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08 兇兄と愚弟⑬


 酷い家庭だったと思う。


 振り返って記憶を探ってみれど、およそ家族が幸せに、仲良く暮らしていた思い出(シーン)が全く浮かび上がってこない。


 夫婦って何だろう。

 親って何だろう。


 そんな疑問が浮かんだのは後になってからだ。幼い頃の俺にとって、父と母は単なる支配者でしかなかった。


 あばら()という狭く薄汚れた空間で、あの頃の俺は仲の悪い二人の飼い主の顔色を窺いながら、都合のいい召し使いという役割を演じつつ、一日をどうにか無事にやり過ごすことだけしか考えていなかった。


 本当に喧嘩ばかりの夫婦。


 聞くに堪えない罵詈雑言。

 隙あらば八つ当たりがこちらに飛んできた。


 そのくせ、不思議と夜になれば俺を尻目に裸で絡み合っているのだ。


 理解できなかった。


 弟妹が増えるたび、俺の首に、手に、足に、見えない鎖が増えていく気がした。


「隊長、この近くにイイ女が揃った娼館があるんすよ。ちいっと遊び、行きましょうや」


 部下からの誘いをやんわり断り続ければ、そのうち向こうも空気を読んでくれる。別に不能というわけではなく、同性愛指向なわけでもない。おそらく人並み以上に性欲はある。それは自分で処理する時に目にする()が物語っていた。


 ただ、足が向かない。


 とある村を救ったその夜、寝床に女性がやって来たこともあった。──断腸の思いで帰した。


 そんなことを続けて、気づけばオッサンになっていた。


 バカの人生だった。


 そう。だからバカの俺は、軽く上げた手のひらをケネシコアに向け、顎も軽く横に振って、奇装の戦士からの愛人契約を断るのだ。


「せっかくの申し出だけど、俺があなたを囲うことはないし、ティアージュ嬢を留め置いてるのは別に同情とかそういうんじゃないよ」


 ジクりと、頬に視線が刺さる感覚があった。あー、隣から思いっきり見られてるなこれは。


「ふうん。同情でもヤレるからでもないんだ。へー。じゃあ、なんだっていうの?」


「……何だろうな、言葉を選ぶなら(えん)、なのかね」


 いろんな理由を名付けることはできる。それこそ身も蓋もなく偶々(たまたま)と言ったって良かった。けど敢えて一つ、口に出すならば、縁がいいと思った。


 たとえそれが、誰かの意図によって偽装さ(つくら)れたものだとしても。


「エン!? ハッ! そんなあやふやな感覚に身を任せるんですの? そんなフィーリング任せで大国キィーフの貴族たちと事を荒立てようと? いやいや、どうかしてますって!」


「結局それか」


「え? それ以外に何があると? まさか男爵様って、鏡を見たことがおありでないんです?」


 (とげ)


 言われるまでもないことであっても、いざ言葉にされると気落ちするのだから、人の心ってヤツは本当に厄介だ。


 テーブルを挟んで対面に座るイボリアスは美形の騎士。桃色のウェーブがかった髪を長く伸ばしているのは、きっと己の魅力を理解しているからなのだろう。羨ましい。


 うちだとロサリグあたりが地味ではあれど整った顔立ちをしていたっけか。こいつ酒場に一人で飲みに行ったのに、出ていく時には横に知らない女性がいるんですぜ、なんて仲間たちから揶揄(からか)われていたのをおぼえている。羨ましかったんだろうな。


 神弓の勇者ライデリッヒ少年に至っては、典型的な王子様容姿だ。何と言っても金髪碧眼。筋骨たくましく、雄獅子のようなトライハント伯爵の御子息とはとても思えない線の細さだったが、まだ未成熟な年齢を考えれば十分及第点だ。何よりあのフェネキアと違和感なく並び立てるのは奇蹟的なことであり、正直こんなの羨ましいどころの話ではなかった。


 俺は、どこまでいってもブサイクだったから。


 同じ男、同じ人間でどうしてこうまで違うのかと、何度溜め息を()いたか分からない。俺だってイボリアスみたいに髪を伸ばしてみたかったっつーの。だけどそんなことをしてどうなる。余計おぞましくなった怪物が世に放たれるだけだ。だから──。


「人並み程度にはあるよ。少しでもこわがられないよう、これでも努力はしてるつもりでね。とは言っても髪を短くしたり、(ヒゲ)も小まめに剃ったりくらいなわけだが」


 わざわざ口にしなかったが入浴も心掛けていた。要は不快感の軽減だ。


「そっちの努力ができるなら、外交問題を回避する努力もしてくれませんかね? 尻拭いのために奔走するのは閣下であり、我々なんですけど?」


 ケネシコア・ウルミーファが納得することはない。


 彼女は戦車隊の副長であり、今回の俺の選択によって振りまわされる側の一人だ。彼女の中で俺は融通の利かない、面倒事を呼び込む難有り野郎で固定されているのだろう。


 大国に逆らったところで得することは何もない。ならば意向に沿うべきだと、無駄な軋轢を生じさせるべきではないとケネシコアは暗に主張しているのだ。


 そのためならば、ブラフにせよ自分の身を捧げることも厭わないと、そう申し立てるほどに。


「もうよかろう」


 伯爵が待ったをかけたのは、彼女の発言が個人の枠を超えてきたからだ。


 それはもう決着した話だった。


 キィーフ側が転移スクロールの流通を止めるなどの恫喝をしてきた場合は、サヒージュ商会が補填を請け負う約束──。


 この話を伯爵がされた時、彼女もその場にいたというのに、どうして蒸し返してきたのか。


「閣下のおっしゃるとおりだ。退()き時だぞ」

 くっ、くっ、と喉奥で笑ってはいたが、イボリアスはイキり立つケネシコアを意外にも静かな声で宥めすかした。

「諦めるしかあるまい」


「……残念。何事も横着はできないってことね」


 あーあ、と天井を見上げて気持ちを切り替えたのか、さばさばと、こちらを見下すような表情が復活していた。



「馳走になった」

「いえ。御満足いただけたなら幸いです」

「すまんな。うちの連中が失礼な口を」

「気にしてません」


 俺が伯爵に気に入られることになった戦いに、イボリアスとケネシコアは不在だった。


 だからまあ、彼らが俺に対し良い感情を持っていないのは分からないではないのだ。


 うまいことやりやがって! てなところか。


 慣れている。こういう、嫉妬のような敵意を浴びるのは別に初めてではなかったから。


 いま現在、俺が治めるアクトラーナ領は、かつてアリス貴族のトモロッタ・イブニクル侯爵の領地の一部だった。とはいえ魔物の発生率が高く、踏破も険しい山林地帯と海に隔てられた辺境の地を侯爵は持て余しており、以前から相談を受けていたトライハント伯爵が王家に掛け合い、新たに男爵となる俺に割譲することにしたのだ。


 管理できていなかったとはいえ、イブニクル侯爵としては面白いわけがない。もともと俺や俺の部隊に関する噂はそれまでにもあったが、野獣男爵なる醜聞が激しくなったその出所はおそらく──。



「付き合わせてしまい、申しわけなかった」


 伯爵一行を見送ってから、フーッと溜めていた息を吐き、俺は覚悟を決めてティアージュに頭を下げた。


「もう夜も更けたな。ゆっくり休んでくれ。じゃあ──」


 そそくさと別れ、部屋に戻ろうとした。


 ばつが悪い。


 さっきから、まともにティアージュの顔を見れていない。


 ひとまわりは年齢(とし)が離れているというのに、いったい俺は何をやっているんだろうか。


「男爵様」


 ほら、案の定、呼び止められてしまった。


「……何でしょう?」


 立ち止まり、背を向けたまま、俺は尋ねた。


「気分を、害されましたか?」


 なぜ?


 ティアージュは少しも悪くないだろ。


「いやいや、何がどうしてそうなる」


 思わず振り返れば、上目遣いに俺を見つめる黄金の髪の少女。


 その瞳には、菫青石(アイオライト)の輝きが湛えられていた。


 すみれ色の、美しい光だ。


「家にいた時を思い出して、こわくなりました」

「…………」

「良くあろうと努めれば努めるほど、家族は私から離れていきました。あのかたの言葉、もしかしたらここでもそうなるんじゃないかと」


「あー」


 ケネシコアの言ってた「齟齬」か。


「気にしたところで、何ともならないでしょ。どれだけ相性のいい仲間と暮らしてたって、意見が食い違うことなんてしょっちゅうあります。だって『違う人間』なんですから」


「ですがそうなると」


「衝突を(いと)うなら、独りで暮らすのがいいでしょう。そうすれば誰からも自分を侵害されることはありません。それに誰かを傷つけてしまう心配からも解放されますよ?」


 家族がいながら独りを選ぶ──。

 かつての俺の姿だ。


 どこの集落にもそういう変わり者はいた。そんなヤツばかりになれば国は(ほろ)びを迎えるかもしれないが、これはきっと誰もが通る道なんだと俺は思う。


「そう……かもしれません」


 こんなことを言われるとは思ってなかったのか、ティアージュは心細げに自分の二の腕を抱いていた。


 ああ、子供だなあ。


 そう。見目の麗しさに眩まされなければ、そこにいるのはまだ十代後半の、気持ちばかりが先走る少女でしかなかった。公女? 聖女? どっちでもいいだろ。俺はただ、この子を悪意や害意から守りたい。それだけなのだ。



 ぽん。



「まあ、なんだ。独りになんか、させないんだが」


 ────!?


 我に返った俺は、あわてて手を離した。


「男爵、様……?」


 頬を赤くし、そしてふにゃけた表情になったティアージュがそこにいた。


「すまん、つい……」


 つい、なんだよ。


 なんてありきたりなイイワケだろうか。いや、でも今回はすぐに引っ込められた。ロゼを育てていた時の余韻みたいなものが、俺の中にまだ消えず残っていて、それが今回、年齢相応の仕草を見せたティアージュを目にした途端、表に噴き出てしまっただけなのであり、つまりあくまでこれは前回のような性衝動とは異なる、何というか後ろ暗いもののない、純粋に慈しみたいという気持ちの発露に他ならないのだ。


「あの」

「ごめんなさい」


 皆まで言わせず謝罪した。


 学習機能ゼロのケダモノとして、甘んじて軽蔑の視線を受け入れようと、おっかなびっくり瞑っていた目を開いたのだが、そこには不思議そうに小首を傾げ、戸惑うティアージュの姿があるのみだった。


「どうして、謝ったりするのですか?」


「あ、え……? やー、だって、イヤだろ、馴れ馴れしいというかさ、マナーも成ってねえ平民出の俺なんかにさ、頭、撫でられるなんて」


「男爵様が食事をされている姿、私は好きですよ。生きていることを楽しまれているような、そんな明るさを感じます」


 明るい食いかた!


「そういう視点もあるんだな」


 気を、遣わせてしまった。


 貴族社会でこれからもやっていくつもりなら、間違いなくティアージュの作法が正義だ。そこには異論を挟む余地などない。


「どうやら俺には、ティアージュ先生の授業がまだまだ必要みたいだ。次は会食作法の講義を頼む」


 ぱあっと、笑顔の花が咲いた。


「はい。私で良ければ、喜んで!」


 不問に付してくれたんだろうな、これ。


 ああ、俺はこの子に、何を報いてやれるんだろうか。














ここまで読んでいただきありがとうございます。

この物語はノクターンノベルズにて書いています↓


「ぼっち勇者のドーナツクエスト」

https://novel18.syosetu.com/n1164jk/


の外伝的な扱いとなっています。ノクターンゆえ、だいぶ叡知ではありますが、よろしければ是非に。



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