12-12 変わり過ぎた司教
(何かが……。何かがおかしい!?)
私の目の前にいるのは、間違いなくネフ司教様。
大聖堂の責任者であり、ジェノヴェーゼ大公国における布教や教導を取り仕切る、高位聖職者です。
はっきり言えば、この方は苦手。
教義第一、秩序優先、前例主義、とにかく発想や思考が凝り固まり、融通が利かない事で皆から煙たがられる存在です。
特に、私は魔女であり、娼婦ですからね。
一昔前であれば、問答無用で火刑台送りにでもされていた事でしょう。
しかし、今日は本当におかしい。
説教が飛んでこないどころか、受け答えも実に落ち着いております。
物腰柔らかで、いつもの刺々しさを一切感じさせない。
何と申しましょうか、“好々爺”と表現すべき程に穏やかなのです。
(祭りだからとか、そういうのではないですね。何か、根本的に変わってしまったかのような、そんな雰囲気)
なぜこうなったかには興味が湧きますが、今は捜索優先。
アゾットが競売終了後に謎の男を尾行しますと、大聖堂に入っていったのを目撃しておりますのでね。
連れていかれたエイラもまた、ここにいる可能性が高い。
それを連れ戻す事が優先ですわ。
「ネフ司教様、一つお尋ねしたい、と言うか、人を探しております」
「どなたかな?」
「エイラ、という女性なのですが、こちらの建物に入っていくのを見かけたと、知り合いが目撃しておりますので」
「儀典に参加されていたのではなく?」
「そのようです。先程、礼拝堂を退出していった参加者の中に、エイラの姿を確認できませんでしたので」
「ふむ……。私もそちらに参加していたので、さすがに名前だけでは分からんな」
そう言うと、ネフ司教は側仕えをしている若い神官に視線を向けました。
「なあ、そういう女性は見ておらんか?」
「それでしたらば、確か、宿坊にお泊りの巡礼者の方ではないかと。先程、廊下を女性を連れて歩いておりましたので」
「おお、あの御仁の連れ合いか!」
どうやら間違いなさそうですわね。
あのエイラを競り落とした男も、巡礼者風の格好をしておりましたからね。
顔はフードを深く被っていたため分かりませんが、女連れの巡礼者となると、総数はいないはず。
「おそらくはそちらの方で間違いないかと」
「そうかそうか。では、済まんがヌイヴェル殿が面会を希望していると、宿坊の方に連絡しておいてくれ」
承知しましたと頭を下げて、奥の院へと消えていった神官。
しかし、やはり、このネフ司教、おかしい。
(ヌイヴェル“殿”ですって!? 有り得ないわ! 悪意を込めて、魔女だの、ふしだらな娼婦だのと、私を毎度毎度あげつらっていたというのに、この変わりようは一体何なの!?)
姿形だけそのままで、中身が入れ替わったとしか思えぬほどの豹変ぶり!
あれほど忌み嫌っていた私にさえ、慇懃無礼などでもなく、ちゃんとした敬語で話して来る異常事態。
あまりに奇妙な状態に心臓はバクバクで、表情を取り繕うだけで手一杯ですわ。
「……あの、司教様」
「何かね?」
「なんと申しましょうか、こう、丸くなられました?」
「ああ、そうかもしれんな。その旅の巡礼者殿がな、一冊の本を見せてくれたのだ」
「本、ですか?」
「内容はよく覚えていないのだが、とにかくこの世のすべてが記されているかのような、金言、真言を私の頭の中に刻みつけてきた」
「それで丸くなったと?」
「よく覚えていないのだが、本当に素晴らしい教えであったぞ」
そう述べるネフ司教は本当に憑き物でも落ちたかのように、柔和な性格になってしまわれております。
だからこそ、気になると言うものです。
あの堅物だった司教を、ここまで心解きほぐすまでになったという“本”の中身と言うものを。
(覚えていないというのに、“素晴らしい内容”と断じれるという事は、おそらくはなにかしらの“魔術的要因”があると見て間違いなさそうですね。まあ、中身を確認しない事には分かりませんが)
知識の信奉者たる魔女として、それは見過ごせない事ですわね。
筆は剣より強し、という格言が示すように、剣で殺せるのは目の前の一人だけですが、筆の力で起こされた文言は、目の触れた者すべての心を斬る。
剣の力で倒せなかった暴君も、数百年後の我々に筆の力で告発し、警告を与えてくれるものです。
(だからこそ知りたい! その“本”とやらの力を! 中身を!)
などと考えつつ、今は我慢です。
まず考えなければならないのは、エイラの奪還です。
いやまあ、売りに出しておいて、やっぱり返してくださいは商人としては落第もいいところです。
本当に、今にして思えば、阿呆な真似をしたものだと少し前の自分を叱責したい気分です。
そうこうしておりますと、先程の神官が戻って参りました。
そして、メモ書きを一枚、私に差し出して来ました。
「用件は了解しているので、こちらを渡すようにと承りました」
やはり、どこまでも用意周到ですわね。
私の身の上を調査した上で、競売の騒動にかこつけ、エイラを手にして、私の注意を引くという手法。
こちらが迂闊であった点は否めませんが、それ以上に相手が色々と用意していたのでしょう。
手にしたメモ書きとて、あまりにも準備が良すぎます。
さて、何を言ってきたのかとメモ書きを開き、目を通しました。
「嫁は明日にでもお返しする。ただし、“十三番の部屋”を用意して欲しい」
どこまで知っているのか、と疑問が浮かんで来る内容ですわね。
(よりにもよって、“十三番の部屋”ですか。魔女の館の塔の部屋、私と陛下の密会場であり、亡きカトリーナお婆様の最後に過ごした部屋。そこも知っているとは、思っていた以上に深い……!)
しかし、わざわざ十三番目の部屋を指定してくるあたり、おそらくは何かしらの“密談”をしたいというのは間違いないでしょう。
誰も聞き耳を立てる事ができない塔の上にある部屋なのですから、密談、密議を交わすのに最適な場所。
私は陛下との密会に使い、お婆様は数々の秘密の商談をあそこで交わしたそうですからね。
とはいえ、今日今すぐエイラを回収するという訳にはいかなくなりました。
明日返すといった以上、今日は会わないという事なのでしょうしね。
ここで騒動を起こすのは得策ではありませんし、無理に大聖堂の奥の院に魔女が押し入ったとえっては、それこそ教団内部の保守派を刺激しかねませんのでね。
(まあ、その保守派の筆頭であるネフ司教が随分丸くなったのは、奇妙不可思議ではありますがね)
まるで何もかもが用意されていたかのような手回し。
本来なら、礼拝堂に入った時点でネフ司教のお説教が飛んできてもおかしくなかったのが、今までだったのですから。
しかし、すんなり会話が成立し、おまけにこうして意思疎通が図れたのですから、そうなるようにあの謎の男が、ネフ司教に仕込んだのかもしれません。
そこが知れない相手に、思わぬ形で対峙する事になったのやもしれません。
明日の顔合わせ、何が飛び出してくるのかは分かりませんが、気を引き締めねばならないのは確実。
下手をすると、そのまま飲み込まれるかもしれませんのでね。
そして、私はネフ司教の前を辞し、屋敷へと戻っていきました。




