ワビサビ
「やーい、怒られてやんの」
姿だけはまともな公爵令嬢のエイヤが、わたくしを指差して、ゲラゲラと笑います。
「エイヤ、貴女も共犯ですよ」
「私何もしてないもん」
「金だらいの設置を手伝いました」
「あ~、記憶にございません」
「そういう悪いところだけ貴族を真似しなくても良いのですよ」
「真似しなくても良いということは、逆に言うと、真似しても良いと――」
エイヤは絶好調です。下女や下男を除けば、わたくしが唯一知る(元)平民ですが、恐らくこれを一般的な平民と思ってはいけない気がします。
「あの人は放っておきましょうね」
「ぽふぃ~」
スイの頭を撫でながら思案を巡らせます。
確かに、鹿を追い払うのには成功しましたが、王宮全体を混乱に陥れてしまいました。王宮の警備体制には大きな問題があるようですが、いずれにせよ、もう少し音量を落とさなければならないのは確かです。その点は、金だらいを落とす高さを調整することで対応すれば良いでしょう。
しかし、この仕組みにはもう一つの欠陥があります。最終的に王宮の敷地から鹿を追い払ったのは、混乱に陥って武器をぶっ放した近衛兵達でした。鹿を追い払うのに、一度だけの作動では不十分です。音量を下げるなら尚更です。
「――というわけでエイヤ、何度でも金だらいの仕掛けを作動させる方法、ありませんか? アイデアを歓迎します」
「我の力が欲しいか」
「はぁ」
「スキル〝ピアリング〟!」
「ぽふぃ!?」
「まさか!?」
「……何も分からん」
スイがコテンと横に転びます。
「ぽふ~」
「いやぁ~、皆の頭脳を借りられるかなぁって思ったんだけどなぁ」
「自分の頭を使ってください」
「うーん、じゃあさあ、ウィンナーで巻き上げたらいいんじゃない?」
「ウィンチですね」
「そうそれ」
想像します。
アピエッタが、えっさほいさと、ウィンチのレバーを前後させて、ロープを巻き上げます。鹿が来たときには、ブレーキ解放レバーを――。
「それは良いアイデアですね」
……操作するのがスイボだということを除けば。
「え~それほどでも?」
褒めていません。
巻き上げるためには、少なくとも水車のような動力が必要になります。そして、それをスイボの力で制御する仕組みも。
「ひとまず湯浴みに参りましょう。アイデアは日常にあるはずです」
「毎日お風呂って贅沢だよね~」
「貴族でも毎日湯浴みするのは少数派ですよ。けれど、王宮には大浴場がありますからね」
しかし、近衛兵が申し訳なさそうに立ち塞がります。
「申し訳ございません。警護の都合上、大浴場はお控えください」
そうでした。王宮の警戒レベルが上がった今、下女でも利用できるような大浴場を、わたくしの立場で使用することはできないのでした。まさか大浴場の中にまで護衛が立ち入ることはできませんからね。女騎士でもいれば話は別ですが、そんな人はおとぎ話にしかいませんし、唯一脳裏を過るのはタングステンカーバイドの御方です。あの御方には関わってはいけません。
というわけで――。
「なんで私が~」
エイヤは、天秤式の肩くびきでお湯を運びながら喚いています。
「一応、貴女はわたくしの侍女でもありますからね」
「一応、公爵令嬢なんですけど」
「わたくしも王女ですが運んでいます」
そう、わたくしもお湯を運んでいます。たぷたぷとお湯が波打つ桶を肩くびきに吊して、給湯所からの長い道のりを歩いてきました。
「下女とか近衛兵に任せりゃいいじゃないですか」
「近衛兵は護衛が領分です。それに、下女が喜んでわたくしのために重労働をすると思いますか?」
「……めっちゃ舐められてんじゃん」
「自分のことは自分でやる。こういうのを古代語でDIYというのです」
「何か違う気がする」
ようやくわたくしの私室に到着しました。長らく使っていませんが、一応、定期的に手入れはしていたので、猫足の浴槽は、まだ光沢を放っています。その浴槽に、わたくしは二つの桶からお湯を注ぎます。
しかし、エイヤは何も考えずに、肩くびきに吊された二つの桶のうち片方だけを浴槽に注ぎました。
次の瞬間、肩くびきはバランスを崩し、天秤棒と空になった桶が弧を描いて宙を舞い、地面に激突します。
カポポーン!
桶の音が浴室に響きました。
もう片方の満杯の桶も横倒しになります。
「あ~! せっかく運んだのにぃ!」
排水口に流れて行くお湯を眺めながら、エイヤは地団駄を踏みます。
「……エイヤ、貴女は良いアイデアを運んできてくれる天才ですね」
お湯はまともに運べませんが。
「え~それほどでも?」
即座に立ち直るエイヤです。
わたくしは、エイヤのおかげで、とある装置のことを思い出しました。それは、わたくしが幼い頃、東方の使者が献上品として持ち込んだ、「ソウズ」もしくは「シシオドシ」という名の装置です。それは、シーソーのように取り付けられた竹筒に、水を注ぐだけの単純な仕掛けでした。その竹筒に水が満たされる事で、重心が移動して、竹筒のシーソーが反対側に傾きます。水が排出されると元の位置に戻り、その時、竹筒が岩を打ち、音が響くのです。
実際のところ、水が流れている限り繰り返されるその音に、防獣効果はほとんどありません。その上、使者が主張する「ワビサビ」とやらが、噴水の芸術性に比べて何が良いのか誰にも理解されず、気付いたときには撤去されていました。
このあたりに竹は自生しておらず、もはや、あの竹筒を手に入れることもできませんが、原理は水による重心移動です。例えばシーソーに水を受ける箱を乗せる事でも再現することはできるでしょう。
わたくしは、実験用にストックしておいた材料で箱とシーソーを作ります。竹筒のように響きませんから、岩の代わりに金だらいを使いましょう。
「早速実験しましょう」
「ぽふぃ♪」
浴室に装置一式を持ち込み、桶で水を注いで――。
……ベコ
……ベコ
「ぽふぃ!」
「上手くいきました」
でも、この音で鹿が逃げるでしょうか。恐らく、自然音と違いがなく、すぐに慣れてしまうことでしょう。
「王女様~お風呂に入らないんですか~。冷めちゃいますよ~」
エイヤは浴槽の中から、顔を覗かせていました。
「なぜ貴女は先に入っているのですか」
「お風呂は早い者勝ちですのよ、おほほほ」
とか言いながら、片脚を天に向かって突き上げます。
「へっ……」
「一緒に入る? お養母さま」
「遠慮しておきます」




