ボンサイ
翌朝。
心配していた朝食会ですが、思ったよりも平穏な時が流れていました。
リテーヌ様は『合わせる顔がない』と参加を見送り、お兄様も『クラ……きぇあああ…………。いや、リテーヌが参加しないというのなら私も参加しない。ク、クラゲが怖いからじゃないぞ。怖くないからな!』と当面のところ欠席することとなりました。ある意味、結婚することで独立を果たしたということで、お父様も欠席をお許しになったようです。
そのようなわけで、朝食会の出席者は、お父様、お母様、わたくし、スイボ達、そしてエイヤだけとなりました。
「とりあえず何とかうまく収まったな」
「ええ」
お父様とお母様は疲れ果てた様子で、背もたれに体重を預けています。
そんな両陛下をよそに、激軽なエイヤの声が響きます。
「おベーコン、激ウマですわ~止まりませんわ~パクパクですわぁ」
エイヤは厚切りベーコンにフォークを突き立てては、口の中に放り込んでいます。その様子を見て、わたくしにも疲れがどっと押し寄せます。
「エイヤ、無理に貴族っぽい言葉を使わなくて良いのです。ねぇ、スイちゃん」
「ぽふぃ♪」
それでも、スイはお行儀良く、口腕で幻素水晶を少しずつ砕きながら、一口一口味わっています。
「きゅい」
と、ラクシアはお母様のように優雅に。
「きゅむ」
「きゅっ」
と、ラックスとパリちゃんチームは幻素水晶の間に埋もれ、
「はぁぴ!はぁぴ!」
「はぴっ」
と、アピちゃんチームはガツガツと齧り付き、
「ぇあ~」
と、ピケはわたくしのスープに浸かってご満悦です。
皆それぞれ好みも性格も違っていますが、それ故に、こうして眺めていると、無性に愛しく感じられます。
思い返せば、数ヶ月前まで、わたくしはスイと二人きりでした。御前菜園を作ったことがきっかけで、気付けば仲間がこんなに沢山増えました。スイと二人きりの日々も楽しかったですが、たくさんの仲間とともに賑やかに生きる今は、もっと幸せです。
スイが振り向き、つぶらな瞳でわたくしを見上げます。
「ぽふぃ♪」
そして、わたくしの手に口腕をピトっと押し当て、微笑んで小さく頷きます。
そうですね。今日は、わたくしにとって、大きな一歩を踏み出す日。スイは背中を押してくれたのです。
わたくしは、一つのことを決めました。それは一生かけて取り組んでも叶わぬ夢かもしれません。けれど、この幸せを守るため、そしてそれをすべての民に広げるため、今、その一歩を踏み出すのです。
「お父様、実はお願いがあります」
わたくしがお父様にそう言うと、お父様は目をぱちくりとさせました。
「な、なんだスタッカ。珍しいじゃないか」
わたくしの決意を察してか、お母様が援護します。
「ユージンの件が何とかなったのもスタッカのおかげね。スタッカにはご褒美が必要だわ」
わたくしは、これまで褒美を要求したことは一度もありません。まあ、厳密には、あまりにもしつこく聞かれて適当な褒美を求めたことはありますが、少なくとも自ら要求するのは今が初めてです。
「そうだな。言ってみなさい。クラゲのこと以外なら何でもいいぞ」
ならば、スイボのことならば良いのでしょうか。ふと、そんなことが脳裏を過りますが、今欲しいものは、将来を見据えて必要なものでした。
「……御前菜園をロングアレイ公爵の領地としてわたくしに賜りたいのです」
すると、お父様は拍子が抜けたかのような表情を浮かべます。
「御前菜園……なぜそのような物が欲しいのだ」
何でしょうか。わたくしが世界の三分の二でも要求すると思ったのでしょうか。
「御前菜園を野菜づくりの研究や、野菜づくりを通じた市民教育の場としたいのです」
この数日でいろいろなことがありました。そして思ったのです。仲間達の平穏を守るためには、傍観者でも諦観者でもいけないと。わたくしはわたくしの力で何かを成し遂げなければならないのです。
しかし、お父様の表情は険しくなります。
「野菜なら商人から買えば良いではないか。先王も常々『弛みなき効率化』と仰っていたのを忘れたのか」
「お父様。一見、役に立たないものにこそ、真の力が隠されているのです。御前菜園は一見役に立たないものでした。けれど、その無駄を切り捨てた結果、どうでしょう。ズッキーニときゅうりの見分けも、ネギとニラの見分けもつかない皆様の出来上がりです。それは貴族だけでなく、王都の民もです。商会に頼り切りでは、そのうち高値でぼったくられても気づかなくなってしまうことでしょう」
お母様は頷きます。
「ええ、憂慮するべきことだわ」
お母様は、いつの間にかラクシアを腕に抱え、猫に対してそうするようにラクシアを撫でています。のほほんと横に伸びたラクシアの表情と、困ったように眉をハの字にするお母様の顔のコントラストに、つい口元が緩んでしまいます。
しかし、今は気を引き締めなければなりません。わたくしは背筋を正し、お父様に向き直りました。
「だからこそ、わたくしは、切り捨てられた『無駄』を拾い集めて、人々の生活の向上に役立てる研究に打ち込みたいのです」
「……そのような研究ならば、誰にでもできるではないか。王立研究所の仕事を奪ってはいけないぞ、スタッカ」
確かに、お父様の仰ることは尤もです。農業研究は王女の仕事ではありません。やはりわたくしの身の丈には合わない願いだったのでしょうか。
「『ボンサイ』だわ」
お母様は突然そんなことを仰りました。
「お母様?」
すると、お母様は得意げに説明し始めます。
「東方には『ボンサイ』という高尚な芸術があると聞いたことがあるわ。何でも『ボン』の中で『ヤサイ』を育てるものだそうよ」
お父様は豆鉄砲を食らった鳩のような表情でお母様に尋ねます。
「……『ボン』とは何だ」
「よく存じませんが、兎小屋で作るのだとか」
「……ふむ兎小屋か。王領の家畜小屋は、確か百ヘクタール……御前菜園もその程度の広さだったな」
「ええ」
「うむ。スタッカ、御前菜園をやろう。異国の芸術を究めることも貴族の嗜みであるからな。『ボンサイ』に励むように」
何から何まで間違っているような気がしなくもありませんが、こうして、わたくしは我が領地で本格的に『ボンサイ』こと平凡な菜園を始めることになったのでした。
そして、市民講座の構想は、ついに実をむすぶのです。




