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第二十話「見捨てられた聖者」

「どうかこの私に裁きの刃を降してはいただけまいか?」

「貴様……何を言っている?」 コルネリオはおびえた。

 しかし、ビストロは曇りなきまなざしを伯爵に向け、真剣な面持ちで語りかける。

「私はあまりに多くの罪を犯しました。罪を洗うために川に手を浸したとしても、川の方が赤く染まるでしょう」

 兵士たちはみな、ゾンビたちの餌食となっている最中だった。

「殿下のように高貴な方に殺していただければ、これより幸せなことはございません」

 ビストロは自分の発言に一切疑念を感じていないようだった。それは、本当に彼にとって救いなのだろう。

「さあ、手を降すがいい」

 ゾンビたちのうめく様子が見える。頭や腕をわななかせながら、しかしコルネリオに襲いかかる様子は見せない。

「殿下!!」

 その時、リクスたちの声が飛んできた。

「命令違反にはなりますが、加勢に参りました!」

「私たちがいれば百人力だよぉ!!」とライラ。

 コルネリオはそれを聞き、安心して、憤った。

 どういうことだ。なぜ彼らがここにいるのだ。こんな氏素性の知れない者たちが、なぜ命令に背いてまで助けに来るのだ。

 伯爵にとっては忌まわしい半獣もいた。

 リクスたちにとってもう伯爵は従うべきではない不俱戴天の存在であるはずだ。

「アンナ、君は負傷者の回復を頼む!」「はい!」

 ビストロは、彼らの姿を見て激昂した。

「おお、私の贖罪を台無しにする者どもが!!」

 ビストロの目がとがり、涙を流す。

 もう聖者は罪を贖えることに対して神に感謝していた。

 彼らもまた、ビストロの罪を浄化するためのみそぎとなるのだから。

 テレーゼはリクスに言った。

「そいつに気をつけて。あいつは思ったより速く動けるから」

「そうなのか?」

 テレーゼは秘められた力を解き放った。その間の十秒、彼は聖者と激闘を繰り広げた。

 三秒までの間に、テレーゼはビストロに激しい打撃を加えた。ビストロは老体とは思えない軽やかな動きでそれを振り切り、逆にテレーゼの頭上に素早い斬撃を振り下ろす。

 五秒までの間に、蹴り上げ、吹き飛ばす。それから休むこともなく、七秒から十秒の間、ゾンビたちを一網打尽にした。

 リクスには、何が起きたのか分からなかった。

 テレーゼの力が、前よりも研ぎ澄まされている。

 喜ぶべきことなのか。むしろ、純粋な戦闘兵器に近づいているような……しかし、リクスにはあれこれ思案にふける暇はなかった。

 ビストロは起き上がると再び突進し、リクスを狙う。

 リクスの棍棒が、ビストロのナイフと激しく打ち合う。

 ビストロは憎悪をこめた瞳でリクスをにらみつける。

「この愚か者が……成敗してくれる!」

(こいつ、強い!) リクスは恐怖を覚えた。

 ビストロの力は恐らく、迷いがないことから来るものだ。命を奪うことに対する迷いがなく、ためらいもない。実行すると決めた時にはもうすでに行動を終えている。

 信じる心をどこまでも持っているからこそ、彼は強い。

 伯爵は、どう行動するか決めかねていた。

(やむを得ないか)

 コルネリオは、彼らの戦いぶりを眺めていられるほど、悠長ではなかった。

 すでにルベンを失ってしまった。アルフレッドも戦える状態ではない。

 この戦いの帰趨は彼にかかっていた。

(彼らを呼ばなかったのは私の責任だ)

 馬を走らせて、コルネリオはビストロにつっかかっていった。

「おお、殿下! 決心がつきましたね!?」

 伯爵が急速に突進していくのを見て、途中でビストロは戦うのをやめ、コルネリオに向かって跳躍していく。

「ああ! しかし! 私はまだ贖いをやめるわけにはいかないッ!」

 ビストロは叫び、空中からコルネリオの頭に刃をふりかざす。

 ライラはとっさに笛を鳴らした。

 敵の神経をかき乱す音を。

 コルネリオはその怪しげな音に耳を塞ぎ、一方耳を塞げなかったビストロは姿勢を崩し、地面に落ちる。

 だがビストロは攻撃の動作を途中で放棄することなどしない。

 テレーゼは、爪を伸ばし、ビストロの背後から現れる。ビストロは真上をにらみ、テレーゼの胸を突き刺そうと。

 だがそれは陽動だった。リクスは棍棒をビストロの胸に突き刺した。

 ビストロは、悲鳴もあげなかった。


 リクスはビストロの目の前に立つと、立膝をつき、

「なぜこのようなことをしたんだ。言え」

 厳しい声で。

 リクスは正直、ビストロを憎しみで打ちのめしたい所だった。

「なぜ、こんなことができたんだ」

 ビストロは、真摯に答えた。

「簡単なことです。贖いですよ。彼らがこれ以上罪を重ねないように、私があえて彼らの罪を贖ってあげたのです。そして、私自身の罪も赦される」

 アンナが憤る。いつになく、彼らしくない激しさのこもった怒りで。

「そんなの、何の理由にもなっていないじゃないですか。他人が将来犯す罪を消し去ることで自分の罪を消す、ですって? 意味が分かりません……!」

「信仰が他人の理解を求めるものだと思いますか?」

 ビストロにはいかなる悔いもなかった。それが正しい選択だと考えて一切疑っていなかった。

 リクスは悟った。絶望した。もはやこの男をどれだけひどい目にあわせようが、決してその心を折ることはできない。この男を神による救いで陶酔させるだけだ。


 それを遠巻きに眺める者が。

 アレクシオは、ビストロをこれ以上使えないと悟った。

 いずれにしろこの男が神々に赦されるかはともかく、人間に許されることはないのは明白。

「てめえは用済みだ。じゃあな」 指を鳴らす。たちまち、十万アンペアの電流。

 巨大な稲妻が下り、ビストロを飲み込んだ。ビストロの悲鳴が一瞬だけ聞こえた気がした。

 もう、そこには黒い灰しか残っていない。

 リクスたちは何が起きたのか理解できず、あちこちを見回すがあたりには誰もいない。

 アレクシオは、ビストロを始末するだけでかなりの力を消耗してしまった。

「さすがだよ、カスティナの英雄たちよ。まだお前らを殺すには早すぎる。せいぜい、楽しみにするがいいさ……」

 

 コルネリオは馬の上で、しばし逡巡していた。彼らに命を救われたのは事実だ。それは感謝しなければならない。

 だが、彼らは、命令が来ていないにも関わらず勝手にやって来て、敵と交戦してしまった。それは罪に問わねばならないことだ。

 コルネリオは、自分の決定に非があることを理解していた。人間であり、人間ではない者が混じっているし、卑しい身の上の者もいる。似つかわしくない。

 そのようなことが極めて厄介だと分かっていたリクスはそこで、自分から頭を下げることを選んだ。

「申し訳ありません。この責任は僕がとります」

 リクスはコルネリオにひざまずいた。

 恐らく、『カスティナの英雄たち』はこれで完全に見放されるだろう。追い出されてもおかしくない。

「君たちは、本来なら我々に取り立てられる立場の人間ではないんだぞ」

 ハーゲンはいても立ってもいられずに歩き回りつつ、

「俺たちはそういう存在としてあんたたちに見られていたんですね」

 ライラは言った。

「いいよ。別に、その程度の存在で。そもそもライラもあんたらのことなんて好きじゃないし」

 リクスは、何を言ってもこの場では冷たくあしらわれるだろうと思った。

 ベネディクトならどういうだろうか。きちんとへり下り、完璧に近い正答を出して丸く納めてくれるだろうか。

 いや、待て。そんなことをすれば彼らにいよいよ見放されるだけだ。

 リクスは、あえて彼らに強く言ってやらねばならないだろうと思った。

 風が強く吹いている。あたりでは主を失ったゾンビが完全に士気を失い、よたよたさまよっている所を剣や槍で切り裂かれ、次々と土に帰って行く。

「お言葉ですが、殿下。私は彼らをより大切に扱わねばならないだろうと思います」

 アルフレッドがコルネリオに向きなおり、

「どうか、彼らの罪をお許しください。私たちは、まだ彼らの助けにすがらなければならないのです」

「罪って何?」

 テレーゼはきっとなった。

「もし、伯爵が私たちに命令を出していたらルベンさんも死なずに済んだんですよ……」

 ライラが体を彼に傾け、両手で指さし、

「そ、そ! やっぱりテレーゼさんはいいこと言ってるー!」

 そしてコルネリオたちを責めるような口調で、

「だから、さ。てめえらもさっさと自分の非を認めて、なかったことにしてくんないかなー」

「無礼者が!」 近くにいた兵士が、激昂して剣を抜こうとした時、

「よせ!」 伯爵を手を伸ばして制止。

 またもや、沈黙が始まった。

 コルネリオは、リクスたちを見るとやはり軽蔑を隠せない。

 どれもこれも何一つ共通点のない、寄り合い所帯ではないか。

 その誰もが、何の利益にもならないのに、命を賭して戦った。なぜだ? なぜそんなことができる?

 苦しめたくないから? 他人の痛みなど分かるわけもないのに、自分に伝わってこないのに?

 大きな敵を倒すという正義か? こんな奴らに、正義の心が芽生えるというのか? ライラも、リクスも、そういう心を持っている人間だとはコルネリオは到底思えなかった。

 貴族の法は絶対だ。

 だが、それでは納得しない者たちだ。そして、コルネリオは自身にもやましさがある。

「今回の件で大勢の犠牲が出たのは、私の責任だ」

 コルネリオはこう言ったきり、唇を固く結んで、

「私の罪をどうか許してほしい」

 戦いは終わった。しかし、喜ぶ気には全くなれない。

 リクスは、ただただもやもやした気持ちを抱えた。人を助けるのに理由なんかいらないのに。なぜ、文句を言うのをやめられないんだ。

 アンナは、うつむいて、ひたすら憂えに沈んだ。

 人を人として見る、ただそれだけのことが難しい奴があまりにも多すぎるのだ。それだけで、世界にどれだけの悲劇が生まれているのだろう……。


 アレクシオは、王都の城壁に一人で立って、街並みを眺めていた。足元に、数人の兵士の屍が伏している。

(人間とはどいつもこいつも役立たずばかりだ)

 ビストロも役に立たなかった。なぜ俺は、こうも弱い人間ばかりにあたってしまうのだろう。

 アレクシオは、焦りをつのらせる。

 グレンドール……あいつには、まだ先を越されるわけにはいかない。人間風情に。

 人間に強い生き物であると証明させるわけにはいかない。

「ただの人間が、魔物に追いつけると思うなよ」 誰にも聞かれない声でささやく。

 空に手をかざし、周囲に雷鳴をとどろかせた。


 そのグレンドールはちょうどその時、ガドールの前に呼び寄せられていた。

 神聖帝国の首領であるガドールだが、その地位に反して容貌はさほど恐ろしさがあるわけではない。背そのものはむしろグレンドールより小柄である。

 ガドールには二つの耳が突き出ていた。額には、赤い宝石をはめこんでいる。それは彼に魔力を供給する

 体じゅうに褐色の毛を生やしている。そして、黄銅色の瞳。爬虫類を思わせる漆黒の瞳孔。

 その表情は険しく、老いている。しかし、まだ年の衰えに屈する様子は全くなく、逆にあらゆる苦境を経てしぶとく生き残ろうとする気力をにじませている。

(この方は、俺と似ているな)

 グレンドールは彼の姿を眺める時、ガドールを自分の境遇に重ね合わせる時がないわけでもない。しかし、親近感というよりはむしろ畏怖だ。

 この魔王は人間よりはるかに長い年月を戦いの中で生きて来たのだ。誰に見下されようと、常にその軽蔑に打ち勝つために努力するしかなかった。それはまさに、忍耐の連続だ。

 その試練をこの一介の魔物はくぐり抜けてきたのだ。グレンドールですら、想像を絶するほどの。

「グレンドール、ただいま参りました」

 ガドールは言った。

「よく来たな。北部戦線での武勲、見事だったぞ」

「光栄です」

「だがお前も戦いの連続で疲れすぎただろう。そこで戦いではなく、国内の調査でもどうだ」

 グレンドールは尋ねた。

「いかなる任務でしょうか」

「モンタナ鉱山だ。あそこで実態の調査をしてほしい」

 今は亡きフレーベル王国の、ルステラ王国との国境近くにある資源の供給地だ。

「あそこは数年前、我々の支配下におさめた場所ではありませんか?」

「うむ。経営者が戦うことなく投降したからな。だが、怪しい動きがある」

 ガドールはよどみのない声で説明する。

「数か月前から提出されてくる報告の支出に不明瞭な点がある。どこかに採掘した分が流出していてもおかしくない。これはルステラと内通している可能性があるということだ」

 ガドールの声は険しさを帯びる。

「ですが、なぜわたくしめにそのような任務を?」

「アレクシオは、このような任務には向いておらんし、ハイドリエンはまだ別の任務が終わっておらん。そして木の四天王には新たにボスカルボを着任させる。故に、貴様にこの調査を依頼しようと思うのだ」

 ハイドリエンという言葉に彼の心がわずかに揺れたが、それを表に出すことはない。

「閣下の命令であるならば、なんなりと」

「うむ。頼んだぞ」

 グレンドールは恭しく頭を下げたが、この時、彼の心は別のことで占められていた。この後、彼が蹴落とさなければならない同僚たちのことだ。

 四天王がどれも激しく交代する中で、水の四天王だけはたった一人の魔物が今日まで占めている。

 ハイドリエン。四天王の中では唯一、ガドールが神聖帝国を立ち上げてから一度もその地位を降りたことがない。

 グレンドールは彼に会ったことはないが、どれだけ怖ろしい存在かは知っている。

 フレーベル王国を滅ぼしたのも奴だった。

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