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土下座

 それは、私室に戻ってきたときのことでした。


 見慣れぬ物体が転がっていると思いきや、例の下女が土下座をしていました。お兄様の側妃候補の平民娘、名は確か……エイヤです。


「王女様! 王女と知らず、ほっんと、すみませんでした!」


 大声でそう言うものだから、近くにいた侍女達が皆一斉にこちらに振り向きます。ひそひそ声と共に、わたくしに冷やかな視線が集まりました。こいつが勝手に土下座しているだけですのに、とんだ迷惑です。


「助けてください! こんなはずじゃなかったんです! どうか、お慈悲を!」

「と、とにかく立ってください」


 思わず、わたくしの部屋に引き込みました。


 ……やってしまいました。


 どう転んでも面倒事に巻き込まれるではないですか。後の祭りではありますが、扉は開け放っておきます。


 ああ、このところ、わたくしはスローライフから遠ざかる一方です。


「改めて、わたくしはこの国の王女、スタッカ・ロック=イントアレイです」

「私は、エイヤ。ただのエイヤです。よろしくね!」

「……このようなことを申し上げたくはないのですが、貴女はその不敬な態度を改めてください」


 わたくしはなるべく穏やかな口調を努めました。不敬罪の構成要件はすでに満たしているので、近衛兵を呼びこの場で処すことを命じることもできますが、そのような事態は望みません。


「――自分で言うのも何ですが、正式な呼び方は、王女様ではなく、王女殿下です。王宮ではくだけた敬称は悪意と受け取られますので注意してください」

「……そうなんですか?」

「それよりも、もっと悪いのは、目上の者の足を止めることです。その手段として土下座を用いることは良くありません。むしろ、わたくしが民に屈辱を与えているように見られかねません」

「……確かに?」


 エイヤは解せぬといった表情でした。


「……はぁ。貴女は王太子殿下の側妃候補でしょう。そのお覚悟があるのなら、色恋に溺れるのではなく、王宮での作法を学んでください」


 その程度の理解で、この国の王太子であるお兄様を誑かしたというのでしょうか。呆れてものも言えません。お母様の侍女アニーでさえ、お兄様に手を出すことはしませんでした。


「違うんです! こんなはずじゃ!」


 エイヤが必死な表情で否定しました。


「どういうことですか?」

「……私、王子様の恋人のつもりはないんです! 婚約者の方から、王子様を略奪しようなんて、そんな罰当たりなことを!」


 はて、どういうことでしょう。


「ぽふぃ?」


 わたくしはスイと目を合わせます。


「ガチなんです!」


 表情は真剣そのものですが、言葉遣いが軽薄すぎて誰も相手にしなかったのでしょうか。王宮ではあり得ます。


「……王太子殿下は貴女にゾッコンのようでしたが」

「私、告白されたこともないんですよ!? いきなりパーティーに連れて行かれて、アレです」

「思い当たることはないのですか?」

「……変だなと思ったことは。去年の秋、学園祭の後、夜中に突然呼び出されたんです――」



 エイヤはその夜のことを語り出しました。


 お兄様に呼び出されたエイヤは、夜な夜な女子寮を抜け出し、お兄様の指定した講堂のバルコニーへと向かいました。生徒会の仕事だろうかと思っていると、そこに正装したお兄様が現れたのです。


 そして、お兄様はこう言いました。


『今宵は月が綺麗だな』


 しかし、夜空に浮かぶのは三日月でした。だから、彼女はこう返したのです。


『えっ、今日は三日月ですけど?』 


「――それだけです。何もなかったんです。満月ならともかく三日月ですよ。大したこと無いじゃないですか」


「……ああ」


 すべてを理解したわたくしは、頭を抱えました。


「どういうことですか?」

「……貴族は直接的な物言いを避けるのです。夜中に男女で二人きり。その状況で、お兄……殿下が仰った『月が綺麗』というのは、『月が綺麗だが、貴女はもっと綺麗だ』、つまり『貴女に惚れた』という意味です」

「えっ!?」

「そして、『今日は三日月ですけど』とは、つまり『三日月が美しいのだから、満月はもっと美しい。例え私の齢が満ちても――つまり年老いても――愛し続けてほしい』という意味になります」

「はぁあああ!? もはや妄想やん」


 わたくしも、エイヤも頭を抱えました。


 国を巻き込んだ騒動の原因が、貴族の婉曲的な物言いだったとは。加えて言えば、三日月を風流だと愛でるのも貴族文化です。エイヤはそれに掛けて洒落た返答をしたと、お兄様は思ったことでしょう。


「じゃあ、本当に月が綺麗だと言いたいときはどうするんですか!?」

「男女が二人きりでなければ、その意味にはなりません。文脈に依存するのです。貴女は、殿下と二人きりになるべきではなかった。それに尽きます」


 そもそも若い男女が二人きりになった時点で、この結末はほぼ不可避だったのです。王族故に侍従や近衛兵がどこかに潜んでいたのでしょうが、一般貴族ではこの時点で婚約者がいながらに不貞を働いたとみなされます。たとえ、何もしていなかったとしても。


「……じゃあ、どうすればいいんですか!」

「……今となってはどうしようもありません。既に側妃候補として婚約したことになっています。もし婚約を解消すれば、貴女は世間の笑い物になるでしょう。結婚はもちろん、王都ではまともな人生を送ることも難しくなるはずです」

「……あまりにも身勝手です! 勝手に勘違いして!」

「気をつけてください。そのような物言いは王族の婚約者だから許されているのです。婚約を解消した途端、不敬罪で処されかねません。同情はしますが、ここは王宮です」

「愛してない人と一生を過ごさなければならないってことですか!? 死んだほうがマシです」

「貴族の結婚とはそういうものです」

「……そんな」


 エイヤはその場に崩れ落ちました。


 側妃とはいえ、婚姻が成立すれば、わたくしよりも上位の立場となります。その時に手にする権力は、わたくしの比ではありません。しかし、己の人生を呪うような彼女の反応には、権力を望む野望のひと欠片も見えませんでした。庶民にとって、自由恋愛での結婚はそれだけ重要なことなのでしょう。


 実は一つだけ、彼女がお兄様と結婚せずとも済む方法があります。しかし、それはわたくしが騒動のど真ん中に飛び込むことになる方法でした。


 絶対に、この騒動に巻き込まれてはならなりません。


 ……けれど、余りにも気の毒でした。


「ぽふぃ」


 スイがつぶらな瞳で私の目を見つめ、訴えかけます。


 あぁ、〝傍観者ギルド〟から、〝諦観者ギルド〟に鞍替えする時が来たようです。



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