5-5 棺に縋る伯爵
まずは現状確認と言う事で、ユーグ伯爵邸へと足を運びました。
若様のヴィクトール様に案内され、屋敷の広間へと向かってみれば、説明された通りの状況でした。
棺が置かれ、それに縋りついているヴェルナー様。
参列者こそいませんが、以前の葬儀そのままの状態。
何も変わっておりません。
(まあ、当然やつれていますわね)
ヴェルナー様の姿は間違いなく衰弱しておりました。
ろくに飲み食いもせずに、ずっと棺の前で嘆いているか、あるいは神へのお祈りばかりでは、健康的によろしくありません。
このままでは、棺がもう一つ増えるのは明白ですね。
「ご覧の状況です」
ヴィクトール様も苦しい立場で、どうしたものかと苦悩しております。
母を失い、今また父も“実質”死んだような状態なのですから、悩むのもやむを得ませんね。
体面を重んじる貴族としては、当主がこの有様では家中の者にも、他の貴族にも示しが付きませんからね。
「なるほど。これはよろしくない。本来なら、“早すぎる埋葬”を防ぐため、墓地近くの霊廟に移し、しかる後に埋葬をするのが習わしですが……」
「はい、その通りかと。しかし、この状態では、母の亡骸を伯爵家の墓所に移す事もままなりません」
「そのまま一緒に埋葬してくれ、とでも言いだしそうですものね」
「実際、そのつもりのようです」
仲が良いのは結構ですが、強すぎる絆は残された者への大きな負荷となります。
絆と言う固い縄が、生者を死者の列に加えようとしているとでも申しましょうか。
手っ取り早く、強制的に隠居させ、家督をヴェルナー様からヴィクトール様に移してしまうのが良いかもしれませんが、それはあまりにも薄情に過ぎます。
それもまた、ユーグ伯爵家の家名に傷を残しかねません。
(面倒ではありますが、ちゃんと元気になってもらうよりありませんね。血は繋がっておりませんが、親戚筋ではありますし)
ヴェルナー様の弟であるヴィットーリオ叔父様が、従弟であるディカブリオの実父でありますし、我がイノテア家が“ファルス男爵”の称号を得ましたのも、ユーグ伯爵家と縁続きであればこそです。
貴族を名乗れるのは、貴族と縁続きの者のみ。
その確たる証であるユーグ伯爵家との縁故、蔑ろにはできません。
「……分かりました。魔女の力を使って死者と言葉を交え、それをヴェルナー様にお伝えしましょう。さすれば、未練や執着を断ち切り、常道に戻られるかと」
「なんと、魔女殿はそのような力をお持ちなのですか!?」
「もちろんです。なにしろ、私は“魔女”なのですから」
無論、そんな力などございません。私が聞き取れるのは、あくまでも生者の心のささやきなのですから。
我が魔術【淫らなる女王の眼差し】。肌の触れ合った相手から情報を抜き取るというもの。
これを利用して、相手の心中を覗き見て、適切な助言を与えればよいのです。
(しかし、ヴェルナー様は今、恐ろしく感情的になっています。沈む方に傾いてはいますが、下手な助言は逆に激昂を呼び、暴れる方向に転換しかねません。ここは慎重にいかねばなりませんね)
人は感情の生き物です。
心情の起伏こそ、人を動かす歯車とも言えましょう。
時にそれはあらゆる困難を跳ね除けようとする決意にもなり、逆に死と言う名の“諦め”を受け入れる呼び水ともなる。
無論、今のヴェルナー様は後者の方です。
長年連れ添ってきた愛しい伴侶を失われ、何もやる気が起きない。
そのやる気の無さが、死すら受け入れようとしている。
(生きる者が、死せる者に引きずられるのは良くない。それではこの世が成り立たない。生者は生者の道を行き、死者は死者の住処で安寧の内に眠る。世界はそうやって回っているのですから)
生死の循環や摂理を捻じ曲げれるとすれば、それはすでに神の領域。
人の立ち入って良い世界ではありません。
人は生き、やがて死んでいく。その摂理は決して動かす事はできないのですから。
ゆえに、私が聞き取るのはヴェルナー様の心の声であって、死者の魂から答えを聞き取るような真似はできない。
死者の声は霊界の扉を開く鍵。その声を聞けば、魂をそちら側に引っ張られかねません。
しかし、私が授けますのは、“生ける者より抜き出した情報”であり、そこから導き出された“適切な助言”なのです。
(さて、魔女の三枚舌、お得意の“口八丁”と参りましょうか)
そうと決まれば、早速準備です。
なにしろ、これから【天使召喚の儀】という、大掛かりの魔術を行使しなくてはなりませんので。
「ヴィクトール様、これより【天使召喚の儀】を執り行います」
「そのような魔術を使えるのですか!?」
「そりゃあもう。なにせ、私は“魔女”ですから。その力を以て、亡くなられたサーラ様の魂を呼び出し、ヴェルナー様に励ましのお言葉をいただきます。以て、沈む伯爵様の意識を、現世に呼び戻す事といたしましょう」
「おお! 是非ともよろしくお願いいたします」
パッと表情が明るくなりましたヴィクトール様。
まあ、この状況をずっと見せられ続け、ついには魔女の下へと助言を求めてまいりましたからね。
その心中、お察しいたしますわ。
「さて、少し準備が必要でございますし、お手伝いをお願いすることになりますが、よろしいでしょうか?」
「無論です。父のあの姿を見て、正気に戻っていただかないことには方々に迷惑をかけることになります。最悪、強制的に隠居してただく事も考えましたが、父が正気に戻ってくれるのであれば、それに越した事はございません。如何様にも手は尽くすつもりです」
「はい。では、儀式のために、幾ばくかの準備が必要となりますので、人手と小道具の用意、お願いいたしますね」
「任されよ。して、どのようになされますか?」
天使を召喚する儀式に関して、ヴィクトール様の許可は出ました。
ならば、全力で“天使に扮した“魔女”となりましょう。
そして、扮するは、“告知”を司る天使です。
もっとも受胎告知ではなく、死命告知でございますが。
さてさて、面倒な仕事ではございますが、生者と死者の尊厳と名誉を守るため、全力で夫婦の仲を引き裂くと致しましょう。
魔女として、あるいは死を告げる天使として。




