11-52 別たれた道 (10)
ジュリエッタからユリウス様に差し出された“Divorzio”。
よもやこんな物まで用意していたとは、ジュリエッタも決心がついたというところでありましょうか。
むしろ、驚いているのはユリウス様の方ですわね。
実際、フラれたようなものですから。
「おいおい、ジュリエッタ、正気か!? なぜ拒む!?」
無言で固まるユリウス様ではなく、先に声を上げましたのはフェルディナンド陛下。
ある意味、良かれと思っての提案でしたのに、よもやまさかの別れ話。
こちらも目を丸くして驚かれておりますわね。
「陛下、先程のユリウス様が仰られていた危惧を、お聞きになられていたでしょう? 好きとか嫌いとか、そういう問題ではなく、政略的な話です」
「それは承知しているが、ジュリエッタの聡明さは私が保証する。ユリウスの実質的な後見人である私が認めているのだ。何を憚る事がある?」
「私は自分が物分かりの良い方だと認識していますし、陛下も姉君に関すること以外には聡明であると思っております」
「それならばなぜ?」
「今し方の広間にいた貴族で、“聡明である者”は幾人おりましょうか?」
ジュリエッタの問いかけに、陛下も言葉に窮されておりますわね。
実際、あの席で私にしろ、ジュリエッタにしろ、色々と目立ち過ぎた上に、嫉妬や猜疑の視線を向けられましたからね。
なんで娼婦風情が大きな顔をしてこの場にいるのか、と。
まして、陛下の寵を受けているのか、と。
もちろん、私は陛下に対して忠を尽くし、表沙汰にはできない案件で色々と知恵を絞って来たものです。
しかし、表沙汰にできないからこそ、他の貴族には手柄を誇れないのです。
もし、ディカブリオあたりが戦場に出て、数々の武功を挙げたとなれば、それを誉として陛下の恩寵を賜るのに、なんの後ろ暗い事もありません。
しかし、私のやって来た事は、謀略と暗殺ですからね。
何人の人間を陥れ、あるいはあの世へ出荷したのか、手の指では数えられないほどでございます。
それを誇るつもりもありませんし、だからこそ、他の貴族からは蔑まれる。
成り上がりの男爵で、卑しくも娼婦稼業で財を成しているあばずれ、と。
「いかに陛下の寵があれど、それは表に出してはいけないものであると考えております。互いの為にも、親密過ぎる態度は控えるべきです」
「ジュリエッタよ、私が仲人を勤めるとしても、それでも嫌か?」
「少々、見え透いておりますので」
「見え透いているとな?」
「そうですね~。私が陛下の場合、まず私とユリウス様を結婚させた後、ユリウス様の異動を命じます。今は礼部尚書次官補ですが、大公付きの書記長あたりはどうでしょうか? 格としては少し落ちますが、陛下により近しい位置に身を置けるという利点があります」
「……そうだな」
「そうなれば職務上、王宮にほぼ常駐することになりますし、私も実質、宮殿内での部屋住みになるでしょう。なんでしたら、グローネ様の侍女でも命じますか」
「まあ、そうだな」
「あとはヴェル姉様を何かと理由をつけて、呼び出せば良いでしょうね。妹の顔を見に来い、とでも」
やはりジュリエッタは賢いですわね。
瞬時にそこまで読み取りますか。
“魔女の館”に来れないのなら、“宮殿”に呼べばよい、と。
妹夫婦の慰問という事であれば、大公の許可がある以上、誰も問題にはしませんからね。
問題があるとすれば、ジュリエッタが娼婦であるという点だけ。
やはりここが一番の問題であり、貴族達が難色を示すであろう点。
将来の宰相夫人に内定するようなものですし、そんな席に庶民の、それも娼婦を座らせる気かといきり立つでしょうね。
「やはり、賢いな、お前は。本当にユリウスと引っ付けたくなったのだが?」
「好き嫌いの問題ではない、と何度も申し上げたはずです。起こるであろう問題の数々、軽視すべきではありませんわ」
「だが、ユリウスを快くは思っているのだろう?」
「ゆえに! こうして下手な未練を残さぬよう、“Divorzio”を用意したのでございます! ユリウス様、お改めを!」
有無を言わさぬ口調に、フェルディナンド陛下も、ユリウス様も言い返せずにたじたじですわね。
さすがは私の妹、王侯貴族相手に一歩も引かない姿勢は流石ですね。
ジュリエッタは少々幼めの容姿と小柄な体躯から、まだまだ少女を相手にするかのように接してきましたが、もう完璧な淑女ですわね。
それも私同様、悪い女。
それでこそ、大魔女カトリーナの最後の直弟子ですわ。
「……では、中を見ても?」
「どうぞ」
ユリウス様を恐る恐る封書を開封し、何か入っていた手紙を取り出しました。
そして、その中身を確認するなり、急に吹き出されました。
何か予想外のものでも書かれていたのか、いきなりの大笑いです。
何事かと思い、その手紙を私と陛下が覗き込みますと、まるで子供が書き記したかのような整っていない文字で『Restiamo amici per sempre』と書かれていました。
「いつまでも なかよく いっしょに……? ジュリエッタ、これは?」
「もう十年以上も前、私とユリウス様との間で誓った言葉」
「え? 十年以上も前? それは……」
「実はですね、ヴェル姉様も、陛下もご存じないかと思いますが、一度だけ、私とユリウス様は“筆おろし”の前に会っているのですよ」
「あら、そうだったの」
これは初耳でした。
四年前、ジュリエッタが十五歳、ユリウス様が十三歳の時ですね。
ユリウス様の筆下ろしを目論み、私と陛下であれこれ手を回したのですが、それ以前に会っていたとは意外です。
「カトリーナ婆様と一緒に、どこかの屋敷に連れて行かれたのです。そこにいたのは、“仮面の貴婦人”とまだ幼かったユリウス様」
「という事は、仮面の貴婦人とはアウディオラ様!?」
「でしょうね。ユリウス様の側にいて、連れて歩ける女性なんて、それ以外ありえませんから」
なるほどなるほど、カトリーナお婆様とアウディオラ様の計らいで、私と陛下が画策する前に、ジュリエッタとユリウス様は会っていたという事ですか。
(今だからこそ分かる、その裏事情。アウディオラ様が私の双子の姉妹であるならば、その子供であるユリウス様はお婆様からすれば曾孫ですからね。戸籍の上では、お婆様の養女と曾孫を顔見せさせた事になりますわね)
何の意図があってそのような事をしたのかは分かりません。
何か深い理由があっての事か、それともただ単に歳近い親戚の子供を会わせただけなのか。
今となっては知る術はありませんけどね。
「当時、私は八歳で、ユリウス様は六歳。まあ、何の事もなく、二人の保護者の前で遊んで、そして、最後に“これ”を書いたんですよ」
「ふふ……、『いつまでも なかよく いっしょに』か。その日の誓いをずっと守っていた、というわけね」
なんともこそばゆい少年と少女の誓い。
一度きりの顔合わせとは言え、二人は忘れていなかったという事ですね。
この契約書が今でも残っているのが、その証。
「今から思うと、恥ずかしいですね。いや~、この汚い字! 読み書きを覚えたばかりで、必死こいて書いたって感じがして」
「ユリウス様、私が書くって言ったのに、見栄張って自分で書くんですから」
「格好いいところを見せたかっただけだよ。背伸びしたがる少年心という感じで」
「そこはそれ、お姉さんに任せておけばいいのよ、お子ちゃまは」
「酷い言い草だ」
「実際、字は汚いですし」
今でこそ、あらゆる文字を複写して書き写せるユリウス様ですが、この頃はまだまだ未熟だったというわけですね。
しかし、たった一枚の紙切れの登場で、澱んでいた部屋の空気が一気に爽やかになりましたわね。
別れ話が遠き彼方の出来事のような、そんな話のような気がしてきました。
場を和ませるために、あえてこれを出してきたジュリエッタ、さすがですわよ。




