表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女で娼婦な男爵夫人ヌイヴェルの忙しない日々  作者: 夢神 蒼茫
第4章 あらゆる女性が欲するもの
82/405

4-20 天の嫁取り

 伝説の怪物が去り、静けさを取り戻しました塔の部屋。


 窓から入って来る花街の歓声が、逆に物寂しさを感じさせる。


 謎は解かれ、新たなる謎を残し、部屋は再びの沈黙。


 さてどうしたものかと悩んでおりますと、アルベルト様がふいに私の肩を掴んでまいりました。


 両の肩を掴み、じっと私を見つめてくるその瞳は、問題が片付いた安堵のそれではなく、私に向けられた哀れみと呼ぶべきもの。



「ヌイヴェル、お前、自分の母親が“天の嫁取り(セリ・フィティーナ)”で連れて行かれたのを知っていたのか!?」



「アルベルト様も嫁取りの件は御存じでしたか」



「話だけなら、な。実際に嫁取りをされたと聞いたのは初めてだ」



「まあ、仮にも大公家の一員でございますからね。おとぎ話などではなく、それが現実のものだと存じ上げていたのでございますね?」



「ああ。話を聞いても?」



「お話いたしましょう」



 そう言って、私は再び席を進めました。


 すっかり料理は冷めてしまいましたが、それ以上に私とアルベルト様の心には冷風が吹き抜けております。


 さながら、雪原を走る雪煙起こす風のごとく。


 素面ではやってられぬとばかりに私は杯に酒を注ぎ、グイっと一飲み。


 いささかはしたなくもありますが、本当に重くて面倒な話をしますからね。


 酒の力でも借りなくてはやってられません。


 なお、アルベルト様も同様のようで、あちらも一気飲みです。



「“雲上人セレスティアーレ”については、今更説明の必要はございませんね?」



「無論だ。我が大公国を含む、数多の国家群を束ねるロムルス天王国、その中核を担う存在。世界の中心アラアラート山に住まう謎多き者。滅多に人前に現れず、天宮サントアリオに住んでいる天上世界の住人、それが“雲上人セレスティアーレ”」



「市井ではおとぎ話や伝説だと思っている者もおりますが、実際に存在します」



「まあな。教会の法王は、代々“雲上人セレスティアーレ”が務める事になっているし、時折、何かしらの用事で下界に来るときもあるからな。それこそ、“嫁取り”の件とか、な」



 さすがはジェノヴェーゼ大公家の一員にして、密偵頭プーセ子爵家の当主。


 色々と裏についてもご存じですね。



「“嫁取り”についてもご存じでしたか」



「ああ。どういう事かは知らんが、“雲上人セレスティアーレ”は全員が“男”だからな。下界の人間から嫁を迎えねばならない、という事もな」



 そう、それこそ“天の嫁取り(セリ・フィティーナ)”と呼ばれる風習。


 というより、生存上の選択肢と言うべきもの。


 男だけでは“次”がありませんので、どこからか女を仕入れて来なくてはならない。


 わざわざ天高くそびえる山の上から、嫁探しにやって来るというわけです。



「アルベルト様の仰る通り、“雲上人セレスティアーレ”は全員が男子。“天の嫁取り(セリ・フィティーナ)”とも呼ばれる嫁探しを行わなくては、その血が途絶えてしまいます。ゆえに、下界に降りて来ては花嫁候補を物色し、ときに誘拐同然に攫って行く」



「それがお前の母親だったとは驚きだがな」



「祖母の話では、私が生まれた直後に母は“雲上人セレスティアーレ”に見初められ、連れて行かれたのだそうです」



「目に留まれば、人妻であっても容赦なし、か」



「人妻ではありませんよ。母は正式な結婚をしていなかったと聞いていますので」



「そうなのか!? では、ヌイヴェル、お前は私生児バスターダか」



「いかにもその通りでございます」



 娼婦という職業柄、子を身籠ってしまう場合もございます。


 もちろん、“避妊”はいたしますが、それでも“神の手”が悪戯をして、“望まぬ子”を宿してしまうのです。


 そして、私がそれであり、母は客の中の“誰か”の種を実らせてしまい、結果、私が生まれてしまったのです。


 ゆえに、私は父の名前を知らない。


 それどころか、母の名前すら知りません。


 おまけに、祖母や叔母に聞いても、母の事は言葉をうやむやにして、まともに答えてもくれませんでした。



(そう、まるで、初めから存在しなかったかのように)



 そこが最も解せない点ではありますが、唯一知っている情報は“天の嫁取り(セリ・フィティーナ)”で雲の上に行ってしまったという事だけ。


 何が何やらさっぱりわからず、この年になってまでこの謎については分からず仕舞いです。



「ですが、祖母が何らかの事情を以て、“天の嫁取り(セリ・フィティーナ)”に関わっていたという点はあるのだと推察されます」



「と言うと?」



「私が生まれるのを前後して、イノテア家が急速に力を付けたからです。商会、娼館が随分と繁盛し、財を得た事。叔父上がイノテア家に婿養子として入り、ファルス男爵の称号を得た事。これらの時期が、私が生まれる前後の話なのです」



「そう言えばそうだな。まあ、そこまでなら商売が上手くいった、程度の話で済むが、そうではないのだろう?」



「はい。男爵号の授与については、当時の“法王聖下”が随分と熱心に方々へ働きかけたのが大きいのです」



「ふむ……。歴代法王は“雲上人セレスティアーレ”が務める事になっている。つまり、何らかの事情で天宮サントアリオからの意向が働いている。そういう事だな?」



「あくまで推察でございます。秘密を全部知っているであろう祖母は、秘密を墓まで持って行ってしまいましたから……。断片的な情報を元に推察しなくてはなりませんので、それが精いっぱいの、現段階での答えです」



 私の母が雲の上にいる事。ただし生死は現段階では不明。


 私が生まれるのを前後して、イノテア家が急に力を付けた事。男爵号の授与がちょうどその辺り。


 祖母が“雲上人セレスティアーレ”と係わりがあった事。法王聖下と懇意にしていたのは事実。



「そして、今回の一件で、どうやら“幽世かくりよ”にまで手を出していたという事です」



 私の右親指にしっかりと嵌まった指輪が、まさにその証。


 この世ならざる存在とも、祖母は関わっていたのです。



「まさかとは思うが、地獄ゲヘナにまで到達していたとかは?」



「さて……、そこまでは判断しかねます。なにしろ、生者が赴くべき場所ではございませんので。ただ、先程の二人は地獄ゲヘナとは関係ないとも言っておりましたので、あるいは事実やもしれません」



「そう思える根拠は?」



「会話が成立していた、という事です。そもそも“集呪ガンドゥル”は世界を滅ぼす邪悪な存在であり、実際に神もその災厄を鎮めるために力を使い過ぎて、肉体を失ったという神話があります。そんな強烈極まる“神殺し”の連中が、人間である我々と真っ当に会話できるとでも?」



「なるほど、そう指摘されればその通りだな。神話で語られるほどの大きな力を持ち合わせていないか、あるいは会話できるほどに穏やかな存在か、とにかく世間で流布されている情報とは、明らかに乖離している」



 愚民化政策の基本は、“情報を与えない事”に尽きます。


 嘘を嘘と見抜けないのであれば、都合の良い情報だけを抜き出し、それっぽくばら撒けばよいだけなのですから。


 どれほどの賢者であろうとも、その判断を下すための材料、すなわち“情報”に誤りがあれば、誤った判断を下すのは道理です。


 そして、その誤った情報を拡散しているのは、“教会”なのです。



「神話や伝承による嘘の拡散と、それによる愚民化、さらに“雲上人セレスティアーレ”の立場の強化、といったところか」



「おそらくではありますが、祖母はその舞台装置システムの根幹の部分に気付き、それを以て“雲上人セレスティアーレ”と接触を図ったのではないか、と」



「そこでなんらかの交渉、取引が成立し、見返りとして、イノテア家の繁栄を約束された。筋は通るな」



「あくまで推察です」



「だな。さらに付け加えると、お前の母親が“天の嫁取り(セリ・フィティーナ)”に捧げられたのも、ある種の人質とも考えられる」



「問題は、嫁取りが、“雲上人セレスティアーレ”からの申し出か、あるいは逆に祖母が進んで提案したか、これで見方が大分違ってきますね」



 考えたくもありませんが、祖母が自身の娘を生贄に捧げ、一族の繁栄を優先させたとも考えられます。


 祖母は一族の繁栄を第一に考え、どんな手段も実行してきたとも噂されています。


 なくはない、そう思わせるだけの何かを抱えた大魔女グランテ・ステレーガなのですから。



(これは考えれば考えるほど、深みにはまっていきますね)



 よもや軽い気持ちで解いてしまった謎かけ(リドル)が、回り回って自分に返ってこようとは思ってもみませんでした。


 “自由リベルタ”とは、思う以上に難しい事なのでございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ