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影の薄い私が転生したら、光の王子の『陰』になりました 〜存在感ゼロスキルで諜報活動していたら、腹黒王子に心ごとロックオンされたようです〜

「それで、僕の新しい“陰”はどこにいるんだい?」


 きらびやかな装飾が施された王太子の執務室。そこに、鈴を転がすような、しかしどこか底の知れない響きを持った声が満ちる。

 声の主は、この国の第一王子にして王太子、アレクシオス・フォン・エルヴァーン殿下。

 陽光を溶かしたような金色の髪、見る者を吸い込むような空色の瞳、そして神が丹精込めて作り上げたかのような完璧な貌。国民からは敬愛を込めて『光の王子』と呼ばれている、文字通り眩いばかりの存在だ。


 その殿下が、僕、と一人称で呼ぶのは心を許した相手だけだと聞く。

 そして今、その視線は部屋の中をさまよっていた。私という、新しい『陰』を探して。


「……リナリア、拝謁しております」


 私は、殿下の机の真横、わずか三歩の距離から声をかけた。

 びくっ、と完璧な王子の肩がわずかに跳ねる。ゆっくりとこちらを向いた空色の瞳が、驚きに見開かれていた。


「君か……。驚いた。本当に気配がない。まるで幽霊だ」

「恐れ入ります。ですが、幽霊ではなく空気です。前世からそうでしたので」

「……前世?」


 おっと、口が滑った。

 私の名前はリナリア。王家直属の諜報部隊、その中でも王太子の専属として動く特殊部隊『かげ』の一員だ。

 そして何を隠そう、前世は日本の片隅で生きていた、しがない女子高生である。友達ゼロ、恋人いるはずもなく、クラスの集合写真では「あれ、こんな子いたっけ?」とカメラマンにすら言われる始末。そんな影の薄い人生は、横断歩道でぼんやりしていたらトラックに気づかれずに轢かれるという、あまりにも私らしい最期で幕を閉じた。


 次に目覚めたら、この剣と魔法の世界に転生していた。幸いなことに裕福な男爵家の次女として生まれ、何不自由ない暮らしだったが、私の『影の薄さ』は健在だった。いや、むしろスキルとして昇華されていた。

 その名も【絶対隠密アブソリュート・ステルス】。

 意識すれば完全に気配を消せるし、無意識でも常に人の注意から逸れる。この才能(?)に目をつけたのが王家の諜報部隊だった。貴族の令嬢という身分は潜入捜査にうってつけ。私は「家のための奉公」という名目で、気づけば国の闇を掃除するプロになっていた。


 そして今日、私はこれまでの功績を認められ、次期国王たるアレクシオス殿下直属の『陰』に任命されたのだ。


「面白いことを言うね、君は」


 アレクシオス殿下は、さっきまでの驚きを隠し、面白がるような笑みを浮かべた。完璧な笑顔。それでいて玩具を見つけた子供のような光。


「リナリア、だったね。君の能力は報告書で読んでいる。期待しているよ。僕の『目』となり『耳』となり、僕の光が届かぬ場所の闇を払ってほしい」

「御意のままに」


 深く頭を下げた私に、殿下は満足げに頷いた。

「では、早速仕事だ。今夜開かれる子爵家の夜会に潜入し、横領の噂がある当主と、隣国の武官との接触を探ってほしい。証拠があればなお良い」

「かしこまりました」


 こうして、光の王子の影としての私の、前途多難な日々が始まった。



 夜会への潜入は、私の得意とするところだった。

 招待客リストに自分の名前を紛れ込ませるなど造作もない。派手すぎず地味すぎないドレスをまとい、壁際でグラスを片手に佇んでいれば、もう誰の意識にも上らない。私は壁の染み、あるいはただの置物と化す。

 スキル【絶対隠密】を発動させれば、聴力や視力も強化される。ターゲットの子爵が、隣国の武官とテラスで密談を始めるのを、私は少し離れた柱の影から完璧に聞き取っていた。


「……例の鉱山の権利書だ。見返りは、約束通りお願いしたい」

「うむ、我が国が後ろ盾となろう。これで貴殿の立場も安泰ですな、子爵」


 聞くに堪えない売国奴の会話。小型の魔道具で会話を録音し、権利書が渡される瞬間を記憶水晶に焼き付ける。任務は完璧だ。

 翌日、執務室で報告書と証拠を提出すると、アレクシオス殿下は機嫌良さそうに目を通した。


「見事だ、リナリア。これで長年の懸案を片付けられる」

「お役に立てて光栄です」

「ご苦労だったね。ところで、夜会の食事は楽しめたかい?あそこのローストビーフは絶品だと聞くが」


 楽しむ余裕など、あるわけがない。内心で毒づきながらも、私は「あいにく、いただく時間はございませんでした」と当たり障りなく答える。

 すると殿下は、くすりと笑った。

「そうか。君の報告書は事実だけが簡潔に書かれていて素晴らしいが、面白い点にも気づいている。『子爵は、終始夫人の顔色を窺っていた』。些細なことだが、重要な情報だ。君はただの機械じゃない。ちゃんと人間を見ている」

「……恐れ入ります」


 ドキリとした。この人は、私の仕事の成果だけでなく、その過程まで見透かしている。眩しいだけの王子様じゃない。底が知れない。

 そう思っていた矢先、私は彼の『本当の姿』を垣間見ることになる。


 ある深夜、隣国との国境で起きた小競り合いに関する緊急の報告のため、私は殿下の私室を訪れた。許可は得ている。ノックをしても返事がなかったので、いつものように気配を消してそっと入室した。

 そして、見てしまったのだ。

 暖炉の前に一人座り、書類の山を前に深くため息をつく、王子の姿を。

 いつもの輝くような笑顔はない。そこにあったのは、重圧に眉を寄せ、ひどく疲れた顔をした、一人の青年の姿だった。


「……どいつもこいつも、僕の持つ“光”しか見ていない。父上も、臣下も、民衆も。誰も、本当の僕を見ようとはしない……」


 絞り出すような、か細い声。それは、私が今まで聞いたことのない、弱々しく、孤独に満ちた声だった。

 息を呑んだ。報告をしなければ。声を、かけなければ。

 なのに、できなかった。

 彼の孤独が、前世の自分と重なって見えたから。いつも一人で、誰にも心を向けられず、空気のように生きていた自分と。

 この人も、こんなにたくさんの人に囲まれているのに、孤独なんだ。


 その時、彼がふと顔を上げた。私の視線に気づいたのだろう。空色の瞳が驚きに揺れ、次の瞬間には鋭い光を宿した。

「……リナリア。いつからそこに?」

「た、たった今、入室いたしました」

 咄嗟に嘘をついた。彼を傷つけたくなかった。

 殿下は私を数秒間じっと見つめた後、ふいと目をそらし、いつもの完璧な笑みを仮面のように貼り付けた。

「そうか。で、報告は?」

「は、はい」


 報告を終えて退室しようとする私に、殿下がぽつりと言った。

「……今のことは、忘れろ」

 振り返ると、彼は窓の外を見ていた。その耳が、ほんの少しだけ赤く染まっているのが見えた。


 その日を境に、私たちの間に流れる空気が少しだけ変わった気がした。



 次の任務は、王都に潜伏する敵国のスパイ組織の情報を掴むという、これまでで最も危険なものだった。

 私は下町のパン屋の娘に扮し、スパイの一人と接触を図った。スキルのおかげで怪しまれることなく懐に入り込み、アジトの場所と次の計画――王太子殿下の暗殺計画――の情報を引き出すことに成功した。

 決行は三日後、殿下が視察に訪れる孤児院。私は即座に報告し、騎士団と連携した捕縛作戦が立てられた。私の役目は、当日、現場で敵の最終確認と合図を送ること。


 そして当日。

 私は孤児院の雑用係として紛れ込み、スパイたちの動きを監視していた。計画通り、彼らは配置についている。私が騎士団に合図を送ろうとした、その瞬間だった。

「お嬢ちゃん、君、見ない顔だねぇ」

 背後から、不意に声をかけられた。リーダー格の男だ。しまった、油断した! 私の気配の薄さも、警戒心が極限まで高まっている相手には通じにくいことがある。

 男の目が、探るように私を射抜く。冷や汗が背中を伝った。ここで騒ぎになれば、殿下が危険に晒される。


 絶体絶命。そう思った時だった。

「やあ、すまない。僕の連れが何か迷惑をかけたかな?」

 柔らかな声と共に、すっと私の前に庇うように人が立った。

 金色の髪。貴族の青年を装ってはいるが、間違いない。アレクシオス殿下だ。なぜ、こんな危険な場所に?

「君は……?」

「見ての通り、ただの物好きな貴族さ。この子が恥ずかしがり屋でね、すぐに隠れてしまうんだ」

 殿下はそう言うと、くるりと私の方を向き、ごく自然な動作で私の手を取った。まるで舞踏会で令嬢をエスコートするように。

「さあ、行こうか。皆が待っている」

 その完璧な笑顔と堂々とした態度に、スパイの男は完全に気圧されたようだ。「ちっ、貴族の道楽か」と悪態をつき、その場を離れていった。


 殿下は私の手を引いたまま物陰に入ると、ふう、と息をついた。

「……無茶をする。合図が遅いから、様子を見に来てみれば」

「申し訳、ありません……。ですが、なぜ殿下がここに?」

「僕の『陰』が危険に晒されているのに、光が黙って見ているとでも?」

 そう言って、彼は悪戯っぽく笑った。

 握られたままの手が、熱い。どくどくと、心臓がうるさいくらいに鳴っている。

 この人は、私を助けるために、自ら危険を冒してくれた。

 光の王子。そして、孤独な青年。

 彼の様々な顔を知るうちに、私の心は、どうしようもなく彼に惹かれていた。



 作戦は無事成功し、スパイ組織は一網打尽となった。

 その夜、私は殿下に呼び出された。場所は、王宮の隠された空中庭園。月明かりだけが、色とりどりの花を幻想的に照らしている。


「今夜はよくやってくれた。君のおかげだ」

 差し出されたワイングラスを受け取りながら、私は「もったいないお言葉です」と答えるのが精一杯だった。

「君がいなければ、僕は今頃どうなっていたか分からない。本当に、ありがとう」

 二人きりになると、殿下はいつも『僕』になる。

 真摯な感謝の言葉に、胸が詰まる。

「君がいると、僕は安心して“光の王子”でいられる。僕の本当の姿を知っていてくれる影が、君でよかった」

 その言葉に、私は思わず顔を上げた。

「……私も、です」

 ぽろり、と本音がこぼれた。

「影が薄いのは、ずっとコンプレックスでした。前世でも、今世でも。誰にも必要とされない、いてもいなくても同じ存在だって。でも……殿下は、それを『力』だと言ってくださった。私の居場所を、初めて与えてくれたのは、殿下です」


 言い終えると、アレクシオス殿下は驚いたように目を丸くし、それから、とても優しく微笑んだ。

 彼は私の手を取り、その空色の瞳で、まっすぐに私を見つめた。

「リナリア。君はもう、ただの“陰”じゃない。僕にとって、なくてはならない存在だ」

 彼の真剣な声に、私の心臓が大きく跳ねる。

「……だから、聞かせてほしい」


 彼は、私の手を強く握り、少し意地悪く、それでいて甘く響く声で言った。


「君のその存在感のなさを、僕だけのものにしたいと言ったら、どうする?」


 腹黒な独占欲。でも、それがたまらなく嬉しかった。

 顔中が熱い。きっと、人生で一番赤くなっている。

 でも、今度こそ、私は自分の意志で一歩踏み出したかった。


「……殿下の、おそばにいることを、お許しいただけますか。影としてではなく……」

 そこまで言うと、殿下は満足げに目を細め、私の言葉を遮るように、その唇を私の額にそっと押し当てた。

「許可する。これからは、僕の光も影も、すべて君に見せよう。僕だけの、愛しいリナリア」



 翌日から、私の仕事は何も変わらない。

 私は王太子殿下の『陰』として、彼のそばに控える。相変わらず私の気配は薄く、他の者には気づかれもしない。

 けれど、たった一つ、大きな違いがあった。

 難しい顔で臣下と議論を交わす殿下が、ふと、誰にも見えない角度で、私にだけ悪戯っぽく微笑みかけるのだ。

 私は内心で悲鳴を上げそうになるのをこらえ、小さく頷き返す。すると、彼はまた満足そうに公務に戻っていく。


 私の仕事は、光である王太子殿下の『陰』となること。

 でも、今は少しだけ違う。

 彼の光に寄り添い、時にその光を支え、そして、誰にも見せない彼の本当の姿を独り占めする、世界で一番幸せな『陰』なのだ。

 この甘い秘密を胸に、私の新しい日々は、まだ始まったばかりだ。

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