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第三話「連れと行けば」

 テレーゼはフードを外した。

 リクスは、そのテレーゼの顔を見て驚いた。頭から獣の三角形の耳が生えていたからだ。

 次の瞬間、テレーゼの瞳が赤く染まった。指から剣のような爪が伸びた。

 目や口元から一切の表情が消えた。ライラもリクスも、テレーゼの一瞬の変貌に、あっけにとられて声も出なかった。次に目撃したものはもっと信じがたいもの。

 テレーゼが地面を蹴って、つむじ風のように闇の中を荒れ狂った。カーバンクルたちが血をほとばしらせて次々と倒れた。

 テレーゼには、ほとんど殺気も悪意も感じられなかった。ただ、本能のままに敵を駆逐していた。一切の攻撃はただ敵の命を断つためにふるわれ、いかなる無駄もなかった。

 十秒後、モンスターの群れはことごとく屍と化していた。血の匂いがあたりを覆った。

 テレーゼの爪が元通りに戻る。

 再び、フードの少女は二人に顔を見せる。

 もうそこにあるのはそれ以前のテレーゼとは変わりなかった。違うのは、もう彼は髪を隠していないことだ。

「あなた、もしかして、半獣……なの?」 おびえた声でライラが尋ねる。

「こんな力、使いたくなかった。あんたたちのせいだ」

「半獣?」 リクスはその言葉を知らなかった。

 ライラの顔が、震えている。

「十年ほど前に全部廃棄されたはずの、モンスターの血を入れた生物兵器。まさか、生き残りがいたなんて」

 テレーゼの陰鬱な表情と、ライラの嫌悪感のこもった顔を見て、慌てるリクス。

「そうだよ。見て、この耳」

 そういって髪をかきあげ、人間の方の耳を見せる。そこには、人間の耳にあるはずの穴やくぼみがなかった。

 獣耳の方が本体であり、人間の耳は擬態でしかないのだ。彼は人間ではない。

「どんなに人間のふりをしても、人間であることなんて隠し通せない。結局私はただの、できそこないの兵器でしかない」

「へ、兵器なんかじゃない! テレーゼはテレーゼだよ」

「あんたたちに何が分かるの! この体でなんて生まれて来たくなかった! 私だって、あんたたちみたいに普通の人間に生まれたかったよ!」

 彼は、興奮がまだ収まらなかった。

 天を仰ぎ、静かな暗闇の様子を眺めてから、次第に落ち着きを取り戻し、リクスの顔をまじあじと眺める。

「でも……リクス。あんたを見て、私は何かせずにいられなかった。私みたいな奴を、助けてくれるなんて信じられなかったから」

「僕は、助けたかったから助けたかっただけだよ」

 テレーゼは、肩を落とした。

 だが、ここで話は終わりではない。もう一人のことだ。

 ライラは、テレーゼから目を背けるようにして、

「あっそ。でも、なら何で私まで助ける必要があったの?」

「うん。ちょうど、そのことなんだ」

「ライラ、君は悪いことをしたよ」

 ライラはばつの悪い顔を浮かべながら、かばんの中から盗品を投げ始めた。

「そうだね、悪いことをしたよ。ほら、全部返すよ!」

 リクスは肩をすくめて目を閉じた。

「だめだよ。君のやった行為が消えるわけじゃない」

 ライラは激高した。

「何? 今更謝ってほしいの!? 私は悪いことをしました! それで、こんなに怖い思いをしました! もうそれで、けじめをつけたじゃない!」

「そういう言葉が欲しいんじゃなくて、きちんと自分自身の罪に向き合って欲しいんだ」

「冗談じゃない。今更数えきれないのに」

「なら、僕に教えてよ。その全てを」

 リクスは、どこまでも超然とした態度で、ライラに向かっていた。ライラはリクスの静かにたたずむ瞳を見て、ただ、息を吞むしかなかった。リクスはライラから少しも目を背けなかった。ライラの罪その物を飲み込むように。


 一行はついに洞窟を抜けた。もうあたりは暗くなり、半月がきらめいていた。

 ニヴルヘイム平原の上を通り過ぎる三人以外には、人影らしい人影もない。

「何で、私があなたたちと一緒について行かなきゃ……」

 後ろで不満をたらたら述べるライラ。

 リクスがライラに課した償いとは、当分の間、リクスの旅につきあって、様々な苦楽を共にしてもらうという内容だった。

 リクスは、しかしこれからの旅路のことで精いっぱいで、ライラの文句に耳を傾ける余裕はなかった。

「もうすぐでカスティナ市だ。この辺では、そこそこ大きな町だよ」

「正直、あんたのことはまだ信用してない」

 テレーゼは、冷ややかに言った。ライラが

「ああ、分かってるよ。私だって、あなたがいつ人間としての自我を失うか気が気でならないんだから」

 テレーゼは、ライラの言葉に傷ついた。それでも、言い返すことはできなかった。テレーゼ自身が、この力に恐怖を感じているのだから。

 父は獣人だ。だが、もう名前も顔も覚えてはいない。

 物心ついた時からテレーゼはたった一人だった。彼はある貴族の元でまるで玩具同様に育てられ、飽きられると同時に安値で売り飛ばされたのだ。テレーゼにとっては毎日毎日が捨てられる不安と隣り合わせの日常だった。

「ライラはずっと昔からあんなことをしてたのか?」

「そりゃそうだよ。私は気づいたら貧民窟で過ごしてて、人を騙しながら生きてた。悪に手を染めなきゃ生きていけなかった。誰かと徒党をくんで、媚びへつらわないと殴られる。そんな所で生きてたら、善人として生きていけるわけない」

「じゃあ、一人で生きていけないことはよく分かってるんだね。それでよく、洞窟の中で僕らを見捨てたもんだよ」

 突然リクスはライラに抱き着いた。

「心配したんだよ~! ほんと!!」

「は、はあ!?」

 ライラは驚いた。テレーゼも、口をあんぐりと開けて静止している。

「あんなところで一人になっちゃだめじゃないか! 昼ごろからの長い付き合いなのに、勝手に一人になっちゃ」

 ライラはリクスのやけになれなれしい顔にひたすら困惑した。

「あ、あの時はあなたたちを騙して喜んでたんだよ! 恨みなよ!」

 しかし、リクスは恨まなかった。

「でも……良かった。生きてて」

 まごついたテレーゼは、ライラをにらみつけて。

「私がた、助けたかったのはリクスだけで……こいつまで助けたくて助けたわけじゃないんだから!」

 テレーゼは、リクスに対してまだ心を許したわけではない。

 ただ何かがうごめいていたのは確かだ。

「ちょっと……やめてくれない? そのまま抱き着くのは……」

 ライラは涙を流した。


(へっ、なんてちょろい奴。私の嘘泣きをすっかり信じ込んじゃうんだから)

 改心したふりをしながら、ライラはリクスを嘲笑した。

(まだもう少しは利用できる。何とかして搾り取り続けないと……)

 しかし、緊張を解くわけにはいかなかった。

 テレーゼはまだライラをにらみ続けていた。自分たちを騙したライラに対してまだ恨みを抱き続けていた。

 彼らは何とかして洞窟を抜け出した。ライラが自分一人逃げ出すために巻いていた魔法の石のおかげで、もはやほとんどモンスターに出くわすことなく洞窟を抜け出すことができた。

 洞窟を抜けた先のカスティナ市へと彼らは歩き続けた。カスティナ市――様々な出自の人が人々が入り乱れる、国境の大都市だ。少なくとも、数年前までは

 そのまま歩き続けてカスティナ市の門まで来た。もうすぐ門が閉じる時刻になっていただけに、何とか入れたことで三人はひとまず安心した。

「す、すごい。あんな平原のすぐ近くにこんな街があったなんて。私、狭苦しい城とかにしかいたことがないから」

 テレーゼはは左右を見回しながら、始めて見る光景に興味津々の様子だ。

「さて、もう宿を探さないと。もうすぐで日が暮れてしまうよ」

 ライラはせかすように。

「ああ、この街のことはよく知ってるんだ。とっておきの宿も知ってるんだよ」

 街の中は、やけに閑散としていた。建物の様子からして、決して田舎町ではなく、それなりに規模のある都会なのだ。無論もうすぐ門が閉まる頃とはいえ、どこかの酒屋とかで無意味な喧騒があってもいい頃だろう。しかし、単なる静寂ではない重苦しさがこの町にはのしかかっている様子だった。

「なんだかまるで、みんなここから逃げ出したくても逃げ出せないような感じなんだけど」

「最近は神聖帝国とかがやけにうるさいからね。みんな不安でしかたないのさ」とリクス。

 宿まで来た。酒屋を兼ねており、ホールでは小さな机を囲んで数人の男がたむろしていた。誰もがけだるげな表情をしていた。

 まず、三人はお茶を飲むことにした。喉が渇いていたので、少しはおいしいものが飲みたかったのだ。リクスは酒場のカウンターにいた女性に、紅茶のブランデーを頼んだ。

 彼らが座った時、近くに見知らぬ男がたたずんでいた。ずっと書物に目を通しながらうつむいていた彼は、ふと顔を揚げた時、リクスを見て声をあげた。

「エドガー! エドガーじゃないか!!」

 やおら立ち上がり、リクスの前へ。

「急にいなくなってたから驚いたんだ。まさか生きていたとは……」

「え? 知り合い?」

「お願いだから、戻ってきてくれないか? 君がいないとできない仕事があるんだ」

 ライラもテレーゼも、驚いてただただ二人をかわるがわる見るしかなかった。

 リクスは、眉を一つも動かさず、

「……人違いじゃないですか? 私は、エドガーなんて人は知りませんよ」

「いや、だが、その顔は……」

 間違いなく、男は自信があって彼に声をかけたらしい。だが、リクスはほとんど他人事のようにあしらった。

「この大陸じゃ、似た顔の人がいることくらいい日常茶飯事ですよ。僕たちは旅路で疲れているので。それじゃ」

 女の子を二人連れていることでとやかく言われたくなかったリクスはチェックインの際、嘘八百を堂々とまくし立てた。

「この子は僕の妹で、最近嫁ぎ先ができたからお見合い先に同行しているんだ!」

 テレーゼは、むっとした。ライラはまんざらでもなさそうな顔だった。

「ああでも言わないとさ、色々とうるさく言われるからね」

 そのまま、リクスは廊下の奥へと過ぎていく。テレーゼは、リクスに何かを言いたげな様子だったが、結局彼についていく他なかった。ライラの方は、特に何もなかったかのように澄ました表情をしている。

「テレーゼは別の部屋に泊ってくれ。僕はライラと一緒の部屋に泊る」

「な、何それ? まさか私に何かするつもりじゃないよね?」

「まだ何をしでかすか分からないからね。僕が見張っている方がいいじゃないか」

 テレーゼは、反対しなかった。

「私は一人でいいよ。いつまでもあんたの世話になるわけにはいかないしね」

「いいの? どこにも行くあてがないっていってたのに」

「いつまでも人の好意をあてにはできないから。あんたはいい人だけど、いい人だからこそ私みたいなのが一緒にいてもいいのかなって」

 テレーゼは、リクスが確かに信用に足る人間だと認めたかった。本当なら、彼ともう少し長くいたかった。

 だが、だからこそテレーゼはリクスを拒絶してしまう。

 これまで、どうしようもない人間とばかり過ごしていた。だからこそ、そうではない人間とのつきあい方が分からないのだ。

「君に鍵は預けとくよ。さすがに年頃の男女が部屋にこもってるなんて人聞きが悪いからな」

 リクスはライラの視線が向いていない隙に、懐から小さな紙きれをとりだしてかばんにはりつけた。


 部屋に入ると、リクスはすぐに寝付いた。洞窟での長旅で、よほど疲れがたまっていたに違いない。

 彼がベッドに横たわると、ライラはすぐにベッドから起きた。

 彼はもう、これまでの盗賊としての意識を取り戻していた。

「よーし、この荷物全部うばっちゃおっと!」

 ライラはにんまりと笑って、リクスのかばんに手を伸ばした。その瞬間、ライラは指先にしびれを感じた。このままでは体が動かなくなるという恐怖感に駆られ、ライラは思わず手をひっこめる。直後、突然リクスの声が聞こえた。

「ああ、そういうこともあろうかと護符をはりつけて置いたんだ。それ、僕以外の人が近づくと呪文が作動する仕組みになってんだよ」

 リクスはテレーゼの顔の左側から話しかける。ずっと、ライラの悪だくみを見通していたのだ。

「まだ、自分の罪と向き合っていないようだね」

 リクスは肩をすくめる。暗闇のせいで表情はよく見えないが、それでも怒っているのははっきりと分かる。

「そこまで責めないさ。人間なんてさ、そう簡単に変わらないんだから」

 ライラは本性を現した。彼は、思いつく限りの嫌な態度で答えることにした。

「そういうしゃべり方、むかつくんだよな。まるで上から説教してるみたいで」

「ああ、ごめん。昔から教師とかしてたんだ。二十二年くらい前からずっと君みたいな子供を相手に」

「あなたみたいな若い人が二十年も生きているわけないでしょ。せいぜい十九歳くらいなんじゃないの」

「いいや、三十六歳くらいは生きてる!」

 声を荒げるリクス。そして、ぶっきらぼうに立ち上がり、

「君、あの時少し涙流してたからさ、ちょっとは自分がやったことを悔いていたとばかり思ってたんだけど」

 リクスは棍棒を向けた。それはもうすぐでライラの額を打ちそうだった。

「もし、次にまた僕を騙すようなことがあったら、その時は容赦なく君に制裁を加えるよ。いいね?」

「分かったよ! もう二度としないから!!」(そんなわけあるか、ばーか! いつでもトンズラしてやる!)

 ライラは、リクスへの憎しみを募らせた。

(うるさいなあ)

 テレーゼは、反対側の部屋からリクスとライラの口論を聴いていた。

 リクスがライラを責めて、ライラがリクスに悪びれずに抗弁している程度にしか聞こえなかった。

 テレーゼは、この二人の行く末が気になった。ルステラ王国に逃げ延びるのか。そして、少しだけ安息を享受した後、また神聖帝国に狙われるのか。いずれにしてもこの世相では、誰一人として明るい未来なんて待ってない。

 なら、彼らに関わり続けてもいいことなんてない。だが、それでもと思う。その先に無関心になっていいのか。

 テレーゼは、自分自身にすら明るい展望を持てていない。そして、そこで絶望するのはたやすい。

 だが、絶望したくないと思った。この二人と会って、彼らに興味を持ってしまった。今までなら、他人に興味を持つことなどありえなかった。ずっと、他人とは自分を害して来る存在だったから。

 しかし、彼らは違う。なぜ、私は彼らに惹かれるのだろう。その理由を知るまでは、まだ離れたくなかった。

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