08 兇兄と愚弟⑤
かつて見た光景ではあったが、相変わらずトライハント戦車隊の大所帯は壮観だった。
純粋な戦闘部隊の他に、炊事係、給仕係、馬の世話係、そして天幕や寝台、便所の設置係を引き連れているのだ。
「隊」よりは「一座」といった呼びかたのほうが相応しいのではと、以前もそんな感想を抱いた記憶があった。
「ま、こんな広さでよかろうよ」
本来なら均等に設置されていく天幕設置エリアの一角の、不自然な隙間。
そこで俺たちは向かい合っていた。
立会人はグラッパレット・トライハント伯爵。
この俺シビカ・ネガロ・アクトラーナと対するは、トライハント戦車隊の隊長騎士であるイボリアス・コレトリオ。
桃色の、ウェーブがかった長い髪を靡かせた色男だ。
「一人でいいのか?」
俺は訓練用の、刃引きした槍を肩に担ぎ、同じく刺さらない刺突細剣を手にしたイボリアスに聞く。
「さっきも言っただろ。ジブンだけじゃ無理だと。こちとら指揮官でよ、猪武者のアンタとまともにやり合うつもりはサラサラないんだわ。──とはいえ閣下の手前、何もしないわけにはいくまい」
やれやれと肩を竦めて見せた、イボリアスの左右それぞれに、二人の女が立つ。
「来たか」
「ポロス・クーインズ、参りました」
「レイド・ミーガン、参りました」
戦士職なのは立ち姿や雰囲気で分かるが、二人の格好はどう見てもこれから戦おうとする者のそれではなかった。
ポロスという毒々しい髪色の女は、身体の線を強調するワイシャツとタイトスカートを身に着け、胸元や太腿に用途不明のベルトを巻いていた。
レイドは赤茶の髪を短くし、上は淡い色のブラウスにダークカラーのジャケット、下はスーツスカートを穿き、その両脚は黒いストッキングに覆われていた。
ぱつんぱつん。
二人、共に異様な肉付きをしていた。
乳と尻、太腿が主張し過ぎていた。
目の毒だった。
「いい女たちだろう? あ、【野獣男爵】のアンタは女なんて毎晩飽きるほど抱いてるんだっけか。噂が本当ならさ」
「…………」
俺は答えない。
こいつ──イボリアスとは初対面の筈だった。なのにこんなことを言ってくる。それはつまり、俺に関して事前に相当な情報収集をしていたという証左だ。
「さっさと始めないか」
俺は槍をイボリアスに向け、挑発気味に促した。
周囲にはベギナラやロサリグたちの姿がある。これはあくまで模擬戦だ。切った張ったの展開にはなるまい。もし万が一そうなったとしても、こいつらなら何とかしてくれるだろう。
「せっかちだな男爵は。──おい、『準備』しろ」
イボリアスの号令で、二人の女戦士は躊躇わず自らの衣服を引き裂いた。
「は?」
遠巻きに円をつくり、俺たちのやりとりを見ていた野次馬たちにもどよめきが走った。当たり前だ。いきなり女二人が半裸になったのだから。
「はぁン……むくつけきオス共の視線を感じる。ねぇ、ちなみに私、どこもかしこもおっきいわよ?」
ポロスが自分の身体をまさぐって観衆へアピールすると、戦車隊の関係者とうちの連中から「ひゅ〜」と歓喜の声が上がった。
言うだけあって確かにデカい。ってかいま、見えちゃいけないとこまで見えなかったか?
「あぁ、なるほど、これは私らが呼ばれるわけですね」
もう一人の女、レイドはそんな俺を見て、得心したように頷いていた。
「じゃあ始めようか。閣下、合図を」
「ん。始めろ」
伯爵は特に驚いた様子もなかった。予めイボリアスからこうすると聞いていたのかもしれない。
ポロスとレイドは槍を手にしていた。
無駄に背がでかい俺のリーチに槍が組み合わさると、大概の近接武器ではまず当てることすら困難となる。絶対的な間合いの格差が生じてしまうからだ。従って、接近戦に限れば俺はほとんどの相手と有利に戦えるのだが──。
「ははははは! ほら見たことか! 他愛もない!!」
愉快そうに、甲高い声で笑うイボリアスがそこにいた。
滅多打ち。
いいようにやられてしまっていた。
二本の槍が上下に散らされ、その間隙を縫ってイボリアスが細剣で突きを入れてくる。
イボリアスの指示は的確で、それを遂行する二人の女戦士の連携も実にたいしたものだった。
「手も足も出てないな」
「ふふ。きっと男爵は、我々に花を持たせてくださってるのでしょう。ああ、なんておやさしい」
伯爵の感想と、それに対するケネシコアの白々とした意見が聞こえた。
「オイオイ、言われてるぞ」
イボリアスは確かに並の剣士ではなかった。冒険者ギルドに登録していたなら、白銀級相当には判定されただろう。
それでも、こいつだけならこんなことにはなってない。
イボリアスは二人の女を牽制役としてだけではなく、盾代わりにもしていたのだ。
その、なんだ、乳と尻が、いまにも見えてしまいそうで微妙に見えない破け具合になっている状態の女を、である。
くそ。
肉を打つ音がした。
無論、俺の身体からである。
戦う動きをしなければ、でかいだけの身体など丁度いい的みたいなものだ。面白いように当てられてしまう。
陣形。
必ず一人は俺の背後にまわる位置取りを徹底させていた。三人が一人を凹る時の、理論上不敗の配置だった。
肉と骨を叩き、突く。
痛みを伴う音が俺から鳴っている。
イボリアスは御機嫌そうだ。
「ははははは! 何もできんのか! みっともないな!」
うるせえな。
腿。膝。脛。
手首。肘。肩。
胸。腰。背部。
首。額。後頭。
満遍なく、打ち込まれた。
訓練用の槍や細剣でなければ致命傷だった。
全く、我ながらみっともない姿だった。
俺は何を勘違いしていたのか。
生粋の貴族令嬢にとって、ろくでもない平民の成り上がりがどう見えているのかにすら考えが及ばなくなっていた。
俺は弱っている彼女に自己満足でつけこんでいただけの、卑しいオッサンでしかなかったのだ。
立場的に強く拒否できない彼女の、形式的な感謝の言葉なんぞを好意と受け取ってしまった、とんでもない早とちり野郎だった。
その挙句、手を出そうとして。
「駄目。みっともない」
知ってるよ。
言われるまでもない。
この顔と、何年つき合ってきたと思ってる。
自分がブサイクだってことは重々承知だっつーの。
あー失敗した。失敗した失敗した失敗した失敗した。ホント自分に嫌気が差す。あっさり構えを解いてホイホイとまあ、バカなんじゃないの?
「チッ。まだ倒れないのか。頑丈にも程があるだろ」
イボリアスの呼吸が荒くなっていた。
女二人はとっくに肩で息をしている。訓練用で軽いとはいっても、身の丈以上の槍を振りまわして人を叩き続けていればまあそうもなるだろう。
バシン!
あ痛。また腿の裏を引っ叩かれた。
もうかなり熱を持ってるんだが。痛いんだが。
「オイ休むな! その童貞にはどうせ何もできん。打ち崩せ!」
あー、とうとう言いやがったなあの野郎。
調べていたにせよ、何で分かったんだろうか。いや実際に会った俺から童貞特有の何かを察知した、なんて言われたら、ちょっとどうしたらいいのか分からなくなるけどな。ははは。
三方から襲い来る攻撃のすべてを凌ぎ切ることはできず、被弾を余儀なくされる。いつもの俺ならすべて薙ぎ払って獲物に槍を振るい、それで終わる戦いだった。
だがこれは試し合いの場で、イボリアスは俺が女に手を出せないのを見越してのことか、ポロスとレイドを巧妙に操作していた。
それにしても、一声で服まで破かせるのかよ。
そういう関係なんだろうか。そうなんだろうなあ。
羨ましい。面のいい男は羨ましいよ。
「もらった!」
八方塞がりな状況に困ってしまった俺を隙だらけと見なしたか、猛然とイボリアスが前に出た。
喉元への突きを入れようとして、しかしそれが果たされることはなかった。
踏み込む手前で阻止されていた。
頭上から降り注ぐ、矢の雨によって。
イボリアスだけでなく、二人の女──ポロスとレイドの動きまでも完全に制してしまうほどの、精緻にして苛烈な弓の曲射技法だった。
静まり返ったその場に、ポニーテールを揺らしながら悠然と姿を見せたのはロゼ。
まあこんなことができるのは彼女くらいしかいないのだが。
「おお……! 更に磨かれておるな!」
せっかくの勝負に水を差す暴挙ではあったが、立会人の伯爵はそれを咎めず、むしろ喜んでいた。
まるでそれぞれの寸前に、天空から前進禁止の警告が発令されたかの如く──。
それほど見事な、糸を引く美しい連続曲射であったからだ。
「あれが弓の名手と閣下が褒めそやす……」
イボリアスは眼前で展開された神技に半ば茫然としていた。分かるのだ。ロゼがわざと自分たちに当てないように射ったのが。
「なんですかこれ」
ロゼの視線の先には俺がいた。
その呆れたような表情が、いまのロゼの感情を雄弁に物語っていた。
「ええっとな、ロゼちゃん、こいつは」
「ベギナラさんたちも! 雁首揃えて何ボケッと見てたんですか!」
助け舟を出そうとしたベギナラたちにもロゼの怒りが容赦なく降り注ぐ。すまん。
くっ、くっ、くっ。
そんな俺たちを見て、平静を取り戻したらしいイボリアスが例の奇妙な喉奥笑いをして近寄ってきた。
「仲違いは見苦しい。屋敷の中でやってくれないか」
したり顔だった。
ピキッと、空気が張り詰めた。
ベギナラが露骨にイボリアスにメンチを切っていた。ベギナラだけではない。伯爵の手前、自重していたハビィやロサリグたちも歯を軋らせていた。
「控えろ。結果がすべてだ」
俺は皆に釘を差す。
「閣下、完敗です。いい部下をお持ちだ」
負け惜しみは無しだ。
「すまんなシビカ。恥をかかせてしまったか?」
「いえ、これは」
「閣下、仕方ありません。対魔物と対人戦はまた別物! 男爵殿は魔物相手ならばきっと強いのでしょうが──」
「イボリアス、口を挟むでない。わしはシビカと話をしておるのだ」
「くっ。これは失礼」
「……シビカよ、わしらはここに陣を張り、今日は休息を取るつもりだ。明日の昼前、キィーフの令嬢同伴の上で改めて話をしようではないか」
「はっ」
本題は明日に持ち越しか。
俺は伯爵の前から御暇すると屋敷の前にいたハビィに声をかけた。
「すまないが回復魔法を頼む」
「それは構いませんが、ティアージュ嬢を呼んだほうが」
「シキが警護についてる。二人の時間を邪魔したくない」
「…………わかりました」
何も聞かないでくれるハビィに感謝した。
およそ間抜けな構図だなと思った。
屋敷の中、廊下の片隅で互いに向かい合った状態。
二〇センチは優に離れた身長差。
そこで一方が、いわゆる壁ドンをカマしていた。
背の低いほうが、高いほうに、である。
高いほうは俺で、低いほうがロゼだった。
ロゼは両手で、俺の逃げ場を塞ぐように壁に手をついていた。
そうすると必然、距離が近くなる。ロゼは身長のある女性ではあったが、無駄にタッパだけある俺が相手となると、見上げないことには視線が合わず、接近した状態でそうされると、俺としてはだいぶよろしくなかった。
見た目で人を測る是非はさておき、どうあがいてもロゼは美人さんであり、俺ってヤツは情けないことに視覚情報に抗えなかったのだ。
ホント駄目。なんかいい匂いするし。
「なあ、近いんだが」
「は? シビカ様がそれを言うんですか?」
ジト目気味にロゼが俺を睨む。
ロゼがこういう時に持ち出してくるのは、出会ったばかりの頃の、無理やり拉致って裸に剥いたあの件である。正直もう擦られすぎてぺらっぺらになってるので、そろそろ勘弁してほしいところだったが、ロゼはどうにも許してくれそうにないらしい。悪かったよ。
「……………………」
じっと、ロゼに見つめられる。俺としては目を逸らすしかない。だってその眼差しは強すぎるから。
「何か私に言うことはないんですか」
静かに言われた。
「ええと、弓の勇者たちはどうした?」
「……ここでお父上と会うのはばつが悪いとか何とか。今日は屋敷に戻らず、町の宿屋に泊まるそうです」
「なるほどなー」
どうやらあの少年も、父親に対しては複雑な想いを抱えているらしい。少し親近感が湧いたな。うん。
「…………」
こわいんだが。
「そうじゃないですよね、シビカ様?」
ちょちょちょちょちょ。
ぐっと顔を近づけられた。こいつ、背伸びをしてるのか! いやもうヤバいから!
さすがに養女相手にこんな気持ちになってるのを悟られるわけにはいかない。って、もうこの距離だと早鐘を打ってる鼓動の音とか聴かれてそうではあったが、まだ誤魔化せる範疇の筈だ。そう思いたい。
俺は両手でロゼの肩に手をかけると、ずずいと俺から遠ざけた。
ようやく、ひと呼吸。
「────すまん。ちょっと困ってる」
「はい。では、お聞きしましょう」
かなわない。
まったく、頼もしくも恐ろしい、我が小姓なのだった。




