4-20 天の嫁取り
伝説の怪物が去り、静けさを取り戻しました塔の部屋。
窓から入って来る花街の歓声が、逆に物寂しさを感じさせる。
謎は解かれ、新たなる謎を残し、部屋は再びの沈黙。
さてどうしたものかと悩んでおりますと、アルベルト様がふいに私の肩を掴んでまいりました。
両の肩を掴み、じっと私を見つめてくるその瞳は、問題が片付いた安堵のそれではなく、私に向けられた哀れみと呼ぶべきもの。
「ヌイヴェル、お前、自分の母親が“天の嫁取り”で連れて行かれたのを知っていたのか!?」
「アルベルト様も嫁取りの件は御存じでしたか」
「話だけなら、な。実際に嫁取りをされたと聞いたのは初めてだ」
「まあ、仮にも大公家の一員でございますからね。おとぎ話などではなく、それが現実のものだと存じ上げていたのでございますね?」
「ああ。話を聞いても?」
「お話いたしましょう」
そう言って、私は再び席を進めました。
すっかり料理は冷めてしまいましたが、それ以上に私とアルベルト様の心には冷風が吹き抜けております。
さながら、雪原を走る雪煙起こす風のごとく。
素面ではやってられぬとばかりに私は杯に酒を注ぎ、グイっと一飲み。
いささかはしたなくもありますが、本当に重くて面倒な話をしますからね。
酒の力でも借りなくてはやってられません。
なお、アルベルト様も同様のようで、あちらも一気飲みです。
「“雲上人”については、今更説明の必要はございませんね?」
「無論だ。我が大公国を含む、数多の国家群を束ねるロムルス天王国、その中核を担う存在。世界の中心アラアラート山に住まう謎多き者。滅多に人前に現れず、天宮に住んでいる天上世界の住人、それが“雲上人”」
「市井ではおとぎ話や伝説だと思っている者もおりますが、実際に存在します」
「まあな。教会の法王は、代々“雲上人”が務める事になっているし、時折、何かしらの用事で下界に来るときもあるからな。それこそ、“嫁取り”の件とか、な」
さすがはジェノヴェーゼ大公家の一員にして、密偵頭プーセ子爵家の当主。
色々と裏についてもご存じですね。
「“嫁取り”についてもご存じでしたか」
「ああ。どういう事かは知らんが、“雲上人”は全員が“男”だからな。下界の人間から嫁を迎えねばならない、という事もな」
そう、それこそ“天の嫁取り”と呼ばれる風習。
というより、生存上の選択肢と言うべきもの。
男だけでは“次”がありませんので、どこからか女を仕入れて来なくてはならない。
わざわざ天高くそびえる山の上から、嫁探しにやって来るというわけです。
「アルベルト様の仰る通り、“雲上人”は全員が男子。“天の嫁取り”とも呼ばれる嫁探しを行わなくては、その血が途絶えてしまいます。ゆえに、下界に降りて来ては花嫁候補を物色し、ときに誘拐同然に攫って行く」
「それがお前の母親だったとは驚きだがな」
「祖母の話では、私が生まれた直後に母は“雲上人”に見初められ、連れて行かれたのだそうです」
「目に留まれば、人妻であっても容赦なし、か」
「人妻ではありませんよ。母は正式な結婚をしていなかったと聞いていますので」
「そうなのか!? では、ヌイヴェル、お前は私生児か」
「いかにもその通りでございます」
娼婦という職業柄、子を身籠ってしまう場合もございます。
もちろん、“避妊”はいたしますが、それでも“神の手”が悪戯をして、“望まぬ子”を宿してしまうのです。
そして、私がそれであり、母は客の中の“誰か”の種を実らせてしまい、結果、私が生まれてしまったのです。
ゆえに、私は父の名前を知らない。
それどころか、母の名前すら知りません。
おまけに、祖母や叔母に聞いても、母の事は言葉をうやむやにして、まともに答えてもくれませんでした。
(そう、まるで、初めから存在しなかったかのように)
そこが最も解せない点ではありますが、唯一知っている情報は“天の嫁取り”で雲の上に行ってしまったという事だけ。
何が何やらさっぱりわからず、この年になってまでこの謎については分からず仕舞いです。
「ですが、祖母が何らかの事情を以て、“天の嫁取り”に関わっていたという点はあるのだと推察されます」
「と言うと?」
「私が生まれるのを前後して、イノテア家が急速に力を付けたからです。商会、娼館が随分と繁盛し、財を得た事。叔父上がイノテア家に婿養子として入り、ファルス男爵の称号を得た事。これらの時期が、私が生まれる前後の話なのです」
「そう言えばそうだな。まあ、そこまでなら商売が上手くいった、程度の話で済むが、そうではないのだろう?」
「はい。男爵号の授与については、当時の“法王聖下”が随分と熱心に方々へ働きかけたのが大きいのです」
「ふむ……。歴代法王は“雲上人”が務める事になっている。つまり、何らかの事情で天宮からの意向が働いている。そういう事だな?」
「あくまで推察でございます。秘密を全部知っているであろう祖母は、秘密を墓まで持って行ってしまいましたから……。断片的な情報を元に推察しなくてはなりませんので、それが精いっぱいの、現段階での答えです」
私の母が雲の上にいる事。ただし生死は現段階では不明。
私が生まれるのを前後して、イノテア家が急に力を付けた事。男爵号の授与がちょうどその辺り。
祖母が“雲上人”と係わりがあった事。法王聖下と懇意にしていたのは事実。
「そして、今回の一件で、どうやら“幽世”にまで手を出していたという事です」
私の右親指にしっかりと嵌まった指輪が、まさにその証。
この世ならざる存在とも、祖母は関わっていたのです。
「まさかとは思うが、地獄にまで到達していたとかは?」
「さて……、そこまでは判断しかねます。なにしろ、生者が赴くべき場所ではございませんので。ただ、先程の二人は地獄とは関係ないとも言っておりましたので、あるいは事実やもしれません」
「そう思える根拠は?」
「会話が成立していた、という事です。そもそも“集呪”は世界を滅ぼす邪悪な存在であり、実際に神もその災厄を鎮めるために力を使い過ぎて、肉体を失ったという神話があります。そんな強烈極まる“神殺し”の連中が、人間である我々と真っ当に会話できるとでも?」
「なるほど、そう指摘されればその通りだな。神話で語られるほどの大きな力を持ち合わせていないか、あるいは会話できるほどに穏やかな存在か、とにかく世間で流布されている情報とは、明らかに乖離している」
愚民化政策の基本は、“情報を与えない事”に尽きます。
嘘を嘘と見抜けないのであれば、都合の良い情報だけを抜き出し、それっぽくばら撒けばよいだけなのですから。
どれほどの賢者であろうとも、その判断を下すための材料、すなわち“情報”に誤りがあれば、誤った判断を下すのは道理です。
そして、その誤った情報を拡散しているのは、“教会”なのです。
「神話や伝承による嘘の拡散と、それによる愚民化、さらに“雲上人”の立場の強化、といったところか」
「おそらくではありますが、祖母はその舞台装置の根幹の部分に気付き、それを以て“雲上人”と接触を図ったのではないか、と」
「そこでなんらかの交渉、取引が成立し、見返りとして、イノテア家の繁栄を約束された。筋は通るな」
「あくまで推察です」
「だな。さらに付け加えると、お前の母親が“天の嫁取り”に捧げられたのも、ある種の人質とも考えられる」
「問題は、嫁取りが、“雲上人”からの申し出か、あるいは逆に祖母が進んで提案したか、これで見方が大分違ってきますね」
考えたくもありませんが、祖母が自身の娘を生贄に捧げ、一族の繁栄を優先させたとも考えられます。
祖母は一族の繁栄を第一に考え、どんな手段も実行してきたとも噂されています。
なくはない、そう思わせるだけの何かを抱えた大魔女なのですから。
(これは考えれば考えるほど、深みにはまっていきますね)
よもや軽い気持ちで解いてしまった謎かけが、回り回って自分に返ってこようとは思ってもみませんでした。
“自由”とは、思う以上に難しい事なのでございます。




