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05 勤勉と怠惰⑤


「困る」


 泣かれると困る。


 対処の仕方が分からない。


 いつぞや、俺の顔を見て泣き出した女児にはロゼが割って入って何とかしてくれたが、生憎(あいにく)とこの場に彼女はいなかった。


 アリス王国の有力貴族であるトライハント伯爵から気に入られた俺は、貴族に取り立てられる前後の頃、王都ランスで伯爵の付き人のようにあちこちの集まりへ顔を出し、ペコペコと頭を下げてまわっていたのだが、その時に劇場で芝居を観たことがあった。


 英雄の物語。


 それは劇の後半のワンシーンだったか。傷心のヒロインを慰めるため、その英雄は泣いているヒロインをやさしく抱きとめると、ヨシヨシと頭を撫でたのだ。


 観客は盛り上がっていたが、俺は引いていた。


 最終的には恋人同士になるとはいえ、その時点で英雄とヒロインはまだ知り合いでしかなかったのだ。


 普通、抱くか?


 容姿端麗な英雄様だからこそ許されるやりかたじゃないかと、そんな感想しか湧いてこなかった。


 俺がやったら一発アウトだ。悲鳴を上げられてしまう。


 なのでもう、素直にこちらが思っていることを伝えるしかない。


 泣かれても困ると。


 それがお互いの幸せのためだった。


「ああ、すみません。私ったら、子供みたいに」


 ティアージュは手の甲で涙を拭った。


 無能は俺だ。おそらく彼女は居ても立ってもいられず懺悔に来たのだ。なのに何もしてやれない。案山子(カカシ)以下だった。


「悪い。俺は見てのとおりだ。噂話、耳にしてるよな。だいたい合ってるんだなこれが」


 (いわ)く、社交界の場に現れた野獣男爵は誰とも話をせずに食事ばかりし、酒ばかり飲んでいた。ヒトの言語を解せないからに違いない。

 曰く、貧乏な下級市民が貴族のガワを被っているため、ナイフとフォークが使えず手掴みで食事をするらしい。

 曰く、野獣男爵は普通の食事では満足できないため、魔物の群れに突っ込んではハラワタを食い千切り、空腹を満たしているらしい。

 曰く、常に傍に控えている美貌の弓兵は、野獣男爵の性奴隷であり、彼の屋敷では毎晩ドロドロの凌辱ショーが繰り広げられているらしい。

 曰く、文字の読み書き計算もできないため、領地経営は家臣に任せきりらしい。


 曰く、曰く、曰く。


 それはないだろ、という荒唐無稽なモノに紛れて、実に的確に刺してくる内容が幾つかあった。


「戦いに明け暮れて、俺は貴族らしい振る舞いなど何一つできない。全部一夜漬けの付け焼き刃だ。御婦人のエスコートだってそう。俺にはあなたが接してきた貴公子たちみたいな、気の利いた台詞が口から出てこない」


 つい本音が漏れた。


 自己欺瞞(じこぎまん)はティアージュだけに限らない。誰にだってあるのだ。

 当然、俺にもだ。


 強がって、普段は何か、もっともらしい理由を盾にかざしているが、気が抜けているとこうなってしまう。弱い自分が顔を覗かせるのだ。


 ──比べられたくない。


 言ってしまえばそれに尽きる。


 語彙が貧困で、見た目も悪い。こんな俺など、本来ティアージュと至近で会話をする資格すらない。事実これまで別世界の者同士だったのだ。


 たまたま。


 おかしな縁から貴族になり、体裁(ていさい)の問題で嫁探しをしていたところ、ロゼに話を振られて隣国の貴族交流会に出席した。その帰りに、なぜかシキが俺の馬車と事故を起こし、乗り合わせていたティアージュと知り合った。


 振り返ると、おそろしいほどの偶然が幾つも重なり合っていた。


「おかしなことをおっしゃいますのね」


 俺の情けない言葉に、ティアージュは疑義を呈した。ひんやりとした冷気を伴って。


「私が、殿方からやさしくされたことなんて、あると思いますか?」


「あ、あー」


 しまった。それはそうか。


 どうにもティアージュを前にしていると、認識が自分の基準に引きずられてしまう。


「うわべだけなら確かに幾つか。ですがその、薄皮一枚の下に透けて見える侮蔑を前にして、どうして私の心が動くでしょう」


 こんなに美しい令嬢が、血統魔法を使えないというただそれだけ、その程度のことで、これまで不当な扱いを受けてきたという事実を、どうしても信じられないのだ。


「先ほど、名前を呼んでいただけました」


 ティアージュはそう言って強く俺を見つめた後、少し苦く笑い、やがて視線を外した。


「私は、それだけで」




 ──まいった。反則だろ。




「仕事をもう一つ頼みたい」


「はい」


()いてる日に時間を設けるんで、俺に貴族のマナー的なアレコレを教えてほしいんだが、どうだろう」


 妥協だ。これはそう。妥協。


「……私で、いいんですか?」


 何を今更。言わせたいんだろうか。


 俺は目線を隠すように手を自分の顔に当てた。


「他に、いないだろ」


 ああ、クソ。なんなんだろう、この気恥ずかしさは。


「…………」


 ソファから立ったティアージュが俺のほうを向いた。


「では謹んでお受けいたします。ふふ。どうか男爵様、よろしくお願いします」


 丁寧なカーテシーだった。


 ドレスではなく、寝間着のワンピースなのに、見惚れるほどの美しさだった。


 完璧な所作と尽くすべき礼がそこにあるなら、正装は必須なものではないんだと、危うくそんな錯覚をしそうになるくらいだった。


 いまこの場で、する必要のないそれを見せたのは、彼女なりの感謝の表現なのかもしれなかった。


 決めた。


 ティアージュを、だらけた悪い道に引きずり込んでしまおう。


 もともと滞在期間中は楽しく遊んでもらうつもりだったのだが、いろいろあって方針は変わった。


 ティアージュはキィーフに帰さない。


 俺がそう決めた。

 彼女が帰国を望んでも許可しない。


 これは俺の我儘だ。


 この生真面目すぎる、やさしく美しいお嬢様に、毒親のした行為や言動なんて忘れてしまうくらいの、嬉しい楽しい、甘い記憶を詰め込んでやるのだ。













読んでいただきありがとうございます。

本作と同じ世界の物語をノクターンノベルズにて連載しています。

「ぼっち勇者のドーナツクエスト」

https://novel18.syosetu.com/n1164jk/

ノクターンな作品です。

作品をまたいで登場するキャラもいますよ!


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