4-21 死神との約束
「澄ました顔で過ごしていながら、随分と“闇”を抱えていたのだな、魔女殿は」
私から一通り話を聞きましたるアルベルト様は、率直にそう答えられました。
まあ、“雲上人”に関わる案件は、それこそ国家規模の問題ですからね。
それを個人の力でどうこうしようなど、おこがましい事は重々承知です。
しかし、だからこそ拘わらせるわけにはいかないのです。
最悪の事態を想定して、火の粉が降りかかろうとも、「私一人で事を成そうとした」という弁明のために。
そんな私の苦悩を知ってか知らずか、アルベルト様は不敵な笑みをこちらに向けてきました。
相変わらず、涼し気ないい男ですこと。
滅多に人前に姿を晒せないのが、残念でならないほどに。
「力になろう、魔女殿」
力強く頷きながら、貴公子の口より放たれましたるこの言葉。
どれほど私を救ってくれましたる事か。
孤軍奮闘、しかも相手は世界の支配者達。
それを知りながらも、「助ける」と宣言したのです。
危うく嬉し涙がこぼれるところでございました。
しかし、涙は見せません。魔女は涙を見せぬものですから。
「お気持ちは嬉しいのですが、アルベルト様、相手は“雲上人”でございますよ? 下手な振る舞いは身に危険が」
「すでに巻き込まれてしまったからな。……いや、こちらがそちらを巻き込み、抱えていた油壷に引火させてしまったと言うべきか」
まあ、その表現は間違いではありません。
そもそも、遥か彼方、天上の存在の事を探っていたのですから、雲を掴む話だったのでございます。
それがアルベルト様が持ち込んだ“幽世の存在”との接触により、一気に動き出したのでありますから。
あるいは、何もなかった方が幸せだったのかもしれません。
娼婦として、魔女として、そして、男爵夫人として、大過なく日々を暮らしてきたのでありますから。
進んで焼け石を拾うがごとき所業は、はっきり言えば狂気でありましょう。
「私は密偵頭だからな。情報の収集はお手の物。むしろ、“死神の黒い手”が通用しない相手がいる以上、頼りになるのはむしろそちらの方だ」
「それはそうでありますが」
「今回の一件は、元をただせば偉大なる魔女の置き土産なのだ。あの御仁は、秘密をすべて持ってあの世へ旅立つも、あまたの手掛かりを残していったとも言える。真実はあなたが見つけなさい、とな」
「まあ、祖母らしいやり口だとは思います。苦言を呈する時は直言できますが、“遊んでいる”時は、実に回りくどいやり方をしてきます」
「魔女の遊戯、か。ならば、その怪しい舞踏会に、死神が一人紛れ込んでいても不思議はあるまい?」
「物好きですわね。わざわざ火の中に飛び込んでまいりますか」
「まあ、ヌイヴェルの助言がなければ、首無騎士の“呪”で死んでいたであろうしな。拾った命くらい、拾ってくれた相手に使っても、バチは当たるまい?」
そう言って、右手を差し出して参りました。
死神の力が宿った黒い手。呪法の手袋で封印はされておりますが、輪廻を加速させる恐るべき力が宿った手。
本来は触れる事さえできない髑髏の番犬、それがわざわざ私の前に進み出てくれたのです。
嬉しい。これほど嬉しい話はない。
私の秘密、母の秘密、お婆様が遺した謎は、誰にも打ち明けていません。
裏仕事を共にこなす、従弟にも、従者にも、誰にも話していない私だけの密事。
今日、初めてそれを明かしたのですが、目の前の大公国の番犬は助勢すると明確に答えてくれました。
ああ、今日と言いう日はなんと言う素晴らしい事か。
私は初めて本当に頼れる相手を手にしたのですから。
ですが、すぐには飛びつきません。相手の立場を思えばこそ、ね。
「アルベルト様、私と握手を交わせば、“戻れなくなります”が、よろしいので?」
「構わんさ。どうせ“二度”死んだ身だ。今更、と言ったところか」
ここで再び不敵な笑顔を見せましたるアルベルト様。
一度目の死は、生まれたばかりの頃。
なにしろ、大公フェルディナンド陛下の双子としてお生まれになられました。
双子は相続の揉め事になりますから、上流階級ほど忌避する傾向にあります。
産まれてすぐに消されかけたのを、どうにか救い上げたのがお婆様。
双子の生母の相談役でもあったので、殺すのに忍びない我が子をどうにかできないかと、助力を求めました。
戸籍の改竄を始めとするいくつかの情報操作、そして何より、お婆様の魔術である【絶対遵守】を用いて、関係者一同が“絶対”に裏切らないように契約を結び、今の状態になったのです。
偽りの身分、偽りの顔、仮面の下は決して他人に見せられないアルベルト様。
しかし、ここだけは、“魔女の館の塔の部屋”だけは特別。
私と過ごすささやかなひとときだけが、本音と素顔を晒せる。
そして、今回の一件で、それが上手く機能したとも言えますでしょうか。
私とお婆様の行動が、結果としてアルベルト様の命を二度繋ぎ止めたという事でございます。
(神の悪戯による偶然か、世界の意思による必然か、どうなのでしょうかね?)
その神に喧嘩を売ろうというのですから、魔女も大それた事を考えるものです。
しかし、少なくともお婆様は遥かな高みにおわす“雲上人”と渡り合い、その宿敵と言うべき“集呪”とさえ交わって来たのです。
大魔女の呼び声、それに一切の偽りない。
いずれは私もそこへ。
その機会がようやくやって来た、と言うべきなのでしょう。
危険極まりない事ですが、お婆様が遺された“宿題”、片付けないという選択肢はありません。
必ず解いてみせましょう、世界の隠された真実を。
そこまで行かずとも、私自身の謎を探る旅路は、今ようやく一歩を踏み出せたといったところでありましょうか。
しかも、頼もしい同伴者付きで。
こうして私とアルベルト様は固い握手を交わしました。
魔女の白い手と、死神の黒い手が交わる時、はたして世界は何色に染まるのでしょうか?
純真無垢なる白か?
あるいは、全てを呑み込む混沌の黒か?
はたまた、血の河、死体の山の赤でしょうか?
それは誰にも分かりません。
唯一つ、握手を交わした二つの手は、どちらも“嘘つき”だという事を忘れてはなりません。
肌の触れ合った相手から情報を抜き出す【淫らなる女王の眼差し】。
接触した相手を土塊に変えてしまう 【加速する輪廻】。
私共は、偽りの世界を闊歩しているのですから。
仮面、手袋はその証。
男爵夫人と子爵家当主。
娼婦と影武者。
魔女と死神。
目の前のアルベルト様もまた、私同様、偽りの仮面を身につけましたる御方。
果たして、本当の姿と心はどうなのでありましょうか?
それは私には分かりかねます。
なにしろ、肌に触れ合わない純な関係なのですから。