1-2 老紳士との再会
チロール伯爵家の先代様は名をハルト様と仰られ、私の上客でございました。
私は十四の頃から客を取り、娼婦として過ごしてきましたが、そうした十代の若かりし頃によく足を運んでいただきました馴染みのある御貴族様です。
その頃、すでにハルト様は六十手前の齢を重ねており、白髪交じりの頭髪を揺らせながら、店にやって来たのをよく覚えていました。
そんなある日、その足取りがパタリと途絶え、ハルト様のお姿を店で見かけなくなってしまいました。
六十近い御年でありますし、老いのせいだろうか、などと当初は考えておりましたが、それは間違いでした。
他のお客様より聞き知った話でございますが、伯爵家に仕えておりました若い女官に手を出し、そちらの方が身籠られたとのことでした。
まあ、いわゆる妾の子ではありますが、長年子宝に恵まれぬ身の上でございましたから、その喜びようは想像するに難くはありませんでした。
今頃は生まれた御子をさぞや可愛がっている事でございましょう。
私としましては上客を一人、逃がしてしまったわけですが、そうした事情を鑑みますに止むなきことと頭の中に留め置き、きれいさっぱり忘れる事としました。
何より、今なお交流のある“最上の上客”もおりましたので、すんなり見切りを付ける事ができたとも言えますが。
そんな老紳士との交流を失い、早十数年となった今日この頃、久方ぶりにハルト様の名を耳にする事となりました。
店の常連からのお話によりますと、ハルト様は長年連れ添って来られました奥方様を最近になって亡くし、すっかり気落ちしてしまわれたのだとか。
おまけに不幸と言うものはお友達を連れてやってくるそうで、今度は執事が亡くなられたそうです。
この執事はハルト様と同い年らしく、幼少期よりずっと伯爵家に仕えてきた方だそうで、ハルト様にとっては執事であると同時に友人でもあり、人目のない場所では気兼ねなく話せるお方だったそうでございます。
奥方様に続いて長年の友人を亡くし、すっかり気力を失われたのか、床より起き上がれなくなることが増え、日増しに老いと言う名の不治の病が神の御許への道を舗装し始めたようなのです。
それを知った私は、少しは元気になってもらおうと、筆を執り、手紙を書くことにしました。
随分とご無沙汰なので覚えておられるかは分かりませんでしたが、駆け出しの娼婦であった頃に贔屓にしていただいた方でもあったので、少しは気分を晴れやかにできないものかと、拙い文章力をひねり出してはどうにか書き上げたものです。
町の花屋に艶やかな色とりどりの花束を作らせ、ハルト様の好物であったと記憶する馬肉の生ハムと共に手紙を送りました。
するとどうでしょうか。手紙を出した数日後に、ハルト様本人が店まで足を運んできたではありませんか。
ちなみに、私が勤めております高級娼館『楽園の扉』では、“完全予約制”が採用されておりますので、ハルト様からの十数年ぶりの指名予約には驚いたものです。
久方ぶりに足を運ばれたお客様とて、誠心誠意おもてなしをさせていく。それが高級娼婦の務めであり、矜持でありますから。
玄関ホールにてお出迎えしましたるその姿は、確かにかつての面影を失い、闊達な老紳士から、枯れた老木のごとき佇まいと成り果てておりました。
ですが、そのような事など、関係ございません。
いかなる客であろうとも、誠心誠意おもてなしをするのが私なのですから。
伯爵様の往年の姿を思い浮かべつつ、私もまた駆け出し少女に戻る。
三十代も半ばに差し掛かろうかと言う歳になりましたが、それでもこの老人に比べればまだまだ小娘のごとき齢です。
にこやかな笑みにてお出迎えをし、杖を握っていない左腕に自分の腕を回し、胸を押し当てつつ、お部屋へとご案内いたしました。