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第十八話「聖者ビストロ」

 二人は急いで式場に戻ったが、対応は冷たかった。

「再入場は禁止だ。それに公爵は君たちを拒絶したんだぞ」

 門番に対してライラはしつこくねばった。

「そんなこと言ってる場合じゃないんだよ!」

 テレーゼは、まだあの時の憤りから抜けきってはいなかったが、それを彼らにぶつけてもかいのないことだ。

「敵が現れた。ビストロって言ってた」

「ビストロだと? それって山奥でかぎつけ回っているという、あの恐ろしい人殺しじゃないか。ここにはいるはずがないだろうが」

「私はそいつに襲われたの。私の力をもってしてもあまりに怖ろしい奴だった」

「年は取っているみたいだったけど、それを感じさせないくらい動きにキレがあったよね、ね?」

「うん、確かに」

 門番は兜を叩き、悩ましげな表情を浮かべながら、

「カスティナの英雄のいうことなら、信じる他はないだろう。じゃあ、さっさといけ」


「ビストロ?」

 リクスにとっては初耳の名前だった。

「まさか、そいつに会ったのか?」 ベネディクトが驚いた表情を浮かべる。

 その声で、リクスは相当緊迫した状況だったことを察した。

「うん。テレーゼが私を連れて逃がしてくれなかったら、殺されてた」

「……二人とも生きてて良かった」

 もうすでに一同はだいぶ食事を終えていた。

 アンナが苦笑を浮かべる。

「申し訳ありません。もうこんなに食べてしまって」

「いや、いい。私は食べるのにそこまでこだわりがないから」

「あ~あ、せっかくごちそうにありつけると思ってたのに……」 肩を落とすライラ。

「二人が生きているに越したことはないよ。それより何でそいつが二人を襲ったんだ?」

「嘆いているようだった。テレーゼの身の上を」

 テレーゼはビストロの声を思い出し、ぞっとする。まるで善意で何かをしようとしている雰囲気すらあった。

 だが、行動はそれとは真逆に凶暴そのものだ。

「うん。だから私の命を奪おうとした。人と人以外が交わるのは禁忌だって」

 この世界の多くの人間はそう考えている。そして老人も。その思い込みによってテレーゼの命を奪おうとした。

 リクスは気分が悪くなった。テレーゼを自分の思いのままに利用しようとする悪い奴らがいるだけではない。テレーゼの命を奪おうとする奴さえいる。その現実の、寒々しさに。


 彼らは帰宅した。ライラが個室に入るなり、ベッドの上に横たわっていびきをかき始めた。

 リクスは、わざと元気にふるまっていたが、実の所かなり落ち込んでいた。テレーゼに降りかかった二つの不幸。

 そして、神聖帝国とは異なる新たな脅威。内側にも外側にも対処しなければならない敵がいる。

 ベネディクトは、リクスの内面に立ち入りすることはしなかった。

「お前は、なぜそこまで悩む?」

「だって、テレーゼの悩みがそのまま伝わってくるからだよ。僕はテレーゼを理解しないわけにはいかない」

「あいつとお前とでは、生まれた星が違いすぎる。歩み寄ろうとしてもどうせ無駄に終わる」

「でも……だからってわからなくていいなんてことにはならないじゃないか!」

 ベネディクトは、リクスの心情を理解はしても共感はしない。そういう優しさを持っている人間は、死ぬ前に心がくじけるからだ。

「これからの戦いではより多くの人間が死ぬかもしれん。俺も明日にはあの世にいるかもしれんのだ。他の仲間もな。だから、他人を理解してる暇があると思うな。情を捨てろ」

「そう言われたって……」

「俺もお前みたいでいたかったよ」 ベネディクトはもうそれ以上口をきくこともせず自室に入ってしまった。

 リクスは、その思いの内を打ち明けることはできなかった。自分以外に、同じくらい憂えに沈んでいる人がいることを思えば。

 ベネディクトがテレーゼについて

 そのテレーゼは、まだホールの方でうつむいて、思案にくれているようだった。

 リクスはテレーゼに言った。

「今日は早く寝なよ。あんまり考えすぎるのも良くないよ」

 リクスは笑顔を見せた。この際、複雑な言葉をこねくり回すよりもまず相手を安心させるのが大事。

「リクス……」

 テレーゼは少しためらってから、

「ありがと」 短い一言。

「え?」 リクスは、最初それを聞きとれなかった。

「あんたは他の奴と違って単純だからね。いちいち考えることなんてしない……」

「考えてない?」

 リクス自身が傷つきそうになった。

(違う。僕は単純なんかじゃない。ずっと、複雑だ)

 だが、テレーゼにとってはそれが真実のリクスなのだ。リクスはテレーゼから見た自分の姿を否定したくなくて、慌てて、

「な、なんでもない。とにかく――おやすみ」


 リクスの部屋にはもうすでにアンナがいる。アンナとは別のベッドに寝ることになっていた。さすがに同じベッドに入るわけにはいかない。

 いつもアンナの寝るのは早いのだ。

 リクスが自室に入ってまず目撃したのは、アンナの目にきらめく異様な光。

「アンナさん?」

「気にしないで」

「人工衛星から送り込まれてきたデータに適応アップデートしている所なの。この間は、何も動けない状態になる。もう私の体とシステムを管理してくれる技術者なんて一人も生きていないんだけど、ただ人工知能が研究しているデータは無限に私の方に供給されてくるの」

「人工衛星って?」

「作り物の月といえばいいかしら? 私が人間だった時は、地上からそういう物をたくさん空の向こうに飛ばしていたの。そしてそこから、宇宙や地球の様子を観察していた……」

 アンナはそれから静かに笑って、

「でも、こうやってリクスと話せるのってとても楽しいわ。だって、リクス以外はみんな私のことを笑うけれど、リクスだけは真面目に聞いてくれるから」

「当然だよ。笑うわけがないじゃないか」

 アンナのいう話は、いつも奇想天外だ。そしてそのほとんどは噓偽りのない事実なのだと思うと、リクスは、人間の想像力がどれだけくだらないものなのか実感してしまう。それが同時に、

 そして思う。どうすれば、テレーゼをもう一度元気にしてやれるんだろうと。


 ◇


 ビストロが涙を止めるのに時間がかかった。アレクシオはビストロが何かにつけて悔やみ、そして懺悔して晴れ晴れとした笑顔を浮かべるパターンにもそろそろ嫌気がさしてきた。もうすでに、あたりは暗くなっていた。星一つない漆黒の空には、薄い雲で寸断された月がおぼろげに映るばかり。

 アレクシオは、月を見ても特に感慨などなかった。。

「一体、私をどこに連れて行くつもりなのです」 ビストロは嘆くように言った。

「じきに分かる。てめえにあれこれ教えると襲われそうだからな」

「何ということをおっしゃいます。私があなたのために過ちを犯したとでもいうのですか?」

 ビストロの言葉にもはや耳を貸すこともなく、全身鎧に身を固めたこの魔物は奥まで進み続けた。

 たどりついたのは墓場だった。朽ちかけた柵の中、小さな墓標が奥まで立っている。

 ビストロはくず折れた。

「ここは昔処刑場だったらしい。かつては罪人が惨たらしい方法で殺されたという噂もあるが……処刑場が廃止されてからは、死者の魂を救うために彼らを丁重に葬ったのがこの場所って話だ。その墓場も、もう今では覚えている人間もおらず、忘れ去られる運命にあるが」

 意気を失いかけているビストロの肩に手を置き、力を込めるアレクシオ。

「なぜ俺がここまでてめえを連れて来たのかというと、ここにいる死者どもをきちんと指揮してもらうためだ」

「死者を指揮する?」

「俺は雷を操れるからな、死んだ人間の脳に電撃を流して生きてるように動かすくらい朝飯前なわけよ。とはいえさすがに数百人の屍を思い通りに操れるほど万能じゃない。だから頼みがあるんだ。今俺がこの地中にいる死者を蘇らせるから、そいつらを手なずけてくれねえか?」

「私にそんなことが可能なわけがない。私はただ、死者のために安寧を祈るだけでございます」

(自分が殺した奴にお祈りか……とことん、分別のついていない野郎だ)「いや、できるさ。てめえの心は、誰よりも神を崇め、罪を恐れている。その清い心のためにどんな極悪人にも慈悲を振り向けることができるほどだ。まあ、お前の神は俺の神ではないんだが」

 アレクシオにとっては、とにかくビストロを最大限使い捨てることが最重要事項だった。

 そうでなくては、こんな狂人をここまで生かしたかいがない。

「まあ、あいつならもっとすごいことができるんだが」 アレクシオは、不意に小さな声で洩らした。そしてわざと大きくせきこんで、ごまかした。

 アレクシオは、長く息を吸ってから大音声、

「悪霊どもよ! 死者たちに力を与えよ!!」

 右腕を空へと突き出すと、しばらくして豪雨が地面に注いできた。そして雷鳴が鳴り響き一本の稲妻が大地を打ちすえる。

 突然、地面から手が生え、腕が伸びた。

 地面をかき乱し、もがくようにして屍が這い出てきた。どれもこれも、まともに服は残っておらず、顔らしい顔もとどめていない。まだ骨に腐肉がついた直後だから、ろくな体格もしておらず、名状しがたい柱か岩のようにゆがんだ姿。

 生きて、一人ずつ違う名前を呼ばれた彼らは、一切の記憶も記録もはぎとられ、単なる匿名の存在、統一された集団として二人に迫ってくる。

 ビストロは恐怖に駆られた。

「おお神様……」

「まだあきらめるのは早い。俺はてめえを信じてるんだぜ?」

 もう幾ばくの猶予もない。ビストロは低い声で、

「では、聖者のためにとりなしを乞うとしましょう」

「聖者? お前の神に祈るんじゃないのか」

「神様には過ぎたことですから……」

 それから静かに瞳を閉じ、

「聖マヌエルよ、死者にふきこみたまえ!!」

 ビストロは叫んだ。

 屍の動きが止まった。

 そして、一人一人ビストロの顔を眺め、平伏するように立膝を突き出した。

「……まじか」 アレクシオは驚いた。この狂人の理不尽な敬虔さは、まさか死者をも恐れおののかせるというのか。

 信仰心に裏打ちされた聖性は、そのいかれた精神性を完全に免罪するものだというのか。。

 だがアレクシオは、表向きビストロをおだてるようにやけに感心した振りをする。

「見ろビストロ。こいつらはてめえを父親のように思ってへいこらしているぞ」

「ですが、彼らを利用して一体何をするおつもりなのですか?」

 その言葉を待っていたかのようにアレクシオは不敵な笑み。

「練兵場で神聖帝国との戦闘を想定した演習を、二日後に行うんだ。そこに俺たちがこの死者の軍団をつっこませようってんだよ。てめえの罪を償うにはもってこいの場所だと思わないか?」

「このままでは罪を負ってしまう者たちにを、罪を負わせることなく天国に送るのですね……いいでしょう。承りました」

 死者たちが、どろどろした質感を脱ぎ捨て、より上品なさらさらした肌を帯びつつあった。


 じめじめした空気と、すさまじい冷風が混じった、何とも言えない空間。

 岩肌がのぞく中、青白く人間の青年の顔が光っている。

 グレンドールは闇の中で義手の手入れをしていた。凄まじい熱を放つ鋼鉄の棒は、何もないこの空しい空間の中では氷と間違うほどに冷たい。グレンドールはこの武器を手にした日のことを、一瞬でも忘れない時はなかった。

 あの時、人間としてのグレンドールは死んだのだ。ただ、この世に対する絶望と、力への渇望だけが残った。

 もっと強い力を手にしなければならない。『カスティナの英雄』を思い浮かべる。

 奴らに何ができるというのだ。彼らの力は、なおも未知数。この神聖帝国には、怖ろしい敵が他にもいる。

 それがどれほど怖ろしい存在なのか、まだグレンドール自身もよく知らない。いや、神聖帝国という組織の全容を把握している者など、ガドール以外には誰もいないはずだ。

「よお、グレンドール」

 アレクシオがいつの間にか近くにいた。そう、ここは四天王だけが干渉のできる空間。孤独であることなどできない。

「てめえにいい知らせがあるぜ。訊くか?」

 グレンドールはアレクシオの言葉を無視し続けた。

「俺はなぁ、あのビストロと組んだんだぜ? すごいだろ!? 俺は王都ででかいことをおっぱじめようと思ってんだ。そうすりゃ、奴らももう少し早く俺らに降伏するはずだぜ」

 グレンドールは口を開いた。

「あいつなら、お前よりもすごいことができる。とりたてて自慢することでもない」

 煽りに乗ったわけではない。計算して、この時グレンドールは言葉を発した。

「あぁ! その通りなんだ! それが俺にとっちゃ実に悔しいんだ! だからよ~、さっさと実績が欲しいってわけだ。それなら人間の手だって借りるぜ俺は」

 好き放題気炎を吐いて、

「てめえもガドールに気に入られ続けたいんならさっさと功績を立てた方がいいぜ。あばよ!!」

 アレクシオは、煙のように消えていった。

 グレンドールの心には微塵の動揺も起きなかった。この程度の挑発には、もう何度も経験してきたのだ。

 アレクシオも、ベルディオも、誰もが功を焦っている。その焦りゆえに、いずれは破滅する。

 俺は違う。俺はずっと待ち続けている。その瞬間を。

 しかしグレンドールとても欲望や感情はある。やはり、その瞬間が今にも来てほしいと思う衝動には抗えない。

 早すぎる。ことを起こすには。

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