08 兇兄と愚弟⑥
協議の結果、便宜上ティアージュの回復魔法は聖光癒と命名された。
通常のヒールは怪我を治す。
素晴らしい魔法だ。
それこそ回復職の有無は実質パーティの継戦能力に直結すると言っていいくらいに。
かつての俺の部隊も、職能僧侶のハビィの加入によって負傷除隊が大幅に減った。
ありがたい。マジでありがたい。
なるほど、アリス国内にある神殿島ダルク──その支配階級である高位僧たちが神の使徒を名乗り、我が物顔で振る舞うようになってしまったのも頷ける。癒しの奇蹟はそれほどまでに勘違いを加速させるのだ。
何しろ先ほどイボリアスたちから寄ってたかって凹られた俺の全身の傷にしたって、ハビィのヒールでいまはもう癒されているのだ。ヒール万歳なのだ。
そして、だから、それゆえにティアージュの扱いは慎重になってしかるべきだ。
「まあでも、会わせるんですよね」
「そりゃ閣下の御指名だしな。断れんだろ」
俺の私室兼執務室には、部屋の隅に座卓を挟んで向かい合う二台のソファが設置されており、俺とロゼはそこに腰を掛けていた。
仕事としての報告やら何やらであればデスクの前でしたかもだが、この話はさすがにそうではない。何より俺が話しづらかったし、ロゼを立たせたまますることでもなかった。
「冒険者ギルドは勿論だが、地方領主の私兵団、果ては王国軍に至るまで、回復魔法の使い手はまず重要視される」
「軽視するようなバカは淘汰されますからね」
遠慮のない、いつものロゼがそこにいた。
少し安心する。
革の装備を外し、白いブラウスに紺の膝丈スカートという私服に着替えたロゼは、険も取れて年齢相応の、美しい湖面の煌めきのような瑞々しさに溢れている。荒事のない貴族の生活に足を踏み入れて、この子にも落ち着いた暮らしをさせてあげられると思っていたのだが、どうにもままならないものだ。
「キィーフでは酷い扱いをされてきたティアージュだが、聖女であると知られれば手のひらを返す筈だ」
何故なら、ただひたすらにティアージュのセイントヒールは別格なのだ。ほとんど次元が違う。
まず傷が治るだけじゃない。疲労まで消える。詳しく検証したわけではないが、おそらく状態異常の類、古傷、欠損までカバーできるのではないかとすら思っている。
目が眩む。
どんなに良識ある人物であっても、そんな、途轍もない能力者の存在を知って、上手くすれば手元におけるという事実に正常でいられるか? って話だ。トライハント伯は恩人であるが、忌憚のない意見を言わせてもらうなら、あくまで貴族の中ではマシという程度でしかない。
軍人貴族として内外に知られる御大がティアージュの光の価値を知るところとなれば、いまのキィーフの連中よりも余程厄介な相手となろう。
だからその点、エマは上手く交渉したのかもしれない。肝心な部分は濁しつつも、キィーフと事を構えてもアリスは損をしないのだと。
……いや、交渉内容を知らないとどうにも動きづらいな、やっぱり。
「確かに。時空魔法ではないにしろ、聖女という印籠は強力です。もしかすると本国での立場は保証されるかもしれませんね。──でもシビカ様、どうしちゃったんです? いきなり弱気じゃないですか。キィーフには返さないって息巻いてましたよね」
さすがロゼ。痛いとこを突いてくる。
「本人がここにいたくないって言うかもしれな」
「言うわけないです」
被せ気味に否定された。
「重ねて言いますが、ティアージュ様がそんなことを言うわけがありません」
断言されてしまった。
「そうか」
とはいえそれは今朝までの話だ。
俺みたいなのと一緒には暮らしたくないと、心変わりしているかもしれない。
「…………どうにも、分かりかねます。判断材料が不足しています。シビカ様、私を頼ると言って下さいましたよね?」
「ああ」
「何があったのか、教えて下さい」
どうにかしてオブラートに包んだ、迂遠な説明をしようと目論んでいた俺の浅ましい魂胆は、しかし最短距離を詰めてくるロゼの前では意味をなさなかった。
これはもう、観念するしかないか。
俺は、視線を床に落としたまま、ぽつぽつと、あの場で起こった出来事を白状した。
「ほー」
不思議な抑揚だった。
「ほーほーほーほーほーほーほーほーほーほー、ほーほーほーほーほーほーほーほー!」
少し怖くなり、ロゼの顔を見た。
怒っているような、喜んでいるような表情で、ほーほーほーとしきりに頷いていた。
「ロゼ?」
「つまりそんな聖女様を、シビカ様は性欲にまかせて抱こうとしたんですね!」
火の玉ストレートな一言が飛んできた。
俺は撃沈した。




