12-10 大聖堂という名の魔窟
教会は各地に存在しますが、それは商会で言えば支店のようなもの。
まず、一番上に中央大聖堂が存在します。
世界の中心である聖なる山アラアラート山の麓に存在し、教会の代表者である法王が座する場所です。
法王に加えて、枢機卿などの教会幹部も普段は中央大聖堂に身を置き、各教区に必要な指示を出しております。
その指示を受け取る先が、五大公国の公都に存在する大聖堂になります。
現場監督として、中央から選ばれた“司教”が赴任し、大公国内の各地にある教会を指導します。
その教会に“司祭”を任命するその司教のお仕事で、適切な人材を振り分け、教導に勤めるというわけです。
私が普段顔を会わせておりますヴェルナー司祭様は、港湾都市ヤーヌスにあります教会の一つを任されております。
まあ、ヴェルナー様については少々特殊で、中央からのお声掛かりで、司祭に任じられたそうなので、ジェノヴェーゼ大公国の大聖堂から司祭を拝命したわけではないのです。
その大聖堂の責任者である司教を務めておりますのは、ネフ様という御仁。
(はっきり言って、この国で一番顔を会わせたくない相手ですわね)
そして、私の目の前には問題の大聖堂があります。
神様の御座所、という意味合いもありますので、その外観は荘厳にして、清き御姿を現す白を基調とした建物。
天高くそびえる鐘楼は、まさに聖なる山アラアラート山を模したとされております。
一度鳴らせば、街中に音が響き渡る程の大きな鐘が吊るされておりますね。
その大聖堂の正面玄関、一般人が立ち入れる礼拝堂の前に私は来ております。
入るのは少々憚られますが、アゾットの話では、ここにエイラと謎の男が入っていったとの事ですし、退くわけにもいかないのが辛いところ。
その最大の理由が、司教のネフ様にあります。
とにかく、このネフ司教様は“規律”という文言が、服を着て歩いているかのようにガチガチのお堅い御仁。
何事にも規則や規律など“型”に嵌める性格で、それを自分は元より、周囲にも強いてくる融通の利かなさが皆を煙たがらせています。
質素倹約、節制を旨とし、華美をとことん嫌い、そこから生じる息苦しさは皆から嫌われておりますが、司教という立場もありますので、誰も口出しできません。
唯一の例外はヴェルナー司祭様で、こちらは“品行方正”にして、“学識豊かな賢人”であり、しかも“機転も融通も利かせられる人物”として、国一番の人気者の聖職者でございます。
まあ、ヴェルナー様の“裏の顔”を知る私としては、乾いた笑いしか出てきませんが。
立場上、ネフ様は司教ですので、ヴェルナー様よりは上なのですが、ヴェルナー様は中央からの直接任命という特殊な立場もあり、ほぼ対等に話せるという訳です。
何かにつけて口を挟んでは、大上段から諭して来るネフ様。
それをやんわりと窘めつつ、周囲の意見をキッチリ取り入れるヴェルナー様。
どちらの人気が出るかは、語るまでもありません。
(聖俗どちらからも、頼りにされるヴェルナー様。ネフ様も悪くはないのですが、融通の利かなさが酷いですからね。経典と教会法を絶対とし、そこから外れたい行いを一切肯定しない。それが嫌われる原因だというのに……)
そんな厄介極まりない相手がいるのが、私の目の前にある大聖堂。
謎の男も、何の意味あってエイラをここに連れ込んだのか、正直判断が付きません。
それこそ、こんな“清浄なる場所”などより、どこぞの宿に連れ込む方がまだ正常ですわね。
女を買ったのなら、それこそ“致す”のが通常の流れなのですから。
そういう意味では、最もふさわしくない場所と言えます。
(そうなると、やはりこれは“釣り”ですわね。ここに入ったという事は、教会関係者なのはほぼ確定。なにかしらの事情で、私をここに誘い込むための餌として、エイラを買った可能性がますます高まったわ)
法王聖下の手の者か、それとも別の“雲上人”か。
情報不足! 判断が付きませんわね!
(しかし、手をこまねいているわけにもいかないのも事実。こうなったら、ネフ司教に直接、問い質しますか)
ネフ司教は私の事を特に嫌っておりますからね。
魔女にして娼婦、ガチガチに型にはまった聖職者からすれば、私は悪魔に魂を売った退廃と堕落の象徴のようなもの。
現に、何度か説教された事もありますしね。
やれ、魔女を止めて神に赦しを乞えだの、娼館なんぞ潰してしまえだの、とても聞くに堪えない暴言でしたわ。
だから、嫌いなんですよ、ネフ司教は。
(ヴェルナー司祭の方がまだやりやすいくらいですわ。しかし、下がるという選択肢がないのも、また事実! なるようになりますよ!)
そして、私は意を決して大聖堂へと入っていきました。
なお、入るのは私一人で、ジュリエッタ達は先に屋敷へ帰しました。
誘った以上、用があるのは私一人でしょうし、余計な事にジュリエッタ達を巻き込むのは気が引けますのでね。
さて、何が飛び出してくるのやらと警戒しながら、最も入りたくない場所へと足を踏み入れるのでした。




