第二話「野性の呼び声」
テレーゼが松明をともしてあたりを見回した。
リクスは二振りの棍棒を構えながら洞窟の中を進んでいった。途中でライラが淡く光る魔法の石を捨てながら歩き、引き返せるようにしていた。
冷たい空気がどこからともかく押し寄せてくる。そうすると、どこかから狙われているような不安がおのずから生じてくるのだ。
「暗いな」 つぶやくリクス。これに関しては、リクスはまだ感覚が研ぎ澄まされているわけではなさそうだ。
「大丈夫。まだモンスターの影はないよ」
テレーゼには、この状況がよくわかる。その体質ゆえによく夜目がきくのだ。
だが、その理由を彼らに説明するわけにはいかなかった。奴隷として捕まる前にも色々な人間と会ってきたが、半獣と分かった瞬間、態度を豹変されることはいくらでもあったからだ。
「本当にこの道で間違いないのか、ライラ?」
「ライラ、探索は得意なんですよ。危険を察知する時にはお任せあれ!」
そういうと彼は懐から何かを取り出した。黒い笛だ。
ライラは笛をふいた。甲高い、それでいて不思議と品のある、不快さのない上品な音色だった。
だがその音色に混じって異質な音が混じった。
ライラはその時、ある一点をゆびさして指示。
「あそこに敵が!」
リクスは思い切り飛び上がり、虚空を棒で撃ち叩いた。
突然、鈍いうめき声が聞こえて、地面に何かが落ち、くだける。
「ゴブリンだ。まさかこんな所に隠れてたなんてな」
「前はいなかったはずなんですけどね。やはり神聖帝国のせいで元いた鉱山などから追い払われたんでしょう」
「モンスターだけ抑圧してたらいいんだけどね、人間まで脅かすのがたまったものじゃないですよ!」
ライラは適当に受け答えしながら、二人をどうやって騙すかについて思案をめぐらせていた。
ライラは、盗賊である。この過酷な世界で生き延びるために、人を騙してこれまで生き永らえて来た。情報屋という一面は、それを覆い隠すための出まかせに過ぎない。
ライラにとってはこの二人も、金目の品物を分捕るための、ただの体のいい金ズル。ほとんど丸腰のテレーゼはともかく、身なりがよく高価そうな武器を持っているリクスは実に都合の良い騙しの対象だった。
それが悪いことくらい分かっている。だが、ずっとこうして生きてきたのだ。あれほど強く感じた罪悪感も、今となってはほとんど消え去っていた。
ライラは、そんな事情は少しも教えずに得意げに語って見せる。
「実はライラ、このあたりに金品がある場所を知ってるんです」
「ど、どこに?」
「こちらですよ」
ライラは二人をうまくたぶらかすために、機転をきかせた。
「この洞窟は昔から流浪の旅人の避難所となってきたために彼らの遺品が隠されているんです。少し前に多くの金品が隠されてる場所が発見されてましてね……見つけたいですか?」
テレーゼは、欲に目がくらんだ。こんな連中から自由になって生きていくために、名によりも金が必要だった。
「ど、どこにあるの、それは?」
「あと、狭いので、荷物は一部置いてください」
「まさか。もしかして私たちを騙すつもりじゃないわよね?」 テレーゼがいぶかしげに。
「そんな! 私がお二人を騙すわけありませんよ。商売なんですから、皆さんを騙すなんてことがあったら信用を失います!」
涙ながらの演技とともに、ライラはリクスに向かって色目を使った。これもまた、技術だった。
「いけないじゃないか、テレーゼ。ライラさんが誠実に案内してくれてるっていうのに」
「でも私には、この人が信じ切れない。そういう気がする」
リクスは、それでもテレーゼを疑いきることができなかった。
しかし、
「でもせめてこの武器だけは持っておきたいな。穴が壁にあいてるかもしれないから」
ライラは残念に思いながら、
「では、そうなさってください。私は背後から敵が来るのを見張ってます」
二人が背後になった時に、ライラは彼らを思いきり押した。
テレーゼもリクスも、一瞬何が起きたか分からなかった。ただ、足元がぬかるんで、地面が一気に高く上がった。
それを感じた時にはもう二人は一気に下へ落ちてしまった。
リクスは反射的に、頭を挙げた。
「あっはっは、引っかかったわね!! ざまーみろ!」
ライラが唇を指で広げて叫ぶのが見えた。
「ちょっと、一人で危ない――」 リクスは何か言いかけたが、その後が続かなかった。
ライラは自分の目論見が達成されたことですこぶる満足していた。
リクスが何を言っていたような気がする。だが、ライラはそれを思い出そうともしなかった。いずれ野垂れ死ぬと分かっている人間に貸す耳などないのだから。
こんなことをしても、ほとんど心が痛まなくなってきている自分が誇らしい。
リクスは何と純粋な人間だったのだろうと思う。テレーゼの方がまだこのあたりではまっとうな人間だと思うくらいだ。
リクスの自分自身の純粋さによって身を滅ぼしたのだ。それだけで、もうこの話は終わったはずなのだ。にも関わらず、ライラにはなぜかまだ心の中にわだかまりが残っていた。
あの純粋で、誰かを陥れようとする邪気のない瞳。リクスのあの顔を思い出した時、ライラは久しぶりに、『戸惑い』を覚えた。
(どうして? なぜ、私を助けたがろうとしてたの?)
なぜリクスがそれほどまでに強い感情を呼び覚ますのか、皆目見当がつかなかった。だが、その原因を探る余裕などなかった。
周囲に不気味な鳴き声が聞こえて来た。
「え?」
ライラは、最初、目の前の光景を疑った。青白い獣が低いうなり声を揚げながら近づいて来る。
数匹などで形容できる規模ではない。十匹以上はいた。
ライラは脚から崩れ落ちて、
「い……いや――」
「いたあっ……」
少年は、しりもちをついた。幸い、軽傷であるようだ。
もっと深い所に落ちてしまったのかと思ったが、
自分の体がきちんと動かせるのを分かってから、リクスはテレーゼが、体のどこかに深い傷を負っていないかどうかを心配した。
「ねえ、テレーゼ、大丈夫?」
「私は……うん」
テレーゼはもうすでに、近くに立っていた。あの突然の墜落があったのが信じられないくらいの、見事な着地。
「僕も大丈夫だった。本当に良かったよ。昔学院で習った護身術の知識が役に立った」 リクスは自慢するように話す。
だがテレーゼは肩をすくめた。
「何言ってるの。あんた、明らかに腰をやられてる」
リクスは無理やり立とうとして、
「うわ……いたっ!」
普通の人間ならばやはりただでは済まない。半獣であることがこんな所で役に立つとは、テレーゼは思わなかった。
「私だって運が良かっただけ。もしかしたら、もう少しで大怪我する所だったかもしれないから」
「運、かぁ……」
ライラにはめられたことを悟りながらも、リクスはなお変わらない調子で問うてくる。
「ねえ、あたりに道ってないかな?」
「安心して。この先に道はある。まあ、下に続くかもしれないけど」
テレーゼには、あまり焦った感じでもないリクスの様子が呑気に思えてならなかった。
「行こう。完全に希望が潰えたわけじゃないんだから」
「そんなことより、あの女を恨む気はないわけ?」 まるで、芝居のようではないか。民衆に道徳を教える演劇に出てくる俳優のようにも思える。
「ここから出ることの方が先さ。あの子と一緒にここを出ないといけない」
「何言ってるの。どうせ私たちの荷物を物色して出て行ってるって」 テレーゼは、途方に暮れた声で言った。リクスに対して不平を言うわけにもいかないので、抑え気味に。
リクスは、痛みに耐えつつも、走り足で道を進んだ。
途中で、悲鳴が聞こえた。
「助けなきゃ!」 焦った顔になるリクス。
いよいよテレーゼは、我慢がならなくなってきた。
「あんた、正気なの! あいつ、私たちをわなにかけたクズなのよ!?」
「クズならなおさら、僕たちの手でこらしめてやらなきゃいけないじゃないか。いわれもない理由で苦しむ必要なんてない」
「どんだけお人好しなの、あんた。そうやって仇を恩で返すような馬鹿なんてこの大陸のどこにもいないわよ」
「お人好しなんかじゃない。どうせ、僕のことを助けに来てくれたなんて信じてくれないんだから」
すっかりあきれてしまったテレーゼは何度も正論でなじったが、リクスは聞く耳をもたなかった。
この洞窟は想像以上に入り組んでいるらしい。そしてリクスとライラがいる場所は下の段なのだ。
「少なくとも、ここが逃げ延びるための場所だったってのは本当だったんだ」
彼らを包み込む空気は、ひんやりとした寒さから、じめじめした熱気へと変わっていた。
「見てよ。こんな所に剣が落ちてる。きっとこれもここで行き倒れた人のものだったんだろうな」
「骨もあるけど」
テレーゼはリクスのすぐ足元を指さした。ほとんど額のだけしかとどめていない頭蓋骨があった。
今ではもう朽ち果てた欠片でしかなくても、間違いなくかつては生きていた誰かだった。
「行こう。ここに長居してる暇はない」
リクスは頭蓋骨に向かって、死者の安寧の祈りを捧げてから、剣を持って行った。
「あいつが憎くないの?」
走りながら、話し合う二人。
「僕らを騙したくて騙したなら、憎むだろうさ」
「まるで、誰かを憎むことを恐れてるみたい」
「憎んでなんか、ないさ」
「本当に?」
私なんて、憎むことは沢山あった。今だって、憎いものが山ほどあるのに。
リクスはだが、飄々とした表情のまま、今の行動に神経を集中している。
坂道を駆け上がりながら、
「あの子はあの時、僕たちを騙せたのを喜んでた感じだっただろう?」
――また、はぐらかした。テレーゼはリクスが素直に返事をしてくれないことがとても不満だった。
無論、会ったばかりでこの少年のことをまだ何も知らない。恐らく、これにも何か理由があってのことなのだろう。
リクスにも自分と同じように、隠したい秘密があるのかも。だがそれが何か、まだまだテレーゼには見当もつかなかった。
「僕は、心配なんだ。こんな怖ろしい所で一人でいちゃだめなのに」
途中で通路は行き止まりになり、天井の方に穴があいていた。
「困ったな」
リクスは腰に提げた二つの棒の片方を取り出す、横から生えた突起を利用して壁のくぼみにひっかける。それほど体重のありそうな体格ではないとはいえ、驚くほど少年の身のこなしは軽かった。
「あー、リクスさんが先行って」 そっけなくテレーゼ。
「そりゃもちろん」
リクスが上にあがると、もう片方の棒をテレーゼに向かって投げる。
棒は細いひもをたらしながら、テレーゼの元へとたどりついた。
テレーゼはリクスの棒をつかんだ。
「すごいわね、あんたの武器。一体どこで手に入れたの?」
目を輝かせて、
「神様にお祈りしてたら、空から降って来たのさ」
「まさか」 もはやテレーゼは、この手のリクスの発言には一切耳を課さないことにした。
だんだん見覚えのある道になってきた。ライラが置いてきた光の石のおかげで、どの道をたどれば帰りつけるか分かるのだ。
テレーゼの視覚をもってすれば、光の石を使わずとも、常人以上に地面や天井の起伏を把握することができる。
何があるか見極めようとすると、異様な鳴き声がした。
あたり一面にモンスターがひしめていた。四足歩行で、青白い肌、顔からは二つの角。恐らく、カーバンクルの一種だ。
「いや、いやっ!!」
ライラが異様な音色で、笛をかき鳴らす。モンスターの群れが一瞬ひるんで後ずさりするが、それでも慣れて来たのか、距離はだんだん狭くなっていく。
「今、助けに行く!」
リクスは二振りの棒を投げた。
棍棒は縦横無尽に舞い上がり、次々とモンスターに手痛い打撃を加えていく。
ライラの方もいてもたってもいられなくなり、笛でカーバンクルの頭を叩くまでになっていた。
テレーゼだけが、目の前の切羽詰まった状況を前に、立ちつくしている。
今、ここにどれだけ敵がいるか分からないが、これ以上状況が悪くなるとも思えなかった。
私がこの二人をおいて逃げ出せば、何とか洞窟から抜け出せるだろう。
けど、それからはどうする? どうせどこもかしこも、神聖帝国の連中に支配されてしまうだろうに。
テレーゼは、リクスとライラの様子をじっと眺めていた。リクスに対してさして恩義を感じていたわけでもなく、ライラに対してはむしろいい気味とさえ。
二人を助ける理由なんか私にはない。そもそも、私は誰にも助けられてこなかったんだから。ずっと。
なのに、リクスは、私を助けてくれた。私は、誰も助けようとはしなかったのに。
テレーゼにはリクスがライラを助けようとする理由が分からなかった。そもそも、自分を陥れた人間を助けるなど狂気の沙汰とすら思っていた。
リクスにとっては、テレーゼもライラも平等に助ける存在なのだろうか。テレーゼは、分からなかった。
いつの間にか、カーバンクルがテレーゼにも迫っていた。
「こ……来ないで!」 どうすればいいか分からず、テレーゼは叫んだ。
獣人には、忌まわしい力がある。戦いにしか用いることのできない汚らわしい力。それゆえに彼らは迫害の対象にされた。
その力をテレーゼも宿している。純粋な獣人な力に比べれば、数段も劣ったものでしかないが。
リクスの言葉が、再びテレーゼの脳裏をかすめた。
――クズならなおさら、僕たちの手でこらしめてやらなきゃいけないじゃないか。いわれもない理由で苦しむ必要なんてない――
ライラは今、いわれもない理由で苦しんでいる。彼は、私を騙して、そのままだ。そのままでいいわけはない。
私自身の手で、あいつをこらしめなきゃいけないんだ。だから今、あいつを守らなきゃいけない。リクスが私にしてくれたように、私がリクスと、あいつに対して。
「テレーゼ! 待っててくれ――」
リクスの叫び声が聞こえる。もうテレーゼに、迷う時間はなかった。