08 兇兄と愚弟⑦
無限頷きモードを脱したロゼは、一息ついた後、俺が見落としていたそれを口にした。
──昏睡令嬢。
初めてティアージュを見た時に、王国貴族交流会の出席者たちが発していた蔑称だ。
「あ──」
すっかり忘れていた。
何しろアクトラーナ領に来てからティアージュがそうなったことなど一度もなかったのだから。
「その顔……。まあでも、それくらい、心穏やかにティアージュ様が過ごせていたってことですからね。シビカ様の確かな成果と言えるんじゃないでしょうか。ですが、ティアージュ様が向こうで頻繁にそうなっていたことまで抜け落ちていたら、見えるものも見えなくなってしまいます」
ぐうの音も出ない。
昏睡に陥るトリガーとして、「心の負荷が一定値に達したら」とシキが言葉にしていたのを憶えている。そりゃ、あんなおかしな国、あんな家族のもとで暮らしていたら、心は常に悲鳴を上げていたことだろう。
だが、しかし。
「…………」
心が沈む。
「あ。『自分に迫られるのは心的負荷かよ』ってとこです?」
ピタリと当てられたんだが。
「私はティアージュ様本人ではないので、これは推察になります。──なりますが、違うと思いますよ。あまり口に出すことではありませんが、意識を失うって、こわいんです」
「こわい?」
「分からなければいいです。シビカ様ならそうなったことなんてないでしょうからね。でも、おそらくティアージュ様はシビカ様の前でそうなりたくなかった。これは間違いないかと」
「おまえが言うならそうなんだろうな」
「信頼してもらえるのは嬉しいです。じゃ、行きましょうか」
「え、どこに?」
「そりゃーティアージュ様の部屋ですよ。鉄は熱いうちに打てって言いますしね」
ひと足先に立ち上がったロゼが部屋のドアを開け、呆気に取られる俺を慇懃な物腰で招く。
「今日はもう遅いし、明日にしないか」
「は? まだ夕方ですが?」
ロゼはその姿勢とは裏腹ににべもなかった。
厳しい。
勿論ロゼの言わんとすることは分かる。分かるんだがなあ。もう何というか、ただただ、顔を合わせづらかったのだ。
ホントどの面下げて、である。できることなら先延ばしを申し出たかった。
少し間を置けば、いまの俺のグズついた気持ちにもカサブタができて幾らかマシになるかもしれなかったし、それは向こうにしても同じなのではないか、なんて甘い考えに意識が逃げてしまう。
そうして、不粋な真似は控えたほうがいいのでは、などと弱気な意見を口にする。ある意味でそれは「もう勘弁してくれ」と、暗に白旗を掲げているに等しかった。
「問題ありません。向こうにはシキがいますし、こちらにも私がいます」
知らなかった。同伴者がいるならアポ無しで押しかけても構わないらしい。
違う。そうじゃない。
ロゼはこちらの窮状を敢えて無視する構えのようだった。事実、俺はさあさあと急き立てられ、気づけばティアージュのいる客間の前まで来させられていた。
え、これノックしなきゃ駄目か? と迷う暇すらなかった。
コンコンコンと、勝手にドアを叩かれたのだ。
(ほら、しゃんとしてください)
(おまえなあ)
代わりにやっときました! そんなドヤ顔をロゼは俺に見せてきた。
「どちら様でしょうか」
向こう側からシキの誰何。
俺が名乗ると、静かにドアが開いた。
冷たい顔をしたシキの後ろに──。
「…………!」
何か、当たり障りのないことを言おうと頭の中で準備していた。
明日のこと、今日のこと、取り繕うようなこと。
全部、吹っ飛んだ。
泣き腫らした目のティアージュが、そこにいたから。
ああ、やはりそうか。
駄目だ、これは。
咎は、責は、俺にあるのだ。
「すまない。俺が悪かった。どう償ったらいい? 言ってくれ」
深く頭を下げた。何もない。計算はしない。立場的に制限こそあれ、ティアージュの望みに添うつもりだった。
「えっ? えっ?」
どんな誹りも甘んじて──なのに彼女の口から漏れたのは、ひたすらの困惑を示す言葉だった。
どういうことだ?
もしかすると、掛け違っているのか?
いや、これもまた自分に都合のいいように、安易で楽なほうに思考が流れているだけかもしれなかった。
俺は大前提としてティアージュに拒絶された。そこから目を逸らしてはいけなかった。ロゼが提示した情報はあくまで参考程度で、正答ではないのだ。
ぐるぐると、頭の中で感情が渦を巻く。
言葉が出ない。何かを言うべきだった。さっきまでは俺が悪いと整理できたからこそ謝罪できた。だというのに、ティアージュの困惑を目にしたことで俺というヤツは「もしかして」と、立ち止まってしまったのだ。
なんて卑しい。
ティアージュは俺を見ていた。赤くなった目で。
あるいは彼女は俺が何かを言うのを待っているのかもしれない。だけどそれは俺にしても同様だった。
俺は俺で、彼女からの都合のいい言葉を待っていたのだ。
「…………」
「…………」
「なんですか、この沈黙」
いい加減にしてほしいとばかり、わざとらしい溜め息をロゼにつかれてしまった。
「…………」
「…………」
ああ、それでも尚、俺たちは煮え切らなかった。
「──シキ」
すると唐突に、ロゼの矛先がシキへと向かった。
「ねえ、これはどこまであなたの想定のうちなの?」
「は?」
「え?」
いきなり、ロゼがワケの分からないことを言い出したら、そりゃあ俺も間抜けな声を出す。や、ティアージュのそれは可愛いのだが。
「な、え、ちょっと、こんなところで」
言われたシキはあわてていた。だがその様子は俺とは違い、理解している者がする言葉、そしてあわてっぷりだった。
「いま話さないで、いつ話すの」
対してロゼは覚悟を決めたような顔をしていた。
「利害が一致したんです。簡単に言うと」
身も蓋もない真相が、ロゼの口から明かされた。
まず以て、ロゼとシキの二人は姉妹だった。
顔立ちがよく似ているため、もしかしたら遠縁とかだったりするのかな? なんてことを思ってはいたが、まさか直の姉妹とは。
二人は、手紙で互いの近況についてやりとりをしていたらしい。
そこで知った。互いの仕える主人に降りかかる問題を。
──問題?
ティアージュに絡みつく数々の深刻なそれと比べられてしまうと、俺の婚活が云々とかは、正直あまりにも取るに足らなさすぎて申しわけないばかりなのだが、一応、ロゼは問題として捉えてくれていたらしい。
つまりその解決策として──。
「すべてわたしたちが悪いのです」
シキは観念したように、すべてを認めた。
あの日。
キィーフでの王国貴族交流会での帰りの事故。
「あ……」
かちり、と歯車が噛み合ったような気がした。
シキという少女の在りかたを知れば知るほど、あの夜の事故には首を傾げる部分が多すぎたから。
そうか。
姉妹が示し合わせて、俺たちに縁をつくったのか。
だが何故いまそれを明かす?
「本当に、とても上手く物事が運びました。姉さんが手紙で書いていたとおり、ここの人たちは皆やさしくて、ティアージュ様も心穏やかに過ごすことができました」
心の負荷。昏睡に至るトリガー。
キィーフにおける、ティアージュを取り巻く様々な悪意は、彼女にとっての病魔そのものだった。
「そうだな」
それは取り除かれた。
「何の問題も、なくなった筈だ」
「違うのです」
黙したままのティアージュに代わり、シキは頭を振った。
「シキ、もういいから」
ティアージュが、何かを言おうとしたシキを遮って話を終わらせた。
「────」
ここまでか。そんなふうに思うと、明日の面談に際しての調整なんかをしておくべきだったかと、打算的な考えが先に立つ。俺はそういうヤツだった。だからこの後のティアージュの行動も、これまでに見てきたそれから勝手に型に嵌めた予想をしてしまう。
扉を閉めて部屋に戻ってしまうと。
言ってしまえば俺は、ティアージュ・ドラナークという人間をきちんと見ようとしていなかったのだ。
すーーーーーーーーっ。
大きく息を吸いこむ音がした。
「男爵様、私には心的負荷の他に、も、もう一つあるのですっ」
顔を真っ赤にして、勢いまかせ気味にティアージュは言った。
そうして覚悟を決めたような硬い表情でシキの前に出ると、俺の手を取り、そこにそっと自分の両手を重ねた。
「~~~~ッ!」
これが初めてではなかった。
ダンスのレッスンを彼女から受けている時に、手を取る動作は何度もしていた。
だが、あれが乾いた、きわめて工程的なものであったのに対し、いま俺の手を包む柔いそれは、震えてはいたがしっとりとあたたかく、それでいて言葉にできない感情を直に伝えてくるような──。
パッと、手を放り出された。
ティアージュは、半ば万歳をするような格好になっていた。
「これが私の、精一杯です……」
言って、ふらりと姿勢を崩したティアージュを、シキが抱きとめた。
「無茶をなさらないでください」
「ん。ごめんなさい」
二人のやりとりを、呆けた顔で眺めていた俺の脇腹を、ロゼが肘でつついてきた。
(解説、要りますか?)
(後ですり合わせよう)
(了解)
とはいえ、さすがに俺もティアージュの言わんとすることを何となく理解できていた。
そして確信した。
ティアージュの【昏睡】が、特異体質とかそういうものではなく、何者かの悪意によって付与されたものであることを。
9月から忙しいとこへ出向することになってしまい、あわあわする毎日を送っております。帰宅したらもうお風呂入って横になるだけなんですよ。そのうえスマホの液晶画面に寿命が来てしまい、急ぎ買い替えたりなんかして。私はスマホでポチポチしながら文章を打っておりますので、新スマホに慣れるまでまた時間がかかってしまったり。
読んでくださっているかたがもしいるのでしたらば、更新遅れてすみません。何とか集中して時間つくっていきたい所存です。




