12-15 十三番目の部屋 (3)
幾何学模様の絨毯が広がる『魔女の館』の玄関ホール。
来訪する客人がまず目にするのは門構えと庭、そして、玄関。
貴族の屋敷と言うものは、それだけ見れば十分すぎるほどに屋敷の主人の財力や趣味、嗜好が見えてくるものです。
絨毯から調度品に至るまで、最新の流行を取り入れつつ、古風な雰囲気を醸せるように建築様式は少し昔のものを取り入れる。
これはカトリーナお婆様の流儀である『温故知新』の心構えを体現しており、それを私も踏襲しております。
新物好きにも、古典が好きな方にも、割と評判の良い我が家の玄関。
そこに例の巡礼者が現れました。
素性、素顔は一切不明。
せいぜい、教会関係者であり、巡礼者として方々を巡っている事くらいしか知りません。
(後は、“裏”の住人である事もね)
むしろ、それの方が重要。
今のところ、敵対的な言動はなし。
せいぜい、エイラを人質に取られている事でしょうが、それはこちらの落ち度。
身から出た錆ですし、多少の不利は甘受しなくてはなりません。
というか、私の横で落ち着かない雰囲気のオノーレがいい加減、目障りですね。
まあ、オノーレの筋書きであれば、売られると分かればエイラも頭を下げてくると思っていたのが、引っ込みが互いに付かなくなり、そのまま本当に売れてしまった。
さあどうしよう、というのがオノーレの頭の中。
こちらもその状況を利用して、“狂言競売”を仕組みましたが、高額でのお買い上げは計算外でしたからね。
その点では迂闊であったと反省しております。
(さて、エイラを餌にして、こちらをどう吊り上げてくるでしょうか?)
油断はせず、今はただ屋敷に来訪したお客様をお出迎え。
私、ディカブリオ、アゾット、オノーレ、計4名が一斉に首を垂れる。
「ようこそ『魔女の館』へお越しくださいました、巡礼者様」
「ん~、それじゃあ呼びにくいな。僕の事は“グノーシス”と呼んでくれ」
「…………! これまた大層な呼び名で」
「本名は別にあるのだが、母は僕の事をグノーシスと呼んでいた。だから、本名を名乗れない、あるいは名乗りたくない時は、いつもこの名を使う」
「つまり偽名ですか?」
「名前などどうでもいいよ。言葉による個の定義など、魂、精神という本質な定義の前ではね」
「そうですか……」
私は思わず息をのみ、全身に冷や汗をかく。
グノーシスとは、“認識”を意味する古代語であり、かつて異端とされし女性の名前です。
原初の魔女が神話に登場する“魔女王リリン”とするのであれば、グノーシスは“人間の魔女の始祖”とも目される。
現在の教会にありがちな“神への祈り”を否定し、徹底した実践主義を貫きました。
神を神と認めつつ、魔術と科学の境界を開拓した“知の探究者”。
魔女と科学者の境目のない時代に現れた“背信者にして異端者”。
グノーシスが生み出した知識や技術の数々は、悪魔のもたらした異端の知識として失われてしまった。
(その残滓を探し求める者を“魔女”と、いつしか呼ぶようになった。……と言っても、これも伝説の類ですし、どこまで信用できるやら)
目の前の巡礼者も明らかに“偽名”だと分かる名乗りを上げて、こちらを揺さぶるつもりなのでしょうね。
ですが、演出過剰もいいところですし、その程度ではボロは出しませんわよ。
「グノーシスの名は異端の概念そのものと目されておりますが、それを敢えて名乗る意味は?」
「僕の母は魔女でね。その影響を受けている。罪と懺悔よりも、錯覚と啓発を、信仰の旨としているのが僕と言う存在。だからこその“精神的認識”」
「それは教会では“異端”の発想となっているはずですが?」
「そうだよ。神の奇跡などと言うものは錯覚だ。とうの昔に堕ちている」
堂々と教会の信仰や、その拠り所とする神話や奇跡を否定してきますか。
“自由”と“好奇心”を信仰する魔女とその従者でなければ、袋叩きにあってもおかしくない程の“涜神”。
巡礼者でありながら神を否定、あるいは排斥する思想。
これは本当に危うい。
(あるいは、誘いかしらね? あえて魔女の見方を装い、言質を取ろうとするとか)
どちらにせよ、迂闊な言動は控えるべきですわね。
冷や汗ものの挨拶は隅に追いやり、こちらも本題に入ります。
「それで、エイラは無事でしょうか?」
「もちろんだとも! すっきりしているよ」
パンパンとグノーシスと名乗る男が手を叩きますと、玄関前に止まっている馬車の中から女性が一人、降りてきました。
もちろん、エイラその人です。
(特段、変わった様子もない。服装も昨日と同じ)
少なくとも、外見的には“何かをされた”様子はありません。
まずは一安心と言ったところですが、その安堵は一気にひっくり返る。
オノーレの前に進み出て、しおらしく首を垂れる。
「旦那様、ただいま戻りました」
「……はい?」
「一身上の都合により、一晩空けましたる事を心よりお詫び申し上げます」
「え、あ、ええ!?」
困惑して目を丸くするオノーレ。
姿形は間違いなくエイラで相違ありません。
しかし、その立ち振る舞いが全然らしくない。
悪く言えばガサツ、良く言えば闊達。
そんな漁師の娘の面影などなくなり、躾の行き届いたお嬢様になっております。
ドレスにでも着飾れば、社交の場に出ても通用する所作。
完全に化けている。
オノーレでなくても、これは驚きますわよ!
「グノーシス様、これは一体!?」
「じゃじゃ馬娘がお気に召さないようであったから、お淑やかな御令嬢風に変えておいたぞ」
事も無げに言い放つも、それが事実である事は疑いようがありません。
実際、エイラはああなってしまったのですから。
(これは間違いなく、ネフ司教と同じ状況! どうなっているの!?)
大聖堂のネフ司教も、性格が丸くなっていましたからね。
目の前の巡礼者が何かをやって、性格を変えてしまったとしか思えません。
またまた面倒な事になって来ましたわね、これは!




