表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

愚者の人生 宝石とチャンスを探してみようともしない人のバカさ加減

《裏地のなかの人生》


春の陽射しが差し込む高架下、川田は段ボールの上に寝転び、空を見上げていた。空腹ではなかった。近くのパン屋の廃棄を夜に回収すれば、一日分の食事にはなる。喉が渇けば公園の水道があるし、寒くなれば古着のコートにくるまればよい。


「……あー、なんか、だりぃな」


今日も、昨日と同じように始まった。


かつて、この男には友人がいた。いや、正確に言えば、彼に一方的に施していた裕福な男・松井隆一である。毎日食事を運んでくれた。雨の日には傘を差しかけ、冬には上着まで与えてくれた。


だが、隆一はある日、旅に出た。


「帰ってきたら、変わっててくれたらいいな」


そう言い残して。


川田は変わらなかった。


正確に言えば、変わろうとすらしなかった。


隆一の気配が消えたあの日、川田は一瞬、不安になった。だが翌日には再び、陽だまりの中でうたた寝をし、酒をもらい、物乞いの声をかける日々に戻った。


彼の上着の裏地には、隆一が夜中に縫い込んだ宝石が三つ、いまも眠っている。だが川田は、その存在に一度たりとも気づいていない。コートの裏をまさぐることも、糸の違和感に注意を払うこともなかった。


それが、彼の人生だった。


「働くのなんて、バカらしいさ」


「明日? そんなもん来るのか?」


「目標なんて、持ったところで何になる」


そんな言葉が、彼の口癖だった。


かつて隆一が帰国し、彼の姿を見つけたとき、心底驚き、そして深く落胆した。


「川田、おまえ……まだここにいたのか」


「おう、松井。久しぶりだな。どうだった? 海外」


「……おまえ、自分のジャケットの中、見たことあるか?」


「へ? ああ、寒い日は着るけど、あれもうボロボロだぞ。なに、なんか虫でも湧いてたか?」


隆一はそれ以上、何も言わなかった。ただ、ふっと笑って、コートの裾を見つめた。


「……いや。なんでもないよ」


それから、隆一は二度と川田の前に姿を見せなかった。


季節が巡っても、川田は変わらない。空き缶の数を数え、日がな一日、のんべんだらりと通行人を眺める。


ときおり、近所の子供が声をかける。


「おじさん、なにしてんの?」


「んー……人生ってやつを、深く考えてんだよ」


「ふーん」


そこへ通りがかったオジサンが「お前何言ってんだよ、人生なんて欠片も考えてないの

丸わかりだぞ、人生なんて全く考えてない人間が、判断のつかない子に

そんなこと言って子供の人生狂わすのか!」


「いやただの子供たわごとだと思ってだな」


「子供だって人生があるんだ、狂わされた人間がどれほど苦労すると思ってんだ、コノヤロー!」


「わかったわかった、謝るから許してくれよ」


「俺に謝ったってダメだ、子供に謝るんだ」


「オジサンごめんな、悪気はなかったんだが、あんたのためにならないから謝る」


「謝ってくれてありがとう、おじさん」


子供は理解できずに走り去る。その背を見送りながら、川田は缶ビールのプルトップを開ける。冷たくもないその液体が、喉をすべり落ちていく。


夢もなく、野望もなく、責任もない。だが自由だ、と彼は自分に言い聞かせる。


「なあ……それで、いいんだろ?」


川田は誰にも答えを求めない。ただ、誰も問わないからこそ、彼は答えを出さずに済む。


そうして今日も、空は高く、時間だけが等しく流れてゆく。


何も知らぬままの宝石は、裏地の糸の奥に、静かに、静かに眠っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ