11-51 別たれた道 (9)
「さっさと妻子のところへ帰れ」
私は突き放すようにフェルディナンド陛下に言い放ちました。
いささか淑女にあるまじき口調でしたが、甘ったれの陛下にはこのくらいで丁度よいでしょう。
(甘える姉がいなくなったから姉離れしたように見えて、姉が復活したら腑抜けに戻ってしまうとは、いやはや面倒ですわね)
であるからこそ、ビシッと言い切って、君臣の壁を作っておかなくてはなりません。
今まで以上に“魔女の館”に通い詰めるようなことになれば、それこそ余計な噂が立ちかねませんのでね。
そして、捨てられた仔犬のような視線を私に向けてきましたが、知った事ではないですわね。
公事はともかく、私事においては誰の命令も拒むのが私の信条ですから。
やりたいようにやる、“自由”こそ、私の、魔女の心構えです。
「……そんなに嫌いか、私が」
「何を拗ねてらっしゃるのやら。私は凛々しい陛下が好きなのであって、腑抜けた陛下など歯牙にもかけませんわ。もっとシャキッとなさい!」
「ぬ~。なあ、ユリウスよ、私はそんなに腑抜けか?」
「昨日の陛下よりかは、明らかに抜けていますね、色々と」
甥っ子にまでズバッと言われて、さらに落ち込む陛下。
復讐に燃え上がったかと思ったら、姉に甘えておきたいとか、忙しない事です。
「なら、別の方策を選ぶか」
「と、仰いますと?」
「ユリウス、ジュリエッタ、お前ら、結婚しろ」
「「「!?!?!?!?!?」」」
あまりにも唐突過ぎる話に、私はもちろん、ユリウス様も、ジュリエッタも、頭が混乱して言葉が出ませんでした。
何を言っているのだ、と。
「陛下! いえ、叔父上、一体なんの意味があってそのような事を!?」
いち早く硬直が解かれたユリウス様ですが、明らかに狼狽しておりますわね。
まんざらでもないという雰囲気はあれど、面倒事には違いありませんので。
「いや~、別に、なんだ、ユリウスよ、ジュリエッタの事を好ましく思っているのであろう?」
「それとこれとは話が別です! チェンニー伯爵家との縁組はどうなさるので!?」
ユリウス様の慌てぶりも当然ですわね。
今日の祝宴にかこつけて、ユリウス様とチェンニー伯爵家との縁組の話を進めていたのですからね。
実際、伯爵家当主ジョルジュ様が、嫡男のマルコ様、御息女のアリーシャ様を伴って、ユリウス様にご挨拶申し上げていたのを見かけましたので。
そもそも、空席状態であるユリウス様の伴侶の椅子に、アリーシャ嬢をオススメしたのは私ですからね。
そういう意味では、影の仲人といったところでしょうか。
ついでに、その縁談がまとまるまでの間、余計な悪い虫が寄り付かぬよう、ジュリエッタを“仮想恋人”として、色んな席に帯同させたりもしましたからね。
問題があるとすれば、その“仮想”の文言を、大公の一声で消し去ってしまおうという事でありましょうか。
これがとんでもない厄介事です。
(なにしろ、ユリウス様は陛下の甥であり、若手の出世頭。齢十七歳の若さでありながら、すでに礼部の尚書次官補にまで登られており、いずれは宰相とも言われておりますからね。当然、その隣席を狙っている貴族も多い)
あの手この手で陛下やユリウス様に近付いては、一門の娘をあてがおうとしている貴族を見てきましたからね。
そんな中に、“庶民の娘”が、しかも“娼婦”がその座を奪って行ったらどうなるか?
答えは明白。
今以上の厳しい視線が、イノテア家に注がれる事になるでしょう。
(ただでさえ、私が陛下の愛人だ妾だと言われて、リミアを引き取った時には隠し子だとか噂に立ちましたからね。それに加えて、将来の宰相夫人に妹をあてがったと言われては、どう場を取り繕ったらよいやら……)
たかが男爵の地位でしかない木っ端貴族には、過ぎたる栄誉です。
今の状態ですら、かなり妬みを買っていますからね。
実際、今日の宴の席においても、親交のあるゴスラー様の威を借りて謁見の列に横入りした挙げ句、ジュリアス殿下の初めての拝謁を、我が家の新顔イニッチィオが受けるという栄誉を授かりました。
過ぎたるは及ばざるがごとし。高みを目指す向上心はよいにしても、高すぎる地位は身を滅ぼすもとです。
ジュリエッタとユリウス様の縁組は、そういう意味ではあまりにも危うい。
「別にアリーシャ嬢を軽んじるつもりはないのだが、将来の事を考えると、知恵者を迎え入れた方が良いだろう。今し方の考察もそうだが、ジュリエッタの知性は相当に深い。大魔女カトリーナの薫陶を受けたのは、なにもヌイヴェルだけではないと思い知ったわけだよ」
「それは仰る通りかもしれませんが、ここまで縁談を進めて破談にしてしまうと、反発が予想されますし、なにより他の貴族からも疑心を向けられます!」
ユリウス様の危惧も当然ですわね。
将来の宰相夫人の座を庶民の娼婦に奪われたとあっては、その座を狙っている貴族から反発されるに決まっていますからね。
こちらとしても、魔女に篭絡されて、好き放題にやっていると受け取られかねませんし、妬みや反感を買う事になりますからね。
それこそ、ネーレロッソを始めとする他国からの離間の策を打ち込む、巨大な隙を生み出すようなものです。
(情勢が落ち着いているのであれば、あるいは受けたかもしれないこの話。しかし、今はネーレロッソ側が虎視眈々な上に、最悪“雲上人”と事を構える状態にもなりかねませんからね。安全第一ですわ!)
なので、ここは拒絶一択!
ジュリエッタには申し訳ありませんけど、ここは身を引かざるを得ません。
そう思い、私が口を開きかけたところで、ジュリエッタの方が先に動きました。
席から立ち、ユリウス様の側に近寄ると、懐から一枚の封書を取り出し、スッと目の前に置く。
何かと思い、それを覗き込むと、そこには“Divorzio”と書かれていました。
(ジュリエッタ、あなた、最初から!?)
こんなものを用意していた以上、すでに別れを決めていたという事に他ならない。
今日限り、これにて仕舞いの離縁状まで用意する周到ぶり。
一夜の戯れ、夢を見せたる高級娼婦からの別れ話。
もう仮初の恋人ごっこは終わろう、と。




