08 兇兄と愚弟⑨
傲慢の源泉。
キィーフ貴族の心に宿る、「自分たちは規格外の存在だ」という驕りの根拠──。
ティアージュはその正体を問われ、「聖女でしょう」と答えた。
「何故そう思う? 聞かせてくれ」
伯爵の問いが重ねられた。
貴族と平民の違いこそあれ、伯爵も俺もアリス人である。対してティアージュは生粋の、しかも幸か不幸か染まり切っていないキィーフ貴族なのだった。
「まずキィーフ国王ミカド・ケンヨウイン陛下ですが、四祖の筆頭格として魔族を封じた危険領域を自国に抱え込み、現在も尚、監視の目を光らせ続けております」
かつて人族は、魔族によって滅亡寸前にまで追い詰められていた。それほど種族としての力量差があった。
それを覆したのは神が遣わした四人の魔法使い。
──四祖だ。
たった四人が、その強大な魔法で逆に魔族を大陸の北の端にまで追いやった。
「四祖様の戦いは、種の存続を懸けたもの。伝承によれば当時の最高戦力が列に連なっていたと云います。そしてそこに、初代の聖女様がいたのです」
それはいまも各国に伝わる、最初にして最大の英雄譚だ。特に四祖の国ではそれぞれの初代の活躍が大いに盛られて伝わっていたりする。なんだっけか、我がアリスの初代に至っては、天を衝くほどの巨大なハニワ型ゴーレムを何体も操役して魔族のネームドを屠りまくった、てなことになってるらしい。……いやいやどんだけ盛るんだって話だ。もうそんなのほとんど無敵ではないか。
「聖女様はその力で傷ついた皆を癒し、最後には魔族領域を封印、キィーフに祝福を与え、その後隠遁なされました。──畏れながら閣下、キィーフ国内の魔物被害発生率が、大陸の他三国と比べて最小なのはご存じでしょうか」
「ああ。魔物討伐の担い手であるトライハント家としては、忸怩たる思いはあるがな。こちらがどれだけ奮戦しても、結局、アリスの被害発生率をキィーフのそれより下回らせることはできなんだわ」
伯爵は肩を竦めた。軍人貴族としての自負が強い伯爵は、巨費を投じて戦車隊をつくり上げ、東奔西走の日々をいまも送っている。だのに状況は好転せず、ろくな対策すら講じてないように見えるキィーフに及ばないのだ。
「閣下、どうか気を落とされませんよう。キィーフは初代聖女様の祝福によって国全体が守護られています。ですから魔物の発生率にしても、他国と一様に比べられるものではないのです」
祝福?
「ほう……」
伯爵が俺に視線を寄越す。知っていたか、とでも言いたげに。
俺は小さく頭を振る。聖女については全くの門外漢なので自信はなかったが。
「ふむ。キィーフではそういうことになっているのか。つまりそれが、キィーフ貴族の根底にあるものだと?」
「はい。幼少より貴族の子息子女はまずそのことを教えられます。四祖の長たる国、聖女の加護厚き国であると」
「ええと、ちょっといいですかぁ?」
首を傾げたケネシコアが割り込んできた。
「そもそも『聖女』ってなんなんです? あたしは冒険者ギルドなんてもんとは無縁な暮らしをしてきたもんで、間違ったこと言っちゃってるかもですが、少なくともこれまで聖女なんて職能にはお目にかかったこと、ないんですけどぉ」
その奇抜な装備に反して、実にまともな質問ではあった。
何か、エマやティアージュの間では当たり前のことみたいテイで話が進んでしまって、どうにも「今更聞けない」感があったのだが、実のところ聖女とは何なのか、俺自身よく分かっていなかったのだ。助かる。
「……そうですね、職能というよりは、勇者に近い存在になるのでしょうか。ただ、各国で複数確認されている勇者とは違い、聖女は一人、それもキィーフにだけ誕生するという違いがあります。伝承では、初代様の意志の力がはたらいてそうなっているとか」
ティアージュの説明は、伝え聞いたものを口に出してるだけのぼんやりとしたものだったが、なるほど無理もないと思えた。おそらくキィーフでも勤勉な貴族子女の部類に入るだろうティアージュにしてこれなのだ。となれば、他の連中など推して知るべしだ。
一方、だがそれもやむなしと思う自分もいた。末席とはいえ為政者の立場になって、見えてきたものがあるのだ。
──たとえば、勇者。
以前までは、自分を棚に上げて堕落勇者を苦々しく思っていた。神刀の勇者一人に責任を押しつけて、何をやっているのかと。
違った。
国が、そうあれと関与していた。
一人でも多くの勇者を抱えこんでおくこと、国に繋ぎ留めておくこともまた、国防のための軽視できない布石なのだと知った。
むしろ好き勝手に大魔王討伐への旅を続けている神刀の存在こそが特別であり、それすらも各国の協定のもと、成り立っているのだという事実に驚愕した。
汚いと思った。まるで、壁に飾られた武具のような扱いではないかと。
果たして隠れの道を選択せずにいたら、いまの自分はどのような立場に置かれていたか。そこに自由があったかと、考えてしまわずにはいられない。
翻って、聖女──。
キィーフだけに生まれる?
一人だけ?
不公平だろう、そんなのは。ましてやあの、冗談みたいな光の使い手ときてるのだ。
歴代の聖女にティアージュと同じことができたかは不明だが、どうあれ大っぴらにされれば間違いなく物議を醸す存在──。
よって伝説の戦いに参加していたこと、国の護り手であることをわずかに記すのみで、重要なことはキィーフの中枢にだけ継承されていると解釈すべきだろう。そう考えればいろいろと合点がいく。
「素晴らしい! それほど価値のある国の貴族ともなれば、多少の行き過ぎたプライドも致しかたありますまいて!」
まるで耳寄りな情報を得られたとばかり、イボリアスは目に見えて御機嫌になっていた。
「さっきからさ、あんた随分とキィーフが好きそうだよな。移住の予定でもあんのかい」
「はァ!? な、何を言うか! この……童貞の分際で……!」
ちょっとした嫌味のつもりだったのだが、騎士長様はどういうわけか泡を食ったみたいな反応になった。
「戯れは程々にせよ」
それでも伯爵の一言は絶対らしく、興奮の余り、いまにも俺に詰め寄らんと表情を歪ませていたイボリアスは即座にスンと能面になり、沈黙してしまった。
「シビカよ、ドラナーク公と話したおまえには今更であろうが、聞いてのとおり、キィーフ貴族というものは厄介だ。奴らの機嫌を損ねた場合、我が国に生じる不利益は計り知れん」
話が戻ってきた。
「さすがに悩ましい問題だったゆえ、即断即決とはならなかった。何しろキィーフ貴族が色めき立って角を生やすトラブルの種を、こともあろうにわしが目をかけている新人が持ち込んで来たわけだからな」
「申しわけありません」
「よい。詫びるのは遅れたわしのほうよ。でな、どうしたものかと頭を抱えていたところにサヒージュ商会が協力を申し出てきたのだ」
──エマ・サヒージュ。
黒髪を片目が隠れるほどだらしなく伸ばした、胡散くさい脱力系商人。
「うちの交渉力で男爵はんらを外圧から守り、この領地に富をもたらすこと、サヒージュ商会の名に懸けて約束しまっせ!」
あの時は話半分で聞いてたが、商人の矜持ってもんか、本当に動いてくれたみたいだ。しかもトライハント伯爵のところへ行くってのが、エマの勘所に対する優れた嗅覚を物語っている。この件で頼りになる貴族など、アリスにおいては伯爵の他に誰もいないのが実状だった。
「キィーフ側が今回の件を理由に転移スクロールの流通を止めてきた場合、商会はアリスを優先して卸すと、そういう約束を取り交わした」
直截な物言いは避けたが、つまりこれはゴーサインだ。少なくとも俺はそう受け取った。
「……それでだな、まあ、なんだ。あのサヒージュ商会頭目を動かすほどの事態が進行していると知ってしまい、ふふ、どうにも好奇心を我慢できなんだわ。戦車隊を動かす必要があったのは勿論だが、己が目で震源地を確認したくなったのも理由の一つではあるのだ」
対照的だった。
決まりの悪さからなのか、手の甲で少し顔を隠す伯爵に比べて、後ろの二人の、何と仏頂面なことか。
「閣下の行動、内外に響かせるこれ以上ない意思表示となりましょう。感謝の念に堪えません。ですが──」
「ん?」
アリスの大貴族であるトライハント伯が、戦車隊を率いてアクトラーナ領に逗留したという事実。
これはつまり、大国キィーフとトラブルになっている木っ端男爵が、別段アリス国内で孤立無援になどなってないことを明確に知らしめる行為に他ならない。
俺としちゃありがたいことこの上ないが、こんなことをしても伯爵自身には何らのメリットがなかった。アリス王家からは疎まれるかもしれないし、派閥から離脱する貴族だって出ないとも限らない。
幾ら親分肌の伯爵とはいえ、築き上げた立場を悪くするだけになってしまう。この過剰な庇護を表明してくれる理由に見当がつかなかった。
「──ここまでしていただいても、こちらには返せるものがありません。それが少々、心苦しく」
俺が差し出せるものといえば、せいぜいが武力。だのに昨日さらしてしまったブザマでは、とてもじゃないが口に出すことはできなかった。
「何を縮こまっているかと思えば……」
伯爵は呆れたように溜め息をついてみせた。
「ケネシコア、おまえは滞在中、ティアージュの身辺警護に当たれ」
「心得ました」
「イボリアス、戦車隊の使える兵を見繕って男爵邸の周辺警戒に入れ。回しかたはおまえに任せる」
「はっ」
「…………?」
困惑する俺を見て、伯爵は毒気なくカラカラと笑った。
毀誉褒貶のある人物だった。
たくわえた口髭、タテガミのように豊かな頭髪から雄獅子とも称され、アリス貴族の誉と謳われた。
おそらく実態は、未だ枯れることなく好奇心が旺盛なままの太っ腹なオヤジ──なのだろう。
軍事と色事への関心に抑えが利かず、結果として戦車隊が生まれ、伯爵は魔物討伐の成果を讃えられた。一方、トライハント領の税は高く、民の暮らしは苦しいと聞く。また、多くの愛妾も各地に囲っており、家庭を顧みない人だとも。その真偽は定かでなくとも、息子でありながら伯爵の前に姿を見せようとしない神弓の勇者から察せられるものはあった。
角度。
人は平面じゃない。
きれいな面もあれば、汚い面もある。それは俺も同じで、伯爵もまた、そうなのだろう。いろんな面が立体を成し、その人物像をかたち作っているのだ。
ある人が見るトライハント伯爵は英雄。
別の人が見る伯爵は傍若無人な悪徳領主。
俺の見る伯爵は恩人だった。
「親が子についてあれこれ指図し構うこと、そこに打算などあるまい。わしの立場がどうとか余計なことは考えず、いいからおまえは気にせず構われておれ」
そしてどうやら、伯爵にとっての「親」とは、そういうものらしかった。




