11-57 コルティジャーナの矜持
「愛してもいない男性と、どうして結婚しなくてはならないのか?」
政略結婚の渦中に放り込まれましたら、誰でも戸惑う事はありましょう。
まして、問題のアリーシャ様はたしか十四歳であったと記憶しておりますし、最も多感な時期と言えましょう。
親の言う事を唯々諾々としていればよかったのでしょうが、半端に知恵が回る分、考え事をしてしまい、状況を覆すだけの行動力を持ち合わせていない。
私に言わせれば“甘ったれ”なのですが、さすがに格上の伯爵令嬢に厳しい文言はぶつけません。
やんわり諭すように宥めすかそうかと思いましたら、ジュリエッタが進んで前に出てしまいました。
ユリウス様の事は一応の決着がついたとはいえ、自分の後釜がこれでは言いたい事の一つ二つはある事でしょう。
容姿はともかく、中身が全然ダメだと。
「愛などと言うものは、後からついて来ます。なので、まずは相手の事を愛しなさい。話は先ずそれからよ」
ズバッと言い切るジュリエッタの視線は鋭い。
まるですべてをこれから伝授しようという勢いすら感じさせる。
初心なお嬢様には厳しいかもしれませんが、そうでなければユリウス様を任せる事はできないと言いたげですね。
「愛とは、互いに育むものではないのですか!?」
「いいえ。愛とは“育むもの”ではなくて、“受け入れるもの”よ」
「愛してもいない人の愛を受け入れろ、と!?」
「だからこそ、まずはこちらから愛しなさいと言っているのです。少なくとも、私やヴェル姉様はいつもそうしている」
「……それは、“娼婦”だからではないのですか?」
アリーシャ様の声色が変わりましたね。
不安や焦燥から、苛立ちと、ほんの僅かな蔑みに。
(まあ、年頃の若干潔癖気味なお嬢様が“娼婦”と聞けば、嫌悪感を抱くのも無理はありませんか)
この年頃の女の子は、“性”についての知識を仕入れる時期でもあり、多感な思春期と相まって、興味を覚えつつも拒絶傾向にありますからね。
まして、蝶よ花よと育てられた貴族のお嬢様であればなおの事。
潔癖とは真逆に位置する“娼婦”という立ち位置に、嫌悪感を抱くのはむしろ当たり前と言えるでしょう。
しかし、それは大いなる誤解なのですけどね。
「アリーシャ様、それは誤解ですわね。私やヴェル姉様は、娼婦であって娼婦でない。“高級娼婦”なのですから」
「普通の娼婦とは違うと?」
「はい、全く違います。そもそも、アリーシャ様が想像される“娼婦”とは、金銭を対価とし、不特定多数の男性と肌を重ねる商売女ではありませんか?」
「ええ、そのように考えていますね」
「それは誤解。確かに、程度の低い娼婦であれば、それは間違いないのですが、私達“高級娼婦”は本当に別格。最上位の上澄みですわ」
ジュリエッタの言う通り。
一般の娼婦とは、持っている矜持が違います。
数々の教養と技術を磨き、もちろん顔や肌などの手入れも欠かさず、常に完璧、最上を目指すのが我々“高級娼婦”なのです。
(容姿端麗であるのは言うに及ばず。話術や寝技の巧みさはもちろんの事、芸術や学問への深い造詣に加え、歌や音楽に舞踊、果ては将棋などの遊興にも通じていなければ話になりませんからね)
それらを身に付けるために、カトリーナお婆様には厳しく躾けられましたからね。
もちろん、私達二人だけではなく、『天国の扉』に所属する嬢は全員がそうですわよ。
一人の例外もなく、カトリーナお婆様やオクタヴィア叔母様の指南を受け、高度な品質を保っている女性だけを揃えているのですから。
“完璧なる御奉仕”こそ、高級娼婦の真骨頂であり、存在意義。
庶民では手が出せない一夜の夢の対価も、妥当なものだと判断する方だけが、天国の扉を開く事ができるのです。
そんじょそこいらの娼婦と十把一絡げにされるのは、正直不快ですわ。
「何よりも、私もヴェル姉様も、お客様を全員愛していますからね」
「見ず知らずの相手を愛せるのですか!?」
「もちろん愛せますよ。考えてみてください。自分が楽しくないのに、相手を楽しませ、喜ばせる事ができるとお思いですか?」
そう、これもまた正論。ジュリエッタの言う通りです。
相手を愛するからこそ、相手もまた私達を愛してくれる。
自分が楽しいからこそ、相手もまた楽しんでいただける。
誠心誠意の真心を持って接し、時に駆け引きじみた焦らしさえ計算に入れて、本当に“恋の駆け引き”をしておりますからね。
出すもの出して「はい、おしまい!」な娼婦と、一種の“仮想恋人”を売りにした高級娼婦との大きな違い。
娼館の中では誰しもが恋仲になれる。
誰でも恋人のように、伴侶のようになるのが、天国の扉の向こう側なのですから。
(まあ、たま~に、行き過ぎた求愛行動をとって、お店の怖ぁ~いお兄さんに締め出される阿呆もいますけどね。私自身、ヴェルナー司祭様という予測不可能を抱え込んでおりますし)
司祭様は恋愛感情とは無縁な、一種の“修行”で私の下へ足を運んできますからね。
神よりの託宣を受けるため、天使(嘘)の声を聞きに。
そういう変わり種も含めて、すべて受け入れるのが、高級娼婦のご用意する有償の愛なのです。
御貴族様の御令嬢には、少々理解が及ばないかもしれませんわね。
「では、ヌイヴェルさんも、ジュリエッタさんも、誰も彼も愛せると?」
「当然です。人生は短く、何が起こるか分からない。まして、女としての“旬”なんてあっと言う間に通り過ぎる。そんな限られた時間、短い期間において、愛してもいない男性に抱かれるのには、人生は短すぎますわ」
お客様は誰しもが恋人。
誰でも愛おしく感じる。
否、そうであると一種の自己暗示をかける。
今この瞬間だけは恋人であると。
だからこそ楽しい。
恋人と過ごせる誰にも邪魔されない時間ほど、心躍るものはありませんわ。
高級娼婦はそうした時間と空間の中に生きているのです。
お客様を楽しませるのには、まずもって自分自身も楽しまなくてはならない。
楽しく過ごせないのであれば、それは恋仲ではありませんからね。
一夜の戯れとはいえ、手を抜く事など有り得ません。
誰であろうと楽しませ、快と悦の夢の中に身も心も浸して差し上げる。
それが高級娼婦の矜持なのですから。




