08 兇兄と愚弟➇
「正直な話をするとだな、この地に来るつもりはなかったのだ」
天幕の中で、俺たちを前にグラッパレット・トライハント伯爵が苦笑混じりに切り出した。
伯爵の背後には騎士長イボリアス・コレトリオと副長ケネシコア・ウルミーファ。
二人共、直立不動の姿勢ではあったが、言葉にしてないだけで、その目、口の端は露骨に俺を小馬鹿にしていた。イヤな感じだ。やめてほしい。
(あいつら、射殺す、よろしいか)
(いいから、放っとけ、気にすんな)
俺は左右にティアージュとロゼを連れて伯爵と向かい合っていたが、こうなると殺気立つロゼを抑えにまわらないといけなくなる。小声でのやりとりすらままならないこの状況下、俺とロゼは互いに背中に手をまわし、指をトントンと叩き合う簡易な信号交信で意思の疎通を図っていた。──と。
ぞわり。
悪寒が走った。
ちらりとティアージュの顔を見る。
◉_◉
じっ、と俺とロゼを覗き込んでいた。
え。
ティアージュが、初めて見せる表情だった。
ロゼも同じタイミングでティアージュのそれを見てしまったらしく、毒気を抜かれたような感じになって俺の背中に当てていた手がしなしなと離れた。まあ無理もない。だって俺も離したし。
「なんだ、どうかしたのか?」
伯爵が不思議そうに聞いてきた。や、これは説明のしようがないな。仕方ないので先程の伯の言に乗っかって誤魔化すことにした。
「ははは。いえいえ何でも。しかしそうなると、閣下がうちへ来ようと思われたのは、心変わりをするだけの理由、きっかけがあったということですか」
「うむ。シビカよ、前提としてわしはアリスの貴族であり軍人であり、そして政治家だ。おまえがキィーフと揉めることは、この国にとって不利益をもたらす結果となる。意味は分かるな?」
「転移スクロールですか」
キィーフの初代にして現王、ミカド・ケンヨウインが神から授かった時空魔法は、戦闘での有用性はカクテルの変化、アリスの操役に及ばないという評価であったが、それらすべてが霞んでしまうほど、【地点登録場所】へと瞬時に移動する転移魔法には他を圧倒する利便性があった。
日銭を稼ぐため、魔法使いが初級の攻撃魔法を巻物にして売るようなそれとは規模からして違う。キィーフは国家の高級特産品として転移スクロールを流通に乗せ、この世界に交通革命をもたらしたのだ。
「ああ。あれを作成できるのは、キィーフ王家とその血を取り入れたキィーフ貴族たちに限られる。つまり供給も連中の胸三寸で決まるということよ。故にわしらは最悪のケースまで考える必要がある」
ここで伯爵は俺たちに向かい合ったまま、立てた親指を自身の背後に立つイボリアスへと差し振り上げた。
「たとえばこのイボリアスだ。役職上、わしが今回のように戦車隊を動かすとなれば、余程のことがない限り指揮を執る立場ゆえ、それなりの期間は野営生活となる。こいつはそれがイヤでイヤでしょうがないらしくてな」
「閣下、誤解をなされているようですが──」
「ははは。いい、いい、分かっておる。おまえがわしに仕えてどれだけ経ったか。さすがにわしもそれくらいは察せるわ」
あわてるイボリアスのほうを見ず、伯爵は鷹揚に手をひらひらと振る。そこに嫌悪の感情は乗っておらず、伯爵からすれば軽く「からかった」程度のものなのだろう。
「そもそも平民なら転移スクロールを買うカネがない。だがイボリアスのような高給取りとなれば話は変わる。一度でもアレの便利さを知ってしまうとな、何日もかけて遠い距離を行くのが馬鹿らしくなるのだよ」
「…………」
自嘲気味に笑う伯爵と、その言を否定しないイボリアス。どうやら二人の見解は一致しているようだ。
「ま、わしと近しい騎士だけならば転移スクロールで済む話ではあった。が、戦車隊は動かさねば錆びつくゆえな。今回は渡りに船だったのだ」
「なるほど」
トライハント戦車隊はアリス王国軍に次ぐ規模を誇る。しかし大人数の集団というものは実際に動かすことで初めて問題点が見えてくるもの。訓練だけではどうしても限界があるのだ。伯爵としては、この機会にうちとの往復でそのあたりを洗い出したかったということらしい。
「──とはいえ、動かせばイボリアスのように不満を抱える者も多くなる。家族と離れて何日も野営生活を強いられるわけだからな。そこに加えて今回の出動は討伐任務の類ではないときた」
「畏れ入ります」
原因となった身としては、ひたすら頭を低くするしかない。
キィーフ王国、カクテル帝国、アリス王国、アーバージュロウ千代連邦。
四祖の国同士は基本、敵対などしない。現在も友好国として交流を続けている。実際アリスにしても同様に、血統魔法である操役スクロールを他国でも購入可能にしているのだ。まあもっとも、需要の差は歴然であったが。
「気にするな。おまえをこちらに引き込んだのはわしだ。助けを請われれば駆けつけるにやぶさかではないよ」
そう言ってから伯爵はティアージュに視線を移した。
「して、そちらがドラナーク公のご令嬢か」
すぅ、と彼女は一歩前に出た。
空気が変わった。
背筋をピンと伸ばし、折り目をつけた動きで鮮やかに、丁寧に。
「──はい。ティアージュ・ドラナークです。アリス王国に勇名轟くトライハント伯爵様へ拝謁を賜り、光栄に存じます」
俺は貴族の世界の仕来たりに詳しくない。だがそんな俺の目から見ても、ティアージュが尽くしてみせた礼は、簡潔にして完璧なものだった。
きれいだった。
「…………なんとも。これは驚きだ。気を悪くさせるつもりはないと予め断っておくが、わしはな、お嬢さんの父君とは面識があるのだよ」
あー。
「ふふ。まったく、鳶の家に鷹が生まれたかと驚かされた。確かに向こうでは異端と映るであろうな。だがわしは賞賛しよう、見事であると。そしてシビカ、おまえの決断にもな」
ここで伯爵はようやく背後を振り返った。
「時にイボリアス、かつておまえはわしの護衛としてキィーフ貴族たちと対面したことがあったな」
「ええ。もう何年くらい前のことになりますか。懐かしいですな」
「あれらをどう見る?」
「…………」
何故か沈黙した。もしかすると、自説を頭の中でまとめていたからかもしれない。
「傲岸にして不遜。ですがそうなるのも仕方ないかと。カクテルやアリスとは違い、キィーフは四祖の国の筆頭。更には自国内に魔族領域を抱えながらも魔物被害は四祖四国で最小。何より揺るぎない財政基盤となる転移スクロールの輸出国です。そんな豊かな国の貴族ともなれば、勢い鼻も伸びましょうぞ」
「ほんとほんと。カネ持ちの国っていいわよね。満ち足りた暮らしをしていれば、心身の不調なんてすぐに治りそう! 羨ましいわぁ」
アリス貴族の騎士でありながら、イボリアスは妙にキィーフ貴族を擁護するような言葉を並べ立てた。ケネシコアの不自然な同調もぎこちなさを増すだけで逆効果にしかなってない。
伯爵は、しかし怪しい二人の言動を無視してするように俺たちに向き直ると、再びティアージュを見据えてきた。
「ではお嬢さん、君にも聞いてみようか。いましがたイボリアスも口にした、キィーフ貴族の傲慢の源泉には、果たして何があると思うかね?」
試すような問いかけだった。
しかしティアージュは、躊躇うことなくその言葉を口にしてみせた。
聖女──と。




