08 兇兄と愚弟⑱
──そろそろ我慢も限界だろうな。
じくじくと、痛みが全身から噴き上げていた。
「なあオイ! おまえバカなのか? もうさっさとどっか行けって言ってんだろうが!」
目の前でケッツが癇癪を起こし、地団駄を踏んでいた。それでもきっちり足元に転がしている人質の農夫から意識を外していないため、こちらは無謀な賭けに出ることができない。
「…………ッ」
状況は良くない。
領民を人質に取られていた。
どうやらここにティアージュが運ばれて来るらしく、その到着を待つケッツにとって俺は単なる邪魔者でしかない。
だからケッツは先ほどから俺に、この場から退去するよう怒鳴り散らしていた。
勿論、俺もそれを知ってしまった以上、はいそうですかと屋敷へ帰るわけに行かなかった。
人質がいるので手は出せない。
よって、こちらは宥めるしかない。
ちょっと待ってくれと。話し合おうと。
まあ、当然のこととしてケッツが話し合いに応じる筈もないのだけれど。
交渉しようとすると、魔法がとんできた。
「“火矢”!」
肉が焦げつく痛みがあった。
「“氷弾”!」
肉が削れる痛みがあった。
「“雷撃”!」
肉が痺れる痛みがあった。
「“土濤”!」
肉が潰れる痛みがあった。
「“風切”!」
肉が切られる痛みがあった。
威力は下位に位置づけられる魔法ばかりだったが、試し斬りをするかのように多彩な属性を使い分けてくるケッツの才能たるや、敵ながら瞠目に値した。
魔法使いには誰しも得意な属性がある。裏を返せば苦手な属性もあるということ。だから普通の魔法使いは、火でも水でも何でも、得意な一つを磨いて実戦で使える練度にしていくものだ。
二種も使い分けられれば上等なほうに入るし、仲間から「すげえ」と称賛されるレベルなのだ。
それをケッツは五種。
しかも全種の詠唱が短く、隙がなかった。
眼前にいる貴族のバカ息子──ケッツ・テラスエンドは正直まともじゃなかったし、こんなヤツが大手を振って歩けるようなキィーフ王国もどうかしてると思わざるを得ない。しかし唯一、ケッツのあの絶対的な自己肯定感だけは少しばかり羨ましくはあった。
それは自分にないものだから。
俺は心が弱い。
だから肉体に縋ってきた。
他人より大きく育ったこの身体だけが、俺の生きるすべだった。
この身体を親に利用されたが、この身体だから親から離れられもした。
この身体だから軍人として生き抜くことができたし、部下もこの身体の俺を頼ってくれたのだと思う。
弱い俺を、この身体が取り繕ってくれた。
人生は枝分かれの道を何度も強制的に選ばされる苦行のようなものだ。迷ってばかりの俺は正解と誤り、果たしてどちらを多く進んできたのだろう? 答え合わせができない以上、自分で納得できる選択をしていくしかない。
何があっても揺るがない「芯」みたいなものがあれば、きっと楽に生きられるんだろうな。
──あっちで何があった?
──屋敷に残っているべきだったか?
ここにティアージュが届くと、そんなケッツの言葉なんかにすら、俺ってヤツは見事なまでに動揺してしまうのだ。
ここに留まっているのも悪手に違いない。
決断できる将ならば、一時的な撤退や人質の切り捨てに踏み込んでいく筈だ。
どっちつかずの優柔不断が一番いけない。
まあ、だからこんなザマになってる。負う必要のない怪我なんぞをしてしまっているんだよな。
しかし、こちらの運が尽きたわけではなかった。
「しぶとすぎんだろ。いくらなんでも魔法をこんだけブチ当ててやったのに、どうして立ってられんだよ!」
変な生き物を見る目でケッツがわめいた。
「悪いな、お坊ちゃんとは鍛えかたも違けりゃ場数も違うんだよ。こちとら魔法使いともそれなりにやり合ってきたんだ」
もっとも、さすがにケッツが前回使っていた中位魔法をくらってたら、こんな強がりはとても無理だった。ところがどうやらアレは少なからず詠唱に時間がかかるのか、隙ができるのを嫌って使用を控えてくれたっぽい。また攻撃魔法にしか興味がなかったのか何なのか、眠りの雲のような状態異常付与魔法を使ってこなかったのも幸運だった。
動けなくされて大技──これをやられてたら詰んでいた。
とはいえ、少し削られすぎたか。ちょっとフラつく。
「待て。待て待て待て。……この高貴なるボクを、そこらの木っ端魔法使いどもなんぞと比較したというのか? はー? はー? はー?」
ケッツの、膨れ上がった自尊心そのもののようなパンパンの顔が、ワナワナと歪むのを見た。
トリガーは人それぞれに違う。何を言われてキレるのかは、つき合いを深めていかないと分からない。だがどうやらケッツの煽り耐性たるや、冬の湖の薄氷のような、踏めば容易く割れてしまう程度の脆さしかなく、そして踏んだが最後その穴は、虎口と化して牙を剥き、その獰猛な本性を露わにしてくるのだ。
「“氷弾”」
こめかみを、危険な形状をした氷の魔法弾が掠めた。
怒りで的が外れたかと思ったが、そういうわけではなかった。
「氷弾氷弾氷弾氷弾氷弾氷弾氷弾氷弾氷弾氷弾ーッッッ!!!!」
無数の氷の弾が俺の身体を撃ちまくってきた。
これはまずい。
急所をガードしながら俺は焦った。
これは無理だと思った。
ブチ切れて魔法を連発するケッツの斜め後ろ遠方に、同じく理性の箍が外れたような形相をしたロゼがいた。
そう。この場における最大の懸念事項は俺の頑丈さなどではなく、ロゼの忍耐力に他ならなかった。
いや、むしろよくここまで堪えてくれた。
成長を感じた。
激情に駆られながらも、その一射は恐ろしくスムーズで、一切のブレがなかった。
放たれた矢は必殺の軌道だけをただただ描き、糸を引くようにケッツの心臓めがけて吸い込まれていく。
キィィィン!
硬質な音が響いた。
透明な、壁のような何かがケッツの周囲に展開されており、それがロゼの矢を阻んだ音だった。
「そこか」
ケッツではない、違う男の声。
そいつは何もない空間から姿を現すや、一直線に距離を詰め、力まかせのケンカキックでロゼを蹴り飛ばしやがった。
「おまえッ!」
「おいコラ動くんじゃねえ!!」
「大声は必要ないぞケッツ。既に勝敗は決している」
ケッツが横なら、そいつは縦だった。
ほとんど肉のついてない、骨ばかりの痩せた身体。
髪を逆立て、顔面を白く塗っていた。
鋲付きの、ぴっちりとした黒い革の服を着ていた。
そいつは俺を蔑むように笑うと、うずくまるロゼを足蹴にして転がし、喉元をブーツの踵で踏みつけて動きを制した。
「伏兵も押さえた。これでもう逆転はない」
「誰だよ、あんた」
「ポッツ・テラスエンド。──キィーフの次期子爵だ。おまえはアリスの成り上がり男爵だったか? 高貴なるオレも、珍しくケッツに同意見だ。領民如きを切り捨てられぬようでは、貴族として不適格よ」
「以前の俺ならそうしてた」
「あん?」
「軍人時代の俺なら、人質戦法なんかにつきあったりはしなかったさ。けどもう違う。領主だからな」
「愚かな考えだ。領主であれば領民なぞ奴隷も同然に扱って然るべきであろうが」
「なんだそりゃ。ンなわけねえだろ」
価値観が違いすぎる。話にならねえ。
かと言って、他に打つ手もなかった。最悪だ。
ケッツに領民。
そして新たに現れたポッツという男にロゼを押さえられた。
「…………」
ことごとく選択をミスった結果の、いま──。
こちらに近づいてくる馬の蹄の音が、俺に更なる状況の悪化を告げてきた。
「ヒャッハー! 来たッ! ティアージュ来たッ!」
ケッツが小躍りして喜び始めた。
ちらりと見やれば、その馬上には全身を黒い外套で包み、頭巾を目深に被った男と、腰縄を巻かれ猿轡を噛まされた、美しい公女の姿があった。




