1-5 見てはならない真実
(なんとかしてあげたくもありますが、それは客と娼婦の関係を逸脱していますね)
それが私の結論というわけです。
まあ、全てが全て、そうとは言えませんが。
たまにこうしてお悩みのお客様の心の中を覗き見て、頭痛の種を枯らしてしまう場合もございます。
そうして恩義を着せておき、再来店の呼び水にする実に邪な発想です。
大抵は簡単に片付くことばかりで、面倒事にはなるべく首を突っ込まないようにはしていますが。
(ましてや、今回はチロール伯爵の相続と、その後の行く末の話。親類縁者でもない私が出しゃばるのは、却って混乱の元。静観するのが一番でしょうね)
せいぜい老人の愚痴を聞いてやるのが関の山。
肌を介して伝わる記憶の数々も、ろくでもないものばかり。
やはり人の心の中を覗くのは、疲れもするし滅入るものです。
安らかな寝息を立てるこの老人も、じきに人生の終末を迎えるというのに、最後の最後まで忙しなく、おまけに残る者達に大きな宿題まで残してしまう始末。
「人の価値と言うものは、その者が亡くなって初めて見えてくるものですよ」
祖母よりこう諭されました私でございますが、まさにその通りと痛感しています。
祖母の思想は私の中で息づき、その遺産もまたファルス男爵イノテア家として、今なお続いております。
祖母が亡くなり、その言葉を聞けなくなろうとも、私の頭の中ではいつまでも厳しくも優しい祖母の姿が刻まれています。
しかして、この老人、後世に何を残されるのか?
今の状態では『チロール伯爵の遺産』は負の遺産にしかなりませぬよ。
「……おや?」
頭の中に意外な、それでいて“見つけてはならないもの”を見てしまい、つい声が漏れ出てしまいました。
それはかなり昔の記憶。頭に映し出されたものから察するに、例の息子が生まれてくる前後の記憶のようです。
この頃のハルト様は元気溌剌。ようやく授かった息子の大はしゃぎの御様子。
ついうっかり手を出した女官が、子を孕んで、息子が生まれ落ちる。
奥方様の複雑な表情が、なんともやるせなくもありますが、跡継ぎを産めなかった厳しい現実を目の当たりにしたと言ったところでしょうか。
それよりもその女官の方が問題。そう、大問題なのです。
(これはもしや……)
映し出された情報を分析し、いくつか散らばっていたパズルのピースが組み上がって参りました。
何気なく聞いていた言葉の端にも、思わぬ手掛かりが転がっているものでありますから、人の話はよくよく聞いておけと、これまた祖母の教えでございます。
(先程の伯爵様の言葉と、子を成したこの女官の情報の齟齬は……)
違和感。そして、閃き。
ああ、なるほど、そういう事かと納得してしまいました。
ですが、そこまでです。それ以上はいけないと、私の頭の中にどこからともなく警告が発せられております。
いわゆる、“勘”と言う奴でございますね。
勘と言うものは、経験に裏打ちされた一種の警告です。
魑魅魍魎の跋扈する社交界を渡り歩いてまいりましたので、その手の“勘”はかなり鍛えられていると自負しております。
その“勘”が「これ以上踏み込むな」と、警告を発しているわけです。
(……そう、これはチロール伯爵家の内部の話。部外者の私が立ち入るべきではない。内の事は内々に解決すべき事。問題があるとすれば、その解決すべき猶予を、このご老体が持ち合わせているかどうか、でしょうかね)
おそらくは無理でしょうね、というのが率直な感想。
なにしろ、息子が“豚”になるまで放置し、それでもなお踏み込めないご様子ですし、今更無理と言うものです。
まして、奥方様と頼りの執事も失って、気力も萎えてしまっておりますしね。
このままいけば、チロール伯爵家は遠くない将来、大きく傾く事でしょう。
上手くそこに付け込めば、色々と美味しい思いをできなくはありません。
しかし、貴族の財布に手を出すのは危険が多い。
私の一人の手では余るし、かと言って知己と一緒になって徒党を組んで群がるのも、まあなんと言いますかはしたない。
(つまるところ、結局は“見”の状態であることが望ましいということね。こちらにできる事は、このご老人が悪足掻きできる時間を増やしてあげる事と、萎えている気力を呼び起こす事。これくらいでしょうね)
得た情報は面白くもあり、同時に悲劇でもある。
つまるところ、関わり合いにならない方がいい、という事でございます。
貴族の相続問題は大抵荒れますが、今回もまたその例に倣う可能性が高い。
ならばわざわざ渦中に飛び込む事もないかと、私は術を解き、ハルト様の心を読み解くのを止めました。
魔術の行使もさることながら、面倒な情報を得た事により、どっと疲れが吹き出してまいりました。
いささかはしたなくも欠伸が漏れ出し、私もまた老人の後追いで夢の世界へと旅立ちました。
老人に肌を寄せ、さっさと今の事は忘れようと眠りにつきましたが、まさかこの得た情報がとんでもない結果をもたらす事になろうとは、この時は考えも及びませんでした。