08 兇兄と愚弟⑫
二の矢。
それはおそらく、大魔王に挑もうとする勇者のことを指すのだろう。
仕組まれた堕落勇者が蔓延する一方で、志高く魔族領域に向かう勇者も少なからず存在した。
ただ、闇雲に飛び込んだところで待ち受ける魔族と渡り合える力量がなければ無駄死にで終わる。パーティが半壊し、ほうほうのテイで退散した勇者の話を風の噂で耳にしたのは、果たしていつのことだったか。
「あれがあのまま育てば、手のつけられん狼藉者に成り果てるのは必至──そんな報告を受けてな。家のことを丸投げにしていたわしにも責があるゆえ、とっておきの教師に更正を依頼したのだが、よもやそれが徒となろうとは」
とっておき。
フェネキアのことだ。
神刀の勇者パーティにおける最古参メンバー。
あの常軌を逸した強さは、かつて俺も目にしたものだった。ただあの日、あの場所にはフェネキア以外にもおかしな連中がいて、だから多分、そのおかげで俺は灼かれずに済んだのかもしれない。
両手をぷらぷらと舞わせるだけで魔物をこま切れにする、ずんぐり短軀のレアエルフがいた。
稀少な重盾魔法を得意とし、本来パーティの火力を担う魔導師の職能でありながら防御全般を取り仕切る、ピンと立てた紅蓮のローブの襟が印象的な苛烈極まる性格の女、アキ・クオルダー・ホーボックがいた。
ティアージュの聖女の力を目にするまでは、間違いなく俺の中では最高のヒーラーという位置付けだった、白い法衣姿の面倒くさがり屋にして僧正のヤヨイ・キュリナマルカがいた。
そして何より神刀の勇者、バルホワ・シズクァート──。イボリアスのような手入れされた長髪とは違い、野放図に伸ばした黒髪を振り乱し、文字どおり血眼、鬼気迫る表情で魔物を両断する姿を、俺は未だ鮮明に記憶していた。
あれほどの高みに至らなければ、魔族領域に突入し大魔王を討ち果たすなど到底不可能なのだろう。
彼らの力を目の当たりにしたからこそ、俺は一線を引くことができたと思っている。
逆に、神弓の勇者であるライデリッヒ少年は、フェネキアに魅入られてしまったのではないか。
幾つもの輝きに圧倒され、超えられぬ距離を悟らされた俺とは違い、ただ一人の「最高」から手を差し伸べられたとしたら?
伯爵は「余計な真似」と言った。
それは思わず口から漏れ出た本音なのかもしれない。トライハント戦車隊という大私兵団を抱える伯爵からすれば、血縁の勇者は何としてでも引き入れておきたい戦力だったろう。
「それでも、御子息の意思を尊重なされた」
「わしの駄目なとこよな」
それはグラッパレット・トライハント伯爵の美点であり、欠点だった。
気に入った者がいれば大貴族の権力を惜しみなく発揮して、平民を貴族に引き上げるような無茶をやる一方、身内認定した者であれば、傍から見ていても明らかに寛容、いや放任が過ぎる傾向が見られるのだ。
もっとも、これに関しては立ち位置次第な面はあった。たとえばうちのロゼが過去、貴族社会のマナー的にだいぶ逸脱した無礼をはたらいてしまったことがあったのだが、そんな時でも伯爵は鷹揚に許してくださった。
ロゼが俺の部下であり、また優れた弓の技を認めてくれてもいるからこそなのだろう。
問題は、同じことが戦車隊の幹部たちにも適用されてしまうってこと。連中はそれを承知しているから、伯爵の前であろうとこちらにずけずけと失礼な口を叩いてくるのだ。
「いえ、きっと御子息は閣下に感謝しているかと」
「そうであればいいのだがな」
明言はない。
だがおそらく「神刀の勇者」とは、四祖の国が協同の計らいで遣わした、特別な存在なのだ。堕落勇者の裏に潜む思惑や伯爵の言葉から、それは十分に察せられた。
比べてライデリッヒ少年は、そうではない。
あのフェネキアが格闘術を仕込み、本人もこれまで多くの弓の名手を訪ねては、頭を下げて指導を受けてきたという。誰かに教えたことなどないと当初は困惑していたロゼも、少年の学ぶ姿勢にだけはお墨付きを与えていた。曰く、とても大貴族の子息とは思えない真面目さなのだと。
事実、神刀の存在に目を瞑れば、そこらの堕落勇者など遥かに凌ぐ強さを既に身につけていた。まだ十代と考えれば、これはほとんど驚異的な成果といえた。
しかし、今後どれだけ少年が実力を底上げしたとて、二人で魔族領域に挑むのは余りに無謀だ。
このままなら、伯爵が己の決断を後悔する日はそう遠くない未来に現実のものとなろう。
「…………」
情けない。
もし俺が、いまのように領主の立場などなく、一介の軍人だったなら──なんて、思い上がりのような考えがふと頭に浮かんでしまった。
たとえそうなったとしても、俺では二人の足手まといになるだけだというのに。
隠れ勇者は責任から逃げたビビリの勇者だ。
肩を並べて戦う資格など、端からありはしないのだ。
●粉雪牛のステーキ
各人に一皿ずつ、ソースのかかったステーキが運ばれてきた。
メインディッシュとなるスノービーフは、赤身でありながらとろけるような舌ざわりが特徴で、今回のトリを飾るにふさわしい一皿だ。
うちでも特別な日にだけ食卓に並ぶ最高級品。
「ところでその人の『格』って、食事の時にこそ出ると思うんですよね」
ケネシコアが唐突に話題を切り出した。
「ふむ」
「閣下の堂々とした食べっぷりはまさしく獅子のようで、お見事という他ありません。ドラナークの公女様にしても、ナイフとフォークを巧みに操る所作の一つ一つから艶を感じさせられます。芯まで礼法が染みわたっているのだなと、ほれぼれいたしますもの」
「そんなことは……」
褒められたというのに、ティアージュは少しも嬉しくなさそうで、むしろ警戒しているようにすら見えた。
「イボリアス騎士長は──まあ美形特権で何をやってもサマになるから除外しますが」
「おい」
「問題は男爵様ですよねえ」
まあそうくるわな。
多分これこそティアージュが構えていた理由。
俺を下げるための前置きに自分を使っていると察していたのだ。
「言わんとするこたァ分かるよ」
そう。言われるまでもない。
隣にティアージュがいての、形式的な会食。
いつもの、ざっくばらんな食事とはまるで意味合いが違う。
このような場において、ティアージュの完璧に近い作法に比べて、自分のそれが如何に粗く、野蛮なものであるかなんてのは、何より俺自身がさっきから痛感していたっつーの。
「格の違いは身分の違い。そもそも生活様式の歯車が噛み合わない。このまま二人が歩みを続けていても、きっと日々の些細な『違い』が心の中で澱のように積もってゆくでしょう。早晩破綻は免れないんじゃないかなって」
「シビカに失礼であろう。分をわきまえよ」
ここでやっと伯爵がケネシコアを叱りつけてくれたが、彼女は軽く頭を下げただけ。顔を上げればそこには変わらず挑発的な笑みが浮かんでいた。
ダル絡みにも程があった。
まったく意味が分からない。
「何が言いたい?」
「公女様にはもう話していますが、あたし、家名こそ出せませんが、アリス貴族の生まれですの」
「へえ」
追放されたのだと、ケネシコアは語った。
何が原因でそうなったかについての詳細は避け、とにかくどれだけ自分が苦労してきたか、如何にして現在の地位を勝ち取ったのかを滔々と弁じ立てた。
持ってまわった言いかたが鼻につき過ぎた。
だから俺はストレートに聞いてやった。
「……つまり、何だってンだい?」
間が生まれた。
白けた間だ。
「察し悪」
吐き捨てるようにぼそりと言った。
「……いいわ。せっかくだから噛み砕いて教えてあげましょう。このケネシコア・ウルミーファ、名家の生まれでこそあるけれど、長らくレベルの低い暮らしを強いられてきた経験がある分、公女様よりは齟齬なく男爵様に寄り添えますよ──ってことです」
臆面もなく、言ってのけた。
「どうせ同情なんでしょう? どうせ劣情なんでしょう? 何しろ労せず抱けますものね。格は下でも、精神的な優越を堅持したまま女を支配できますものねえ。けれどそんな歪、どうせ長続きしませんって。……だったら、あたしにしておきません?」
尽くしますよと、しなをつくってケネシコアは交渉を持ちかけてきた。




