08 兇兄と愚弟⑳
骨と皮に、臓器と最低限の筋肉がこびりついている。──ポッツの身体をざっくり表現するとしたら、そんなところだ。
よって殴りつけた時に軽いと感じても、別におかしくはない。
しかし俺はコト戦闘中に限っては、理論や経験則よりも直感に重きを置くことにしていた。だから叫ぶ。
「攻撃注意!」
「不意打ち来ます!」
俺とフェネキアの声は、ほぼ同時。
どちらも神弓の勇者、ライデリッヒ・トライハントに向けられたものだった。
彼はケッツを地面に押さえつけていた。
その気になればいつでも致命打を与えられる優位な立場にあったが、それを即座に放棄してケッツから飛び退った。
直後、何もない空間から刃物が突き出された。
ライデリッヒがあのままケッツを押さえつけていたなら、それは確実に彼の頸部に深く刺さっていたであろう位置からの──。
「あのさァ」
空間から現れたポッツは、血の混じった唾を吐いて忌々しげに俺たちを睨みつけた。
「初見でどうして避けれんだよ! クソがよォ!」
「ただの短い空間転移とは違いますね」
ライデリッヒの感心したような声は、どこか場違いな呑気さではあったが、油断なく状況を確認しつつも既にティアージュを馬から下ろして拘束まで解いていたのだから、その手際の良さには全く文句のつけようがなかった。
「転移ではなく、おそらく隧道でしょう」
猿轡を外されたティアージュの、それが第一声。
「はァ!?」
「知ってるんだ。さすがキィーフの公女様」
動揺するポッツの反応がティアージュの推察の正しさを証明していた。
瞳をキラキラさせてる弓の勇者は……ちょっと近くて馴れ馴れしいな。
けどまあ、そういう諸々は全部後だ。
「おい」
俺は二人に声をかけた。
「いろいろやってくれたが、もうこっちに手ェ出さねーってんなら、帰ったっていいぞ」
一応、そう言った。後から何かあっても神弓の勇者と公女ティアージュが証人になってくれるだろう。
「んン?」
ポッツはわざとらしく首を傾げた。
何を言われたのか理解不能だとばかりに。
そして、右の手のひらを上に向け、おもむろに前へと差し出した。
その手首から先が空間に消え、ついと引き抜くと、そこにはどういう仕組みなのか、高級傷薬の瓶が乗っていた。
「空間収納……?」
茫然と、ティアージュがその言葉を口にする。
「驚きだな。無能の昏睡令嬢の分際で、どこでその知識を得た? 高貴なるオレの真の才能、我が父上でさえ正確に把握できなかったというのに」
ポッツはそのハイポーションを自分の顔にぶっかけて、凹んだ鼻骨を自ら回復させると、肩と肘をさすりながら痛い痛いと喚いていたケッツに蹴りを入れた。
「しゃんとしろケッツ」
「ぐぐぐぐ……よくも……よくも高貴なるボクを地べたなんぞに押しつけてくれたなぁ!」
「帰る気はなさそうだな」
「余裕こいてる場合か? この高貴なるテラスエンドの天才二人が揃った以上、おまえらに勝ち目など皆無なのだぞ!」
カカカカン!
乾いた音がした。
ポッツの足元付近に、フェネキアの金串が何本も落ちていた。
「見えない壁がありますね」
隙だらけだったので投げてみたが、どういう理由か当たらなかった、おそらくそんな前段を省いてフェネキアが端的に告げたのは、ポッツのまわりに障壁が展開されているという情報だ。
「……フン」
チラリと地面に転がった金串を見やりながらも、ポッツは余裕の態度を崩さなかった。
「見ろ、不意打ちも無効だ。ボロボロの童貞男爵に瀕死の弓兵! そこに妙なメイドと少年が加わった程度で何ができる?」
「そうだ! この高貴なるボクが本気を出してれば、今頃はおまえなんか消し炭だったんだぞ!? わざと生かしていたぶってやったんだ、恩を感じて自害するのがスジだろうが!」
「ありがとうよ、情けをかけてくれて。だがその理屈には全く同意できねえな。大事なうちの領民を人質に取るようなおまえらには、然るべき報いを受けてもらう」
「ほざくなよ下賤の匹夫が! 立っているのもやっとのくせに────……?」
ポッツの罵倒が言い終わらぬうちの出来事だった。
ティアージュを中心に、白い光の波濤が全方位に広がったのだ。
それはポッツとケッツを素通りし、俺とロゼ、そして人質となっていた農夫にだけ「作用」した。
「え……?」
農夫が自分の足を見ていた。信じられないという顔をして。
「あっあー、あ。……良かった。声帯も回復してもらえました。シビカ様はどうですか?」
「ああ。こちらも万全になった」
下位属性の攻撃魔法とはいえ、あれだけくらってしまってた。
正直からだは火傷と凍傷、鈍傷、挫滅や切創で満身創痍。あのままでは確かに戦いにもならなかった。その意味ではポッツの余裕は正しかったのだ。
──ヤツらの誤算は、ティアージュが聖女であったこと。
「バカな……あり得ないッ!」
ボロボロだった俺の身体が、衣類を除き元どおりになっているのを目のあたりにしたポッツが、突如として正気を失ったような叫びを上げた。
ガリュ、ガリュ、ガリュ。
その、あまりのストレスからか、ポッツは白塗りの顔を自らの爪で掻きむしっていた。
「ちょっ! 何やってんだよ!」
そんなポッツを見て、ケッツも混乱していた。
「あり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないーーーーッ!! それ……それ、それは聖女様の光だぞ!?」
顔面を縦の傷と血で染めて、ポッツがティアージュを指差して絶叫した。
「え? 聖女?」
事ここに至り、ケッツもようやくポッツが何を言っているのか理解できたようだった。
「おかしい。これはおかしい! どうして聖女の力を無能が持っている!? ……いや! いやいやいや! 違う! どうして聖女の力がキィーフの外に持ち出されているのだーーーーッ!?」
「……あなたは確かテラスエンド家のご子息。なるほど、さすがに理解しているのですね」
対するティアージュは、狼狽えるポッツの様子を、咎めるように、冷ややかな目で見ていた。
「ふざけろ! 聖女はキィーフの、キィーフだけの護り手の筈だ! どうしてアリスにいる? どうしてそんなケダモノの側に立って手を貸している!?」
「ケダモノは、あなたがたのほうでしょう」
強く、鋭く、ティアージュは言い放った。
そのまま、自分の足で農夫のもとに歩いていく。
俺はそんな彼女をポッツとケッツから守るように、盾となって寄り添った。
「立てますか?」
未だ地に伏せたままの農夫に、ティアージュが手を差し伸べた。
「……あ、ああ」
その手を取り、おそるおそる、農夫は自分の足で立ち上がった。
「おら、立ってる。二度と無理だと思ってたのに……」
「もう、大丈夫ですよ」
優しく、労るようにティアージュが声をかけた。
少し気まずかった。
彼に対し、俺は何にもできなかったから。
「すまねえ領主様! おらのせいで! あんな目に遭わせちまった」
だのに彼は、ティアージュよりも先に俺に頭を下げて感謝してきた。
「あ、いや、俺は」
困る。マジで俺は何もできなかったのだ。
「おら、覚悟してた。見捨てられても仕方ないって。そうするのが当たり前で、けど自分で声を上げるのもこわくてできなくて……。そんな卑怯なおらを、領主様は見捨てずにいてくださった」
違う。迷った挙句のフリーズだった。
なのに、それを彼は勘違いしてしまっているみたいだった。
「愚かな! それは貴族の取る選択ではない!」
「そうだ! 下民など切り捨てられぬようでどうする!」
ポッツとケッツの非難が俺の背に刺さる。ヤツらの言わんとしていることには理があると俺自身も認めているから、それなりにチクチクと痛みはした。
「男爵様、ケダモノの言葉に耳を傾ける必要はありません」
そこにティアージュの一言。
それだけで、背中の棘が一斉に抜け落ちる気がした。
「私は、男爵様を誇りに思いますわ」
美しい顔、そこにきらめく菫青石の瞳が、静かに俺を見つめてくれていた。




