第三十七話「道中」
グレンドールは左右の兵士から首筋に剣をつきつけられていた。
彼の強さを知っているリクスにとっては、実に心もとない措置だ。リクスは、からかうように言った。
「そんな剣で彼を止められるとは思えないけど」 兵士たちは余計神経をはりつめさせた。
「俺にはここで暴れる理由がないからな」
兵士たちは怖気づいた。グレンドールの声がいたって冷静なので、底知れなさを感じたからだ。
「ベルンハイネに行くそうだな。かなり危険な道中だぞ」
グレンドールの首に何かがついているのを見た。リクスはそれをネックレスか何かだと思い、気にも留めなかった。
「正直、とても怖い。立ち直れたとはとても言いにくいんだ」
この世界では、神聖帝国のために心に傷を負った人間が大勢いる。
グレンドールはリクスの過去を詮索したいとは思わなかったし、それはリクスにとっても同様だった。
それでも二人は、最低限知っておくべき事実を伝え合いたかった。
「あの女には俺も因縁がある」 小声でグレンドールは言った。
「そうなんだ」
リクスは、何も言わないことにした。
「じゃあ、行こうか」
彼らは、馬に乗ってひたすら道を進んだ。
進めば進むほど、あたりの光景は色彩に乏しいものになっていった。
リクスは、彼らの緊張をやわらげるために、あえて会話を盛り上げようとした。敵情を知りたいという気持ちもあったが。
「四天王同士は、情報をやり取りしあったりするのか?」
「ないね。全く」
「少しくらい、作戦のこととかで会話しないのか?」
「四天王同士はさして仲が良くないのさ。閣下は、部下が団結して反抗するのを恐れておられるんだ」
「大体、俺は魔物が嫌いなんだ。あいつらに俺の人生は壊されたんだから。あんな化け物どもとなれ合ってたまるか」
その言葉に、思わず、テレーゼの顔が曇った。
「でも、魔物の誰もが悪いわけじゃない」
「その通りだ。魔物の中でも閣下だけが比較的そういう不快感を感じずに接することができる。」
「人間が、他の生き物を魔法で作り変えることで生み出されたって」
「ならなおさら人間はそいつらより格が上ってことにならないか? 奴らに対して気おくれする必要のない理由ができて助かる」
この辺り、グレンドールとは決して折合をつけることはできないと二人は悟った。ライラは元からグレンドールに近い立場だった。
ベルンハイネはルステラとの国境近くにあった。
空はよどんで、鼠みたいな灰色にくすぶっているかと思っていた。しかし、思いのほか空は晴れていた。
それが、一同の心筋を寒からしめた。
ベルンハイネの市街地が見えて来た。
それを見て、テレーゼは言葉を失った。
「うっ……」
ライラですら、引きつった顔のまま柱のように突っ立っている。
リクスは言った。
「いいさ。僕がこれを見るのは、二度目なんだから」
グレンドールは、リクスの方に細めた目を向け、何か感情を示すわけでもなく、ただ静かにたたずんでいる。
彼は話し始めた。
「ここは、ハイドリエンの支配下にある。ここにある川や水路の全てがハイドリエンの体みたいなものだ」
「この水が、奴の体?」 ライラが怪訝な顔を見せる。
「ハイドリエンは水の魔物だからな。水に触れたらそれをそのまま自分の一部にできるんだよ」
説明するのも嫌そうに。
通路を歩く時は、水たまりを指さしながら言った。
「だからこの水全てがハイドリエンの支配下にあるということだ。少しでもこれに足を踏み入れた途端、奴に認識されてしまう」
「ってことは、この水を踏まなきゃいいってことだね?」
「奴がいる場所と繋がっていなければ無事だろうがな」
テレーゼは途方に暮れてしまった。
(こんな強力な敵を、どうやって倒せばいいの?)
中心地に向かう途中、湿り気を帯びている石の橋がある。
普通ならなんてことのない橋のはずだが、これもまたハイドリエンに感知される所なのではないかと三人は恐れ、進みかねた。
「それなら心配はない」
グレンドールは鉄の棒を向けて激しく火を噴いた。たちまち水が蒸発した。
「これで進める」
ライラが色を失った。
「ちょっと待って。それ、あいつに気づかれちゃうんじゃ――」
「奴が感じ取ることのできるのは視覚以外だけだからな。水を浴びなきゃ、誰がやったかなんて分からないのさ」
「ありがとう」
しかし、顔をしかめ、
「よせ。俺はあいつを倒したいだけだ。お前らの味方になったわけじゃない」
グレンドールの言葉のおかげで、むしろリクスは気後れせずに済んだ。同じ過去を背負っている、ただそれだけだ。無理に理解しようとして寄り添えないことに恥じ入る必要なんかない。
リクスは、昔のことを思いだしそうになってしまった。
もうここに人間の姿はない。そして、彼が支配している限り、誰一人戻ることはできない。
この街が潰滅したというだけでもリクスにとっては十分辛く悲しいが、もっと度し難いのは、フレーベル王国が滅びて喜ぶ人間や魔物がいるということだ。
マックスの元で働いていた時も、フレーベルが滅びたことで国際情勢が変わり、一部の王や貴族にとっては得をする状況になった、という話は何度も聞いたから。
どんな悲惨な出来事でも、それによって利益を得る人間がいる。
これがリクスにとっては何よりもこたえた。
見覚えのある建物の中に、教会堂があった。その建物の前に立った時、リクスは顔を揚げて、しばし立ち止まっていた。
「ここは……?」 テレーゼが訊く。
「僕が幼い頃に洗礼を受けた場所だ……まだ残ってたなんて」
「中に入るか? 何もないと思うが」 グレンドールが頭の後ろに腕を組む。
「ここに来たからには、見ないわけにはいかないだろう」
リクスは、とにかく目を背けるわけにはいかないと感じていた。あの人に恥じないためには、そうするしかない。
内部も、ほとんど往時の姿をとどめていた。椅子や机は完全に洗い流され、壁画も清掃されないままかびがはびこっていたが、壁に穴はあいておらず、目立ったひびもない。
ただ、床にあちこちに湿った跡がある。それだけでも脅威だが、もっと祭壇があったくぼみに、もっと大きな水たまりのあることだ。
そこにある水だけは、よどんだ色合いが乏しく、銀色の光をたたえている。
「わー、神秘的」
テレーゼがライラの肩の布を引っ張る。
「やめて。リクスにとっては辛い」
グレンドールが口を開く。
「多分、ハイドリエンの居場所に直結している所だ。奴の魔力が強い所には銀色の光が漂っているからな」
「僕があいつを始めて見た時も、その周囲に銀色の光が漂ってた」
「もしかしたらここであいつの弱点について探ることができるかもしれない」
「頼む、テレーゼ」
「ちょっとぉ、私も混ぜてよ!」 ライラが駆け寄る。
「お前ら、正気か」
顔をしかめるグレンドール。
テレーゼを挟んで、リクスとライラが並び、水たまりの中に足を踏み入れた。
それから、三人の頭の中に見知らぬ記憶が流れ込んできた。
リクスは、テレーゼが、どこか知らない、薄暗いじめじめした部屋の中、せりにかけられ、値札をかけられる光景を見た。
そして、テレーゼの絶望の感情がありのままに流れ込み、リクスの胸を何の手加減もなしに打った。
(ひどい……!) リクスは激しい怒りに駆られたが、これは目当ての記憶ではない。
一方テレーゼの脳内に流れ込んだのは、ライラが飢え死にしそうな窮地を何とか切り抜け、冷えて固まったパンにありついている姿だった。
クロエの大切な物をとりかえすための冒険に出かける姿を見た時、テレーゼはライラを少しだけ見直そうかと思った。
だが、その後でライラがかつての仲間をむごたらしく始末する光景を見て、結局テレーゼのライラに対する心象は元通りに悪化した。
それから、強盗に手を染める姿も。ライラは結局そういう人間なのだ。テレーゼはもはや彼に怒りも悲しみも感じず、ただ諦めだけを抱いた。
そしてライラが目にしたものは――
「あっ、あっ……ハイドリエンの記憶かもしれない」
「そうなのか?」 テレーゼの記憶のショックに動転しつつも、それを悟られないように低い声。
「うん。妹がいて……魚やクラゲと戯れてて……テレーゼさんは見える?」
「鼠みたいな姿の魔物……あれがガドールなの?」
「ごめん、僕にはよく分からないんだ。何も見えない。何も分からない」
三人に近づくグレンドール。
「これ以上浸り続けると自我が消されるかもしれんぞ」
「まだだ……まだ知らずには済ませられないことが……」
「おい!!」 リクスの肩をつかみ、無理やりにでも現実にひき戻そうとする。
しかしその内、リクスにも見えて来た。
「妹……だって……?」
グレンドールは、リクスの言葉が気になって止めることができなかった。
「何か分かったのか?」
「ライラの言う通りだよ。ハイドリエンには家族がいた」
水たまりから頭を出して、リクスがいう。
次にライラが、「そうそう! それで、故郷を人間の干拓で滅ぼされて、それで」
「君は、あいつのことについて何も知らないのか?」
「さっきも言っただろう。四天王同士はつるまないし、そもそも俺は魔物について知ることすら嫌いなんだ」(第一、こんな奴らに知られてたまるか。俺の――あの日のことを)
「よくそんなんで神聖帝国の幹部に上り詰めたわね……ガドールについてもそう思っているの?」
「ああ、そうだ。あんな奴に何があったかなんて知りたくないからな」
こうして三人は街を立ち去った。
リクスは、なぜあの惨状を見た自分が平然としていられるのか分析しようとした。
現実味がないと思い込むことで、心の傷が開くのを防いでいたのかもしれない。
リクスはベルンハイネの方にあえて振り向かなかった。いずれハイドリエンを倒し、神聖帝国を倒すまでは、決して戻れない。
ライラも、テレーゼも、あえてリクスに何か言おうとはしなかった。
リクスの横顔が、実に寒々としていて、容喙されることを肯じなかったからだ。
(りりしいなぁ) ライラは、リクスの顔を見ながらそう思った。
やがて三人の前に、ルステラとの国境を示す石碑が見えて来た。もうそろそろ太陽が沈む頃だった。
グレンドールは言った。
「これで、俺とお前たちとの協力も終わりだな」
リクスは少しだけ微笑を浮かべて、
「今までどんな悪い奴かと思ったけど、君も案外いい人だと分かったよ」
「いい人だと? 俺はそんな風に生きてこれなかったがな」
しかし、和気藹々とした会話などライラは望んでいなかった。
にやりとナイフの柄に手をかけ、刃を抜き放ちそうな様子で、
「で、これから、私たちに倒されるつもり?」
軽い声で問うた。
グレンドールはさして表情を変えず、
「お前たちの敵であることには変わりない。挑戦ならいまここでも受けて立つが」
リクスは慌てた。
「ま、待てよ。少なくとも、今日の所はこれで終わりにしようじゃないか。もう僕は疲れてるんだから」
「何言ってんの。私は今日ちっとも血を見てないの。敵の血を見ないと落ち着かないんだ」
ライラはこれまでにの鬱憤を晴らすように叫ぶ。
「小娘、言ってくれるな」 歯ぎしりするグレンドール。
「よせ、ライラ!」 リクスが叫ぶ。
テレーゼがライラの前に立ちふさがった。
「相手は四天王よ。何も戦いの用意をしてないのに立ち向かえば殺されるだけよ」
しかしライラは眉をつりあげ、口を横に伸ばして、異様な笑顔を浮かべている。
「ライラはねー、今こいつを殺せば英雄になれるんじゃないかってめちゃめちゃテンション上がってるんだ!」
その殺意は本気だった。
「誰の助けもない今なら、こいつを殺すチャンスは今しかない!」
ライラはナイフを抜き放った。
しかし、グレンドールは馬上から跳躍し、人間にはありえないような弧を描きながら地面に跳躍。
ライラは瞬時に馬を突き進めて彼を轢こうとしたが、すでにグレンドールは腕の先に生える鉄棒を向けていた。
うつむきながらも言った。
「普通ならお前らが黙って身を引けば許してやるところだが、残念ながら今の俺にはそれをする時間の余裕がない」
そして、首の後ろを指でさし、
俺のうなじにあるのが何か分かるか? 天空人の置き土産だ……時限爆弾だよ。俺にはもうこれ以上生きる術がない」
グレンドールの声に、はっきりとおびえるような感情が芽生えている。これまでの力強さからは想像もできない、弱々しい声だ。
リクスは愕然とした。
「もう時間がないんだ。今、俺がお前を殺さなければ、俺はお前らと共に死ぬ」
グレンドールの言うことを、三人とも信じずにはいられなかった。
リクスは悟った。
(なるほど……こういうことだったのか。ガドールがグレンドールに平気でこんなことをさせてきたのは……)
夕日が沈む空を背景に、彼は告げた。
「もし俺に殺されたくなければ、お前たちの仲間を呼べ。そこでリクス、お前と決着を付けようじゃないか」




