避難
王宮内にいては、どうしてもお兄様やリテーヌ様と鉢合わせしてしまいます。少なくとも、婚姻の儀の直前のこの微妙なタイミングで波風を立てたくはありません。
「今日も畑に参りましょう」
予定外ながら、やむを得ません。
護衛を依頼するため、わたくしはスイとエイヤを連れて、近衛兵の兵舎に向かいました。兵舎は王宮の離れの一つを転用したもので、渡り廊下で繋がっています。
「王女殿下!」
わたくしの姿を見るなり、兵舎の門番が跪きました。
「ど、どのような御用向きでございましょうか」
……何だか、様子が変です。わたくしへの対応がやけに丁寧です。
「畑に……」
ところが、門番の顔は見る見るうちに青ざめていきます。
「申し訳ございません、殿下!」
その場にいた近衛兵達がわらわらと集まり、わたくしの前にひれ伏しました。
「申し訳ございません! 心よりお詫びを」
「妻子の命だけはお助けを」
「ああ、王女殿下! お慈悲を! お慈悲を~」
……はて、どういうことでしょう。
「殿下から賜ったものとは知らず、ズッキーニを残してしまいました!」
「お許しを……!」
近衛兵達が額を地面に擦りつけています。
通りかかった侍女達が、その様子を見てギョッとした後、ヒソヒソと話しながら足早に立ち去っていきました。まるで、わたくしが近衛兵を掌握して、叛乱でも企てたかのようではありませんか。これはこれで波風が立ってしまいます。
……それに、そもそも、わたくしが差し入れたのはズッキーニではなく、きゅうりだったはずなのですが。
「とにかく、わたくしを食堂に案内してください」
食堂に到着すると、近衛兵達が皆、渋い顔をしながらラタトゥイユをスプーンでつついていました。真っ赤なトマトソースに浮かんでいるのは、ぐずぐずに煮崩れたきゅうりです。
わたくしの姿を見た瞬間、皆、青ざめた顔でラタトゥイユとパンを口の中に押し込み、目に涙を浮かべました。
「美味しい……美味しいなぁ! おえっ」
えずきながらそんなことを口々に言います。
厨房の食器返却口では、髭面でガタイの良い料理人が、渋い声で若い近衛兵を怒鳴りつけていました。
「おいお前! 殿下に賜ったズッキーニが食えないというのか!」
ラタトゥイユに、ズッキーニと間違えて、きゅうり。食感も食味もまったく異なります。同じ調理法では、水っぽくて瓜の風味が強く出すぎてしまうことでしょう。
「うわ、不っ味……」
勝手に残飯をつまみ食いしたエイヤが、ぺっと吐き出します。料理人はギロリとエイヤを睨みました。
「何だお前! ……っ! スタッカ殿下」
エイヤの隣にいるわたくしに気付いた料理人の顔も、皆と同じように青ざめて行きます。
「無理に食べさせるものではありませんよ。王権は、お口に合わないものを強制するための、みみっちいものではありません」
「し、しかし、せっかくのズッキーニを残飯にするのは、あまりにも不敬ではありませんか!」
わたくしは料理人の耳元に囁きます。
「……これは、ズッキーニではありません。きゅうりです」
「はぁ!? ズッキーニじゃない!?」
料理人の素っ頓狂な大声が、兵舎中にこだましました。




