イボリアス⑥
「なぜだ!?」
いる筈のないティアージュが、どうしてここにいる?
「ケネシコアはどうした!」
「逃げられたよ」
苦笑しつつ、ライデリッヒが答えた。
「アリス王家の血統魔法といえば、ゴーレム操役って固定観念があったから、ちょっと面食らっちゃったな」
何を言ってるのかよく分からない。
たった一つ明らかなことは、ケネシコアが公女を取り返され、尻尾を巻いて逃げやがったという事実だ。
この状況が雄弁にそれを物語っていた。
ギリ、と歯が軋んだ。クソが!
「あの女ッ! でかい口を叩いておきながら!」
ケネシコアがティアージュの警護を任された時点で、計画は完璧なものになっていた。
まず、シビカの屋敷の動きを把握したケネシコアが約束の日、公女を拉致する。時を同じくしてジブンが戦車隊で蜂起し、屋敷に押し入りケネシコアたちの逃走経路を確保してやるのだ。
ただそれだけの、簡単なお仕事だった筈だ。
合流地点で依頼主の転送魔法によってキィーフへ高飛びし、ジブンは貴族の地位を得て悠々自適なアガリの人生を送る予定だった。
争いの少ない、大陸で最も富めるキィーフ王国がジブンを待っている筈だった。
栄光に、手が届くところだったのだ。
どいつもこいつも!
部下の不甲斐なさがすべての原因だ。
まるで役に立たなかった。
屋敷のチンピラどもすら制圧できなかったのだ。
そしていま、計画の要である任務を放棄して、あろうことか一人だけ逃げた副官の存在まで知らされてしまった。
「もしかして誰かに唆されたのか? 少なくともあなたは戦車隊の騎士長として、父上によく仕えていただろう」
同情か? 何を甘っちょろいことを。
「イヤだな。駒として重宝されていただけですよ。ジブンとて意思がある。転職先をね、選ぶ自由があるんですよ!」
そのための前提条件が奪われていた。
何としても取り返す必要があった。
この場には、ジブンの他に三人。
未熟に違いない勇者。
わけのわからないメイド。
ターゲットであるキィーフの公女。
──やれる。ジブンなら。
まだあちらはジブンが矢傷を受けたままだと勘違いしているに違いない。つまり意表をつけるのだ。
騎士スキル、【シールドバッシュ】。
要は盾で殴って対象を弾きとばす技である。余程の体格差、体重差がない限り、触れさえすれば例外なく発動する優れものだ。
そしてここからが肝心なのだが、このスキル、練度が上がれば発動に盾を必要としなくなるのだ。おそらくほとんどのスキルが練度を上げた場合に何がしかの特典をもたらすに違いないが、生憎と他のスキルでそれを試すだけの余裕はなかった。とにかくジブンはシールドバッシュを使い続け、この気づきを得るに至ったのだ。
指揮官であるジブンに相応しいスキルだと思った。
生命を張るのは雑兵の仕事。こちらに寄ってきてしまった敵はノックバックし、部下にトドメを刺させればいい。
手を返り血で汚すのは兵卒どもの役割なのだ。
「転職は別にいいんだよそれは。残念ではあるけど。でも、お嬢さんを無理やり何者かに売り渡そうとした行為の是非は問わせてもらう」
……ほぉ。
これはしたり。小僧に上からモノを申されてしまったよ。
なんと滑稽。
喉までせり上がってきたそれを、ぐっと抑え込むのに難儀した。
「くっ、くっ、くっ……」
まったく、何も知らぬ青二才めが。
「そのクセつよな笑いかた。変わらないね」
「そちらは変わったとでも言いたげですな。あなたの過去の行状を知るジブンの前で、よくもまあ勇者気取りができたものだなと、さすがに可笑しくなってしまいましたよ」
目の前にいるのは、かつてトライハント伯爵家のバカ坊と陰口を叩かれた不肖のドラ息子。
領民を困らせ、悩ませ、終には外部の「家庭教師」へ身柄を預けられた不良債権。
それはつまり、そちらで矯正できないようなら始末しても構わないと、そういう含みを持たせた依頼なのだ。
さながら、野放図に伸びてしまった庭木を剪定するかのような伯爵の冷徹さだった。
実の息子であっても容赦なし。
終わったと思った。どう好意的に見ても処置なしのバカだ。帰ってくるわけがないと確信していた。
なのに勇者? 間違ってるだろイロイロ!
勇者は破格な存在だ。国から承認を受ければ無条件で優遇措置を受けられる。遊んで暮らせるだけの好待遇が約束されてしまうのだ。
アリスの王都ランスにいる神槌の勇者がいい例だった。
カクテルの帝都キャロットにも帝国最大団隊を率いる神斧の勇者がのさばっていた。
アーバージュロウの首都アシッドスタックを根城にする神鉤の勇者に至っては、魔物討伐そっちのけで議員活動なんぞにかまけているらしい。
いずれこいつもそういった、アガリの勇者たちの末席に加わるに違いない。長年苦労してきたジブンの背中を、嘲笑いながら追い越していくに違いないのだ。
「────ガキが!」
ずっとしゃがみこんでいた。
見上げるようなかたちで少年勇者と対峙していたのだ。
すべて、布石。
きっと弱ったジブンのことを見下して、舐めてかかっていたに違いない。
そんなジブンが突如猛然と立ち上がり、かち上げるような体当たりを敢行してきたら?
武器は手にしてない。
イボリアス・コレトリオといえば刺突細剣だ。こいつにはそう印象づいている筈だ。
その刺突細剣をジブンは抜いていない。
両の前腕で顔を防御しながらの、ただの体当たりだ。
つまり危険度は低い。
そう咄嗟に判断したのだろう、勇者はジブンを受け止めようとして──。
ゴォン!
「えっ!?」
硬質な、銅鑼を鳴らすような音が響き、勇者は宙を舞っていた。
バカが! 気づいた時にはもう遅いんだよ!
肘によるシールドバッシュで勇者を弾きとばしてやった。
盾無しでのシールドバッシュは当然ながら威力という面では大きく低下するが、そもそもこのスキルの主眼はノックバックであり、それさえ成し得るならばむしろ盾など必要ないまであった。
今回にしてもジブンの目的は勇者を排除することのみ。あとは無力なメイドも弾きとばしたうえで、馬ごと公女を攫い、一直線に合流地点まで駆け抜ければいいのだ。
見たか。無能な部下とは違う。ジブンなら勝つのだ!
勇者を容易くノックバックしてみせたジブンに怖気づいたのか、メイドが馬上から降りてきた。
逃げるのかと思いきや、ジブンと公女の間に立ち塞がってくる。何のつもりだ? いやどうでもいい。やることは変わらない。
「どけ!」
メイドを払いのけるようにシールドバッシュのスキルが乗った裏拳──手の甲による一撃を放つ。
地の果てまで弾きとばされるがいい。
と、視界が回転した。
違う。
ジブンが回転していた。
????
どうしてジブンが宙を舞っている?
分からない。裏拳をメイドが手のひらで捌いて、妙な違和感と共に身体がぐるんぐるんと勢いよく風車のようになった。
あ。地面。
どぐちゃ、と顔面から墜落した。
「おぉ゙おぉ゙〜〜ッ!」
痛みで悶絶するジブンの身体に、遅れて別種の痛みが降りそそいできた。
「ぎゃあああああっ!」
二の腕に刺さっていたそれは矢だった。
理解した。
弓の勇者が弾きとばされながらも宙空から攻撃を仕掛けてきたのだ。
目の当たりにして久しい、あの童貞男爵の従者が放った技とおそらくは同じもの。
「スキル系の攻撃も関係ないとか……。まだまだ全然、フェネキアの領域には届かないな」
「魔法であればフェネキアもお手上げなのですが、あのような物理系のスキルなら問題なく対処が可能です。いまのフェネキアとライデリッヒ様に違いがあるとすれば……そうですね、せいぜい慣れているかどうか、そんな程度でしょう。なかなか、騎士スキルを受ける機会など滅多にありませんからね」
「そうかなあ」
矢によって地面に縫いつけられたジブンなど、もはや眼中にないとばかりに、気の抜けた会話をする勇者とメイドがいた。
クソ! クソが! あり得ないッ!
痛い。苦しい。どうして。ひぐっ。鼻の骨が。首もイッちまってる。いたるところ穴だらけ。血が。痛い。動けない。矢が刺さってて起き上がれない。あ、ああ……。
「いた! いやがったぞ!」
遠くで声が聴こえた。
こちらに走ってくる集団の足音。
屋敷の猿どもが、こちらにやって来ようとしているのだ。
くっ……これは……夢だ! 悪い夢に違いない!
ぎぎ。ぎぎぎ。
……じゃあ、どうしてこんなに痛くて、苦しいんだ?




