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07 勇者と師匠③


「端的に言ってしまえば、ダンスというのは夜会のメインイベントです」


 応接室の家具を端に片して広くしたスペースで、俺と向き合ったティアージュがまず分かりやすい(たと)えをしてくれた。


「一部の殿方(とのがた)の中にはダンス後の、金銭を賭けるカードゲームの時間を何よりの楽しみにしてらっしゃるのかもしれませんが、おそらくそこでは無礼講となるでしょうから、やはり男爵様が身につけるべきは、ダンスの際の所作かと存じます」


「そこから始めてしまっていいのか」


「コース料理に喩えるなら、前菜やスープに多少の難があっても、最高のメインディッシュが味わえたなら満足してナプキンを畳みませんか?」


「なるほど」


 つい、話を合わせてしまった。


 ナンテコッタである。俺にはティアージュの言っている「ナプキンを畳む」の意味すら分からないのだ。



 ──個人授業。



 平民上がりで何も知らないまま貴族になってしまった俺にとって、国は違えど貴族として生きてきたティアージュは、まさしく師と仰ぐに相応しい人物だった。


 一方ティアージュ自身もうちの屋敷での手持ち無沙汰を気にして仕事を求めていた。なので俺は表向き、彼女から貴族社会の細々とした仕来(しきた)りを御教示いただくことになったのだ。


 その初回。


 いきなりのダンスに面食らってしまったが、その理由を問われるのも想定内とばかり、ティアージュは用意していたのだろう説明を返してくれた。


「パートナーのいない女性がいましたら、ゆっくりと近づいていき、正しく礼を決めてください。多少、大袈裟でも構いませんわ。これは言わば、相手と周囲に見せるためのものでもありますから」


 言葉の後に、ティアージュは模範を示してみせた。


 教本なしで、である。どうやら彼女の頭の中には男女の区別なく、すべてが記憶されているらしい。


「基本としては、自らの名乗り、それから手のひらを上に向けて差し出して、『私と踊っていただけますか』との問いを投げてください。この際、可能であれば笑顔だと尚良しです」


 ハードルが高い。


「女性側は返答しつつ、了承の合図としてそっと差し出された手のひらに指先を置いてきます。そうしたら男性側はその指を摘むようにして手を繋ぎ、ダンスフロアまで女性をエスコートするのです」


 何やらエスコート時の腕の組みかたにまで細かい指導が入った。うん。これ一度じゃ絶対おぼえられんな。


「そういや、パートナーのいる女性を誘うのって、ルール違反に当たるのかな?」


 ふと疑問に思ったことを聞いてみた。


「そんなことはないですよ。連れの男性がいた場合であっても、そのかたが必ずしもパートナーとは限りません。保護者──父親、あるいは兄弟、もしくは友人の可能性もありますので。ですからまずはパートナーのほうに、彼女を踊りに誘ってもいいかを聞くことになります。パートナーを無視して直接女性に声をかけるのは、夜会の場では重大なマナー違反となり、即座に見物客(ギャラリー)の非難の的にされてしまうかと」


「あー。あの空気はどうにもイヤだな」


 ヒソヒソと、陰口をささやかれてるのが肌で分かるあの感覚の気持ち悪さ。


 振り返ればサイズの合ってない、いやそもそも自分には全く似合ってない燕尾服こそが最初の(つまず)きだったのではないか。


 あれで場の異物と認識されたのだ。


 自分の存在が疎外され、それを上書きできないまま、苦手意識だけが植えつけられてしまった。


「ティアージュくらい、しっかりとしたマナーを身につけられてれば、俺も気後(きおく)れせずに貴族の集まりに顔を出せたんかね」


「…………」


 何とも言えない顔をするティアージュがいた。


「悪い。適当に喋っちまったな」

「あ、いえ。お気になさらないでください」


 頭から抜け落ちていた。


 マナーが身についていようがいまいが、ティアージュにとって社交の場は針の(むしろ)だったことを。


 どうにも目の前にいる完璧な御令嬢と相対していると、それを忘れがちになってしまう。まさかこんな子が、長らく不遇にもほどがある酷い状況で生きてきたなど、いったい誰が思い至る?


 かろうじて。


 そう。かろうじて、キィーフ王太子カルアンとの婚約がティアージュの生命線となっていたのだ。


 それは父であるドラナーク公が、いずれ王族に嫁ぎ、家の立場を強固にする「道具」の見た目を損なうほど愚かではなかった、というだけでしかない。


 あの夜、もし俺の馬車と事故を起こさず普通に帰り、婚約破棄された事実を公爵が知ってしまった場合、早晩ティアージュに対する物理的な虐待が始まっていたことだろう。


 俺との出会いがティアージュの運命を変えたんだ、なんて自惚れるつもりはないが、少なくともおかしな方向に突き進んでいるキィーフ貴族の世界から彼女を引き離すことができたのは、結果だけ見れば良かったのではないか。


 いや。


 自己満足で終わっては駄目だ。


「シビカ・ネガロ・アクトラーナと申します。美しいお嬢さん、()と踊っていただけませんか?」


 俺は目の前で表情を曇らせているティアージュに向けて、わざとらしいほどの一礼の(のち)、手を差し伸べた。


「ふふ。まだ笑顔がぎこちないですわね」


 俺の手のひらに、細くしなやかな指先が降りてきた。



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