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第1話

「――……夕飯を作りすぎてしまった」


 夕暮れ時、朱色の陽光が窓から差し込む中、玖珂(くが)弘彦(ひろひこ)はポツリと呟いた。

 彼の眼前には、グツグツと煮込まれた肉じゃがの海。そこから、香り付きの白い湯気が鼻腔を擽る。しかしながら、腹の虫は沈黙を貫いている。


「あの人が帰ってくるのも遅いし、二人で食べきれるとも思えないなぁ。……仕方ない、アレをしよう。お隣さんへのお裾分け!」


 棚から中くらいのタッパーを一つ取り出し、肉じゃがの具をお玉で選定してぽいぽいと放り込み、汁も少々注ぐ。

 隣の部屋に住んでいる人は鍔木(つばき)と言う女性だ。見た目は小学生なのだが、れっきとした成人女性である。


「鍔木といえば――」


 その苗字から、ここに住んでいる人とは違う人物が彼の脳裏に浮かんできた。

 同じクラスの鍔木陽奈(ひな)という女子。小学生の時、大小問わずソフトテニスの大会を〝全優勝〟という形で荒らしまわった神童だ。同年代の夢を実力で悉く打ち砕くその姿は、邪神とも思える様だった。

 今では類稀なる美貌で周囲の目を奪い去る傾国の美女ならぬ、〝傾校の美女〟として君臨。モデル雑誌のオーディション掲載でも、彼女が一世を風靡するほどだ。


(美少女なんだけど、けっこう怖いんだよなー……)


 頭の上に綿菓子のようなものが浮かび、今日のことがフラッシュバックし始めた。 


『陽奈さん。もしよかったらこの後、このヴォクとお食事に行かないかい☆』

『うざ……。行かない。あんたと食べても別にごはんが美味しくならない。死ぬほど邪魔。どいて、塵』

『フッハ☆ ……スミマセンデシタ……』


 イケメン彼氏持ちな彼女に勇気を振り絞った生徒を一蹴し、塵呼ばわりする姿。〝美しい花には棘がある〟を体現している人だ。

 星空は綺麗だ。だが、遠くて手が届かない。それを自分の物にしたいと思う人も少ないだろう。玖珂弘彦という少年にとって、星空と陽奈は同じなのだ。


「でも、鍔木さんには()があるから、いつか話して返したいなぁ。僕にとってヒーローだし。それと――()()()()()()()()()()


 斜陽が差し込まないキッチンの片隅で、そんなことをポツリと呟く。


(あの滑らかな肌を剥いだらどんなにキレイな筋肉があるのだろう。整った骨格からとった出汁はどんな味なのだろう。あの宝石みたいな瞳は一体……。きっと、味覚を無くした人すら唸らせるほど絶品なんだろうなぁ。……はッ⁉ またいつもの変な妄想が始まってた~~‼)


 男子中学生らしい思春期特有の妄想を繰り広げる彼は、頭をぶんぶんと横に振って妄想を吹き飛ばした。

 ペチッと音を立てて自分の頬を叩き、冷静さを取り戻す。


「……本来の目的を果たそう」


 弘彦はエプロン姿のまま、その肉じゃが入りのタッパーを持って玄関に向かった。スリッパと靴を履き替え、そのまま隣室に向かう。


 ドアの横のインターホンをポチッと押し、傾校の美少女ではない方の鍔木さんを呼び出す。

 「はーい」と、中から若干苛立ち交じりの女性の声が聞こえた。その足音は徐々にドアに近づき、ガチャリと音を立ててその人物が姿を現す。

 そこには――


「え……鍔木()()、さん⁉」

「……は? いきなり誰、あんた」


 ピンクのメッシュが入る濃いブラウン色のミディアムショート、紅玉(ルビー)のように煌めく若干吊り上がった瞳、そして傾校の美女として相応しい容姿端麗の姿をしている。

 紛れもない、あの鍔木陽奈が目の前にいるのだ。


(いつか話したいと思ってたけど今ぁ⁉ ムリムリムリムリ! というかなんか怒ってらっしゃる⁉ さっき変な妄想したから罰が当たったんだぁ‼)

「今ちょっと忙しいんだけど、用がないんならもういい?」

「あっ、その、えーっとぉ……」


 「あぁん?」と言わんばかりにガンを飛ばして顔を傾け、前髪についている太陽の形をしたヘアピンが煌めく、

 いつもより眉の傾斜角度が強い陽奈に戦々恐々としつつ、脳内の棚を開け閉めして無礼に当たらないような言葉を探した。その圧倒的圧にガタガタと震えていると、『グルォオオオオオオオ‼』という唸り声まで轟き始める。


「ひぇえぇ⁉ ……ん? 今の、化け物の唸り声じゃ、ない……?」


 その正体は目の前を見れば、火を見るよりも明らかである。陽奈が顔を真っ赤にしながら、お腹を押さえていたからだ。


「~~ッ! 誰が化け物。こちとらお腹空いてイライラしてんの! さっさとどっか行ってくんない⁉」

「そうだったんですね……。あ――なら! あの、晩御飯作りすぎちゃったんで、お裾分けにこれ、食べますか……?」

「いきなり真っ赤っかの他人から渡された得体のしれないものを食えって言いたいわけ?」

「そ、そうですよね。赤越えて紅蓮の他人からは迷惑ですよね……。すみませんで――」


 弘彦はくるりと踵を返して部屋に戻ろうとしたのだが、何かが引っかかって動けない。

 振り返ってみてみると、服の裾を掴んで涎を垂らす彼女の姿があった。


「貰わないとは、言ってないんだけど」

「えぇ……。じゃあ、はい。どうぞ……?」

「変な味したらいちゃもんつけてやるから。じゃ」


 タッパーを受け取った彼女はそそくさと自分の部屋に戻って、扉をバタンと閉める。

 台風がやってくる季節はまだ先のはずなんだけれどなぁ。心の中でそう呟き、弘彦も自分の部屋へと戻った。


 テーブルの上に置いた肉じゃがを見つめながら腕を組み、眉間にしわを寄せる。


「でも、もし味付けとかが気に食わなかったら僕はこれから――」


《めちゃくちゃ不味かったんですけど! クラスのみんな、コイツだよ。この傾校の美女たる私に料金以下(?)のマズイ飯を食わせたのは‼》

《うわ、さいってー》

《万死! 億死! 兆死ィィィ!》

《楽に死ねると思うなよ……》

《ダーウィン賞はテメェんもんだぜ~~‼》


「あばばばばば! ぼ、僕の人生はここで終わるのか⁉ 最後の晩餐はじゃが肉に……? と、とりあえず辞世の句を詠もう‼」


 妄想の中の陽奈やクラスメイトに罵詈雑言を吐かれ、震えが止まる様子がなかった。

 そんな彼に追い打ちをかけるように、ピンポンピンポンピンポンと、陽奈の声と共にインターホンが押される。


『ねー! ちょっといいーー⁉』

「終わった……」


 恐る恐る玄関の扉に向かい、万が一のためにドアチェーンをかけて扉をゆっくり開ける。


「ねぇちょっと!」

「ひえっ! シャイニーがingしてる!」


 さながら斧で扉を破壊して覗いてくる某映画の殺人鬼のように、陽奈は隙間から顔を覗かせた。

 彼女は「なぜドアチェーンをかけているのだろう?」と言いたげに首をかしげるが、続けて言葉を連ねる。


「あんたのさっきの料理のことなんだけど」

「う、す、すみません! どうか命だけは……!」

「? 何言ってるかわけわかんないんだけど。正直言ってあんたの料理、レストランとかの料理の方が美味しいって感じた」

「っ……。そう、ですか」


 覚悟はしていたものの、いざ正面から言われると心にその言葉が突き刺さる。

 俯いて目も合わせられず、瞳が陰る。だが、彼女が放った言葉でそれは晴れ渡った。


「でも私、レストランとかのよりも――()()()()()()()()()‼」

「えっ」

「料理、これからも頑張ってね。作り過ぎたらまた貰ったげる。それだけ。お裾分けありがとっ‼」


 誰にでも冷たい陽奈が、学校では見せない花の咲いたよう笑みを浮かべる。そして、空っぽになったタッパーを隙間から手渡し、立ち去った。

 弘彦は一度扉を閉め、ドアチェーンを外して外に出る。当然そこにはもう彼女の姿はない。薄目で、ドアの隙間越しで十分だと感じていた彼の心情に、何らかの変化があった。

 ドクドクと体の中心で鳴りやまない鼓動が、心の中で揺れ動いていた本音がポトリと落ちる。


「……鍔木さん。やっぱりちょっと、いやだいぶ可愛い、のかも……?」


 今日は彼にとって、ほんのちょっぴり〝星空が近づいた日〟だった。

 ただ、これ以降はこんな奇跡みたいな体験はないのだろう。そう考えていたのだが、翌日に事件は起こる。


「よしっ、席替え終わったな。先生は席替えとか面倒だし、二年生が終わるまでこの席な!」


 先生にブーイングの嵐が飛び交う中、弘彦は自分の〝お隣さん〟に顔を向け、挨拶をする。


「え、えーっと……。その、よろしくお願いします――()()()()

「……ん、よろしく」


 中学二年生が終わるまでの隣の席は、あの鍔木陽奈であったのだ。

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