第二十三話「城塞奪還戦」
会議の時になると、礼拝堂はいつも物騒な空気に包まれる。日々の平和と死後の救済のための祈りが、この時だけはただ勝利のために向けられる。
この物々しさにいつもアンナは慣れなかった。
「今回の俺たちの目的は街を奪還することだ」
地図上の図形をなぞりながらベネディクトは説明した。
「奴らは塔を増築しているからな。慎重に進まねばならん」
アンナの表情がこわばっていた。それを見て、リクスは不意に心配そうな顔を浮かべてしまっていた。
今は個人的な感情に囚われている場合ではない。そうだと分かっていても、無意味な注目をせずにはいられない。
「今回はライラの得意分野だね!」 リクスの憂鬱に気づかず、呑気なのは怪盗少女。
「潜入なら私に任せてよ。破壊工作なんてお手の物だから」
「またカスティナ戦みたいに地下通路とかたどったりするんでしょ? それなら退屈しないじゃん」
「戦いは遊びじゃないんですよ……」「ほんと」 端の方で頬杖を突くテレーゼとレカフレド。
「いや、今回はそういう物は一切ない。どうやら敵は利用される可能性のある施設をすべて埋め立てるか撤去してしまったらしい」
「えっ、まじかよ。じゃあ結構苦戦強いられるじゃん」
だが、リクスはあまり
「リクス、聞いているのか?」
ハーゲンがやや厳しい顔を浮かべた。
「俺たちはもっと苦しい戦いに身を投じなければならないんだ」
(まずいな)
ベネディクトは、リクスの表情にはっきり迷いがあるのを見て撮った。
リクスがなぜ迷っているのか。仲間たちを失うのが惜しいと考えているからか。
(戦っている間に愛着でも湧いたというのか? そんな馬鹿な。誰もがお前のように情に厚いわけじゃないんだ)
「リクスさんならやれますよ!」
レカフレドが安心させるように声をかける。
「これまで僕たちは生きて来たんですから。今回だって勝って帰れますよ」
「リクスはさー、もしかして私たちがいつまでも生きてほしいとでも思ってるわけ?」
少年はまごついた。
「ライラはねー、あくまでも利害が一致してるから協力してるだけなんだよ」
テレーゼはやや早口でまくし立てた。
「ライラの言う通りよ。私たちはただ神聖帝国を倒すために集まってるだけ。それ以上でもそれ以下でもない」
「ああ……そうだな! 僕たちは庭にある桜の木の下でお互いに深く誓いあったんだった」
テレーゼはまたもや眉をひそめる。
「何それ。また変な思いで作らないでくれる」
リクスは、むやみに仲間に心配などかけたくなかった。だから、必死でおどけるのだ。
(僕は戦わなきゃいけない。それ以外のことを考えてはならないんだ)
そう信じ込もうとするあまり、リクスはテレーゼの細い目つきに気が付かなかった。そして、アンナの瞳の奥に赤い光が点滅していることも。
地面には枯草が空しく散っては飛び、冷たい風が絶えず吹きすさんでいる。
もはや住民の姿はなく、兵士たちが駐屯しているだけに過ぎない。
一際高くそびえる城。そこを把握することがこの都市の所有者を決めることを意味する。
だがこの城の今の主は、城の中にどっかと鎮座などしていない。
ボスカルボはベルディオと違い、人間のような体格や大きさはしていない。
見た所それは褐色の甲虫だった。脚がすばしこく動き、城壁を這いまわる。
腹の中は、確かに樹木の模様とよく似ている。
同じ植物の魔物でも、ベルディオとは違う種族だ。
そして、ボスカルボの近くにもう一人の四天王――アレクシオがいた。決してこの戦場に来なければならないわけでもなかったが、この新しく任命された魔物の戦いぶりをぜひ見てみたかったのだ。
アレクシオは、ボスカルボに近づいた。
「聞いたかボスカルボ? 『カスティナの英雄たち』のおでましだそうだぜ」
「たとえどいつが来ようとも、敵は倒す」
羽がかさかさと動いて、複雑な羽ばたきを通して人間の声を再現する。
「あんたはすごいよ。こんな小柄な体の中に軍隊を圧倒する力を秘めてんだからな」
アレクシオは、ボスカルボに語りかける。
彼の強さは、体の大きさにはない。体格の問題を超越しているのだ。だがその理由を、まだこの虫の魔物が明かすにはまだ早すぎた。
ボスカルボはこの街をたった一匹で制圧したのである。人間たちが理解もできない方法で。
「我々は首領のために力を捧げる。それだけダ」
「そうそう、それでいいんだ。四天王の本領だよ。俺も見習いたいくらいだ」
アレクシオはボスカルボを優しくつかんだ。
ボスカルボの複眼がアレクシオを眺める。人間のような感情を持たない、無機質な瞳であっても、アレクシオには、ボスカルボが何を考えているか分かる。
ただ、敵を倒すということだ。そして死ぬこと。それしか脳内に刻み込まれていない。
「お前が一番上手なのは敵の群れに忍び込んで情報を集めることだったな。そしてそれを部下たちに伝えること。あとは……」
彼のもっとも強大な力。
ボスカルボの羽が開き、そして閉じる。アレクシオは手元に震えるような冷たさを感じる。
「貴様は我々の作戦遂行を妨げるナ。ただ、戦いのことだけ考えればいイ」
「無機質な返答だな。ま、それもお前らの魅力だけど」
ボスカルボは羽を開いてどこかへと飛んで行った。
作戦会議が終わって、レカフレドは、小さく伸びをしている。
アンナはテレーゼやライラを相手に世間話にふけっている。この頃の茶の価格がどうかとか。リクスだけ、誰とも関わらずに椅子に座り、机を叩きながら天井を眺めた。
ハーゲンは肩をすくめている。
「誰かリクスに喝を入れてやれよ」
ベネディクトはじっくりと何かを考え込んでいる様子だ。
「指揮官、これは一大事ですぜ。我々を色んな所で手助けしてくれた奴がいまや戦意を失いつつあるんですから」
だが、ベネディクトの関心は別の所にあった。
「リクスって名前だよ。前から少し気になってたんだが……戦いに忙しくてすっかり聞く機会がなかった。」
ハーゲンとレカフレドは思わず聞き耳を立てる。
「フレーベル王国にも似た名前の人間がいた気がしてな。以前腕を。今はもうあの国はほとんどが水の中に沈んでしまったが」
三人は、重苦しい気分に包まれていた。
雪がしんしんと降る中に、数千人の兵士が敵地に向かって進行している。その中、リクスたちもまた馬に乗って目的地を共にしている。
リクスは、ベネディクトに言われたことが身に染みていた。
「二人は別々に行動しろ。アンナは後方の支援を頼む」
彼は、アンナと行動できないことがもどかしかった。
ベネディクトにとっては、そうでなければならなかった。最近のリクスは明らかに戦う気力をなくしてきている。その原因は複雑に絡み合っているだろうが、少なくともエンヘドゥアンナに仲間以上の関係を抱いていることは間違いなかった。
今回の戦いには、ルステラの名だたる貴族たちが参戦していた。
カスティナの英雄たちの戦いを目撃し、良くも悪くもリクスたちの活躍を評価してきた者たちが。
「リクスくん、久しぶりだな」
ルベンの顔を見てリクスはひどく安心した。
「ルベンさん、お会いできて何よりです」
「あの時、君が加勢に来てくれて本当に良かった。そうでなければ私も命があったかどうか」
「私は、ただ微力を加えただけですよ」
謙遜ではなかった。まだ一度も、彼らに貢献できたと思ったことはなかった。ただ、与えられた状況に適応しようと努めて来ただけだ。
以前この男と手合わせした時も、リクスは自分の腕前を誇ろうとしたことはなかった。ただ、失望されたくなかった。自分は弱くないと嘘をついて、その嘘を本当にしようとしただけだ。
リクスのように、再会の喜びを味わえた者だけではない。
コルネリオがいた。テレーゼは行軍の途中、彼の警護を任されていた。
テレーゼは恨めしそうにその男の顔を見上げた。
「コルネリオ……伯爵」
本当はいくらでも罵倒したかったが、無論貴人を相手にそんなことはできるはずもなかった。
だが、この恨めしい感情を隠し通せるわけもない。
「あの時のこと、まだ私は許していませんから」
「昔の私が失礼したな」
「それは……今のあなたでしょう?」
テレーゼにとっては、コルネリオが謝まろうが謝るまいがどうでも良かった。リクスやライラ以外の人間はみな、えてしてそうだ。
「さあ、行くぞ」
コルネリオはもう二度とテレーゼの方に向き直らなかった。アルフレッドが気まずい表情で二人を眺めていたが、何も介入することはできなかった。
ベネディクトは異様な物を感じていた。
城の向こうに、敵が待ち構えている気配がしない。東の国に伝わる、わざと城の中を空にして敵の警戒心を誘う作戦とも違う気がした。
そしてその通りなのだ。
ボスカルボは城壁の上にとまって、敵が来るのを静かに眺めている。そしてルステラ軍から、その姿は見えなかった。
「つっこむか?」
「いや、待て。奴らがどう動くか見るべきだ」
沈黙が訪れようとした時、ボスカルボは羽ばたいた。
城壁からその小さな姿が駆け下りた時、誰もが、それを単なる自然の一部としか認識できなかった。
「虫? いや――」
何かに気づいた時はもはや遅かった。
とりつかれた兵士は声もあげることもできず、顔をボスカルボにとりつかれた。
兵士の顔、首、そして肩からとがった枝が伸び、たちまち上半身が樹皮に覆われる。
もはやその瞬間、彼らから元々の人格は消え失せた。
兵士たちも、同じような姿に変化して、
「後退だ! 後退しろ!!」
その緊迫した状況を遠巻きに見物して、ライラは他人事のようにつぶやいた。
「あらまー。ビストロの時っぽいね、これ」
リクスたち以外の人間の死などどうでもよかった。普通なら経験しない、奇妙な死に方をするのはむしろ愉快な気分がした。とはいえ、自分まで同じ目に会ういわれはない。
「とりあえず、ぼちっと行きますかぁ」
とっさに有効な調べを思い出すと、脳髄の動きをにぶくし、敵の戦意をくじくメロディを吹きならした。しかし、兵士は一切応じることなく突進してくる。
「やべっ、笛がきかない? どうすんのこれ――」
「やむをえまい!!」
ルベンが赤い護符を取り出し、空にかかげ、呪文を唱える。
「火の精霊よ、我が求めに応じて顕現せよ!!」
ルベンは剣を抜いて護符の先端に近づけると、
護符から赤い光がルベンの剣が炎に包まれた。彼がそれを横凪に払うと、兵士たちは燃え盛る斬撃の中に消えていった。
ルベンは目を背けた。少し前まで味方だった者たちを殺すのは断腸の悲しみだった。だが、ここでそんな感情に囚われてはならない。
ボスカルボは空を飛び回っていた。敵が放つ弓矢を悠々とよけながら敵の顔にとりつき、一人また一人と眷属を増やしていく。
「あっはっは! やるじゃんボスカルボ!」 アレクシオは遠くから高笑いを発した。
(ベルディオとは格が違う。あいつなんかよりよっぽど使える奴だ)
この城塞には元から防衛のための戦力など用意していない。最初から敵の数を減らすための罠に作り変えて構えているのだ。
仮に敵がこのあたりを占領したとしても得るものは何もない。元からここにあった田畑や牧草地は焼き払ってしまったのだから。
そして神聖帝国の内部に食い込めば食い込むほど、ルステラ軍は何もできずに飢える。
アレクシオは、勝利におごった彼らの末路を想像してひそかにほくそ笑んだ。
アンナは祈っていた。
(お願い、リクス。死なないで) この時代の人間には知る由もない神々の名前を唱えながら。
けれど、アンナは現実の非情さを理解せざるを得ない。
(だめ。やっぱり、もう私には時間がない)
だがそれらは全て計算の上のことだ。この城塞がもはや敵にとってあってもなくてもどうでもいいようにされていることくらい、ルステラ軍も把握していたのである。
アルフレッドはあらかじめ、このような事態が発生した時の命令を受けていた。城壁に攻め寄せられないならば、城壁そのものを破壊しても構わない。少なくとも、城そのものに敵が罠をかけている可能性も否定はできないからだ。
魔術師を呼び寄せていた。
札を天に掲げ、呪文を唱える。その呪文を受けた札が光り、城壁に向かって飛んで行く。
燃える光が勢いを帯びて城壁にぶつかり、爆発を起こした。
だがそれに対して敵もまた無防備ではなかった。
城壁についた穴から、ルステラ軍に向けて火の玉が飛んできた。近づいてくると、それは単なる砲弾の類ではなかった。
「おい、ありゃ何だ……」
誰もが、それを目にして、否定しようとした。
人間だ。人間が飛んでくる。固められた屍が、燃えながら突っ込んでくる。
敵の下劣さに、誰もが憎悪を抱いた。
ただ、怪盗少女を除いて。彼だけは、怒りよりはむしろこのようなことをやってのける敵の容赦のなさに感銘すら覚えてしまった。
ライラは、ただこう漏らすしかなかった。
「すっげえ」
テレーゼは、猛烈に怒った。今すぐにでもこんな非道を冒して恥じない悪人どもをひっとらえて肉の塊にしてしまいたいくらいに。
「許せない」 彼は激高のあまり、足を蹴って地面に大きな亀裂を走らせたことにも気づかなかった。
ボスカルボにとりつかれた兵士がどんどん増えていく。




