七歳未満は駄目っぽいんですが、まあ堅いことは言いっこなしってことで。所詮は創作の世界の話っすから(笑)
で、俺も病みつきになったってわけです。
そうなると、信成学園は都合が悪いんですよね。あそこは全寮制だし、場所が遠すぎます。
飛行機に乗ること、凜に近づくこと、そしてかがみんとの関係を修復すること。以上三点から、俺は南高を希望しました。言うまでもなく、最優先事項はかがみんですよ!
ええ、親からも先生からも猛反対されましたよ。もったいないって。信成受験が親からの至上命令でした。でもね、皆さんご存じですか? 受験って、受かるのは難しくても、落ちるのはめっちゃ簡単なんですよ。受けろとは言われたけど受かれとは言われてないし(笑)という訳で、俺はめでたく滑り止めに受けた県立南高校に入学することになりました。
どっとはらい。
第一章:再会We meet again at last
◇小田鏡の場合A dead end is my life.
退屈な入学式だった。他人のことは推測するしかないが、普通は高校の入学式というものは希望に燃えているものではないだろうか。自分で選んだ進学先なのだから。
しかし僕にとっては進学なんて惰性に過ぎず、どうやってその日その日を暮らして行くか以外に関心は無かったのだ。
式が終わり、各自のクラスで自己紹介とオリエンテーションが終わると本日は解散。クラスメイトたちは出身中学を基準にグループを作り、早くも打ち解けている様子であるが、僕には関係ないのでさっさと教室を出た。リア充ども爆発しろと心の中で呪詛を吐きながら。
玄関を出てもうすぐ校門というところで背後から肩を叩かれた。クラスの誰かだろうか。追いかけて来られたのなら迷惑だなと思いつつ振り返ったが、僕は息が止まるほど驚いた。そこにいたのは凜だった。
「へっへー。久しぶり! あ! 眼鏡掛けたんだね。似合ってるよ!」
狼狽えて声も出せない僕に、凜は明るく声を掛けて来たのだった。余談だが、受験勉強を始めた辺りから僕は急速に視力が落ちて、当時は〇・七程度だった。
「な……なんでいるの?」
「ん? 入学したから」
そんなことは言われなくても判っている。なんでわざわざ南高に入ったのかと僕は問うているのだ。だが凜は真面目に答える気は無いようだった。それどころか、スマホを眺めながら衝撃的な発言をした。
「鼎も直ぐ来るって!」
OMG! なんてことだ、あいつもいるのかよ。もううんざりだった。もともと夢も希望もない高校生活ではあったけれど、これでは悪夢か罰ゲームではないか。神さまは僕に怨みでもあるのだろうか。
五分と経たずに鼎が現れた。最後に会ったのはいつだったろう。卒業式では遭遇を回避したから、年始以来な気もする。なんだかまた背が高くなっているようだ。
「やあ、おひさっ。一緒に帰ろうぜ~」
そしてチャラい。相変わらずチャラい。髪も茶色くなっているし、ピアスまでしている。やっぱ苦手だよ、こいつら。二人に気付かれないように、僕は深くため息を吐いたのだった。家までの道のり、僕は生返事以外は一言も喋らなかった。
それからというもの、僕にとって心休まらない日々が続いた。二人に遭遇することを徹底的に避けた。
朝は毎日家を出る時間をずらす。待ち伏せ回避のため登校経路も毎日変えた。学校では休み時間も極力廊下に出ることは控え、文庫本を読むかスマホをいじくるか、或いは陰キャ仲間(驚いた? 僕にも友達はいるんだよ)とカードゲームをするなどして過ごした。
仲間①:佐藤直人は昔の小説が大好き。サトーの本棚には古書店を巡って収集したと言う古本が大量にある。何でも小遣いとお年玉は全てこれに注ぎ込んでいるそうだ。薦められて呼んでみたけれど、確かに面白い。言い回しが難しくて理解できない部分も多いが、全体的に格調高い気がする。(この「格調高い」も小説を読んで覚えた言葉だ)サトー曰く「新装版が出ているものも多いけど、昔の翻訳の方が趣があってよろしい」そうだ。
仲間②:山田正美は絵に描いたような(失礼!)アニオタ。原作コミックも大量に所有していて、日々原作との違いがどうの、声優さんの演技がどうのと偉そうに論評している。あと意外なと言うかイメージ通りというか、イラストが上手い。ある日自分で描いたと言う某美少女キャラの絵を僕らに見せ「お前こいつにそっくりだよなー」と笑った。サトーも「わっ、そっくり。惚れそう」といって大笑いしやがった。ぶっ飛ばすぞ、お前ら(笑)
この時僕は、美少女キャラと比べられたことを否定しつつ、そういうことは僕みたいな陰キャじゃなく、凜みたいなやつに言ってやれよと思ったのだった。
毎日ではないけれど、この三人でつるむことが多くなった。陰キャ同士の交流は気楽で良かった。彼らは鼎や凜みたいなカースト上位者と違って、底辺同士比べられるプレッシャーがないから本当に気が楽だった。
お互いの部屋を訪ねても黙ってお薦めの本を読むだけ。会話は情報伝達のための必要最小限。母さんからは何が楽しいのと訊かれたが、同じ嗜好を持つ人間が同じ時間と空間を共有しているのだ、楽しくないはずがなかろう。マイクロフト・ホームズが所属するディオゲネス・クラブのようなものだ。(これを教えてくれたのもサトーの蔵書だった)
凜は相変わらずカメラに夢中で、どこのコンテストに応募しただの、入選しただの落選しただのとしばしばメールを寄越した。夏頃からはコスプレの写真を送って来るようになった。ちょっと意外だったけど全部無視した。
鼎がバレー部に入らなかったのは意外だった。
五月のクラス対抗校内球技大会で、僕はバレーボールへの出場を選んだ。鼎はバレー部員だからバレーには出て来られないだろう、だから会わずに済むと言う計算が見事に外れ、試合で直接対決する羽目になってしまったのだった。
「なんでいるの?」
「俺バレーは好きだからねー」
ネット越しに、僕らは何カ月ぶりかで直接会話をした。去年の県大会決勝戦のことをなんとなく思い出した。何故あの時サムズアップなんてしちゃったんだろう。陽キャの真似をするなんて、まったく、黒歴史もいいとこだ。
「バレー部員がバレーに出るなんて反則なんじゃないですかー」
「バレー部員じゃないから平気へーき(笑)」
結果僕らのクラスは一回戦で大敗した。鼎の殺人ジャンプサーブで大量点を取られ(あいつがサーブミスするまでサービスエースで点を取られ続けた)こちらの攻撃は鼎にブロックされるかレシーブで拾われるかで通用せず、あいつのスパイクを止めることは僕らには不可能だった。
鼎一人に負けたようなものだった。結局あいつのクラスが優勝していたし。
自分の試合が終わって一休みして、サトーたちに誘われてサッカーの試合を見に行った。戦っていたのは一年二組と三年五組だった。一年二組は凜のクラスじゃなかったかと、ふと思った。その時、僕の耳に聞き覚えのある歓声が聞こえてきた。
十人くらいを挟んだ先に、凜と鼎がいた。こちらには気づいていないようだが飛び跳ねながら声援を送っている。一の二がゴールを決めた瞬間、凜が「やったー!」と鼎の腕をつかんで飛び跳ね、鼎も笑いながらハイタッチした。遠くから見ると、まさに恋人同士で……胸がまた痛んだ。二人の仲の良さは知っていたつもりだったけど、こうやって見せつけられると流石に傷つく思いがした。
定期試験では常に鼎と凜が学年のツートップだった。そりゃそうだ、二人は信成学園にも余裕で入れる頭脳の持ち主なのだ。こんな底辺校の試験など勉強せずとも余裕綽々だろう。
直ぐに、あの二人はお似合いだとの噂が流れた。サトーの部屋での陰キャ交流会の席で、ヤマのやつまでが鼎のことを話題にした。
「あの稲葉ってやつ、信成のバレー推薦蹴ったんだってな」「思い切ったことするよなー。二組の高山を追いかけて来たって話だけど」「そう言えばかがみん、出身中同じじゃなかった? 知り合い?」
この言葉が僕の心臓にぐさりと刺さった。
「名前くらいは知ってるよ」
そう誤魔化すのが精一杯だった。
まったく。あの二人を見ていると自分がいかに惨めな存在かを思い知らされる。なんでお前らここに来たんだよ。僕に見せつけるためか?
夏休みの初め、僕は鼎から「なんとかクラブ」へ行こうと誘われたが、理解できない単語だったのでスルーした。凜からもコスプレイベントへのお誘いがあったがこれも無視した。僕のことは早く忘れて欲しかった。
九月の文化祭も十月の陸上競技会も十一月の合唱コンテストも、リア充の祭典は全て必要最小限の労力で済ませた。クリスマスは陰キャ仲間でケーキを食べながらゲームしてたけど、こうしている間にも凜と鼎はイルミネーションを眺めながら性夜を過ごしているのだろうと妄想が止まらなかった。バレンタインデーは陰キャ仲間と製菓会社の陰謀を呪いながら過ごした。それはそれで結構楽しかったが、本当に僕にはモブキャラがお似合いだ。
お盆と年末年始、サトーもヤマもそれぞれ予定があるとのことだったので、僕は風邪をひいたことにして一人部屋に閉じこもっていた。とにかく、鼎と凜には会いたくなかった。
僕の高校生活は、灰色どころか真っ暗闇だった。青春? そんなもの、どこにあるんだ? 僕の人生は既に消化試合だよ。
◆高山凜の場合Leave the magic of love to me.
希望に燃える入学式当日。登校した私は鼎と一緒にまず鏡ちゃんの姿を探しました。メールも電話もすべてスルーされているので、直接コンタクトを取る以外なかったのです。しかし三十分ほど探しても見つけられなかったので、遅刻を避けるため捜索を断念し正面玄関前のクラス表で三人のクラスを確認しました。
鏡ちゃんが一組、私が二組、鼎くんは五組。残念なことに全員が別々でした。中学でもなかったことなので非常に落胆しました。せめてどちらかでも鏡ちゃんと同じクラスなら良かったのに。
式典が終わり、各自のクラスで自己紹介とオリエンテーションが終わると本日は解散です。クラスメイトたちは出身中学を基準にグループを作り早くも打ち解けている様子で、私も何人かから声を掛けられましたが急いで教室を出ました。一組の教室に直接凸あるのみです。しかし鏡ちゃんの姿は既にありませんでした。私は鼎くんに連絡を入れて大急ぎで玄関に向かいました。なんとしても鏡ちゃんを捕まえなければなりません。
私が玄関に着いた時には、鏡ちゃんは既に外を歩いているところでした。靴を履き替えるのももどかしく、私は後を追いました。
追い付いて肩を叩きましたが台詞までは考えていませんでした。何か月かぶりで再開した鏡ちゃんが眼鏡を掛けていたことも驚きでした。そんな変化も私は知らずにいたのだと思うと、寂しさで胸がいっぱいになりました。
「へっへー。久しぶり! 元気してたー?」
努めて平静を装い、ありきたりな挨拶をするのが精一杯でした。間を持たせることも出来ず、鼎くん早く来てと心の中で叫びます。
鼎くんが合流して、小学生の時以来の三人一緒の下校です。私は可能な限り共通の話題を探し、隙間を埋めるべく努力しました。でも鏡ちゃんはろくに返事もしてくれず、どうやって距離を縮めればいいのか、あの頃の関係にはもう戻れないのかと戸惑うばかりでした。
高校でも私は写真部に入りました。予算の都合か、ここの写真部は中学時代とは比較にならないほど機材が充実しており、部室はスタジオとしても使えるほど面積がありました。中学では部室は暗室でしかなかったので衝撃でした。また先輩たちの撮影技術もハイレベルで、自分が井の中の蛙だったことを思い知らされました。
GWのことですが、私は先輩たちからコスプレイベントに誘われました。コスプレを知らない訳ではありませんでしたが、実際に体験するのは初めてです。
様々なアニメキャラの姿をした人たちが思い思いにポーズを取り、撮影をしています。私も思い切って見覚えのあるキャラの人に声を掛け、撮らせてもらったのですが、二つの意味で驚きました。
一つは「撮るのが難しい」ということ。肉眼で見るレイヤーさんはあんなにも魅力的に輝いているのに、モニター画面で確認するとその魅力が全て死んでしまっているのです。先輩たち、とくに部長が撮るような「エモい」写真にならないのです。
例えば部長が撮った写真はレイヤーさんの表情が生き生きとしていて、衣装の質感まで完璧に捉えていて、レイヤーさんというよりキャラクターがそこにいると言う感じでしたけど、私の写真はなんか平坦で、魂が抜けた標本か剝製みたいで(今思ったんですが、昔の人が言っていた「写真を撮られると魂を抜かれる」ってこういうことなんですかね?)コスプレ写真というよりは「アニメの服を着た人がそこにいる」程度の物でした。部長からは「光と角度でキャラの魂を写し取れ」と言われて、悔しくて何十枚も撮り直しました。
でもやっぱりうまくいかなくて。ポージングの問題なのか、ライティングの問題なのか、その時の私にはまったく理解できませんでした。
もう一つは、美少女キャラを演じているのが男性だったと言うことです。声掛けした時のお返事が男性の低い声だったので判明しました。
本当に、驚きでした。衣装、ウイッグ、そしてメイク技術にポージング。これらを駆使して心の底から女の子になり切るのだとその方が仰いました。低い声の美少女キャラが「自分に魔法を掛けて変身するのってね、すごく楽しいんだよ」と笑うのを見て、その時に、私は思ったのです。鏡ちゃんにもこの魔法を掛けてみたい、と。
鏡ちゃんは体も小さく(身長は私の方が少しだけ上です)声変わりはまだ?と思うくらい声も高く、顔立ちもお母さんによく似てとっても可愛らしいですから。
イベントが終わっての帰り道、私は一人思いを巡らせました。もう一度鏡ちゃんを輝かせる魔法を、この手で掛けてみたい。レイヤーさんが『魔法をかける』って言ったとき、即座に鏡ちゃんの小学生の頃の笑顔が頭に浮かんだのです。あの笑顔をもう一度見たい。それが私の魔法の目標だ、と。
鏡ちゃんが反応をくれないのは分かり切っていましたが、私はメールを送り続けました。いきなり「女装コスプレモデルをやってくれ」ではブロックされ兼ねませんから、あくまでも「私の作品を見て」という体裁を取りました。たとえ鏡ちゃんが返事くれなくても、いつか私の写真で心を動かしたい。コスプレで輝く鏡ちゃんを想像すると胸が熱くなるんです。
それ以来、腕を磨くためコスプレイベントがあると聞けば可能な限り参加し、親しくなったレイヤーさんを個人的に撮らせてもらいました。少しずつですが、レイヤーさんの、そしてキャラクターが持つ「ハート」や「ソウル」を写せるようになっていく気がしました。
私の一年間は、すべて写真と鏡くんのために費やされたと言っても過言ではありませんでした。家族で海水浴に行った時も、鼎や他の子たちと花火大会を見に行った時も、遊園地に行った時も、冬に大通り公園のホワイトイルミネーションを歩いた時も、ここで鏡ちゃんを撮れたら……と、そればかりを考えていました。
学校行事で言えば球技大会の思い出を一つ。私自身はバスケットボールに出場しましたが、一回戦負けでした。それよりも男子バレーボールの一年一組対一年五組の試合です。鼎くんからはバレーに出ると聞いていたので応援に行ったのですが、一組に鏡ちゃんの姿を見つけて複雑な気分になりました。鼎の応援に行った先で相手チームの応援をするのは流石に躊躇われます。
試合開始早々、鼎くんのサービスエース(しかもノータッチ!)が連続七本も決まり、一組チームは早くも戦意喪失したように見えました。八本目のサーブを鼎くんがミスしてようやく一組にも点が入りましたが、一方的にボコボコにされる鏡ちゃんたちを見ているのはとても辛かったです。
鼎くんには時々空気を読み切れないところがあります。もう少し手加減してあげても良かったんじゃない?
その後は私のクラスのサッカーの試合を、バレーの二回戦、鼎の試合が始まるまで応援しようと思いました。鏡ちゃんも誘おうとしたけど逃げられましたが、鼎は「凜のクラスを応援する」と言って来てくれました。三年生との試合は残念ながら負けましたが、それでもこちらがゴールを決めた時は鼎とハイタッチしてそれなりにセイシュンしました。
九月の文化祭では写真部の展示に私の作品を出展しました。最初に会ったあの女装レイヤーさんを写したものです。うちの部室をスタジオ代わりに使ってじっくり丹念に仕上げた、渾身の一作です。これを鏡ちゃんに見てもらいたかったです。結局来てはくれませんでしたけど。
◇稲葉鼎の場合I want a magic spell that will solve everything.
目論見通りに迎えた、県立南高校の入学式。
親父からは猛烈に怒られましたわ。よくぞ期待を裏切ってくれました、とね。でも伯父貴が「結果が出ちまったものを今更ぐちぐちいうな、進学校に行くだけが人生じゃない」と擁護してくれたし、なんなら伯父貴のコネで航空会社に就職させてくれるそうで。親父は伯父貴に頭が上がらないから助かったなあ。
そんなことを思い出しながら、二・〇の自慢の視力でかがみんの姿を探しました。入学式のため体育館への移動中とその帰りにちらりと姿を見たんですが、距離があり過ぎて声は掛けられなかったですね(´・ω・`)
解散になって即かがみんの一組へ急ごうと思っていたのに、クラスメイトに取り囲まれて身動きが取れなくなってしまいました。無視したかったけど今後の人間関係に支障を来たすような真似をするわけにもいかず、たっぷり二十分はそこに拘束されてしまったんですよ。
俺は焦って、凜からのメールを見せて「連れを待たせてるからこれで!」と言って駆け出しました。「なんだよ、カノジョかよー」なんて声が背後で聞こえましたが。
ようやく校門の外で二人に追いつき、本当に何年ぶりかで三人並んで歩くことが出来た時は嬉しかったなあ。これでまたあの頃のキラキラした時間が戻って来るって、根拠も無く思って。
でもあいつは家に着くまで一言も喋りませんでした。三人いたのに俺と凜しか居ないみたいでした。
焦っちゃいけないと思いました。中学の三年間で離れた距離が一朝一夕に埋まるはずもなく、三年はあるのだからじっくりとやって行こうと改めて決心しました。
翌日から俺はバレー部の猛烈な勧誘を受けました。でも南高男子バレー部は弱小も弱小(女子は強豪)、ここ十年くらい公式戦では一勝どころか一セットすら獲得できていないポンコツチームなので。俺は興味を持てなかったですね。そもそもバレーから脚を洗おうと思っていたわけですしお寿司。
そんなことより飛行機だ、水上機だ、ULPだ!
GW辺りから俺は伯父貴にくっついて霧月湖のフライング・クラブに通い始め、時には泊まり込みもしました。
伯父貴は操縦指導員の資格も持っているので、その伯父に基礎から叩き込まれました。初めはまっすぐ滑走することすら出来なかったっすよ(´・ω・`)
伯父貴も忙しいから、クラブに行けるのは月に一回か二回。その伯父貴の車に乗せてもらうしかない俺にはこれが限界。一度だけ公共の交通機関に挑戦してみたけど、あまりに不便過ぎてそれきり断念です。十八歳になったら運転免許を取って、車も中古でいいから手に入れなきゃ。カネがかかるなあ(´・ω・`)
学校の授業の傍らで、俺は航空工学と流体力学も独学で学び始めました。自分で機体設計をするためです。ネット時代は情報を集め易くていいですね。
強度計算の仕方を学び、まだ実機を作れる段階にはないから十分の一サイズの模型飛行機を作り、計算通りに飛ぶか、そして「計算通りに壊れるか」の実験をするんです。その本によれば、機体とは「計算通りに壊れなければならない」そうで。難しいけどやりがいあるんですよねえ。やっぱり具体的な目標を持って学ぶって、能率上がりますよね。
試みに鏡をクラブに誘ってみたけど、反応はありませんでした。湖に連れて行って一晩語り明かせたら、昔みたいにバカ話できたらって思っていたけど、無視されたのは(予期していたとはいえ)ショックだったなあ。
なんだ俺、やっぱかがみんにぞっこんじゃん(笑)
鏡と一緒に登校しようと言う目論見も、ものの見事に失敗しましたわ。どうやってもあいつと接触できなかったんです。避けられているんだなと思うと流石に凹みました。凜も返事も貰えないって言ってたし。
五月の校内球技大会でバレーに出たら、一回戦であいつのクラスと当たって、そこでかがみんから話しかけてきて久しぶりに会話できました。会話の内容は覚えてないや、テンション上がり過ぎて(笑)
でも一つだけ覚えていることがあるんですよ。俺に話し掛けて来た時のかがみんの目は、まだ小学生の頃の光を失っていなかったんです。去年、サムズアップをくれた時の目です。気のせいだって良い、まだ望みはあると自分に言い聞かせました。まだ俺たちはやり直せる。そのために俺はここに来たんだから!
試合の後は凜から「少しは手加減してやれ」って言われたけど、バレーで手を抜くなんて自分にはできなかったっす(笑)
そうそう、六月になってから俺は結局バレー部に入部したんです。あくまでも一時的に、ですよ。彼らは弱小過ぎてせっかく入った一年生に逃げられ、人数不足でインターハイ予選に出られないと泣きつかれまして。
週末はフライング・クラブを優先することと、来年新入部員が来て頭数が揃ったら即退部することが条件でした。
試合はもちろん一回戦負けです。しかし第一セット先取という快挙を成し遂げたんですよ。凄いでしょ? 校内球技大会の優勝と言い、俺のちょっとした戦術アドバイスでこれだけの結果を出せたんだから、自慢していいっすよね(笑)
それでね、俺、ちょっとだけ欲が出たんですよ。どうせ春高にも出場するんだから、その時にはもっとチームを強くしておきたいって。顧問の鈴木先生は当てにならなかったですね。練習にもほとんど顔を出さないし、バレー自体未経験らしくて。
そこでかがみんの下のお兄さん、圭さんにコーチをお願いしたんです。圭さんは俺にバレーを教えてくれた人で、当時大学生ながらVリーグからも声を掛けられるほどの人でして。圭さんは喜んで引き受けてくれました。ただし交換条件として「お前も3年間バレーを続けろ」と言われちゃいましたが。
圭兄さんと繋がっていれば、そこから鏡にも繋がれるはず。そういう下心もありました。でも圭さんからは「最近は俺もあいつとはほとんど喋ってないんだ。家でも部屋に閉じこもったきりでね」と言われ、愕然としましたね。あいつ、このまま引き籠りになるんじゃないかって。
実際お盆も年末年始もあいつは姿を見せませんでした。風邪を引いたって聞きましたけど、それ絶対に嘘です。俺に会いたくないんだろうなって。そこまで俺は嫌われているのかって、涙が出ました。
凜はと言えば、七月最初の日曜日にコスプレイベントに誘われたんですよ。もちろん喜んで同行しましたよ。イベントそのものには興味なかったけど、凜がコスプレすると思い込んでいたのと、一緒にどこかへ行けるだけで満足でしたから。
予想と違って凜は撮影専門で、でもカメラを構える横顔は真剣そのもので。はい、ドキドキさせられました。
イベント終了後、ヌタバによったんですが、そこで凜の、いつかは鏡にコスプレさせたいという野望を知りました。被写体にしたいと言うのは以前にも聞いたことはあるんですが、今度は女装させたいと言い出しまして。
何を考えているのかと思ったら「きっとそれで鏡ちゃんはもう一度輝ける。私の手で鏡ちゃんに魔法を掛けてあげるんだ」って。
ええ、これも以前から知っていたことです。凜は、本当に鏡が大好きなんですよ。一途で、純粋で、俺如きが振り向いてもらえる可能性なんてこれっぽっちも無いくらいに。
俺が鏡との仲を取り戻したい気持ちと、どっちが強いかな。なんだか、凜と俺とで鏡を取り合う関係も悪くないなと、そんなことをふと思ったりして。
あ~あ。全てを解決する魔法。俺も欲しいなあ。
お読みくださり誠にありがとうございました。
次回、物語は大きく進展します。
お楽しみに。