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第二十一話「脱走!」

 北国に特有の冷たい、薄暗い空。

 大地に広がる樹海を構成する樹木は、そのどれもが単調で険しさがあり、南の方の多彩で明るい森の姿とは何ら共通する所がない。

「陰気な空間だ」

 グレンドールは、つぶやいた。

 ここに流れる空気は、あの極北の闘技場とはまた別の種類の殺伐さと醜悪さがある。

 神聖帝国が来る前から、ずっとここは人間の欲望と悲哀でまみれてきた。

 このがらんどうとした空間のいかなる位置にも、人間の感情がこもっている。その過去を、ずっとこの土地は刻み続けて来た。

 グレンドールは、何かを思い出したかのように、ふと空を見上げた。そして正面に広がる洞穴の向こうを眺める。

 これから、目にする何もかもが、醜悪で下劣なものであり、そこから目をそむけてはならないという覚悟はできていた。いや、そういう物を見ることに慣れ過ぎていた。

 細い通路を通る。天井は高く、下にもいくつかの階層が連なっている。その階層の間に、骨になった人間が底にいた。

 モンタナ鉱山。ここは金になる山の姿をした、地獄への片道切符。


 ヘクトルとヴィクトルは双子だった。

 辛い生活を送っていた。だが二人は励まし合い、必ずこんな所を抜け出そうと約束していた。

 グレンドールにやって来る。二人は彼をみて驚く。

「人間だ。人間が四天王をやってるなんて」

「あいつらはついに人間を屈服させちまったのかよ……」

「しゃべるな!」 少しでも無駄口を叩くと、上司から怒号が飛ぶ。

「お待ちしておりました!」

 この鉱山を経営しているのはウィリアムという男だった。

 肥え太った男で、肩幅は広く、かなり体格は良かった。

 経営者は彼を歓待した。

 

「さあ、用意をするんだ!」

「はいはい」

「真面目にやれ!」

 ヘクトルとヴィクトルは雑用を任せられた。

 グレンドールは椅子に座った。背もたれにはよらずに、まっすぐと背筋を伸ばしている。

 グレンドールは二人を見て、珍しいと感じたのか、少し口をあける。それから、またウィリアムの方に向き直り、

「最近支出が減っている。それも、単なる業績不振では説明できないような変動だ。その理由は何だ?」

 ウィリアムは緊張しつつも、

「それが奴隷たちが怠惰なもんでして」

(俺たちがてめえらのために勤勉に働くわけねえだろ)

 ヴィクトルは、神聖帝国が全ての元凶であると知っている。しかし、神聖帝国は巧妙に、自分たちを憎ませることなく人間同士で争わせている。

 神聖帝国は、人間と魔物を差別することはない。人間であっても実力があれば登用される。

 その結果、時として人間同士で戦わされているのだ。だが、それを気に病んでいるようではこの時代で生きられはしない。

「……体制を改めようと思うのです……」

 ウィリアムが長々しく話すのを、グレンドールは興味もなさそうに聞いていた。

 双子にとっても、ウィリアムの一挙手一投足は不快だった。

 グレンドールは極めて事務的な口調で、

「下の方もどうなっているか見ておきたいが、いいか?」

「ええ、なんなりと」

 ウィリアムは蠅のように手をすり合わせている。


 誰もが無表情、無感情で話している。

 その中に、ある男の亡骸を肩にかかえた者が近づいてきた。

「おい、そりゃ何だ?」

「ゴードンが死んだんだ」

 仲間の一人が、力なくつぶやく。

「じゃあ、仕方がないな」

 突き落として死体を捨てた。それは、闇の中を音もなく落ちて行った。

 どさりと、骨の砕ける音。

 また、死人が出たのか。あまりにも日常茶飯事過ぎて、もう心も痛まなくなっていた。

 ヘクトルは、無感情になっている自分自身に吐き気がしそうだった。

 全力で惨劇から通りかかり、階級が上の者だけが入れる事務室の前を通りかかった。

 ほんの少しだけ扉が開いており、そこから若干声が漏れ出た。

 ヘクトルはつい気になって、聞き耳を立てた。

「ルステラに帰順いたします」

 きっと、誰かと話している所なのだ。恐らくはこの鉱山の外の人間と。

「これまでは横流ししておりましたが、これからははっきりとルステラの物です。」

「では、今日中に鉱山の最下層を爆破します。もうあそこにある資源は掘り尽くしてしまいましたからね。ええ、必ずやグレンドールとそこにいるごみどもを始末いたしますから……ええ。私たちは今後も公爵どのに忠誠を誓いますとも」

 ヘクトルは盗み聞きしてしまう。

(やべえ。とんでもないことを聞いた)

 そして、落ち着かない顔でヴィクトルの元に戻って来た。

「おいヘクトル、なんだかそわそわしてんな?」

「この鉱山を売り渡すことになったんだと。そうなりゃ俺たちは用済みになる」

「じゃあ、俺たちの命も……」

 二人は顔を見合わせて、しばらく顔面蒼白となった。

「助かるためには、やって来た人に伝えるしかないだろう」

 ヴィクトルは途方に暮れた顔で。

「でもそんなことをどうやってあの四天王に伝えるんだ? 俺達はただの奴隷でしかないだろう」

「いや、方法はある。何とかしてウィリアムの野郎の目をかいくぐって――」

「おい。お前ら何を話してやがる?」 怖ろしい男が二人を見下ろしていた。


 こうして、二人は薄暗い洞穴の中、椅子にくくりつけられた。

「やっべえ、囚われちまった」 ヘクトルが言う。

「お前のせいだぞ!」 ヴィクトルが攻める。

「でもこれで働かなくても良くなったのはいいや……飯も食えなくなりそうだが」

 ヘクトルは蹴り上げ、何とか立ち上がると、無理に壁に椅子を叩きつけ、破壊する。もはや幾何の猶予もない。

 ヘクトルはあたりを見回し、何か使えるものはないか探した。そして机の上に適当に置いてあったナイフをつかむとヴィクトルを縛る縄を切ってやった。

「おんにきるぜ」

「ありがとうでいいだろ、そこは。とにかく、あの男に会わなきゃならない」

 外に出ると、数人分の白骨が散らばっていた。彼らと同じ目に会わないことだけを願い、他の人間に見つからないように願いながら階段を駆け上がった。

 もう、二人ともこれ以上この場所にいてはならなくなったことを知っていた。あの男は下にいる人間に対してはどこまでも冷酷無惨だ。

 思い出したくもない。あいつが、労働者に対してどんな風に接してきたか。

 このあたりの階層には屍が埋め込まれている。きちんとして弔いもしてもらえないまま、朽ち果てた遺骸がある。もしここが爆破されれば、ここに生きていた人々の存在の証拠も、欠片すら残らずに

 ヴィクトルは、それだけは嫌だと思った。別に彼らのために義憤を抱くわけではないが、自分たちまでもが忘却されることだけは嫌なのだ。

 そして、降りる途中のグレンドールに出くわした。

「君たちは、あの時の……」

 ヴィクトルは震えあがった。

「どうした? 何があった」

 目の前にいるこの青年は、まぎれもなく神聖帝国の幹部であり、恐ろしい存在だ。にも関わらず、こうして対峙すると、その肩書を感じさせないほど普通の男に見えた。

 真の強者だからこそ、気配を消しているのだろうか。ヴィクトルは、相手に屈さない素振りを何とか見せようとして、

「あ……あの……」 言葉が続かない。

 ヘクトルは言った。

「俺たちは聞いてしまったんだよ。この鉱山の主が僕たちを消し去ろうとしているって……」

「だから、捕まったんですが。こうやって脱出して、グレンドール様にお会いして、真実を伝えようと思ったのです」

「そうか。よく教えてくれた」

 グレンドールは、安心させるように、

「君たちには、特別な恩賞があるだろう。きっとここよりもずっと快適な生活をあのお方が与えてくださるに違いない」

 いい生活か。それは二人が何よりも夢見ているものだ。

 だが神聖帝国に与えられる幸福など、二人は望まなかった。

 ヴィクトルが、たどたどしく答える。

「でも、正直こんな所からは出て行きたいんです。神聖帝国の恩賞など、いりません」

 相手の真意を問いただすべく、グレンドールは低い声で詰める。

「どうしてだ? 俺は神聖帝国に取り立てられければとうの昔に死んでいた。お前たちも神聖帝国の助けが欲しくないのか?」

「僕たちにとって、神聖帝国にもルステラにも助けはないものなんです」

(びびるなよ、兄弟) ヘクトルが横で、両手をにぎりしめる。

 グレンドールは、それを聞いて、静かに考え込んだ。この兄弟はまだ小さく、到底二人だけではこの先生きてはいけないだろう。

(俺は神聖帝国の人間だ。神聖帝国に従わない二人を助ける道理などない)

 別にグレンドールは神聖帝国を善だとは微塵も思っていないが、それでも

「この外の世界に救いがあると思うのか? 外の世界では、大勢の人間が血を流して戦っている。それを見ればむしろこの中の方がましだと思うようになるぞ」

 グレンドールは厳しい目でにらんだ。

 ヴィクトルは怖気づいて、何も答えられなかった。

 ヘクトルは勇気を出して、不敵に笑った。

「救いなんて、どこにもねえよ。俺たちに救いがないという事実そのものが救いなんだ」

 グレンドールに対して、対等の存在として啖呵を切る。

「あんたもここから下を見るがいいさ。そこでどれだけ沢山の人間が忘却されてきたか分かるはずだ。それを観りゃ、ここで死ぬことだけは嫌だってのはよく分かる。どっちにも付かない方が、どっちかに付くよりましだからなんだ。俺たちはそれを選びたいんだよ」

 グレンドールは目をつむった。これは、容易に回答の出せる問題ではない。

 ウィリアムの首がすげ替えられた所で、大勢の人間にとっては何も変わらない。どうせウィリアムよりひどい連中がやってくるに決まっている。

 逃がそうとするのは善意などではない。陋劣な正義感によるエゴでしかない。そうだと分かっていても、グレンドールは、二人の願いに力を貸してやらずにはいられなかった。

 グレンドールは、目を開くとこう告げた。

「俺だけはお前たちを見逃してやる。その間に逃げろ。そして二度とここでのことを思い出すな。完全に忘れろ。でないと、俺にまつわる不都合な噂が流れるかもしれないからな。さあ、俺を出口に案内しろ」

「はい!」

 そして、鉱山の外に出るルートの階段を駆け上がる。

「おい、どこに行くつもりだ?」

 いかつい、初老の番人が二人の前に立ちふさがる。

 だが、背後に四天王の姿を認めて、肩を垂らしてすくみ上がり、

「グレンドール様?」

 早口で、

「ウィリアムがこいつらを追放しろと命じた」

「はい?」

 ヴィクトルはヘクトルをつかむと門番の脇を通り過ぎて、二度と振り返らなかった。

 暗い世界に慣れ切ってしまったせいで、日差しが余計にまぶしかった。ヘクトルは、

「振り向くなよ。もう俺たちはあいつらみたいにならなくていい」

 ヴィクトルは不安な声で、

「でも、僕ら、これからどこに行けばいいんだろう? フレーベルはもうないし、ルステラも僕たちの故郷を燃やしたじゃないか」

「知るかよ! とにかく、ここから逃げるのが最優先なんだ」

 二人は、ひたすら前に進んだ。


 どうやら、あの男は何も気づかずに終わるらしい。

 ウィリアムは笑った。

「あの男も愚かなものだ。もうすぐあいつも道連れになる。この鉱山の下層もろともな」

 この鉱山は神聖帝国の支配下に入る前から、ことあるごとに所有する国をひんぱんに変えていた。

 ウィリアムもまた、その混沌とした歴史の一部に過ぎない。

(だが、俺はへまは犯さない。俺だけはこの乱世を生き延びて――)

 グレンドールは荒々しく執務室の扉を蹴り倒した。

「な……何をなさるのですか!?」

 完全に油断していたウィリアムは反射的に立ち上がり、

「この鉱山をどうにも怪しい所があるのでな。探させてもらうぞ」

 グレンドールは、机や調度を荒々しく蹴倒し、中をあさった。

 しかし、そこにも見つからない。そこで、いくつもの破片に別れた扉の残骸の断面を確かめる。

 そこに、埋まっていた羊皮紙の塊。

 それを取り出し、紙切れの表面に目を通した。果たして、双子の言うことは本当だった。

 これでようやく、裏切り者を罰することができる。グレンドールの顔が、ゆがんだ笑みに覆われる。

「こんな所にあったのか。まさか、扉の中に隠されているとは誰も思うまい。さて、どうしたものか……」

 ついに企みが露見してしまった。

 ウィリアムはついに豹変し、

「くそっ! ついにばれちまったようだなぁ!」

 懐から薄い緑色の護符を取り出し、床に投げ出す。

 護符が落ちた場所から光の波が広がり、魔法陣が浮かび上がって、中から魔物が湧き出てくる。骨に適当に肉のついたような、名状しがたい生物だ。

 グレンドールは、彼らの正体を知っていた。かつて各国の魔術師の間で、半獣を生み出す計画の一環で色々な実験があった時、偶然誕生した副産物。

 人間の欲得のためだけに作られた失敗作。

 この鉱山と同類だ。グレンドールは嫌悪感と闘志を燃やす。

 ウィリアムはモンスターの怖ろしい姿を見ていきり立ち、

「さあ行け! こいつを喰らいつくせ!!」 叫ぶ。

 モンスターは舌を伸ばす。

 重そうな図体に反して敏捷な動きに、グレンドールは一瞬焦った。

 鱗に覆われた脚を軍靴のように鳴らし、敵に迫る。

 グレンドールは床を回転し、なんとかして攻撃を避ける。

 だが所詮は、失敗作に過ぎない。四天王は義手を外し、熱を放つ鉄棒をあらわす。もうすでにそれは激しい煙を発している。

 敵が再び飛びかかって来たのを見計らって、グレンドールは鉄棒から火柱を発射した。

 敵は焼き払われ、灰も残さずに蒸発した。

 ウィリアムは、尻餅をつき、歯を鳴らして壁へと後ずさる。

(なんと哀れな様子だ)

 グレンドールはこの男を不愉快だとは思ったが、さほど憎しみを覚えてはいなかった。結局、俺も生きぎたなさにおいてはこの男と大差ない存在なのだから。

 この男に、罪はない。ただ自分の利益を目指して行動したに過ぎない。だが、法ははっきり実行しなければならない。

「閣下に逆らうとどうなるか、分かるな?」

 グレンドールは鉄棒をウィリアムの額に向けた。

「……ひ

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