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第2話

 玖珂(くが)弘彦(ひろひこ)

 現在中学二年生で、成績は普通。両目を癖っ毛な前髪ですっぽりと隠したメカクレ系男子で、休憩時間中は誰とも話さずにラノベを読む、典型的な陰キャである。ちょっとヤバめの妄想をする時があるが、思春期だからである。

 そんな彼にもつい最近、普通から逸脱した存在との関りを持った。


 その正体は、隣の席で頬杖をついて心底気怠そうな表情を浮かべている鍔木陽奈である。


「公家、とかなんとかだっけ?」

「一応、玖珂で生きさせてもらってます……。笏とかち歩いていません」

「玖珂。確かにあんたの料理は美味しかったけどさ、別にこれを機に仲良く~とか、慣れ合う気はないから」

「あっ、ハイ……」


 弘彦の淡い期待は見事に打ち砕かれ、現実という濁流が流れ込んできた。一夜経てば、二人の関係は元の木阿弥となってしまったようだ。

 ほろりと涙が零れ落ちるが、陽奈はそれすら気に留めずにもう窓の外(そっぽ)を向いている。


 授業の準備でもしようとバッグの中を漁っていると、何かが手に触れた。正体は、今朝作ったばかりのおにぎりが入ったケースだ。


(あ、そういえば作ったけど朝ご飯食べる時間なかったから持ってきたんだった。……次の放課にでも食べればいいか)


 黒板の上の時計の長針はてっぺんを指しており、もうすぐ授業が始まることを意味している。

 おにぎりではなく教科書を取り出して、一時間目の国語の用意をした。


 席替えしてあの鍔木陽奈が隣の席になったからといって、授業はいつも通り進んでいく。

 しかし授業が始まって数分立った頃、彼女と隣になったことによる恩恵、もしくは弊害が生じた。


「では第四段落まで隣の席の子と朗読してください」

(美少女と言葉を掛け合うとかいう、一見ご褒美に思える展開だ。けど、僕みたいなカースト最下層は己の一挙手一投足がどう見られているか気が気でないから純粋に喜べないんだ……ッ‼)


 教科書を両の手で持って、軋む音を立てながら隣を向く。

 陽奈は相変わらずしかめっ面で頬杖をついている。


「えっと、鍔木さん教科書は?」

「忘れた。適当に誤魔化せばなんとかなるでしょ」

「えぇ……」


 ただ、弘彦にはずっと違和感がこびりついていた。その違和感は、彼女の今の様子を見て確信した。

 険しい顔つきに、お腹を押さえているその姿からして、


「……もしかして、お腹空いてます?」

「うっ」


 図星だったのか、お腹を押さえている手が緩んで『ぐぎゅるる……』と腹の虫が正体を現す。

 本格的に鳴り始めると思って焦った彼女は、両手でお腹を押さえた。


「朝ごはん食べてないんですか?」

「食べたよ! けど運動してお腹空いちゃったの」

「はぇー(……あれ? 鍔木さんってこの学校では帰宅部だったと思うんだけれど……)」


 頭上に疑問符(クエスチョンマーク)が浮かび上がるが、対処しなければならない目の前の問題を思い出してそれを霧散させる。

 そして、疑問符(クエスチョンマーク)の代わりにピコーンと光る電球が出現した。


「えーっと、実は僕も朝ご飯食べられずに持ってきたおにぎりあるんですけど……。お裾分け、いりますか?」

「は? 昨日のことからあわよくば私の好感度上げようとしてたってこと? 流石に引くんですけど」

「あっ、そうですよね……。じゃあこの話は無し――」

「食べないとは、言ってないんだけど」

(うーん……デジャヴだ)


 涎を垂らしかけてまっすぐな瞳を向ける。その姿に既視感を感じつつ、バッグの中からおにぎりにの入ったケースを取り出す。

 だが今は授業中であり、教科書を忘れた陽奈に手渡したとてバレるのは必然。他の生徒からもチクられる危険もある。


「一旦、朗読してる風に作戦会議をしましょう」

「い、いや……そろそろ昨日並みのが鳴る気がする……‼」

「なんですって。あのバケモノの咆哮みたいなのが⁉」

「うん? 言いすぎじゃない???」


 制限時間(タイムリミット)は限られている。先生や他の生徒にバレずにこのおにぎりを食べさせる方法は何かないものか。

 弘彦は頭をフル回転させ、一つの案を思いつく。


「鍔木さん、この大きさのおにぎりを食べるのに最低何秒くらいかかりそうですか」

「え、うーん……。数十秒あれば充分」

「じゃ、じゃあこんな作戦はどうですか」


 作戦を彼女に伝えると、瞠目した後にジトッとした紅玉色の瞳で彼を睨む。


「お腹と背中がくっつきそうだし、背に腹は代えられない……っ‼」


 苦虫を嚙み潰したような表情だったが、覚悟を決めた様子で作戦を実行し始める。

 弘彦はおにぎりをケースから取り出し、陽奈はわざと彼の方に消しゴムを落とした。


「あ、アー。消しゴム落としちゃっター」

「あー……拾いましょうか?」

「いや、自分で取る、ヨ」

(この人、演技くっそ下手だな)


 どこか片言で、不自然な演技をしている彼女に冷や汗をかきつつ見守る。これこそ、二人の作戦である。

 消しゴムを落として拾うふりをし、弘彦からおにぎりを死角になる足元近くで受け取って食すというもの。もう少し良い案も出せそうであったろうが、いかんせん時間がない。


 陽奈が彼の足元近くまでやってきて、おにぎりに手をかける。だが、彼は思わず「ん?」と唸った。

 彼女がそのおにぎりを受け取ることなく、そのまま口を近づけているからだ。


(ま、待てよ? 僕が椅子に座り、黒塗り(のり)で巻かれたおにぎりを両足の間で固定している。それを彼女が咥えるなんて状況は……――)

「私にこんなことさせるなんて、最低っ! しねっ! ほんっとに、はむっ。あむっ、最低(さいへー)……‼」

「~~ッッ⁉」


 それに気が付いたらソレにしか見えず、顔にぶわっと熱が広がる。

 罵りながらも懸命にそれを咥える彼女に対し、気が付いてしまった弘彦は心の中で般若心経を唱え始めた。


「んぐっ。……ごちそーさま。シチュエーションは最悪だけど、美味しかったよ」

「は、はいぃぃ……お粗末様でしたぁ……」


 なんとか耐え、ものの数秒でおにぎりが消滅する。これで終わったかと思いきや、さらなる試練がやってきた。


「うぉおおお⁉ 弘彦の野郎、陽奈にフェラされてるぜーー‼」

「⁉」


 そう叫ぶのは、普段から下ネタを遠慮なく大声で話すエロガキクラスメイトこと須藤(すどう)である。

 弘彦の足で隠れていて死角にはなっていたが、それゆえにそこでナニが行われていたかわからなかったのだ。


(ど、どうする。昨日買ってバッグに入れっぱなしのミートハンマーでやるか⁉ そのままパン粉をまぶしてカラっと揚げるか⁉ ……いや、それは犯罪だ。いつもの発作が出てしまった)


 一瞬、漆黒の意思が飛び出してくるが、冷静になってそれを引っ込める。


(「消しゴム拾っていた」と言っただけだと須藤からの追撃があるかも……。鍔木さんに迷惑をかけるわけにはいかない。もっと強い衝撃で上書きする。僕自身はどうなったっていい‼)


 ガタッと机を揺らし、立ち上がる。

 そして、先刻の須藤の声よりも大きな声で叫んだ。


「ぼ、僕はっ! ()()()()()()()っ‼‼」

「――――。お、おう。なァ弘彦よ、お前のこと師匠って呼んでいいか」

「絶っっ対やだ」


 衝撃のカミングアウトでさっきの出来事を有耶無耶にすることに成功する。

 致命傷を負った弘彦は、席に座り直して両手で顔を覆った。須藤を弟子に取ることはなく、そろそろ頭から湯気が出始めそうであった。


 弘彦の自己犠牲によって事件は収束し、授業はそのまま進んでゆく。


「ねぇ玖珂。さっきはありがと」

「……いえ、どういたしまして……。クラスメイトの前で性癖開示とかどんな拷問だぁ……」


 朗読の時間は終わり、前を向いて教科書に目を向けていた。

 すると陽奈は机を動かし、ピタリとくっつけて囁き声で語りかける。


「ところでさ、さっきのフェ……なんとかって、何?」

「え⁉ てっきり知ってて『最低』とか言ってるかと……」

「いや、地面に這いつくばらされてごはん食べさせられるのはふつーに屈辱的でしょ。で、なんなの? 美味しいの?」

「それもそうだ……。えぇと、まだ知らなくていいかもです。大人がすることでぇ……飲んだ人は美味しいとか苦いとか、個人差があるっぽいです……」

「ふぅ~ん。ブラックコーヒーみたいな感じなんだ」


 なんとかこれで彼女に納得してもらえて、ほっと息を吐いてと胸をなでおろす。

 全て終わったと思い込んだ弘彦に対し、陽奈は彼の耳元まで顔を近づけた。そして、吐息混じりの声でこんなことを囁く。


「じゃあ大人になって、私たちが何らかの関係でまだ繋がってたらさ――ソレ、一番美味しいの飲ませてよ」

「――ッ⁉⁉」


 バターン! と音を立てて椅子ごと倒れ、床にダイブして地面に這いつくばる弘彦。

 本当の意味を知っていてのこの発言なんじゃないかと疑ってしまうほど、艶めかしい情欲的なものだった。


「せんせー、弘彦(ししょー)絶頂()きましたァーー‼」


 後の彼は、「ほぼイきかけました」と証言したとかなんとか……。

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