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ロゼ③


 本心を隠さず言うなら、シビカの結婚なんて私は全く望んでない。


 ずっと婚活に失敗し続けて、その果てに血迷って、私に手を出してくれればいいのになと、そんなバカみたいなことを妄想していた。


 だって私が一番シビカを想っているのだ。この一点だけは誰にも負けるつもりはないし、譲るつもりもなかった。


 ただそれを、敢えて口にすることがないってだけの話。


「気になるヤツができたら言うんだぞ。俺も力になるから」


 仕方のないことだが、シビカは形式的に私の養父だ。だから成長した私を見て、シビカは時折そういったことを口にするようになった。


 人の気も知らないで。


「他人にかまける前に、まずはご自分の伴侶でしょう」


 その(たび)に私は、思ってもいない皮肉を返してしまう。


 甘えているのだ、この男に。私に対し滅多なことで声を荒げたりしないのを分かって、過ぎた言葉ばかりが口から出てしまう。


 そのくせ、先へ踏み込むことができない。


 やっと辿り着いた、認められた、いまのこの立ち位置を壊してしまうことができずにいたのだ。


 失いたくない。


 これが正直な気持ちだった。並び立つ、とまではいかないが、ここまで来るのにどれだけ積み上げてきたかを考えたら、とてもじゃないが博奕(ばくち)を打つような無茶はできなかった。


 現状のままでいい。

 もうこれで満足だった。


 だって私は知っているから。


 シビカの秘密を。神槍(しんそう)の勇者であるという事実を。


 もっともこれは、誇れるような経緯(エピソード)ではない。


 あれはまだ、シビカが貴族に引き立てられる前。


 ようやく馬術を身につけた私は、億劫(おっくう)がるシビカを半ば引きずるようにして遠乗りへ出かけたのだ。


 二人きり。


 もっとも、そこに甘い何かが待っているなんてことはなく、この機会を利用して、私はシビカに自分を認めてもらうつもりだった。


 もう十分に、あなたの背中を守れる力があるんだと、知ってもらいたかったのだ。


 駐屯地を出発して、近くにある森へ入った。

 そこで目についた魔物を片っ端から射殺(いころ)した。


 馬上から、馬を走らせながら、連射で、曲射を混ぜて……とまあ、様々な技を彼の前で披露した。


 得意満面だったと思う。恥ずかしい。


 いつの間にか、奥に分け入っていた。


 そして引き当てた。


「命中したのに!?」


 ──人が用いる武器を寄せつけない魔物に。


 それは巨岩に等しい質量の粘体だった。不定形の、ゼリーのような、紫色に揺らめく大型のナメクジらしきモノ。


「グレータースライムだ。剣も槍も弓も、およそあらゆる攻撃はこいつに通じない」


「何を暢気(のんき)な! どうするんですこれ!」


 連射を撃ちこんでも微動だにせず、ズズと(ゆる)くこちらに向かって来るだけ──に見えて、近寄ると即座に猛烈な勢いの触腕を繰り出してきた。


 不意を衝かれた私は落馬を余儀なくされたが、すぐさま太い腕が私の腰を抱き、傷一つ負うことなくこの窮地を免れた。


 距離を取って、もう一度それと向き合う。


「本体の移動速度は見てのとおりだが、さっきの触腕が厄介なんだよな。射程に入ったら、カラダのどこからでもアレが飛んでくる。下手に斬りつけても強酸が飛沫(しぶき)となって撒き散らされるだけだしな」

「あの、シビカ様……」


 あの時のことは、私の宝物の一つだ。


 だって思い出すだけで、いまでもこんなに顔が火照(ほて)ってしまうのだから。


「え、あ、悪い」


 シビカは片手で馬を操り、もう片方の手で私を、さながら自分の胸板に押しつけるようにしてかき抱いていたのだ。


 ああ、分かっている。そうしたほうがバランスがいいからなんだってことくらいは。


 でもこの身が子供ではなくなってから、シビカとあんなふうに密着したことなど一度もなかったのだ。


 同年代と比べ、背の高いほうになる私をあっさりと片腕でホールドできてしまう、鍛え上げられた大きな身体(からだ)。たくましく厚い胸の奥から、確かに早鐘を打つ鼓動を耳にできた。


 年齢(とし)は一回りも違う。


 出会った時の諸々からして、ずっとあんなふうに子供扱いされてもおかしくなかったのに、シビカは私の成長を見て、ある時から一線を引いてしまった。


 身も蓋もない言いかたをすれば、私を女として見てくれるようになった。


 それ自体は嬉しい。その一方で昔のように頭を撫でてくれることがなくなった。それを惜しむ自分がいた。尊重してくれることは嬉しい。これは本当だ。でもそれはそれとして──なのだ。まったく、なんて自分勝手。


「一度退いて、用意を整えますか」


 私は離れがたい気持ちを隠し、シビカの腕から抜け出して馬上を彼の後ろへと移動しながら方針を聞いてみた。


 スライムに通常の武器は効果が薄い。グレーターともなればもはや無効に等しいだろう。だが魔法なら効く。魔法使いがいなくとも、散財覚悟でスクロールを消費しまくることで討伐は可能な筈だった。


「いや、ただのスライムならともかく、こいつにはそれもどうだかな」

 

 シビカがチラりと、私の乗ってきた馬を見た。


 触腕の一撃をモロに腹部へ受けてしまい、横倒れで小刻みに痙攣していた。おそらくもう、助からない。


「…………」

「シビカ様?」


「おまえに当たらなくて良かった」


 ぼそりと一言。

 心底安堵したように。


 シビカの後ろにいて良かった。


 顔を見られていたら、きっと弁解できないくらいにはなっていたから。


「ロゼ」

「ひゃ、はい」

「いまからあれを討伐する」


 ──シビカはスクロールを持ってきていたんだろうか? いや、ついさっき魔法が決め手になるか怪しいと口にしたばかりじゃないか。


 私の戸惑いなど知る(よし)もないシビカは、馬上からグレータースライムと正対し、あろうことか槍を構えた。


「シビカ様……?」


 さんざん、普通の武器は通用しないと言った後だった。思い上がりを承知で言うなら、もしかするとシビカは自分の生命を危うくさせたこの魔物への怒りから、冷静な判断ができなくなっているのではと。


 勘違いだった。


「え」


 間近にいたからか、その変化が手に取るように分かった。


 彼の手にする槍が、明らかに「別」な何かに変質し、変化したのだ。


 大きく、太く、神々しい姿へと。


 もはやどうしてそれを片手で持てているのかが不思議なほどの巨大な槍となった。


 そして、触腕も届かない射程の外からプスりと一刺(ひとさ)し。


 あっけないほどに、グレータースライムは討伐されてしまった。


 しゅわしゅわと、消滅してしまったのだ。


「…………」

「…………」


「…………」

「…………何すか、いまの」


「ただの武器じゃ駄目だけど、神の授けた武器なら話は別ってことだな」

「そうじゃなく!」


 シビカは観念したようで、私に秘密を打ち明けてくれた。


「卑怯モノなんだよ、俺は」


 勇者は魔族と戦う責務がある。それが存在意義だ。シビカはそれに背を向けていた。


「まあ、最初に見た勇者が『刀』だったのもあるかな。こりゃ、俺の出る幕はねえなってさ」


 神刀(しんとう)の勇者の話は私も耳にしていた。


 各地に勇者は観測されているが、そのほとんどが「魔族に対抗し得る力をつけるため」的な理由で生活圏を離れなかった。勇者認定されれば多くの優遇措置が受けられるため、それが勇者を堕落させているのだという意見もあった。だが力なき人々の代わりに魔族と戦う勇者を無碍(むげ)にはできないと、現在まで問題は先送りにされていた。


 神刀の勇者は数少ない例外の一人であり、また堕落勇者たちの方便だった。ただ、シビカに限って嘘はあるまい。実際すごい勇者なのだろう、神刀は。


 まあ、私にとっては遠い空の下の顔も知らない存在であり、まったくピンと来なかったが。


 何せその時の私にとっては、シビカが私と秘密を共有したという事実が、そしてその切っ掛けこそがすべてだったのだ。


 確かにティアージュ・ドラナーク公爵令嬢は、絵に描いたような庇護対象であり、私と同い年でありながら既に丸みを帯びた「女」の身体を獲得していた。


 ──ズルい。


 つい羨望の眼差しを向けてしまう。


 卑下ではなく事実として、少年のような凹凸のないこの身体とティアージュのそれを、比べてしまっている自分がいた。


 普段は見ないふりをしている、自分の中の劣等感があぶり出されるような気がした。


 だけどティアージュは知らない。


 シビカが神槍の勇者だと。


 私にだけ、それを教えてくれた。

 私の身を案じ、害そうとした存在に怒ってくれたのだ。


 それが、それだけが慰めだったのに──。


 ああ、どうやら私は、まったく(もっ)て井の中の(かわず)だったらしい。



 ──フェネキア・クリームタルト。



 神弓(しんきゅう)の勇者、ライデリッヒ・トライハントに付き従う、たった一人の仲間。


 あの女はおそらく、シビカ様が神槍(しんそう)の勇者であることを知っている。雰囲気で察しがつく。きっと何か、私の知らないシビカ様との(エピソード)があるのだ。もう、ただそれだけのことで、心に醜い嫉妬の火が(とも)ってしまうのを抑えられなかった。


「……ああ、何でこんなに好きなんだろ」


 溜め息が出た。



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