第三十一話「邂逅」
実際、ボスカルボは猛威を振るっていた。
ルステラや他の国の軍隊もこの虫に対してまるで歯が立たなかった。
神聖帝国は勢いを増しつつあったのである。
四天王はいまだに健在であった。
ビルガメシュは荒野をさまよっていた。
サムエルが実験室に乱入した瞬間、あの施設全体で起きたどさくさ紛れに乗じる形で逃げ出したのである。
もうここには自分を知る人間は誰もいない。アンナもいない。
彼は、身体の半分以上を機械にされ、地下深くの研究施設で、ある秘密の任務に従事させられたのである。
いつか来る隕石衝突の計算のためだった。ただ一人で、孤独な研究をさせられることになった。
やがて、遠い星との戦いが戦争が始まり、彼は地上が荒廃しつつあることを知った。
そして、彼は棺の中に入り、永い眠りについた。いつかまた、地上が復興した時に目覚め、もう一度人間として生を終えるために。
だが、闖入者によっていきなり目覚めさせられた時、世界は全く変わってしまっていた。
ビルガメシュを閉じ込めていた蓋が開けられ、彼は数千年の時を経て眠りから覚めたのである。
そして、見知らぬ人の声。
「お前が、天空人か?」
「天空人? ……」
薄暗い部屋、かすかな灯りで誰かがやって来たのだと分かった。
「かつて空に、高度な技術を持つ者たちが住んでいて、地下の奥深くに罪人を閉じ込めていたという伝承は本当だったんだな。やはり苦労した甲斐があったよ」
全身金の、鎧の男がしゃべっている。
ビルガメシュはそういう生物を知っていた。
体を構成する原子を操作され、金属を取り出すための媒体に加工されてしまった生物を。ビルガメシュが生きていた時代は、そういう生物に頼らないとろくに物資も確保できないほど、この星の資源は枯渇しきっていたものである。
だが目の前の鎧は、自分自身がかつて人間にそういう道具として作られた悲惨な過去を、少しも知らなかった。
「おーっと、安心してくれ。俺たちは危害を加えるつもりはないんだ。ただちょっと、お前たちの力が借りたいだけなんだ」
「力が、借りたい? 君は、遺伝子改造で生まれ、捨てられたんだ。私たちを憎んでいるんだろう?」
この時彼らは、互いに誤解していた。全く異なる世界の論理を、全く正しくない事実に照らし合わせて理解していた。
「遺伝子改造だって? 言い伝えによれば、俺の種族は神によって罰された巨人の屍から創造されたんだよ。だが人間が憎いことには変わらない。何せ人間は俺たち魔物を抑圧し、虐げて来たんだから……」
アレクシオはそこから不敵な笑みを浮かべ、
「だが心配するな、お前は大昔の時代を生きていたから、因縁なんかない。だからお前に頼みがあるんだ」
「頼みだって?」
「俺たち魔物のために、役に立ってくれないか? あのお方はお前の力を必要としているんだよ」
都市の外に放流され続けた遺伝子改造生物がこのようにして人間と並び立った知的生命体にまで進化したとは知らなかった。
これまでの怒涛の出来事を思い出していると、突然、目の前にグレンドールが現れた。
「お前がビルガメシュか?」
「グレンドールか」
相手が人間であることは、少しだけビルガメシュから恐怖心を取り除いたが、それでもかなりの畏怖を抱かせずにはいられなかった。
魔物を始めとする敵に
「私をどうするつもりだ。アレクシオの元に送り届けるつもりか?」
ビルガメシュはおののいた声ではあるが、ほとんどやけになって喚いた。
「勝手にしろ。もう私は用済みなんだ! もうほっといてくれ!」
「そうじゃない。お前を求めている奴らがいるんだ」
グレンドールは静かに言った。
「もう貴様らに用はないんだ」
「違う、神聖帝国じゃない。リクス・カレイドだ」
「リクス・カレイドだって?」
グレンドールは、感情の読めない顔のまま、
「神聖帝国と戦っている奴だ。そしてそいつにお前と同じ天空人の同胞がいたんだよ。エンヘドゥアンナという奴を知らないか? お前と同じ――」
ビルガメシュの心が騒いだ。もう二度と、彼の名前を耳にすることはないと思っていたからだ。
「ど、どうして彼のことを知っているんだ?」
「そういう名前の人間がリクス・カレイドの仲間にいたそうだ。カスタ城塞の戦いで死んだというが」
「し、死んだだって!?」
(嘘だろう? 機械化されたのは私だけのはずだ。あの計画に選ばれた人間に、私以外の人間は誰もいなかったはずだ)
「エンヘドゥアンナは……人間として死んだんだ。遠い昔に」
早口でまくしたてる科学者に、肩をすくめるグレンドール。
「俺がお前たちの事情など知っているわけないだろう。とにかく……お前は今からリクス・カレイドに会わなければならない。奴らが俺の野望を推し進めるための鍵を握っているんだ」
「君は四天王だろう? なぜ敵を助けるような真似をするんだ?」
「別に助けるつもりはないさ。俺はあのお方と、俺の都合の良いように事態をかき回すだけだ」
「だが、どうやって彼らに会いに行けと?」
「あそこから逃げる時にこれを忘れていたぞ。ずっと神聖帝国の領内を移動するのに使っていたんだろ?」
グレンドールは黒い、小さな板のようなものをビルガメシュに投げ渡した。
それは、ビルガメシュがかつて機械で覆われた平原を移動するのに使っていた端末。極北の、あの闘技場に押し込められてからは
グレンドールは無言で炎に包まれ、そこから消えた。
やがて、ビルガメシュはあたりを見回した。
ここは、野蛮な世界だと改めて思った。かつて、人間が遺伝子改造手術で玩具用で作り出した動物たちが、『魔物』という名称でもはやありふれた生き物のように闊歩しているし、人間が『護符』と読んでいる道具も、音声入力技術の応用から生まれた産物であることに気づきもしない。人間が脳波を読み取って、作動するシステムなのだ。純然たる科学の産物なのに。
ビルガメシュは、懐から端末を取り出した。
地面から細長い光の板がせり出した。板の前に同じ光の柱がそそり立ち、尖端にさらに二つの取手がつく。実体があるわけではないが、そのあたりに発生した重力による反発で、疑似的にそれを触っている感覚を再現しているのだ。
その板に乗ると、ビルガメシュは高原を駆けた。
(一体どこに行けばいいというんだ)
ビルガメシュの前方を漂う粒子が集まって、斜め上に現れたホログラム映像に、地図が表示されている。
なお稼働し続けている人工衛星からデータを受け取り、最新の情報に更新された地図には、ビルガメシュが見知った都市や地形はほとんどない。代わって映し出されているのは、この数千年間、息を吹き返した自然の力によって作り出された山や川、ルステラやフレーベルといった現代の国際情勢を反映した地名。純粋な人間としての天空人はすでに絶滅してしまい、機械か、機械を組み込まれた人間しか、彼らの形跡をとどめる者はいない。
ケルテスの宮殿はいつになく焦燥感に満ちていた。
「貴様はまだあの小僧に期待しているのか、ルベン?」
コルネリオは冷淡だった。
「あの者は正気を取り戻したと申します。すでに、神聖帝国と戦う士気に満ち溢れているとのこと」
「だが、カスティナの英雄は無駄に過ごしていたのだろう。それにライラ・デンゼルがまたもや神聖帝国に寝返ろうとしたではないか」
実際、コルネリオのような反応の方が一般的なのも分かる。
「ボスカルボに対していまだ何の対策も取れていないんだぞ。あいつに感染した人間はもう二度と元に戻らないし」
しかし、ルベンはリクスに対する期待を捨てきれていなかった。
コルネリオは実際、カスティナの英雄に愛想を尽かしていたのである。
結局彼らもそんじょそこらの傭兵風情と変わりはなかったということだ。
なのにまだアルフレッドとルベンはまだ、彼らへの情を捨てていない。コルネリオには、それが煩わしかった。
アルフレッドはルベンに語りかけた。
「申し訳ない。私はコルネリオ様を最も説得しなければならない立場であるにも関わらず、未だにコルネリオ様の考えを変えることができずにいる」
「いえ、悪く思わないでください。何しろ彼はこの間ずっと戦意を喪失していたのですから」
「私にはボスカルボを倒せる手だてを、見つけられるかもしれないすべを知っているのです」
「な、何だと?」 それには思わずアルフレッドは驚いて、関心を向けずにはいられなかった。
「以前リクス殿と共に戦っていた天空人の少女ですよ。彼と共に戦ったではありませんか」
「神聖帝国も天空人の生き残りを探し求めているそうだが。それがどうかしたのか?」
「テレーゼ・マイニンゲンの証言によれば、天空人の研究者が務めていたそうです。その科学者がテレーゼの身体を改造し、従来の半獣以上の力を引き出せるようにしましたが、テレーゼの精神の改造は、何者かの妨害により果たせなかった」
何とかしてアルフレッドの興味を引くために、さらに話を展開して、
「興味深いことに、テレーゼはエンヘドゥアンナの名前に反応したというのです。」
アルフレッドはルベンの意向に沿いたい気持ちはやまやまだったが、
「だがどうやってその男と接触するんだ。まさかあそこにテレーゼを戻らせるわけにもいかないだろう?」
「ですが、私が直接リクス殿と相談し、このことについて打診します」
「ルベン殿ではないか。なぜここに?」
庭先で砥石の前に座り込み、剣を研いでいたベネディクトは突然の彼の訪問に驚いた。
「うむ。ベネディクト殿。ちょうどリクス殿に頼みたいことがあって来たのだが――」
ベネディクトはあまりいい知らせだと期待していなかった。もしかしたら追放を命じに来たのかもしれない。
「今、彼はテレーゼと一緒の部屋にいるのですが」
ちょうど二人は、ビルガメシュのことについて喧々諤々の意見を交わしている途中だった。
「でもどうやってそいつを見つけ出すのよ。私は父さんがあの実験室に入って来てからそいつがどうなったかちっとも知らないのに」
この話をすればするほど、だんだんリクスはまたいつもの生気が戻って来たようだった。というより、何かの焦燥感に駆られなければ生気を保てないとでもいうような。
「やらなきゃいけないんだ。とにかく、やらずにはいられない」
突如として熱気に満たされ、重々しい空気が圧倒した。
なぜそうなったのか、誰もが疑った直後に、その原因を知る。
「グレンドール!」
いつの間にか彼はそこにいたのだ。
「久しぶりだな、リクス・カレイド」
落ち着き払った、敵意のない声で。
テレーゼは怒りに身を任せて、彼につっかかろうとした。
「よせ、テレーゼ」
リクスはとっさにグレンドールの前に立った。
「そいつは私たちの敵。容赦しなくていい」
「待て。こいつの話を聞いてからだ」
リクスの声に切実さがあったので、テレーゼは渋々黙り込んだ。
「エンヘドゥアンナが犠牲になったそうだな」
「ああ。僕が弱かったせいだ」 感情を交えずに。
「辛いだろう」
リクスは、ただうんともすんとも言わずに相手の顔をただ見つめていた。それがテレーゼには不審でならなかった。
(どうして? なぜそんなに冷静でいられるの?)
「ボスカルボは強い。今のお前たちに倒せる相手じゃない」
「確かに、そうだ」
「そんなお前たちに朗報だ。今、エンヘドゥアンナと天空人の男がそちらに向かっている。神聖帝国に雇われていたが、つい先ほどそこから逃れたんだ」
「敵にそんな情報をみすみす渡すのか?」
「あの時言ったはずだ。お前にはまだ利用価値があると」
テレーゼには、何もかもが分からなかった。
「何それ……どういうこと?」
「カスタ城塞での戦いで、そう言われたんだ。今まで黙っていたけれど」
リクスは、波瀾に満ちた出来事があまりにも多すぎて、ずっとグレンドールとの間にあったことを言えずにいたのだ。
「信じるかどうかはお前次第だ」
言い終わると、グレンドールは再び熱気を放ち、黒い煙に包まれてそこから消えた。
再び、部屋の中にリクスとテレーゼだけが取り残された。
「ごめん。ずっと黙ってた。あいつは、あまりそういうことを知られたくない感じだったから」
「冗談じゃない。あいつは四天王よ。人間だとしても神聖帝国に心酔してる敵。信頼」
だが、すぐに騒ぎを聞きつけて仲間たちが飛びこんできた。
「さっきまですごい熱があったから入れずにいたんだけど、何かあった!?」
まずライラが入って来た。両手を揚げ飛び出しながら、
「ねえねえ! 何があったの? 教えてよ~!!」
「グレンドールが来て、エンヘドゥアンナの仲間が近づいているって言ったんだ」
「はあ!? グレンドールが? 何ねぼけたこと言って……」
ライラは最初冗談だとばかり思ったが、リクスが嘘をついているようには見えなかった。
この男は少なくとも、聞き捨てならない嘘はつかないということが分かっていたからだ。
「おい、それは本当なのか?」
ベネディクトが言った。その側に、ルベンもいた。
ルベンの姿を見つけて、リクスは相手が何を考えているかをすぐに見抜いた。
「ルベンさん、僕は行こうと思います」
ルベンは、不安の方が大きかった。これは一種の賭けだった。
「休んでいる期間があまりに長くて、体がなまっていた所ですから」
「随分元気になったようだな、リクス?」 ベネディクトは尋ねた。
ただただ過去の傷に目をそむけようとしているだけなのに、穿った見方をされているような気がしたリクスは頭をかいた。
「アンナに恥ずかしく思われたくないからさ」




